七話『死闘』
彼、ヒイラギシノヤは氷城の最下層に勢い良く着地した。
数十メートルもの高さから落下して生きているのは、この呪いじみた腕の力の所為である。
「……」
自身のバケモノ具合に相変わらず吐き気を感じながら、彼は眼前に感じる気配を察知した。それは五感が叫んでいた。
来訪者であり、彼の天敵。─────アーロバイトだと。
「─────っ相変わらずの威圧感だな、これ」
氷城に浸る様に反射する威圧感。
それは、屋敷で感じたアーロバイトの気配とは、全くの別物であった。
比喩るならば、人外。
己と同じ、その要素だろう。
呪いの力を解放したことにより、赤く充血した己の右腕を一瞥する。
七色紡ぎの天腕。─────略奪と、委託の力を持つ奇跡操作。
左手には、帯刀していた片手剣を抜き取り。ただ握りしめた。
その姿は、魔術と剣を併合する族。魔剣士にさえも、見える。
彼の呼吸は狭く薄く、阻まってゆく。
(俺の残りの生命は─────六百年程度、か)
麻痺した感覚で、己の生命力を感じ取った。
だが、そんな暇は既に消えていて。
突如。目の前から、大剣が投擲されてくる─────!!
「は…………あ⁉」
驚きと焦燥。様々な感覚に彼は苛まれながら考え。
最善策を導き出そうとす。だが、無理だ。
この刹那の後には、それは彼の脳天をぶち抜くだろう。
だから、彼はソレをいなす事に専念した。
回避不可の一撃。その光速具合。
恐らくは。アーロバイトからの、先制攻撃……。
彼は中段で剣を構えて、投擲された大剣の剣先と衝突させて。
貫く方向を、歪曲させる。その光の一線は、ただ曲がってガキンなどと音を立てて天井へとぶつかった。
その刹那に、生き残る感触。
─────過去の自分を、奮い立たせられる。
「やはり、効かんか」
「アーロバイト……」
気が付けば、彼の視界には一人の騎士、金髪の男が立っていた。
まさしくその正体は、アルシュダイスト騎士団の団長にして、シノヤのライバル、アーロバイトである。
光に飲まれるかのように熱い空気が、世界をこだまする。
死。という感覚が急速に迫ってくる戦地でしか味わえない最悪の感覚が、彼の脳内に唐突にフラッシュバックしてきた。
アーロバイトは両手を広げて、静かに、笑いをこみ上げてゆく。
ライバル。そして、敵。
ソレと、彼は対峙する。
話す余裕は、あるかどうか。
─────それは、今のシノヤには、判断出来ることじゃあない。
ただ、過去の勘を信じて。
流れに沿って、生きる道を選択する。
否。生きたいと今願うのは、あまりにも的外れな回答だ。
なにせ、死んでも彼女を守ると選択して。
今、彼はこの場に立っているのだから。
「─────貴様に、残す言葉はさしてない。だが、それは貴様も同じだろう」
目の前に立つ敵の振動を聞きながら、彼をまっすぐに正視する。
シノヤはもうすでに臨戦態勢。
それは、アーロバイトも変わらない。
常に、彼らは死の隣にいるのだ。
その緊張が、更に空気を熱してゆく。
「強いて言うならば。一つの”問い”」
「─────問い、だと?」
「そうだ。貴様の目指す、魔女の救済。それを、何故望むのか。俺としてはね、その行動原理が気になるのだよ」
……なんだその、愚問は。
シノヤは大きく息を吸い込む。
そして、吐き散らかす。
回答、それは。答えるほどもない、単純。
寓話性などは微塵もなく。本能だけに牙をむく。
その行動原理は、あまりにも呆れる。
「─────言っただろ? 俺は彼女が好きだって、好きな人が危機に晒されてるんだ、守ろうと思わない方がおかしいだろ? 俺はただ彼女が好きなだけだ、好きだから守る。彼女が雪の姫なんだとしたら、俺は彼女の剣なんだ」
「ふむ。貴様には、俺の質問は本当につまらないものだっただろうか……だが、タメになったかもしれない。おかげで、俺は理解したぞ。恋とは、本当に、実に、恐ろしく、救済の余地さえも残さない愚の骨頂だとな─────っ!!!」
ああ、熱い。とシノヤは感じる。
その熱気は、この絶対零度に包まれた氷城さえも焼き尽くしてしまいそうなぐらいに。高く、恐ろしい。
(愚の骨頂……か、確かにそうかもしれないな。でも、それが、いいんだろ)
己の愚行を嘲笑し、嘆く。
同時に、空気が、変化した。
ナニカがぷつりと切れた音の錯覚。
「じゃあ、いくぞ……!」
「……俺に真正面から挑むか、ヒイラギシノヤ!」
そして、自分の本能で行動しながら理解する。
それは、紛れもなく。開戦の合図であったのだと。
◇◇◇
先制攻撃を仕掛けたのは、シノヤの方だった。
滑空するかの様に、脚力に意識を集中させる。
して、その瞬間に飛翔した。
厳かに、シノヤは厳かに構えた片手剣を振るう。
─────ザシュン!!!
斬撃音が奏でられる。
「は─────ぁ!!」
「─────小僧!」
二人の斬撃、刀身は衝突しあって鈍く鳴った。
シノヤは空中に留まる様に腕にチカラを込めて、そのまま鍔迫り合いへと持ち込んだ。だが、それはムダ。
「効かん!」
アーロバイトは大きく剣を振り上げて、彼の攻撃を振り払う。
シノヤはそのまま大きく吹き飛ばされるが、受け身を取って重症を回避。
ただ、背中を少し地面に打ち付けるだけにとどまった。
効かない。
それは、シノヤの予想通り。
初撃は見事に弾かれた。ならば、もう一度打ち付けるのみ。
彼は間もなく走り出して、アーロバイトに対してもう一度の斬撃を与えた。
だが、それはいともたやすく受け止められる。
だが、そんなのは知っている。
だから、その先へ─────もう一度の、一撃を。
「は、ァ─────!!!」
雄叫び、魂の叫び。
氷城に響くかの様な断末魔に似た絶叫と共にアーロバイトに対して、蹴りをくらわす。シノヤの身体中が久しぶりの激動に悲鳴を上げる。
一歩、シノヤはバックステップを取って。
彼の来るかもしれないカウンターを回避した。
一瞬の休息。一瞬の攻撃終息。
だが、それはあまりにも一瞬に溶けて……。
次は、アーロバイトが攻撃を仕掛けてきた。
「小癪な副団長が、貴様は。ここで、終わらす」
「終わるのは、テメぇの方だ。……アーロバイト!!!」
怒号が交錯する。
アーロバイトは一秒にも満たない瞬間で、シノヤの眼前へと迫った。
脚力強化魔術だ。と、シノヤはふと理解する。
それはマズイと思って……過去の勘に流れて動いた。
「……ッ」
己の右腕、その呪いの力の一部。
『略奪』の力の瞬間的な使用。
約百万秒分の一秒程度の一瞬だけ、ソレを発動する。
右腕の力は酷使すれば、余裕で死に至る。
だから、細心の注意を払っての使用─────。
その一瞬の間に、彼は、シノヤはアーロバイトの脚へと触れて。
彼の脚力を強化している魔術に使用している魔力を、”略奪”した。
同時に、赤い電光が走る。
同時に、アーロバイトの魔術が消滅する。
同時に、アーロバイトの速度が肉眼で目視可能となる。
「な……っ、それは貴様の腕の力か……!」
「ああ、そうだよ。お前には、忘れたとは言わせねぇぞ……‼」
低下する速度に啞然とするアーロバイト目掛けて、シノヤは拳を振るった。
バン! と音が高鳴る。
だが、それだけではアーロバイトはひるまず。
アーロバイトも、彼の頬を全力で殴りつけた。
その音も、氷城内を大きく反響する。
(痛い……だが、この痛みなんて、軽すぎる)
痛覚で、痛みが現実だと押し戻す。
こんな世界、幻想であってくれと思う願望を崩壊させる。
幻想崩壊。現実回帰。思想輪廻。
あらゆる思考が停滞。
ただ、この戦いに勝つ方法のみを探し出す。
「─────ァ、は」
腕と脚に力を込めて、目の前の敵へ繰り出した。
アーロバイトに対し、シノヤは蹴り。殴りを繰り返す。
それはアーロバイトも同じ。
殴り合い。
蹴りあい。
なんとも醜い戦いと共に、剣戟も再開する。
繰り出される閃光。目視不可能な一線。
それを勘だけでいなし、それさえ上回り利用。
カウンターを仕掛ける。
「─────俺はこの程度では、くじけないぞ。アーロバイト……」
「無駄な足搔きを!」
「……っ!!!!」
だが、それさえも。
アーロバイトは防いできた。
効かない、効かない、効かない、効かない。
シノヤの脳内は混濁する。
意識が、現実から遠のいてゆく。
……理想は遠く。
……幻想は鮮明に。
……憧れが疼く。
勝てない、などとくだらない考えが。シノヤ、彼の脳裏を制していたのだ。
─────だから、彼は立ち止まった。
~シノヤ視点~
意識が揺らぐ。
視界が薄暗く染まった。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸が整う事もない。
ただ、眼前には敵が立っている。
その状況は、先程から何も変化しちゃいない。
ただ、俺の生命が消耗している。
力を浪費しただけだった。
─────ムダな足搔き、だったのか。
と、思う。
いいや、そんなことはない。
と、断定したい。
だけど、それは出来ない。
何故ならば、今、俺は、コイツに勝てない……と思っているからだ。
「やはり、貴様には俺を倒すのは不可能だ。理解したか、シノヤ?」
「─────」
戯言がどこからか吹き飛んでくる。
それには返答しない。
それを答えるのは、あまりにもムダすぎた。
ただ、目の前の敵。
圧倒的な安定した実力を持った金髪の男を直視する。
見据える理想は、未だ変わらない。
「─────お前ってさ、どこか馬鹿だよな」
その時。躍起になって、不思議と変な言葉が喉を通過した。
「……お前には言われたくないものだ。なにせ貴様は、圧倒的な実力差を持った俺に挑んできたのだからな」
「ははは、そうかもしれないな」
「どうせ、これが貴様の最後の時だ。少しゆったりとした安らぎ……猶予をくれてやろう」
「そりゃ、ありがたい」
未だ、息は整わない。
目の前に聳え立つ絶対的な存在を、目視する。
見据える理想は、未だ変わらない。
─────反吐が出る。
こんな瞬間になって、走馬灯が浮かんできた。
彼女の笑顔。雪の姫の笑顔。シュバルティナ・シーラクリスの笑顔が。
脳内に鮮明に、映し出されたのだ。
焼き尽く様に焦げ臭い、そんな暖かい記憶。
胸がはち切れそうな程に切ない、彼女との記憶。
思い出せる記憶は、本当に、反吐が出そうな程あふれてくる。
「─────全く、貴様は優秀だというのに。最後の最後で選択肢を間違えるとはな、実に滑稽な終わり方よ。もうこの戦い、既に勝敗は決している。どうだ? ここでいっそ自ら命を絶ってみては、いかがかな……? まぁ、貴様にはその手段すらないようだがな」
相手は馬鹿にするかのように、皮肉を込めて苦笑。馬鹿げた提案だ。
─────。
鼓動が止まる。
時間なんて感覚は、とうに忘れた。
残っている右腕の感触は、生温い。
己の鮮血が、流動し、自らをむしばんでゆく。
─────。
成程、と理解する。
相手の提案を、飲み込んだ。
確かに、この戦い。
既に勝敗は決していた。
俺は、勝てない。
─────。
だけど、オマエも勝てない。
そう、成程、と理解する。
刹那の永遠に。その思考は極地に到達した。
そうだったな。
俺は彼女と、約束したんだっけか……。
悪いシュバルティナ、死なないという約束……守れそうにねぇや。
固唾を飲み込む。
「あはは、はははは、ははははは─────!!!!!!」
「……なんだ、お前は。なんだ、その笑い方は」
大きく笑う。
とても大きく笑う。
とっても、大きく笑う。
そうだ。それは、とても簡単なコトだった。
「確かに、お前の言う事は確かだ。……この戦い、既に勝敗は決している」
「ふん。なんだ? 諦めたのかシノ─────」
「いいや、違う。この戦いは、既に勝敗は決している。そう、『引き分け』にな」
「なんだと?」
右腕を眼前に立つ男の方へと大きく突き出した。
─────笑う。笑う。笑う。笑う。
そうだ、この戦いは引き分けになる。
「引き分け……貴様、一体。どういう事だと言うか!」
目の前に立つアーロバイトは、怪訝そうに眉をひそめた。
「……お前、さっき言っただろ? ここでいっそ自ら命を絶ってみては、いかがかな……ってな」
「─────なにを、かんがえ……て……」
アーロバイトはあからさまに考え始めた。
それでは、ダメだ。それでは、答えには到達出来ない。
……だから。ヒントを繰り出した。
「ここで命を絶つ、勝敗は引き分け……そして、この戦いは殺し合い。おい、アーロバイト。お前に、この意味が理解出来るか?」
「ま、さか─────」
男の声が、あからさまに震え始める。
そして、男は俺の考えている事を告げた。
「まさか、貴様……‼ 俺もろとも自爆するつもりか……!!! どれだけ狂ってるというのだ、お前はぁぁぁぁぁああああああ!!!!!」
「ご名答。さぁ、チェックメイトだ、団長様」
「……!!!!!!!!!!!」
空気は冷たく、冷え固まる。
だが、それは再び加熱されて─────。
世界全体が、震えた。
自爆。そう、俺のこの右腕を暴走させてコイツの生命力を略奪するのだ。
勿論、人一人の命を一瞬にして奪おうととするものならば─────俺の体内で略奪した生命が暴れて俺も死ぬ。
この力を酷使したら、死ぬ。とは、そういう事だ……。
突き出した右腕が、淡い光を持ち始める。
実に醜く、抗う様に輝き始める。
同時に、酷く右腕が痛んだ。
「消滅」
今までに右腕に展開した、呪いの力を無効化させる。
それは、眼前に迫る男を、必ず殺すため─────。
アーロバイトは、暴走するように俺へと迫る。
脚力強化魔術は使用していない、それほど焦っていて発動するのを忘れていたのか。それは、酷くありがたい。
─────予測。彼は、後三歩で俺に到達する。
「再構築展開」
そして、無効化した呪いの力を再稼働させる。
その力はクリアに、何も邪魔するモノなく発動する。
準備完結。
─────残り、二歩。男は、眼前に迫る。
だが、それは届かない。
コチラの方が、一歩有利だ。
「生死紡ぐ堕ちし断片!」
─────残り、一歩。
「馬鹿……な……!!!!」
だがそれは、あまりにも遅すぎた。
「なぁ、アーロバイト。一つ、お前の言ったことを訂正させてもらうぞ。……俺はな、お前なんかよりもずっと狂ってる。ってな」
自身の余力を振り絞って、そう叫ぶ。
だがそれは掠れて、あまりにも極小な音にしぼんでしまったが。
だがそれでいい。
……俺の言葉を起点にして、世界の空間は変動する。
世界線は揺らぎ、己の右腕は。アーロバイトの生命力どころか、その魂さえも略奪。
故に、彼はカラッポな抜け殻となり。
断末魔すら上げず、それはその場に倒れ込んだ。
アーロバイト。
それがどれだけの力を内包しているのか、それは分からない。
コイツはきっと、本気は出していなかっただろう。
なにせ、彼は戦地にて、俺と共に生き残った程の大英雄なのだから─────。
この程度の実力な訳がなかった。
だけど、その傲慢の所為でコイツは俺に負けた。
なにせ、俺が命をかけてまで特攻してくるなんて、思ってもいなかったからだろうし。過去の戦地で、自分が生き残りたいからと、仲間の生命力を奪うクズな俺を、アーロバイトは知っていたからこそ。
この自爆特攻が来るとは、思い込んでいなかったのだろう。
まぁ、なんにせよ。
─────俺は、コイツに勝ったのだ。
それだけで、彼女を救えた、そしてリベンジを果たした。
それだけで、俺は、満足だ……。
俺はその場で倒れ込んだ。
そんな朦朧と死が迫ってくる感触に不快感を覚えていると─────。
「─────シノヤ!!!」
近くから、シュバルティナの声が聞こえてきた。