第2話 拷問と追放
その後、ヴァイスは王宮の地下牢にて囚われの身となった。ヴァイスには第一級異端罪の容疑がかけられていたが、ヴァイスは教会による連日の取り調べに対して頑としてその罪を認めることはなかった。痺れを切らした教会上層部は、聖女三姉妹にどんな手を使ってでもヴァイスに罪を認めさせるように指令を出した。こうして聖女三姉妹がまたヴァイスの元を訪れることになった。
「……お久しぶりですね。ヴァイスさん」
大聖女イザリアが地下牢の中でベッドに腰掛け、佇んでいるヴァイスに向かってそう言った。ヴァイスは両手に手錠をかけられていて、囚人用のボロボロの麻の布を纏っている。連日の過酷な取り調べのせいか、ヴァイスの表情にはかなりの疲労の色が感じられた。イザリアの隣に立っていたエスティナが口を開く。
「ってかあんたさぁ、全然罪を認めていないらしいじゃない? そういうのってすごく困るんだけど! さっさと罪を認めて楽になったらどう?」
「……本当その通り。私たちだって暇じゃないし時間の無駄」
ルーフィがそう同調する。
「誰が……罪など認めるものか……。罪があるのは……お前らの方だ……」
ヴァイスは声が掠れながらも、聖女たちに対してそう吐き捨てた。ヴァイスは教会による言いがかりのような罪など認めるわけにはいかなかった。
「……そうですか。それなら少し、痛い目をあってもらう必要がありそうですね……。エスティナ」
「は~い。久しぶりだから加減が上手くできるか心配だわ……!」
するとエスティナはニヤニヤと笑いながら、足元の革袋の中からぐるぐると巻かれたロープのようなものを取り出した。……それは紛れもなく『鞭』だった。ヴァイスはそれを見て、これから自分の身に何が起こるのかを理解した。
――地下牢では、鞭が打たれる音とそのたびに上げられる苦悶の声が廊下へと響いていた。
「がっ…………ぐっ…………ごっ…………」
ヴァイスは壁に鎖で固定され、何度も背中に鞭を打ち付けられていた。鞭を振るっているのは聖女エスティナで、嬉々として何度もヴァイスに鞭を打ちつける。ヴァイスの背中は鞭による血の痕がいくつも刻まれていた。
「なかなか耐えるじゃない……。でもさっさと罪を認めたほうが楽になると思うわ! ほら、さっさと罪を認めなさいよ!!」
エスティナはそう言って渾身の力でヴァイスに鞭を打つ。
「ぐっ……あ……」
ヴァイスはなんとか痛みに耐えながらも苦悶の表情を浮かべる。ヴァイスにとってこのような所業を受けるのは生まれて初めてのことであり、ヴァイスの精神はかなり消耗していた。
「さ、どうかしら? さすがにそろそろ罪を認める気になった?」
エスティナが鞭打ちを一旦やめ、ヴァイスにそう問いかける。
「誰が……認める……か……。お前ら……全員……クソ……喰らえ……だ……」
ヴァイスはそう答える。エスティナは呆れた顔をし、肩をすくめてイザリアを見た。イザリアは少し機嫌の悪そうな表情を浮かべると、ルーフィの方を見て言った。
「……ルーフィ、ヴァイスさんに少し自分の立場をわからせてあげなさい」
「わかりました、イザリア姉様」
ルーフィはそう言うと、満身創痍のヴァイスに向かって手を向ける。
「【聖なる雷】」
瞬間、ルーフィの手から雷がほとばしり、ヴァイスを襲った。
「ぐああああああああ!!」
その強烈な電撃に耐えきれずにヴァイスは叫び声をあげる。ルーフィが雷を放つのをやめるとヴァイスは苦しそうに「はぁ……はぁ……」と肩で息をする。
「……ルーフィ、その調子で死なない程度に続けて。ヴァイスさんが罪を自白する気になるまでね」
「了解です」
その後、言われた通りにルーフィは何度も電撃をヴァイスに浴びせた。ヴァイスはその度に「ぐああああああ!!」と叫ぶ。苦痛に悶えるヴァイスの反応が面白かったのか、ルーフィは時折何度も笑いながら電撃を放った。
しばらくすると、再度イザリアがヴァイスに問いかける。
「――さて、気分はどうでしょうか、ヴァイスさん。そろそろ体の限界も近いのではないですか? 罪を認めて楽になったほうがいいですよ」
「…………」
ヴァイスは答えることはなかった。
「……なるほど今度はだんまりですか。……どうやらあなたは自分の痛みだけでは絶対に屈服しないタイプのようですね。ではこうしましょう――――もし、このままあなたが罪を認めないのなら、ニーナでしたっけ? あなたの世話をしていたメイドですが、彼女を異端者幇助の罪で連行し、処刑します」
「!!!」
イザリアの言葉にヴァイスはかつてない衝撃を受けた。
「や……め……ろ……」
ヴァイスは掠れた声で言った。イザリアはそれに手応えを感じたのか、薄笑いを浮かべて言った。
「もしあなたが自身の罪を認めるのであれば、彼女は無罪放免にします。さらにあなたの第一級異端罪に対する罰ですが、『処刑』ではなく『国外追放』に減刑してあげましょう。これは私たちができる最大限の譲歩です」
「……実はあんたにお世話になったっていう多くの人から教会宛てに嘆願が届いていてさー。私たちとしてもあんたを処刑するわけにはいかなくなったんだよね。だから国外追放ってわけ」
エスティナがあっけらかんとそう付け加える。
「そういうわけです。でも、ヴァイスさんが公衆の面前で我らが神に対して自らの罪を告白し、悔い改めることだけは教会としては譲るわけにはいきません。別にどうでもいいんですよ、心の中であなたが実際はどう考えていようとね……。ただ建前でもそういうポーズを取ってくれないと教会の面子が丸つぶれになりますから」
イザリアは少し困ったように言った。
「と、いうわけで答えを聞かせてもらいましょう。ヴァイスさん、あなたが犯した罪を認めますね?」
イザリアが静かに、しかし強い口調でヴァイスにそう問いかける。ヴァイスは既に答えを決めていた。ヴァイスには自身に長い間仕えてくれたニーナを見殺しにすることは到底できなかった。教会に対して罪を認めることはこれ以上ない屈辱だったが、それでニーナが死なずに済むのなら安いものだとヴァイスは思った。
「わかっ……た……。罪を……認める……」
ヴァイスは観念したような口調で言った。それを聞いて、イザリアは満足したように笑みを浮かべた。
「ヴァイスさん、あなたならわかってくれると信じていました。己の罪を認め、悔い改めることこそが我らが神の救いを受けるための唯一の方法なのです」
イザリアはそう言ってニッコリとヴァイスに微笑む。
「それでは私たちはこれにて失礼しますね……。これでも忙しい身の上なので。……あなたに神のご加護があらんことを」
イザリアはそう言うと、エスティナとルーフィを連れて牢を出ていった。入れ違いで看守が戻ってきてヴァイスの鎖を外すと、ヴァイスは床へと崩れ落ちる。看守はそれを嫌そうに見ると、ヴァイスの牢に外から鍵をかけ去っていった。ヴァイスは一人薄暗い牢へと残される。
――暗い牢の中で一人、ヴァイスは佇んでいる。いわれのない罪に問われ、家を燃やされ、拷問を受け、さらにはその罪を無理やり認めさせられる。ヴァイスにとっては屈辱の連続であったが、ヴァイスはまだ絶望はしていなかった。むしろ、今までにないほどの怒りの炎によって心が満ち、復讐の未来に恋い焦がれていた。国外追放ならば死ぬことはない。まだ終わりではないのだ。
――この借りは、いつか必ず返す
暗い牢の中で一人、ヴァイスは満身創痍で立つことすらできなかったが、その心は野心に燃えていた。
その後のヴァイスの処遇は、筆舌に尽くしがたいものであった。ヴァイスは王都の広場において晒し台にくくりつけられ、その無様な姿を一週間、民衆に晒すことになった。初日は聖女三姉妹がヴァイスの罪の重さを民衆に訴え、しかしそれでも神は慈悲深い存在であり、ヴァイスが自身の罪を認め悔い改めるならば、神はヴァイスに許しを与えるだろうと主張した。
ヴァイスは彼女たちの言葉に従い、自身の言葉で自分の罪を認め、神の前で懺悔した。聖女三姉妹は懺悔を行うヴァイスを満足そうに眺めると、民衆に対して教会の教義に沿った行動を心がけるように説いた。
民衆は敬虔な教会信者を除けば、それほど教会に対して好意的でも敵対的でもなかったが、高名な錬金術師であるヴァイスが教会によって捕らわれ、晒されているという事実はそれなりに衝撃的なものであった。
――教会に逆らえば、例え王国最高の錬金術師であっても容赦ない仕打ちを受ける
もともと教会は一般民衆にとっては相当の権力を持つ存在であったが、この事件を契機として民衆はさらに教会に畏怖を感じることとなった。そしてそれこそがヴァイスを晒した教会の狙いでもあった。
ヴァイスはその後、飲まず食わずで一週間もの間、野ざらしで広場に晒され続けた。その間、ヴァイスに哀れみの目を向ける人間は多くいたが、教会の目を恐れて誰一人としてヴァイスに施しをしようとはしなかった。これはヴァイスの罪を軽くするように嘆願した人々も同様であった。みな守るべきものがあり、教会に目をつけられるわけにはいかなかったのだ。
ヴァイスは心を無にして一週間を耐え抜いた。幸いにも王都では連日雨が振り、ヴァイスの喉の乾きを潤してくれたのだった。
一週間後、ヴァイスは晒し台から解放され、専用の馬車に乗せられて国外へと追放されることになった。馬車はヴァイスを乗せ、王都から南西の方角へと向かう。しかし、そこでヴァイスは違和感を持った。王国から南西部の国境を越えてあるのは他の国ではなく、『禁域の森』と呼ばれる魔物が多く巣くう森だ。
国外追放というのは他国への追放ではなく禁域の森への追放だったのか……。ヴァイスは予想外の展開に少し驚いたが、それはそれで悪くないと思った。禁域の森であれば、人目につくことなく自由に『実験』できるとヴァイスは考えたのだ。
ヴァイスを乗せた馬車はおよそ三日後、王国と禁域の森の境界地点にある砦へと到着した。王国と禁域の森は長く大きな谷で分離されており、砦は王国と禁域の森をつなぐ唯一の道の王国側の入り口に建てられていた。砦の役割は禁域の森からの王国への凶悪な魔物の侵入を防ぐことにあった。
ヴァイスは砦の兵士たちへと引き渡され、兵士たちは砦の森側の門へとヴァイスを連れて行く。
「くく、あんた王都では有名な錬金術師だったんだって? それなのに異端者として禁域の森に追放とはな……よっぽどヘマしちまったんだな」
兵士の一人がニヤニヤしながら言った。
「…………」
ヴァイスは無言だった。
「王都のエリート様がこんな辺境で警備している俺たち以下まで落ちぶれるとはねぇ。今日の夕飯はうまくなりそうだな」
もう一人の兵士がヴァイスを見下しながら言った。兵士たちはヴァイスを連れて門のところまで来ると、門の開閉を担当する兵士に合図を出す。すると、ギギギと音を立ててヴァイスの目の前で大きな鉄の門が開かれていく。門が完全に開かれると、兵士の一人がヴァイスの手錠を解除した。兵士は「いけ」と言わんばかりに門の向こうを顎で指す。
ヴァイスはトボトボと前に向かって歩き出した。すると兵士の一人が「遅ぇんだよ!」と言ってヴァイスの背中を蹴る。ヴァイスは前方へと思いっきり倒れる。それを見て兵士たちは大きな声で笑った。ヴァイスは起き上がると笑っている兵士たちを無視して、再び歩き出す。ヴァイスが門を通り過ぎると、ギギギという音がして門は閉じられた。
……もう後戻りはできないのだ。ヴァイスは意を決して、前方に広がる不気味な森へと向かって歩き出した。