二話『監視役』
ぽちゃん。と、水の滴る音が聞こえてくる。
その音が起点となって、”氷の魔女”は意識を覚醒させた。
◇◇◇
「……」
背中に、冷たい感触が浸り。凍りつく。
背中には固く、そして脆い感触を感じる。
何かと思って、体を起こせば─────彼女は気が付いた。
己がいる場所が、如何にもな牢獄であったことに。
「─────はぁ…………なるほど」
彼女は、錆びた鉄格子と、石の壁に包まれた至って普通の牢獄に閉じ込められていたのだ。
眠る前の記憶を、呼び覚ます。
(確か……アルシュダイスト騎士団の団長がなんでかは分からないが、私を殺しに来たのだったのよね)
思い出した。そして、それと同時に吐き気と頭痛を感じ始める。
まるで、悪夢の中で眠りについているかの様な錯覚。
牢獄は汚く、薄暗い。
彼女が着ていたはずの純白のドレスは何処かに消えて、今や布切れ一枚の状態であった。
自分が気絶している間に、着替えされられたのだろうか。
─────と、推測する。
が、そんなことよりも。
雪の姫は、ただ自分のこの身を恨んでいた。
何故ならば……、また自分が死ねなかったからである。
気絶する前に、彼女は確かに団長の手によって胸を剣で貫かれ、死んだはずだった。
だけど、現に今。彼女は生きている。
その矛盾、不可解な事象こそが彼女の呪。
”触れたモノは全て凍っていた”という事象改変。
奇跡操作、矛盾訂正のその力。
それが、いつ手に入れたいモノなのかは当の昔に忘れていた。
だけど、これをどうすれば放棄出来るのか、それも当の昔に忘れていた。
永遠に凍結された魂。
躍動なんて感じない、凍結されて死ぬことも封じられた命。
ただ、”生きている”という事象のみを凍り付き、それだけが不変的なモノとなる。
だからこそ彼女は死に到達することは叶わず。
更なる”生きる”へも通じない。ただ、過去に生きていた自分という幻影が凍結されたまま保存されて、この現世へ投影されているだけ。
あくまでこれは比喩。
だけど、言語化するならば。それが、彼女の持ち合わせている力であり呪いだ。
これから彼女はどうやって殺されるのか、それは分からない。
騎士の団長は言っていた。
『「私の目的なんて、ただ一つ。貴方のその力を殺すだけですよ」』と。
それが真実ならば、それは彼女にとってもありがたい事であった。
なにせ、もう何世紀も生きていて。彼女にとって、生きるとは苦痛であったから。
凍結された魂は永遠へと幽閉されて、解凍されることもなく。
……ただ、悠久の時をさまよっていたのだから。
溜息を吐く。
そんな時に、鉄格子の先に広がる薄暗い廊下から─────。
足音が聞こえてきた。
「……」
「─────」
その男は、前に見た団長と同じで身に着けていた鎧にはアルシュダイスト騎士団の紋章が張り付けられていた。
黒髪黒目というこの国では、なんとも珍しい容姿の男であった。
ゆったりと、その男は気だるそうに歩いてくる。
「……はぁ、面倒ごと押し付けてくるな……っての」
男はどうやら、独り言をぶつぶつと吐き捨てている様子。
何も面白いものがないものだから、雪の姫はただソイツを見つめていた。
どうやら、その男は何か押し付けられたらしい。
大変そうだな。と、他人事の様に雪の姫は思う。
まもなく彼女は気が付く、この男が自分の監視役だということに─────。
◇◇◇
雪の姫は、鉄格子の前に安座して座る男をジッと見つめていた。
「……」
「─────」
「……」
「─────えーーーーと、雪の姫さん? どうしたんですか、そんなに俺の事見ちまって。……怖い、とか?」
静寂はあまりにもうるさく、暗闇を駆け抜けていた。
だからか。それに耐えきれなかった男が、ああもうと言って、雪の姫に話しかける。
ほお。と予想外の挨拶に彼女は驚く。
「え? 怖くは、ないと思うけど……。それにしても、アナタ。誰?」
「─────悪いけどそれはナイショってやつなんだな。なにせ、ね。上司からの命令で、極力あんたとは話しかけるなって! 言われてるものだから」
「はぁ、そう。……大変そうね」
「はっ、雪の姫様に同情されるとはね」
男はずっと、廊下の奥を見つめながらそんなコトを言ってきた。
彼女には、一瞥すらしない。
「─────なによそれ、私だって一応人間なのよ?」
彼女は少しカチンときて、口を尖らせるや否やそんなコトを告げる。
最も、それは昔の話であったかもしれないが……。
人間か。と、感傷に浸る。
イキテイル、とは果たしてどんな感触だっただろうか。
「そりゃそうかもな。雪の姫さん……」
そこで会話は途切れた。
牢獄の外からだろうか。
びゅう、びゅうと風が吹き荒れて舞う音が残響していた気がする。
雪の姫は氷城に住んでいたのと、生まれつきの特異的な体質のおかげで。この絶対零度の寒さの中で、布切れ一枚でも生きれていた。
それさえも、憎い。
彼女は、普通の人間の様に凍える事が出来ない事を憎んだ。
仕方がなく、ただ体育座りをして時が過ぎるのを待つ。
永遠なんて、慣れている。
来る宿命を待つ為の時間なんて、あまりにも慣れ過ぎているのだ。
「はぁ、つまんないの」
今度は、彼女が独り言をぼそりと呟く。
つまらない。そう、つまらない。
─────。
(……なんだろ、久しぶりな感覚)
なんだろうか。それは、多分、錯覚だろう。
けど、何故か、時の流れは少し遅く感じた気がする。
時の流れなんて、とうに感じないようになっていたのに。
「ま、だな。俺もこんないたいけな少女を一人で牢獄に閉じ込めているのを見張るってのは心が痛む……だから話せるコトがあれば話してやるさ」
「? どういう事?」
「そのまんまだよ。なんか話題が出来たら、持って来てやる」
おお、と思わず雪の姫は声を漏らした。
話題を持って来てくれるのか、と驚いて。
「そりゃあ、ありがたい……けど。それ、貴方は上司? に怒られないの?」
「─────。ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃね」
すると、彼はそんな暴論を吐き捨てる。
「は、はぁ。今の時代でも、そんなコトいう人ってのは、いるのね」
「……ああ、そうさ。そんなもんだよ、こんな腐りきった世の中で生きてゆくには。そんな持論を持ってなきゃやっていけない」
「ふーーん」
雪の姫は、氷城に何百年と引きこもっていたものだから。
最近の世の中については、あまり詳しくない。
世論がどんなものだったか。それさえも知らないのだ。
だから、彼女はそういう話題には興味があった。
「ま、そんなもんなのさ、この世の中ってのは。あまりにも、腐り過ぎているんだ」
「─────」
男は静かに、天井へと顔を仰いでそんなコトを言っていた。
何を考えているんだろう。
それは、分からない。
でも不思議だと、彼女は思う。
(なんか、この人の事を知りたいな……)
そんな知的好奇心。感じたのは、それこそ何世紀も久しぶりである。
過去に凍結された魂が、徐々に解凍されていく錯覚。
そんな有り得ない事を感じていた時を通過していく。
◇◇◇
そこから、日は過ぎて─────。