四話『崩壊』
扉の向こうへ。その先へ広がる地獄へと、足を運ぶ。
こういう状況は何百年もなかったから。
久しい事で、彼女は少し緊張していた。
だけど、それを追い払って。すぐさまに心を落ち着かせた。
「やぁ、ようこそお越し頂きました─────! 雪の姫よ。私の名前は、バティライット・メーディカリア。若き秀才ですわ」
「我が名はガッシュ・メーディカリア。この屋敷の主とでも、言わせていただこう。そして貴様を捕まえる指示を出して、これから可愛くいたぶって、その処女を散らしてヤるのが私だ。どうだ? 雪の姫よ? ガーハッハッハッハッ!!!!!」
扉の先には、偉そうに椅子に鎮座する男女の姿が見えた。
だだっ広い豪華な広間に、不自然に二人だけが座っていた。あまりにも部屋が広くて、割合が合っていないのだ。あまりにも一人が多くの空間を使っている使っている。
当たり前っちゃ当たり前。彼らは偉い、傲慢を許される貴族。
そりゃあ、この様な風格がなければいけないのだろう。
その姿を、雪の姫はただただ正視する。
そこには、ガッシュと名乗る赤髪の老人と、バティライットと名乗る赤髪の女が立っていた。……バティライットは、ガッシュの娘だ。
ガッシュの妻は不在。
そして、その親子の後ろに立つのはこの屋敷の執事らしき男が立っていた。
それはなんとも執事といった感じの風貌。
老けた白髪と、衰えた体。そんなモノが見て取れる。
「どうも、こんにちわ。……で、私に何か用ですか? この一か月、意味も分からずに地下へと幽閉されて。ずっっと、暇だったんですけど?」
「ほう。雪の姫、貴様が私に口答えするとはな。」
「だって、私は貴方のコトが嫌いだから」
「……小娘如きが!」
ガッシュは彼女の言葉に、怒りを露わにする。
そりゃそうだ、急に貴方のコトが嫌いなんて言われたら、だれだってそうなる。
─────そしてまた、そんな事を告げればそうなる事も。彼女は予想していた。
面倒なことになるかもしれないと、思っていた。
だけど、それ以外に”嫌い”な印象が強かったのだ。
初対面の相手にキライというのも正気ではないが。
初対面の相手を一か月間幽閉するヤツらも同じに正気ではない。
「で、早く本題をどうぞ……下郎。いいや、変態!」
彼女自身を一か月間もの間、幽閉した挙句。
これから犯してやると、宣言した変態に向かって彼女は一言。
そう叫んだ。
そうして思い出す。ああ、貴族とは本来こういう下郎の集まりであったと。
彼女がまだ、人間らしかった頃の記憶を思い出す。
─────こういうヤツらこそ、人間の悪なのだ。
そう思いながら、侮辱の眼差しをガッシュに向ける。
「っち、暴言の止まん小娘だな! 貴様、己の立場を弁えているのか……!!」
「さぁね、私にも私が何者なのかは分からないわ。でも、これだけは言える。─────あなたよりは、マトモだとね」
「小癪なっ!!!!」
貴族ガッシュは更に怒鳴り散らかして、椅子から立ち上がった。
「ならば、貴様の立場。そして、その正体、この我が今、明かそうじゃあないか!!! 氷の魔女めが!!!!!」
「は、はぁ……? 氷の魔女? そんな風に言われる筋合いはないんだけど」
「やれ、ガドーラ!!」
同時に、ガッシュは彼女に向かってまたも怒鳴り。
そして、ガッシュの背後に立つ執事へと命令をした。
すると。ガドーラと呼ばれた執事は、懐にしまっていたナイフを─────投擲する。
─────グサり、と。
そんな擬音語が似合うような音を立てて、彼女の胸にそれが刺さった。
「……は?」
「え、ちょ……っは? が、ガッシュ様!! 流石に、それは……!」
雪の姫はそのまま、地べたに倒れ込む。は、と一言残して。
……そして、その姿を目撃したシノヤは我慢できずにそんな横槍を入れる。
その声はあまり荒げていないが、焦燥は確かに混じっていた。
すぐさまにシノヤは、倒れた彼女へと駆け寄った。
「……お、おい! 大丈夫か⁉
彼の心配そうな声が、雪の姫の鼓膜を直に通過する。
そして。そんな男女を眺めて、嘲笑しながらガッシュは言った。
「ふん、お前が魔女と言われる理由が分からんな!! いとも簡単に死ぬではないか!!! ガーハッハッハッハッ!!!! 馬鹿な女だ、実に馬鹿な女だ!」
吐き捨てる様に罵倒しながら、その”男”は愛人が倒れ心配する夫を想起させる”男”に近づいた。
否。それは違う。
正確には、その男は、倒れて”死んだ”女に近づいた。
まるで、今から食らいつくかの様な、本能に満ち溢れた獣の眼差しで。
「ガハハハッ、馬鹿め。本当に馬鹿めが!!! アーロバイトが気を付けろというものだから、敬語で初めてやったが……! なんだ、口ほどにもないなぁ!!!」
アーロバイトは、アルシュダイスト騎士団の団長である。
ガッシュは事前に、前情報としてアーロバイトから『雪の姫は危険だから、出来るだけ刺激しないでほしい。私が彼女の力を殺すまで、アナタの目的は待っていてくださいほしい』と忠告されていた。
だから、最初は静かに対応してやったが─────。
それは、あまりにもな杞憂だったようである。
それに安堵したガッシュは身を女の前に突き出す。
こうなれば、雪の姫だろが。
眼下にいるのは、ただのオンナである。
ただ野獣に蹂躙されるだけのメスである。
そう確信したガッシュは、まずは邪魔な男を排除しようとする。
そう。女の前に座り、悲観的な目をしている男。
シノヤという、邪魔な相手を排除するのだ。
「そこを退け、シノヤ。これは主からの命令だぞ?」
「─────いや、です……! ガッシュ様、貴方は今から何をしようと考えている⁉ それは、多分、あまりも野蛮な行動だ!!!」
躍起になって、シノヤは叫び上司からの命令を無視した。
(ああ、俺。……これで、死ぬな)
ふと我に返って、思う。
なんでこんな意味不明な行動を、自分はしたのかと。
今まで、何度もの屍を踏み超えてきた自分が。
こんな所で、なんてドジ踏んでるんだ……と。
シノヤは思う。
「邪魔だ、ゴミクズが……っ!!!!」
「ガ─────っハ⁉」
案の定、そんな抵抗は無意味。
シノヤは目の前まで迫ってきた野獣に、思いきり頭を蹴られて吹き飛ばされた。頭に強い衝撃を覚えて、シノヤはそのまま部屋の隅へと舞い散る。
そして。無防備に倒れていた女に、ガッシュは跨った。
ガッシュの薄く開いた口内から唾液が零れ落ち始める。
胸にナイフが刺さっているのが、少々気にかかるが、まぁ問題ない。
女の死体、この絶世の美女の死体、それを─さずに何が男だ。
「ぐははは、ここで、思う存分、羞恥を見せるがいい! 散々苦労させおって!」
野獣は叫ぶ。野獣は喘ぐ。野獣は叫ぶ。
ガッシュは、その生存本能を露わにして。
目の前に倒れている、あまりにも魅力的で憎い白雪の様にまばゆい女の死体に手をかけた─────。
その刹那。男の手は伝播するかのように指先から一瞬で凍り始めて、ぱりんと割れた。
まるで、投石されてあっけなく割れたガラス窓の様に。
「あ、─────ひ?」
あまりにも例えるのは不可能に等しい激痛。
地獄の上に快楽が重なり、その上から更に感じる地獄。
阿鼻叫喚。否、その状態は声すら出なかった。
あまりにも痛すぎて。
なにせ、腕が割れたのだ。
その事実に、数秒後。ガッシュは気が付く。
「あ、え? は、ば、ばっ……あぁ、ああ? ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
男は叫ぶ。
年老いた老人が、非常に緩慢な動作で泣き叫ぶ。
(何故⁉ 何故、我の腕が! ない、ない、ない⁉)
男の右腕は先程、雪の姫に凍結されて。
割られた。
そんな単純明快な事に、老害は気づかない。
女は。死んでいたはずの女は立ち上がる。
ニコリと、奇妙な笑いを残して。
「はは─────私を二度も殺すなんて、ね。傲慢にも程があるわ」
「お、お前ぇぇぇぇっぇぇぇえええええ⁉ な、にもの─────だ!!!!」
立ち上がった氷の魔女に対して、ガッシュは泣き叫びながら聞く。
「さぁね。私にも私が何者なのかは分からないわ。でもこれだけは言える、アナタよりは幾分狂ってるってね♪」
女は、魔女は、阿鼻叫喚する男に近づく。
立場逆転だ。
一瞬にして、状況が反転した。
その一瞬に、絶望へと叩き落された恐怖のあまりか。今までニヤニヤと笑うだけで黙っていた バティライットも、ひぃぃぃぃいと浅ましく泣き叫ぶ。
シノヤは、部屋の隅で朦朧とする意識を保ちながら。
その惨状を目の当たりにした。
「一瞬は凍り付いてしまう。一瞬だというのに、一秒に満たない刹那だというのに、一秒後には到達出来ない一瞬。そんな永遠なモノは、私だけで充分だわ。永遠に生きるというのは、酷く、くだらない」
何を言うのか。
彼女は。それを自分でも理解していない。
永遠の一瞬。無限秒に引き延ばされた一秒─────?
彼女はコトバを続ける。
「だから、こんな馬鹿みたいなもう一人の私が生まれてくる。貴方もそんな氷結地獄は味わいたくはないでしょう? 生き地獄にすら感じない生き地獄。そんな永遠、要らないよね。だからこそ─────貴方は永遠の”死”に縛られながら、凍り付きなさい」
それが、貴族ガッシュ・ メーディカリアの聞いた最後のセリフであった。
……少しの冷気に包まれながら、カチカチと、音がこの部屋に小さく響く。
そうして、元人間の氷塊は、またもぱりんと割れて、散ったのだった。
「あ、ああ、い、いやぁあああああああ!!!!!!」
バティライット・メーディカリアは叫び続ける。
それが起点となったのか、雪の姫はふと我に返った。
「あ、─────え?」
そして、その惨状に自分でも啞然とする事になる。
これがどういう事なのか。それは、自明だろう。
そう、それは─────。
”自分が殺した”であった。