一話『来訪者は現れる』
たとえば、貴方に好きな殿方がいたとしよう。
知りたくて、触れたくて、交わりたくて。なんとも愛おしい殿方がいたとしよう。
─────だというのに、触れられない。
そんな感覚に襲われたコトはあるだろうか?
独白に白雪を纏う、あまりにも美しい雪の姫は呟く。
「─────綺麗だな」
ここは吹雪が踊る街。アルシュダイスト。
その街の丘にそびえ立つ氷城で、一人の少女はただ独りで住み続けていた。
透き通り、触れれば崩れ落ちてしまいそうな白髪に。
あまりにも完璧な体の肉付き。
男ならば、刹那彼女を正視した程度でも理性など忘れてしまう。
まさに絶世の美少女。だけど、彼女は街の民からは酷く恐れられていた。それは何故だろうか。
答えは一つ。
彼女は、人智を超えた力を内包していたのだ。
その力は美しく、儚く。だけど、とても恐ろしい。
彼女のその力は、そうやすやすと言語化出来るものではない。
ただ、恐ろしい。
その事実に街の民は恐れて、たとえ気が狂ったとしてもこの城に近づこうとなどしない。だから、彼女は一人ぼっちで育ってきた。
生憎、彼女は特別な体質らしく。人間という存在証明にも等しい三大欲求というものが薄かった。
食べ物なんて摂取せずとも、生きていける。
不眠だとしても、生きていける。
自慰行為などせずとも、生きていける。
それが、彼女であった。
(はぁ…………私一人で、この城の管理とか。冗談じゃないわ)
彼女は虚ろな眼光で、アルシュダイストを一望出来る窓を覗き込む。
外はとても暗い。まるで、深海にいるかのようだ。
それもこれも陽光を遮るほど降る、白雪の所為である。
彼女はただ独り。
独りで、この城を闊歩する。
この城は、一人で住むにはあまりにも広すぎるというものだ。
だがここは氷で創られた、言葉通りの氷城。その中は通常の人間では、数分いるだけで凍え死んでしまう程の絶対零度に覆われている状態。
そんな状態の場所には、来る者も来ない。
─────だというのに、ある日。彼女の城に来訪者が現れた。
◇◇◇
「姫! ああ、我が姫よ……っ!」
「─────」
その日は、いつにも増して寒くて、吹雪も強く吹き荒れる日であった気がする。
その日は、彼女にとって、白昼夢に浸っているかの様だった気がする。
陽光なんて、浴びた事がないと言うのに。
この日の早朝だろうか。
城には、男の声が響き渡っていた。
その声に気が付いた雪の姫は緩慢な動作で、氷城にあるエントランスホールに向かう。エントランスホールとは、氷城にある大きな広場であり、玄関的立ち位置の場所だ。
エントランスホールに近づくごとに、男の声が連動するように徐々に近づいてくる。
(誰だろう……)
口には出していないが、心の中では雪の姫はウキウキであった。
なにせ、何十年ぶりの来訪者だったから。……正確にいえば、半世紀ほどか。
彼女はただ嬉しかった。
まだ、私の事を姫と呼ぶヒトがいたのか。
─────そう思うと、不思議ととても嬉しかったのだ。
誰かも知らない人に、ただそう呼ばれただけなのに。
何故だろうか。心が少し、ドキンとした。
(……おかしいな)
彼女は思う。
なんだこの高揚感は、と。
─────だけど、エントランスホールに通ずる階段を降りようとした時に彼女は立ち止った。
ふと、雪の姫は思い出したのだ。
私は人に触れられない、じゃあないか。
私はそんな呪を持っている、じゃあないか。
それじゃあ、何もできやしない。
「姫! 一度でも良いから、私は貴方をお目にかかりたい! 私は、貴方に恋をしたのだ!! だから、だから……来てくれ!!!」
しかし、雪の姫はあまりにも勇ましい男の声を聞いて心が後押しされた。
彼女は再び、足を稼働させて。
螺旋状の階段を降りて、城の最下層にあるエントランスホールに出る。
そこには、一人の金髪騎士が立っていた。
珍しいと感じる。その騎士の鎧の肩に付けられていた紋章は、このアルシュダイスト騎士団のモノであった。
過去の記憶であるが、確かにそうである。
雪の姫は、静かに問う。
「─────貴方は、アルシュダイスト騎士団の者ですか?」
「ああ、そうでございます! 私はアルシュダイスト騎士団の団長。アーロバイトでございます。陛下、お目にかかれて光栄です」
すると、大袈裟に騎士の男は跪いてそんな事を告げた。
何を吐くか。そんな事を考えるか、私を愛しているなど。……妄言も、程々にしてほしい。
だけど、好きと言われて嫌な感じはしないモノだ。
だから、彼女は騎士の男に近づいた。
触れない程度の距離に。
「─────私を敬愛する存在など、当の昔に消えたと思っていましたが。どの時代にも物好きはいるものですね」
雪の姫は、ただ屈託のない笑顔で笑って。
騎士の男を直視する。
すると、彼は渇いた声で笑って。
「あはは、そうですそうです。……私はとても、貴方を尊敬していますよ」
そのあまりにも不気味な笑い方に、彼女は怪訝そうに眉をひそめた。
「それは、ありがたいですね。それで、わざわざ何用ですか─────? もしかして、私を見るためだけに?」
「はは? そんな訳ないじゃあないですか……」
男の声色が変化する。
刹那、空気に熱気が籠った。
同時に、騎士の男は笑いながら腰に携えていた片手剣を、抜刀する。
「私の目的なんて、ただ一つ。貴方のその力を殺すだけですよ」
「……え?」
笑顔が崩壊した。
彼女は”死”を直感する。
気が付けば、彼女は何十人もの騎士達に包囲されていた。
いつの間に、現れたのか。それは分からない。
ただ、どういう原理でこうなったのか。─────それは、古い記憶から察していた。
「こ、これは……っ⁉」
「お察しの通り、幻影魔術による擬似透明化です。……ははは、雪の姫よ。貴方という存在が、こんな初歩的な魔術に引っかかるとは!!! 笑い者だな!!」
先程と同じ場所に立つ金髪騎士の男は、腹を抱えて笑っている。
騎士たちに包囲されている、何が起きているのか。
彼女には理解出来なかった。
いや、出来ていたのだが……それを脳が拒絶していたのだ。
「投降しろ雪の姫よ、そこに座れ」
「……っ」
座るな。座るならば、その先に待つ未来は死だけだ。
そう、彼女の本能が忠告する。
だけど、だけど─────そりゃ無理である。
いいや、その拒絶反応さえも無意味だろう。
なにせ、この命令に従わなければ。
今すぐにでも、自分は死ぬのだから─────。
彼女はただ、震える体を押さえつけながら、ひんやりと冷たい床に座り込んだ。
(ああ、……この感情。懐かしいな。怖い、なんて感じたのはいつぶりだろう?)
座り込んだ後に、そんな事を思う。
どうせなら、生まれ変われる事があるのならば─────。
良い人生が待っているというコトを願おうじゃあないか。
そんなムダなコトを、ただただ夢想した。
そうして、彼女は目を瞑る。
「ああ、私は貴方の事を尊敬しているよ。─────魔術師として、ね。幽閉された悲しい悲しい……魔女さん」
そんな声が聞こえてきた後に。胸に、何かが刺さった音が鼓膜を振動させた。