三話『あれから』
「─────よう、雪の姫さん」
「三日ぶりかな?」
雪の姫がこの牢獄に閉じ込められて、あれから一か月。
彼女は特に何かされる訳でもなく、ただただ退屈な日々を過ごしていた。
唯一の退屈しのぎは、この男とのお喋りタイムである。
雪の姫は、鉄格子の先に立つ男に話しかけられる。
「最近、どうしたの? なんかあった?」
「ん、ああ。まあ、出張があってだな……」
あれから一か月。
その間に、色々あった。
とは言っても、その全てが男が持ってきた話題による会話であるが。
だが、その話題は多種多様なものであったのだ。
アルシュダイストに住む貴族の方が面白い魔術を見せてくれたり、陽光が昇る世界のおとぎ話を聞いたというものだったり、この世の中にはネコというなんとも可愛らしい生物がいるのだとか。
そんな、氷城に住んでいた彼女にとっては縁が遠い話題を沢山聞いたのだ。
その中でもトップクラスに面白かったのは、転生者。の話である。
前世の記憶を持って、新しい生命へと生まれ変わる。
そんな、なんとも幻想的なお話。まぁ、これもおとぎ話と男が言っていたが。
だけど彼女にとって、それはとても興味深く夢のあるお話だったのだ。
そして。彼女自身も話をした。
いいや、愚痴と言った方がいいかもしれないが。自分の呪いのことを、少し話してみたりもしたのだ。冗談だと、彼は思っていたかもしれないが、ちゃんと聞いてくれていた。
さて、そんなことはさておき。
今の話をしよう。男は三日間仕事が立て続けにあったらしく、一か月雪の姫も大人しくしていた為、脱獄などの心配はないと上司に言われたらしく、出張していたらしいのだ。
ということで、男は彼女の前に三日間も姿を現さなかった。
─────だから、彼女はご立腹。
「全くもう、私。独りきりで暇だったんだから!」
「そりゃあ……すまん、でもな。この出張は上司からの命令でだな。上司には逆らえないんだ、逆らったら自分が殺されるちまうからな」
「そりゃ怖いわね……」
暇。なんて感情はとうに慣れていたと思っていたのに─────。
そんな感情、とうに凍結されていたと思っていたのに─────。
いつの間にか、ソレは解凍されていた。
「……ま、そんなコトはどうでも良いわ。この三日間、空けた事後悔させてあげる。……話しなさい! 土産話をね!!」
「はいはい、分かりましたよーっと」
そう言って、男は話し始める。
─────。
男は話す。
出張した先で。このアルシュダイストから離れた街であるボルガーノという所に出向いて、色々な雑務をさせられていたということを。
そして、その道中で氷嵐龍という魔族に出会い、命からがら逃げてきたことを。
……。
「はえーー、大変だったのね。……よく生き残ったわ、あなた。偉いわ。……倒してたら、もっと偉かったわ」
「なんという上から目線だよ。言っとくが、俺は一般人だからな? そんな一般人があんなバケモノを相手に出来るかって話だ」
「そうなの?」
氷嵐龍。
青く透き通った鱗に覆われた巨体、畏怖を覚える紺碧の眼、空を仰ぐ氷の翼。
それはある程度発展した街さえも、一夜あれば滅ぼす事が出来るという恐ろしい存在だ。それに加えて、気性が荒くすぐに人里を襲ったりする。
だから、轟く厄災とか言われていたり。そして、この永遠に踊る吹雪もコイツが原因であった。
「ま、あんたが生きてて良かったわ。なにせ、貴方が消えれば私、ほんっっっっとうに退屈するもの!」
白くまばゆいその髪を靡かせながら、彼女はそう叫ぶ。
─────それにしても、氷嵐龍か。
ふと、彼女は過去を想起した。
確か、数百年前に一度散歩として外に出た時出会ってに戦った様な気がする。
勝てなかったから、逃げた気がするが。
そんな古臭い記憶。
まだ、彼女が”魔女”として生きていた頃の話。
まだ、彼女が”人間”として生きていた頃の話。
そんな古臭い記憶。それは、捨ててしまおう。
彼女はぽいっとソレを頭の隅によらせて、今を見る。
「そりゃあ、嬉しい話だな。今まで、俺の事を必要としてくれるヤツなんて、いなかったからな……」
ぼそりと、男は彼女の叫びに返答する。
その姿は、どこか弱々しい。
「……嬉し、い、? それってさ、どんな感じ?」
「は、え? 嬉しいが、どんな感じ? 良い気持ち……かなぁ。晴れ晴れとした、いいや、違うな。……うーーん、それは……むずかしい質問だな。嬉しいは、嬉しいだろう」
そんな男に対して、彼女は無邪気に問いかけた。
嬉しいとは何か? それを答えるのは、酷く難しい。
「むーー? よく、分からないんだけど」
「敢えていうのならばだけど……嬉しいって多分、人の価値観によって変わってくる行動原理みたいなものなんじゃあないか?」
「ふーーーん、私には分からないや」
嬉しい、か。
(昔の私も、そんな感情はあったんだろうな……)
そんな事を雪の姫は思う。
そうして、会話が途切れ。
既視感を覚える静寂が流れていると─────。
「シノヤ!!! 雪の姫を連れて、いつもの会場へと向かえ! バティライット令嬢様がお見えだぞ!!!」
地下牢獄に見知らぬ男の怒号が響き渡ったのを、感知する。
はて。シノヤ、とは誰の名だろうか。
雪の姫は疑問に思った。
それはすぐに解決する。
「シノヤ? それって、誰の事?」
鉄格子の先に立つ、いつもと変わらない男に話しかけた。
すると、男は気まずく返答する。
何故気まずく感じているのか、それは自明。
男が、今まで彼女に名前を伝えてなかったことに。今更、気が付いたからだ。
「それは……俺の名さ」
「へぇーー! そうなんだ! 初耳!」
「言うのを忘れていたからな……じゃあ、今更だけど言っておくよ。俺の名はシノヤ ヒイラギだ」
「ふ、ふむ? し、シノヤ? ヒーラギ?」
ヒイラギ? 珍しい苗字だなぁ、と彼女は感じた。
難しい。上手く発音しようとしても、カタコトになってしまう。
だがまあ、それは無理もない事だろう。
それが何故なのかは─────彼女には、知る由もない事であるが。
「ま、名前の事はそれでいいんだ。どうやらお偉いお嬢様がお呼びだそうだ。牢獄から出て上に行こう」
「う、うん─────? 分かったわ」
取り敢えず頷く。
すると、シノヤは躊躇いながらも鉄格子に常設してある扉の鍵を開けた。
ガチャリ、と音を立てて扉が開く。
「牢屋出るのは、久しぶりかも」
「そうか……。一か月ぶりだろうな」
「ええ、そうよ。空気が美味しいわ」
「そりゃ良かった」
牢獄を後にして、地上に出て屋敷へと直通する階段を登った。。
因みにだが、牢獄はアルシュダイストの街の地下に広がっている。
屋敷。とは、このアルシュダイストを支配する貴族。ガッシュ・メーディカリア男爵の住む魔境のコト。
階段を登った先は、屋敷の中の広間であった。
不思議と屋敷の中は、とても暖かい。
天窓が屋敷の中に設置されていたが、外は相変わらずの雪景色。
陽光など、本当にあるのだろうか。
そんな事を疑う程に、外は白い。
だがまぁ、今の彼女にはそんな事を気にかけている暇はなかった。
ただ、だだっ広い屋敷の中を歩いて、シノヤの後についていくだけ。
だけど、その先に何があるのか─────。
それは、考えたくもない事だった。
「着いたよ、ここが目的地だ」
「……うん」
「じゃあ、行くぞ?」
「……う、うん」
ある所まで歩くと、シノヤは足を止めた。
そこは、大きな大きな扉の前であった。恐怖。
少し、嫌だなと彼女は思う。
─────何故、だろうか。
なんとも言語化しずらい厭な予感が、彼女の背骨をくすぐる。
「シノヤ・ヒイラギ! ただいま雪の姫を連れて到着しました!」
「うむ、よろしい。入りたまえ」
「承知!」
シノヤはドアをノックした後に、そう叫び。
扉の先の応答と共に、ドアノブに手をかけた。