八話『ありがとう』
「シュバル、ティナ……?」
床に倒れたシノヤは、震える声を振り絞って問う。
彼の視界には、人影が映っていた。……だけど、それはぼやけていて鮮明には映っていない。
それを、彼の目の前まで迫っていたシュバルティナも理解していた。
零れる水滴を拭き取りながら、倒れる彼を抱きしめる。
馬鹿、だと。思う。
「─────この、馬鹿ッ! 死にかけてるじゃない!」
「……はは、は。ごめん、約束……守れなかった」
「……ダメ、そんな事言わないでシノヤ。貴方は……ここで、死ぬべきじゃないわ
!」
「そりゃ、ねぇよ。俺は、屑だからな」
残り少ない余生だ、と楽しんでシノヤは会話する。
なんとも惨めな終わり方だろうか。
自分の人生に、果たして意味があったのか─────それすらも、彼は疑う。
「ああ、そう─────だ─────。シュバルティナ、君に。俺のこの力で、h残っている寿命五十年分をやる、よ」
そして思い出す。
ああ、そうだ。
俺は彼女を助けるんだった。それが、今まで俺が生きていた、理由、なんだろう。
─────ヒイラギシノヤは、そう思った。
自身の右腕を差し伸べて、彼はシュバルティナの頬に触れる。
(暖かけぇなぁ……)
そんな惨めな彼の姿を、シュバルティナは直視した。
「だから、もう、死のうとしないで……よ、私。貴方がいなくなれば、酷く退屈する……それどころか、もう立ち直れないかもしれないわ」
「いいや、そんな事ない。シュバルティナ、君は強いよ」
─────。
そんな事じゃない。
彼女は彼を侮辱する。大事だと、初めて思えた彼が消えてしまう事が、あまりにも悲しくて。むなしくて。やりきれない。
だけど、これは予定調和。
しょうがないのだ、彼女を救おうとした以上。
彼は自分の犠牲さえも躊躇はなかった。
もうじき、彼は命が消失する────。
もうすでに、彼の右腕はボロボロで。
酷く焼き焦げている。
無理矢理、大量の魔力を一気に略奪した代償。
でも、自分が死ぬ程度の代償で彼女を救えるのならば。それは、軽すぎる代償ではないのだろうか。
シノヤは、そう思う。
「─────」
そんなあまりにも短い時間は、残酷に過ぎてゆく。
数秒後。その時だった。
『ガァァァァァァァァァ!!!!』
そんな呻き声と共に。
突然、原因不明の揺れと共に氷城が崩れ始めた。
「シノヤ─────!!!」
彼女の声が聞こえる。彼女が近づいてきて、彼女は落ちてくる瓦礫からシノヤを投げ飛ばした。彼女は、シノヤを庇ったのだ。
そして、同時に、視界は暗く埋まった。
◇◇◇
「んだ、これ……」
痛い痛い痛い。
信じがたい流動する激痛に堪えながら、シノヤは目が覚めた。
なんで、自分が生きているんだ……? と同時に疑問に思う。
そして、彼は気が付いた。
彼は、瓦礫の中にいたのだ。
……記憶にあるのは、城が突然崩壊したことぐらい。
「なんだよ、それ」
思う。
ナンダ、コレと。
彼は思った。
そして、ハッと─────。
「シュバルティナは、どこだ」
痛む体を支えながら、這いつくばりながら瓦礫の中を進み始める。
自分が何故、今生きているのか─────。
そりゃ、分からない。
だけど今はそんな事よりも、シュバルティナの身の方が心配だった。
這いつくばって、探し回る。
「シュバル、ティナ……!!! シュバルティナ!!!」
叫ぶ。喉が激痛に殺されようが、ただ叫んだ。
そして。
瓦礫の中を這いつくばって、見つける。
─────彼女を、見つけた。
飛びかかる様に、シノヤは彼女に近付く。
「シュバルティナ……⁉」
「う、ん─────? シノ、ヤ……?」
「あ、ああ。そうだ、俺……だ……」
彼は必死に、彼女の身体を揺さぶる。
……彼女の身体は、血だらけだった。
瓦礫に下半身が潰されて、明らかな致命傷。
彼女の呪いは既に消えていて、彼女の身体は普通の一般人と同じだ。
ここから助ける……道なんて……。
「くそ、なんで、こんなことに……!! お前、俺の事を庇い、やがって……!! それじゃ、お前が死んじまうじゃないか!!!!!」
怒鳴る。
崩れた瓦礫に、右こぶしをぶつけて、ただ嘆く。
何が救済するだ、何が守るだ、何が─────命を張る、だ。
結局の所、俺はなナニヲした?
何もしていない。ただ自己満足に、敵を倒しただけだ。
最終的には、彼女が今。俺の事を庇って、逆に自分が下敷きになった。
─────シノヤは、嘆く。
ああ、酷く虫唾が走る。
己の無力さに腹が立つ。
己の無力感に、殴りたくなってくる。
─────シノヤは、嘆く。
血だらけの彼女を見つめながら。
ただ、ただ、ただ、嘆いた
そして。ふと、彼女と目が合った。
すると、彼女は笑う。俺よりも激痛に苛まれて、今すぐにでもいなくなってしまいそうなほど脆いというのにも、関わらず……。
「……なぁ、シュバルティナ。なんで、俺の事を庇ったんだよ……。俺さ、お前をまだ救えてないっていうのに」
「……そんな事、ないよ?」
あはは、と彼女は弱弱しく笑う。
噓をつかないでくれ。ああ、本当に。
それは、本当に、つまらない噓だろう。
彼女は、シノヤから見れば、意地を張ってるだけだった。
あまりにも。
それは、つまらない噓だ。
でも、それなのに、彼女は─────健気にも笑う。
「シノヤは、ね? 私に沢山の事をしてくれた。……私の忘れかけていた感情というのを、思い出させてくれたし。私という存在がいて良かったんだな、って思えた。……そんなの、生まれて初めての事だった。だから私はね、生きてて良かったなと。思ってるよ?」
「─────シュバルティナ……」
ダメだ。それは、本当にダメだ。
シノヤは歯を食いしばって、呟く。
そんなのはさ、強がりにしか見えない─────だろう。
「そんな事ない、俺は君を救えてなんて……いない。まだ、俺はしたい事があるんだよ。君が、普通の女の子として。生きていける様に─────さ、救いたかった」
「……ダメだよシノヤ。私はね、そんな器じゃない、私にはそれは遠すぎるわ」
「そんな事……ない! 全然、そんな事ない!! お前は可愛いし、美しい。普通の女の子だよ!!!」
ガラガラ……と、瓦礫崩壊の鐘が鳴る。
寄り添う男女の事なんて、気にもせずに。
ただ、崩壊してゆくのだ。
「なんていうんだろう、ね……? 私ね。シノヤに好きって言ってもらえてね、とっても嬉しかったんだ。今まで、私なんて必要な存在だと思われてた事なんてないからさ……もう、私に悔いなんてないよ。嬉しかったから、シノヤに愛されて」
「噓を、つくなよ……馬鹿野郎」
「あはは、バレちゃ……た? やっぱり、私。嘘ついているかな?」
「ああ、そうだ。そうに決まってる─────だって、俺はまだ君を救えていない!!!」
ただ、叫ぶ。瓦礫が崩れ、外気が入り込んでくる。
その吹雪に、彼女は照らされながら。
苦笑して……、言った。
「だから、そんな事ないって。まぁ、確かに、悔いなんてない……ていうのは噓かもしれない。だって、私。まだ、シノヤと一緒に過ごしたかったもの」
なんて、事を。
そんな事を言われたら、それこそどうしようもなく辛くなる。
勿論、シノヤだってそうしたかった。
それこそが本音だ。……本当は、彼だってシュバルティナと一緒にいたかったのだ。
悲しみ、そして己の無力さに対して辛くなって。
ただ、彼は俯いた。
彼女と一緒に過ごせたならば、それはどれだけ幸せなコトだっただろうか。
……思う。思う。思う。思う。
「俺だって、同じ気持ちだよ。君と、出来ることならば一緒に過ごしたかった。君と共に暮らせるのならば、俺はなんだって捨てた……!!!」
「ううん、そんなのはいけないよ。シノヤ。……私と貴方では、居ていい世界は違う。私は、呪いの子。貴方とは、共にいる事なんて出来ないわ」
「は、はは……そんな事なら、俺だって自分が生き残る為に。何人もの人を犠牲にして、踏み台にして、生きてきた!! だから、君の方が俺なんかよりもずっとマシだよ」
─────だというのにも。
世界はあまりにも残酷だ。
クズの俺は生き残って、何もしていない無邪気な彼女は死ぬ?
優しい人間が先に死ぬのか……?
……それじゃあ、コイツは。あまりにも、報われない。
シノヤは泣く泣く感じる。
そんな事を想起しながら、共に彼女と過ごした永遠を想起する。
それは、彼女の永遠からしたら音速にも等しい一瞬だっただろう。
でもそれは、きっと、色濃く。鮮明だったはずだ。
─────それは、あまりにも独りよがりな思考。
だが、彼女は、優しかった。
「シノヤ、貴方はね。昔の姿がどうであれ、今はすっっっっごくイイ人なんだよ? それ、私が保証するし。信じてる」
「信じてる……って、お前……。俺は、お前との約束を破っちまったというのに。まだ、信じるのかよ……」
「うん、だって。私はシノヤの事が好きだから……!」
「シュバルティナ、お前って。本当に馬鹿だよ」
彼女に近づいて、シノヤは抱きついた。
上半身だけの彼女に、傷に触れないように優しく。
シノヤは抱きついた。
(なんで、さ。こんなにも彼女は暖かいというのに……いなくなってしまう、んだ)
嘆く。ただ、シノヤは嘆くのだ。
辛い。こんな感情に見舞われたのは、何年ぶりだろう。
泣きたくなってくる。
本当に、零れてくる。
「うわあ、シュバルティナ。君は、本当に、暖かいよ……」
「うん、私もシノヤの暖かい体温を感じてるよ? 本当に、まばゆくて。かっこよくて、頼りになって、健気で、私なんかよりもずっっっと強くて、優しくて、冷静で、本当に……素敵だよ」
「─────」
言葉が詰まる。
彼女の愛情は、本当に愛らしい。
こんなの、ただの可愛い一般人の少女じゃあないか。
なにが、魔女だよ。
─────シノヤは、心の中で。
「ああ、もう!!!! もう、離れたくない! シュバルティナ、俺は君のことが本当に好きだ!! 愛している、こんな劣情に駆られたのは……君が初めてだ。だから、なぁ、離れないで……くれよ。死なないで、くれよ」
彼女は今にも、小さな雪が溶けるように。
楽しい夢が、直ぐに終わってゆくように。
いなくなってしまいそうなほどに、もろい。
「……私、とても嬉しいな。何百年もかけて理解出来なかった感情、本当に私は今。理解出来ているんだろうなって思う。こんな多幸感、初めてだもの!」
「今更、幸せとか……感じてるんじゃ、ない。もっと早く感じてくれれば、良かったのに」
嘆くように、呟いた。
やり直したい。
こんな事態になる前に、彼女と逃げ出したかった。
彼女と共に、また別の国で、街で、世界で、過ごしたかった。
でもそれは、もう叶わない願いだ。
「─────それは、無理。でもね、私もそう思うよ。もっっと早く、シノヤと出会っていれば、何か変わったのかなって」
「あはは、そうかも、な……」
ありえたかもしれない、その景色。
ありえたかもしれない、その未来。
ありえたかもしれない、その幻想。
そして、それを想像して。
─────手を伸ばす。
でもそれはもう、届かない……。
「でも、もうそれは叶わない世界」
「─────」
現実を、彼女は自分自身で突きつけた。
確かに、そうである。その通りだ。
それが、現実を直視した結果だ。
「それでも、ね。私はもう既に幸せだから……良いんだ。私の幸せを、シノヤは見つけてくれた。それにね」
「─────?」
「シノヤ、前に話してくれたでしょ? 前世の記憶を持って、新しい生命として生まれ変わる。……転生者のお話を」
「あ、ああ」
震える声で、シノヤは答えた。
転生者のお話。確かに、それは牢獄にいる時にした覚えがあった。
なんとも幻想的な古い神話の話である。
「私もね、もし転生者になれたら、どこかで生き続けるシノヤに会えたりするんじゃないかなー、なんて期待しているんだ」
「─────シュバル……ティナ?」
彼女の体温が、冷たくなってゆくのを。
感じた。
「私、それを信じてる。きっとどこかで、またシノヤと巡り合えるって」
「─────はは、なんだよそれ」
それはなんとも幻想的で、希望的観測すぎて。
そしてなにより、もっともありえて欲しい話で。
─────期待したい話だった。
馬鹿げた話だ。
本当に、馬鹿げた話だ。
そんな神話の話を信じるなんて─────。
でも、それは。
「シュバルティナ。俺も同じだ。いつか君が転生者になって、知らぬ間に、君と巡り合えるんじゃないかって、信じてるぞ!」
彼らの希望だった。
同時に、彼女は屈託のない笑顔を浮かべて。そして、シノヤの手の中に彼女は深い眠りについた。
彼女の体温はみるみる冷たく、低下していく。
最後の最期まで、彼女を看取った後に。
彼は、彼女に小さく一礼して、瓦礫の中から抜け出した。
「ありがとう、シュバルティナ。俺は、本当に、君を愛している」
一言、そう告げて。
◇◇◇
~シノヤ視点~
雪の姫の白昼夢。それは刺さる程凍る吹雪の中に暖かい、男女の出会いと別れの物語。それは、遂に幕を閉じる。
彼女はなんとも愛らしいく、俺なんかよりも健気に、最期まで生き続けていた。
だというのにも関わらず、俺はずっと生き続けている。
死を覚悟して使った力でも、死にきれずに生きている。
ならば、彼女の分も生きなければならないだろう─────。
彼女との一瞬は、もう永遠忘れる事はないだろう。
どれだけ時間が経とうとも、それは色褪せない鮮やかな姫との記憶。
牢獄に独りきりだった雪舞う彼女との記憶。
やりきれなかった事は、沢山思い浮かんでくる。
陽光の曻る世界を、彼女に見せたかった。
この世の中には可愛い生き物もいるんだぞ、と見せつけたかった。
彼女と共に暮らしたかった。
もっと面白い話を聞かせたかった、彼女を一般人の少女の様に平穏な世界で過ごさせたかった。彼女ともっと話したかった。
─────彼女を、救いたかった。
でも、それはもう叶わないのだ。
だからこそ、自分は生きなければならない。
彼女の意志を継いで、生きなければならない。
それぐらいは、俺に出来る事なのだから。
「ああ、ああああ……やっぱり無理だ、シュバルティナ! 君がいないと、俺は無力なんだ! 君がいないと、俺は生きていけない!」
その号哭は、氷城に響き渡ったことだろう。
そして、顔を上げた。
今はただ、彼女を殺した─────。
この瓦礫を発生させた、目の前の氷嵐龍という乱入者を、殺さなければならないだろう。
青く透き通った鱗に覆われた巨体、畏怖を覚える紺碧の眼、空を仰ぐ氷の翼。
轟く厄災。この永遠の冬を引き起こしている元凶が、ここにいるのだ。
なんでココニ来たのか知らないが、ココニ来たからには……死んでもらう。
たとえ巻き込んだだけでも、コイツは彼女を殺した第一要因なのだから。
俺は、ぶらりと立ち上がる。
そうして決意する。
「だけど、そんな事も言ってられないよな。なにせ、アイツは俺を信じてくれた。……なら、さ。俺もそれに、答えなければならない」
……彼女に答えなければならない。
……彼女は、俺がイイ人だなんて信じてくれたのだから。
……彼女の思いを、受け継がなければならない。
決意しただろ、狂ってるほどに決意しただろ。
何回も、何回も。
息を大きく吸い込む。
ああ、視界は本当に気持ちが悪いぐらい透き通っている。
気持ちは今までにないぐらいクリアだ。
じゃあ、いこう。
「さて、決戦といこうか─────。俺は戦う、彼女の為にも。この冬を終わらせる」
俺は右腕の壊れた力を解放させる。
頭痛がする、吐き気がするほどの激痛が右腕を流動する。
だというのに、奇跡的にも俺は生き残った。
ならば、それならば、勝つしかないだろう。
─────残すべきものなど、とうに消えた。
ならば、コイツを殺して。
彼女の仇を取るまでだ。
そして、最期の戦いが始まった。