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六話『邂逅と解放』

 部屋の入り口には、シノヤ・ヒイラギが立っていた。

 彼女が会いたいと、思っていた存在と、唐突に出会う。


「う、そ……シノヤ?」

「ああ、そうだ。雪の姫、さん」


 シノヤは、雪まみれの革鎧のまま。

 氷城のてっぺんに眠る彼女に一歩近づいて、歩み寄る。

 その空気は酷く冷たかったはずなのにも関わらず。

 熱くて、ドキドキして、辛い。

 胸の拍動は高鳴るばかり─────。


 雪の姫はベットから起き上がろうとするが、その手前でピタリと止まった。

 先程の、自分の行動、呪いを想起する。

 ああ。ああああ、自分は触れられないのだった。

 人に触れられない。触れれば、人が凍る。

 そんな呪いを、持っているのだったと。気が付いたのだ。


 抱きしめたい。

 触りたい。

 まだ、一度も触れていないのだ。

 人と体温を重ねたい。この人と、重ねあわせたい。


 彼女の気持ちは爆発する。

 だがしかし、まだ理性の方が上回っていた。


 ─────。

 彼女は止まる、しかし、シノヤは更に一歩、一歩と近付いてきた。

 その状況に、彼女は困惑を隠せない。


「なぁ、雪の姫さん」

「あ、……ち、近づかない……で」

「─────あ、は……」


 彼女は咄嗟にそのコトバを口にした後、ハッとする。

 自分はなんて事を言ってしまったのだと。

 すると、彼も近づくのを一歩、躊躇った。


 その体感時間無限秒に等しい静寂に、暖かい男女は立つ。

 雪の姫は、慌てて急いで訂正した。


「ち、違うの! それは、私の呪いが危ないからって……っ!」

「……」


 そのセリフ。その心配。己の身より、他人の身を案ずるその性格。

 その全てを、シノヤは改めてもう一度噛み締めた。

 やはり、この子は優しかったという安堵感。

 やはり、自分が嫌われている訳ではないんだなという安堵感。

 そして、心配する彼女の呪いはもうすでに消えているという─────。


 その安堵感。

 否。だけど、シノヤには似たような感情が芽生えていた。

 それは、なんだろうか。

 分からない。言語化出来ない。


 分かることは一つだ。

 ヒイラギシノヤという男は、その気持ちをコトバにする前に、先に体が出ていた。

 それだけである。彼は、また一歩、歩み寄って。

 彼女の拒絶反応なんて反射が出るような刹那さえもかいくぐり、その一瞬。


 シノヤは、眼前に立つ雪の姫に抱きついた。

「─────馬鹿っ、お前はさ。他人の身を心配するより、自分の保身に走れ!」

 そんなセリフを吐いて。


「え……?」


 それと同時に、彼女は困惑した。

 シノヤに触れている、という感触に。

 シノヤに。触れられているという、感触に。

 人の暖かさに。人のときめきに。人という心に。


 それは、何百年も生きていて始めての感覚だった。

 今までは呪いの所為で、人はおろか、基本的な動物なんかにも触れられなかったのだ。─────だから、これは、あまりにも感動的で、感傷的で。

 彼女の心を揺るがした。


「あ、れ……? なんだろう、これ? 私、そんな人に心配されるぐらい弱ってたかな? なんか、よくわかんないけど、少し今のコトバはドキドキした。これって、どういう事なんだろうねシノヤ?」

「─────さぁな、俺にも分からない。でも俺は怒ってるぞ、と、ってもな」

「ううん、これ。違うと思う。私、きっと分かるよ。きっとさ、これって『ウレシイ』って、感情なのかな?」

「……はは、そうなのかもな。俺も君に会えて、保身に走れって怒ったけど。それと同時に、まだ生きてくれていて、嬉しかった……!!!」

 当たり前すぎて忘れている感情。

 自分でも気づいていない感情。


 それを漠然と理解した彼女はただ、頬から美しい粉雪が滴る。

 これも初めての経験。彼女は、シノヤに抱きしめられて胸が熱く、ドキドキとした。

 ときめき。……これが、そういうものなのだろうか。


「俺さ、言いたい事があるんだ」

「─────なに?」

「でも、その前に一つだけ。質問がある」


 抱きしめながら、シノヤは彼女に問う。


「雪の姫。君の、名前を聞いていなかった」

「あ。……そうだね、確かに私も言ってなかった、なんでだろうね」

「一か月話して、名前も知らないとかさ。どうかしているよ、本当に」

「あはは……、そうだね。じゃあ教えてあげる。私の名前は『シュバルティナ・シーラクリス』」

「─────」


 なるほどね、とシノヤは言う。

(シュバルティナ・シーラクリス……か。良い名じゃないか)

 心の中でそう思って。そして、どんくさい気持ちをシュバルティナに対して、正々堂々と吐き捨てる。


 彼女を腕の輪から離し、優しく両肩を掴む。

 すると、彼女とふと目が合った。それぞれの視線が交錯し、それぞれがそれぞれの瞳を直視する。


「─────シュバルティナ。俺は、一か月間。沢山お前と話して。無邪気で、優しくて可愛くて愛らしくて居れば楽しくて楽観的で悲観的なお前の事が。……大好きだ! 本当に、苦しいぐらい大好きだ!!!」


 シノヤは告げる。自分の本心を。

 愛している、俺は君に惚れているのだ。という気持ちを、ただただ真正面からぶつけた。シノヤも、シュバルティナも知らない事だが─────。

 シュバルティナだって、それは同じなのだ。


 彼女は、シノヤの眼を正視して。

 止まない胸の鼓動を抑えつけながら、眼前の男に対して屈託のない笑顔で返答する。


「うん……! それ、すっっっっごく嬉しいわ!!! 私にも、自分の気持ちは全然分からない。だけどね、それでも一つだけ言えるわ。……私も、シノヤの事が大好きなんだってね!!!!!!!」


 彼女の、その、百点満点の返答に。

 シノヤも忘れかけていた感動を覚えた。

 涙。なんて、流したのはいつぶりだろうか。


 そして、そのまま。

 ─────氷城の天上にて、男女は唇を重ねあった。


 ◇◇◇


 劣情と熱情が混じり合う。

 ただその身に任せて、男女はただ唇を交わす。

 実に柔らかく、静かにソレを終えて、それぞれがふと離れる。


「シノヤ─────」

「シュバルティナ」


 そして、もう一度二人は抱き合った。


「……好きだ、お前を、愛している」

「ふふ、なんか何回も言われると照れちゃうなぁ。えへへ、私も。シノヤの事がスキ!」

 抱き合って、愛の誓いを交し合う。


 ただ、その一瞬は。

 とても、長く。美しく。感じたのだった。

 一瞬とは、こんなにも長いものだったのか。

 と、シュバルティナは思う。


 今まで当たり前の様に過ぎていた一秒は、こんなにも長いものだったのか、と。


 今までに経験したことのない劣情を胸に秘め。

 彼女はそんな事を想起する。

 それはまるで、白昼夢の様にまばゆいものだった。


 だが、その夢物語も直に終わりを迎える。

 この世の中は、始まりと終わりの連続だ。

 当たり前すぎる話。今だけは忘れたかった話。


 だけど、それは乗り越えなければならない壁だった─────。

 だから、シノヤは話始める。

 屋敷での、アーロバイトとの会話を。


「─────シュバルティナ、君に話さなければいけない大事な話がある」


 ◇◇◇


 ゆっくりとシノヤは、アーロバイトとの会話で得た情報を出来るだけ分かりやすく彼女に伝えて、話を終えた。


「はぁ、成程ね。私がシノヤに触れられたのは、私の呪い。即ち体内に蓄積された魔力。即ち生命力が失われたからってコトね」

「ああ、よく分からないけど……そうらしい」

 その話を聞くシュバルティナは、牢屋で見てきた彼女の表情を遥かに凌駕する険しさだった。


 当たり前だ。

 自分がもうすぐで死んでしまうと分かったのならば、誰でもそんな顔ぐらいするだろう─────。いいや、常人なら発狂してしまうぐらいの絶望のはずだ。

 だというのに、彼女は、それに堪えている……。


「ん? どうしたのシノヤ? そんなに心配そうな顔をして」

「いやいや、シュバルティナ。分かってるのか⁉ お前、もうすぐで死んでしまうかもしれないんだぞ⁉」

「─────当たり前よ。そんなの全然承知済み。というかね、私にとって死とは憧れ。救いの手みたいなモノだったの。……だから、別に悔いなんて……」


 彼女は何かを言いかけて、やめた。

 シュバルティナの目が泳いでいたのを、シノヤは知っている。

 何か、悔いがあるのだろう。

 そりゃそうだ。俺だって、今現在。死ぬと決まったら、やりきれない気持ちでいっぱいいっぱいになるだろうし。


「ともかく、だ。シュバルティナ。じゃあお前はさ、大人しくアーロバイトに殺されるというのか?」

「……ええ、そうよ」


 重い空気は、更に曇天に沈んだ。

 噓だ。それは、シノヤからすれば彼女の表情から容易に読み取れた。

 それは、噓だ。あまりにも悲しく、つまらない噓だ。

 ─────心が、痛む。


 そんなのは、本心なはずがない。

 たとえ死が救済だろうと、死にたいなんて言うやつはいない。

 ソレに直面したら、きっと足がすくむ。


「ダメだ、シュバルティナ。それは、あまりにもつまらなくて……悲しくなる噓だろう」

「……え? 私、噓なんて……ついて、ない、よ?」


 彼女は無理やりな笑顔を作って、シノヤを安堵させようとする。

 だがそんなのは、逆効果だと。心の中では分かっていた。

 でも、それしか、彼女には、する方法がないんだ─────。


「ほら、また噓だ。シュバルティナ、それ以上はいけないだろ……。俺はお前を信じてる、たとえたった一か月話しただけの関係だとしても。俺は君を、愛して、そして信じている」

「─────そう、なんだ。ごめんね、シノヤ」


 彼女はまた再び、涙を流した。

 何故、そんな─────悲しそうな顔をするんだ、とシノヤは思う。


「なんでさ、そんな顔するんだよ」

「だって……私が死ななきゃ、シノヤも死んじゃうかもしれないんだよ?」

 震えた声で、雪の姫は自分から滴る涙を手でぬぐいながら。

 静かに告げた。


(─────っ)


 その美しさに、あまりにも非常識で無常識で退廃的な、劣情感が生まれてくる。

 なにせ、その姿は。あまりにも、綺麗だったから。

 固唾を飲み込み、彼女に対してシノヤは叫んだ。 


「言っただろう、俺の心配なんかよりも先に。自分の保身を考えろ……ってさ。俺なんてクズだから、死のうがなんだろうかどうでもいいさ。君が、何も罪なんてない君が……生きていれば、それでいいんだ」

 シノヤも震える声で、そう告げる。


 シノヤは静かに感じた。


 この夢はまもなく終わる。

 この白昼夢は。雪に染まりし彼女の夢は、もう直に終焉、閉幕となるだろう。

 ならば、俺も。彼女に愛を捧げた身として─────やるべきことがあるはずだ。


 そう、何者かが氷城に入り込むのを人外的な感覚で察した後に。

 そう、感じて。思ったのだ。


 腰に携えた片手剣と、己の隠していたもう一つの武器を信じて。

 彼は、ヒイラギシノヤは部屋の入り口へと振り返った。


「さて、じゃあ俺も仕事を終わらせてくるか─────」

 彼女の寿命。所謂、生命力がないという話に関しては。彼が隠しているもう一つの武器でどうにかなる。それはすでに、シノヤは分かっていた。

 問題は、来訪者(アーロバイト)だ─────。


 だけど、迷っている暇はない。

 シュバルティナは戦えない、だから。

 彼が戦うしかないのだ。


「シノヤ!! ダメ、それは死んじゃうわ⁉ アーロバイト、それがどれぐらい強いのかは、私には分からない。……だけど、アルシュダイスト騎士団の団長になるには、一等品の剣術と魔術を携えている者しかなれないのよ!!」

 彼女は死地に向かうシノヤを見て、過去の記憶を奮い立たせて注意喚起する。


 だが、しかし。それは無意味だ。

 今の彼を止めれる者など、誰一人としていない。

 仮にもシノヤはシュバルティナに愛を誓った身だ。

 愛人の命を狙う者など、排除するしかないだろう─────。


 そうじゃなきゃ、愛を捧げた、とは言えない。


「俺はさ、お前を大事に思ってる。それにさ、死ぬ気なんて全然ないよ」

「馬鹿─────なのは、アナタの方じゃない!! そんなの、無理よ!!! 貴方がいっただけで、死ぬだけなんだから……!! だったら、私もついていく……!」

 怒りを込めて、彼女は去る者に叫ぶ。


 だが、しかし。彼は、歩みを止めない。


「シュバルティナ。俺はさ、散々自分が一般人だと言ってきたけど。そりゃ噓だ。正直に話す、俺はアルシュダイスト騎士団の副団長で。奇跡操作(マテリアル・コントロール)の力を持ったバケモノだよ」

「─────え?」


 突然のカミングアウトに、彼女は驚いて絶叫の雨を止める。

 それを、シノヤは彼女に背中を見せながら独りで苦笑した。


「でも君が、そんなバケモノの俺を必要としてくれると、言うのなら─────。俺は、君と結婚する」

「……っ、はは、なによそれ! 死ぬ気じゃない⁉」

「いいや、言っただろう。死ぬ気なんて、ないってさ」

「─────は、はは。貴方は、本当に馬鹿ね! 分かったわよ!! だから、勝って来なさいよ⁉ 必ず、私は。貴方のコト、本当に信じているんだから!!」


 ああ、勿論だとも。

 震えて、声が出ないけど。シノヤは心の中で返事をした。

 でも、そんなんじゃあ彼女には伝わらない。

 だから、強く勇ましく。それに応える様に、シノヤは部屋から走り出した。


 ─────心臓は清らかに。


 ─────拍動(いのち)摩耗(きえて)ゆく。


 感覚的に、そんなモノを理解しながら彼は走り出す。

 そして、部屋を出て螺旋階段の真ん中へと飛び込んだ。

 ─────これは、あまりにも速い、最下層への最短ルートである。


「はは……! 使うのは久しぶりだけど、堪えてくれよ。クソったれの俺の右腕……!」

 同時に、己の隠していたもう一つの武器を解放した。

 右腕を覆う革鎧の袖をまくる。

 して現れるは、鮮血に染まり充血したアカイロの右腕。


 ─────名を、七色紡(なないろつむ)ぎの天腕(てんわん)


 世界さえも穿つ、”略奪と委託の力”を兼ね備えた。

 呪いの右腕。生まれ持った、ノロイの力。

 ふと、シノヤは自由落下する中で思う。


(思えば、俺とシュバルティナって……似た者同士だったんだな)

 なんて、コトを。


 彼女は自分の呪いを嫌っていて、それを積極的に使わなかったらしいが。

 シノヤは積極的に使ってしまっていた。それは、あくまでも過去の話だが。


 彼は走馬灯の様に、過去を思い出すと同時に。

 酷く後悔した。


 ある戦地に立つ男は、全ての兵士の生命力を略奪し。

 尚、それで敵の命さえも奪った。

 ─────それが、ヒイラギシノヤ。という兵士の過去だ。


 過去に、彼は大軍を率いて戦地へと出向いて。

 その戦地にいた仲間の生命力を一人を除いて全て奪い、俺一人で敵軍に特攻し。

 敵軍に殺されながらも、あらゆる敵の生命力を奪い。

 ただ独りで、勝った。


 ─────それが、ヒイラギシノヤ。というバケモノの過去だ。


 だからせめてもの。

 ……という、これは若き頃の過ちの償い。という訳でもある。


 ─────だから、彼は笑う。

 この戦いは、彼の罪の償い、そして愛人を守る為であると同時に。

 若き頃、唯一彼が勝てなかったな相手。

 戦地にて、俺の暴走に巻き込まれなかった相手。

 ”アーロバイト”への、再戦(リベンジ)の時なのだから。


「勝負だ。人外野郎……っ!」

 まもなく、彼は最下層に落下する────。


 勝負の行方は、誰にも分からない……。

 ただ、その声は酷く氷城の中を反響していた。

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