第1話 聖女三姉妹
その日、王国で最高の錬金術師の称号を持つヴァイスは、いつものように自宅にある研究室で研究を行っていた。研究の目的は、錬金術によって人体の欠損部位を再生することができる生体部品を生み出すことだった。もしこの研究が成功すれば、腕や足を失った人でも生体部品を接着させることで失われた手足を取り戻すことができる。
ヴァイスはこの研究が多くの人々の役に立つことを確信していた。そして、この研究を成功させることができるのは、この国において最高の錬金術師である自分をおいて他にないとヴァイスは自負していた。
ヴァイスは棚から各種材料を取り出すと、それらをまとめて中央のテーブルに置いた。材料は植物やキノコ、動物の干し肉、骨、土など多岐にわたっていた。
「……錬成陣、展開」
ヴァイスがそう唱えると、テーブルの上に魔法陣のような錬成陣が広がる。
「――錬成開始」
ヴァイスは自身の魔力を錬成陣に込めた。すると錬成陣が光り輝き、中央に置かれた材料が融合して形を変えていく。錬成陣の光が消えたころには、各種材料は小さな一つの肉塊のようなものへと変わっていた。
「さて、今回はどうかな……」
ヴァイスはそう呟き、おもむろに部屋の隅にある小さな檻へと向かった。檻の中では、一匹の小さなネズミが「チューチュー」と鳴きながら檻の中を動き回っている。しかし、そのネズミの動き方は、どこかギクシャクしていて変だった。――そのネズミには右前足がなかったのだ。ヴァイスは檻の中に手を入れて、ネズミを取り出す。
「うんうん、今日も元気だな、ロン」
ヴァイスはそう言って、ジタバタと暴れるロンという名のネズミを掴みつつ、中央のテーブルへと戻った。ヴァイスは錬成によってできた小さな肉塊を少しちぎって、ロンの右前足があった部分の付け根へ接着させ、包帯を巻いて固定する。
……しばらく経ってから包帯を取ると、肉塊は付け根に完全に癒着していた。癒着した肉塊は徐々に変形し、何やら手のような形になった。
ヴァイスはその状態のロンをテーブルの上に置く。ロンは動き始めるが、その手のようになった部分を上手く扱うことができないのか、ちぐはぐな動き方をした。ロンの意思が手に伝わっていないのは明白だった。
「……ダメだったか。形自体はちゃんと手の形になってるんだがな……。あとは上手く神経を接続することさえできれば……」
そう言ってヴァイスは何やらブツブツと呟く。そんなヴァイスをロンは不思議そうに見つめていた。
ヴァイスはその後も淡々と研究を続けた。毎日のように生体部品を錬成し、ロンを使ってそれがうまく機能するかを確かめる。その繰り返しだった。
――そして数ヶ月が経ったある日、ヴァイスは遂に成し遂げた。
「よ、よしっ! 成功だ!!」
ヴァイスは一人歓声を上げていた。ヴァイスの目の前では、ロンが再生された自身の右前足を使って元気にテーブルの上を動き回っている。動き方も自然でロンの意思が右前足にちゃんと伝わっているのは明らかだった。
「これでネズミでの実験はほぼ成功したと言っていいだろう。あとは……いよいよ人への応用だ」
ネズミで成功したのならば、人間の場合でも成功する可能性はかなり高いといっていいだろう。もうすぐ……もうすぐだ。この研究の成功はもう目前に迫っている。ヴァイスは自分が歴史的偉業を達成する日を想像して胸を踊らせた。しかし、このときヴァイスは知らなかった。そんな日が来ることはないということを……。
――それから数週間がたったある日の夜のことだった。ヴァイスはいつものように自宅の研究室で夜遅くまで研究を行っていた。そろそろ今日の研究も一段落して寝ようかと思っていた矢先、玄関の扉をガンガンと激しく叩く音が聞こえた。
(……こんな時間に来客か?)
ヴァイスは少し変に思ったが、来客は自宅でメイドとして住み込みで働いているニーナが応対してくれることになっているので特に気には止めなかった。ニーナは妙齢の女性でヴァイスに長い間仕えており、ヴァイスの信頼も篤かった。変な来客ならすぐに追い返してくれるだろうとヴァイスは思った。
――しかし、その期待は階下で響く物々しい音によって破られる。何人もの人間が廊下を歩く音が聞こえてきたのだった。何事かと思ってヴァイスが椅子から立ち上がると、研究室の扉がバンと乱暴に開かれ、多くの鎧に身を包んだ兵士が部屋の中になだれ込んできた。兵士たちは部屋の入り口付近にヴァイスを威圧するように一列になって並んだ。
ヴァイスが唖然としていると、部屋の中にさらに四人の女が入ってきた。ヴァイスは四人の女全員に見覚えがあり、その四人が突然兵士を引き連れて自分の研究室にやってきたことにひどく困惑した。
「……あなたがヴァイスなんとかね! 神妙にしなさい!」
開口一番、四人のうちの一人で聖女の衣装に身を包んだ銀髪の女が言った。ヴァイスはその女と喋ったことがあるわけではないが、その女が誰かは知っていた。彼女の名前はエスティナ・マリアドール。紛れもなくこの世界に三人いる聖女の一人であった。
「……ヴァイス・クロスフィールドよ、エスティ姉さん。恥ずかしいから適当に覚えるのはやめて」
エスティナの左隣に立っている女が眼鏡をクイッとしながら呆れたように言った。エスティナと比べるとやや若いその女は、エスティナの実の妹であるルーフィ・マリアドールだった。
「う、うっさいわね! 『異端者』の名前なんか適当でいいでしょ! 覚える必要なんてないわ!」
「たとえそうだとしても、そういう適当な態度は聖女のイメージ低下に繋がります。日頃から気をつけることが大切」
ルーフィは呆れた顔をして言う。
「な、何をー!」
エスティナはルーフィの方を向いて抗議するもルーフィはそれを無視する。
「あらあら、二人とも……喧嘩はダメっていつも言っているでしょう?」
二人を見かねたのか、エスティナの右隣に立っている女が口を開く。二人よりも背が高く、豊満な体を持つその女は『大聖女』イザリア・マリアドールその人だった。聖女三姉妹として広く知られるマリアドール三姉妹の長女である。
「……失礼ながら、話を進めていただけると嬉しいのですが」
聖女三姉妹から少し離れたところに立ち、三人のやりとりを面倒くさそうに見ていた女が言った。ヴァイスもよく知るその女はこの国の王女であるオヴィリア・ラースリグラスその人であった。金髪で豪華な衣装に身を包み、王族に相応しい気品を振りまいている。
「それもそうですね――――では、用件の方を済ませるとしましょうか」
イザリアはそう言ってヴァイスの方を向いた。その目は姉妹である二人を見守る慈悲深い目とは打って変わって、非情なまでの冷たさに溢れていた。
「ヴァイス・クロスフィールド、貴方には教会によって禁じられている研究に手を出したとして『第一級異端罪』の容疑がかけられています。よって貴方の身柄を拘束させてもらいます」
イザリアは静かにそう言った。ヴァイスは第一級異端罪という言葉を聞いて、頭が真っ白になった。第一級異端罪は教会の教えに背くという異端罪の中でも最も重い罪で、罪が確定すれば基本的には火あぶりによる死刑を課せられることになっていた。
「ば、馬鹿なッ!! 第一級異端罪だって!? 俺は異端となるような研究なんて何一つしていない!! 何かの間違いだ!!」
ヴァイスは必死に叫んだ。
「ふん、しらを切ったって無駄よ! あんたが錬金術で生命を生み出す研究をしているってネタはあがってるんだから! 教会の教義ではそういうのは厳しく禁じられてるし、知らなかったじゃ済まされないわ!」
そう言ってエスティナが得意げな顔をする。
「……正確には、生命を生み出すことができるのは創造主たる我らが神のみ。人間がそれを行うのは神への冒涜。よって断罪されなければならないということ」
ルーフィがそう付け加える。
「そんなことは知っている! 俺は今までに一度も生命を生み出す研究などしたことはない! ただ人体の欠損部位の代わりになる生体部品を錬金術で生み出そうとしているだけだ!」
生体部品と生命とでは全然意味が違ってくるだろう。生体部品には自分の意思などないし、自力で動くことすらできない。生体部品は確かに生きてはいるが、あくまでそれは部品としてなのだ。普通の生物と同列に並べることは間違っている。従ってそれは教会の教義には抵触しない。ヴァイスはそう考えていた。
「そもそもその生体部品の研究自体が問題なのですよ。生体部品の研究が進めば、何かをきっかけにして新たな生命が生まれる可能性がある……違いますか?」
イザリアはそう言った
「それは……確かに……ない、とは言えないが……」
ヴァイスは言い淀んだ。現状、生体部品に意思はないが、生体部品が何らかのきっかけで意思を持つ可能性がないとは言えない。ヴァイスには否定することはできなかった。
「しかし、少なくとも現時点では教会の教義には反していないはずだ! それにこの研究は事前に王国に説明をして、研究の許可も得ている。……それはオヴィリア王女もご存知でしょう?」
ヴァイスはそう言ってオヴィリアを見た。特に仲がいいとは言えないものの、国家最高の錬金術師であるヴァイスはオヴィリアとはそれなりに交流があった。
「それは確かにそうですわね――――でも、ヴァイス、あなたはあなたの研究が教会の教義に抵触するかもしれないことを私や父上に全く言わなかったでしょう? もしこうなると知っていたら私は絶対に許可なんてしませんでしたわ」
オヴィリアはそう言ってヴァイスを冷ややかな目で見る。
「あなたの研究が問題になった時、教会は慈悲深くも私たちの事情を勘案して王国には非がないことを保障してくださいましたの。特にイザリア大聖女様は積極的に我々王家を擁護してくださいましたわ。全てはあなたに原因があると言ってくださって」
オヴィリアはそう言ってイザリアを見る。イザリアはそれに対して優しげな微笑みを返した。……ヴァイスはオヴィリアの台詞を聞いて全てを悟った。どうやら自分は王国に「切られた」とそういうことらしい。全てを自分のせいにすれば現王家の体制は保障するとかそういう風に教会側に言われたのだろう。教会との対立は絶対に避けたい王家は、責任は全て俺になすりつけ、俺を教会に売ったというわけだ。ヴァイスはそう考えた。
「あなたは現時点では教会の教義には反していないとおっしゃいましたが、現時点で問題がなくとも、未来に問題が起こる可能性がある時点ですでにそれは『罪』なのです。あなたの行為を見過ごすわけにはいきません」
イザリアはそう言った。その口調からはどうあっても必ずヴァイスを連行するという強い意志が感じられた。それに対してヴァイスは違和感を持った。
過去にヴァイスは、錬金術を用いて人間に有用な薬の材料となるキノコ類を錬成する研究をしたことがあった。そのときは研究をする前に既にその内容が教会に知られていたが、教会には特に何も言われなかった。
それに、例え今回の件が教会の教義に抵触していたとしても第一級異端罪は重すぎる……。これでも王国で一番有名な錬金術師で王家や国民の人望もそれなりにある。そんな自分をいきなり第一級異端者として捕らえるのは、いくら教会と言えど強硬すぎるし不自然だ……。ヴァイスがそう考えていると、その様子を見たイザリアが言った。
「ふふ、何やら腑に落ちないと言った顔をしていますね。お気持ちはわかります。あなたはこの国に多大な貢献をして来ましたし、今回の研究もきっと善意からいたしたことでしょう。……しかし、この研究は教会にとっては絶対に看過できない『害悪』なのですよ」
「ほんとばっかよね~。人体の生体部品の研究なんて私たちが許すわけないのにさ~」
「教会の権威を脅かすものは徹底的に排除する。それが私たち聖女の仕事」
聖女三姉妹はそう口々に言った。ヴァイスはその中でもルーフィが口にした『教会の権威』という言葉が頭に引っかかった。
(……まさか、これは……)
ヴァイスの脳裏に一つの仮説が浮かんだ。教会にはもともと人体の欠損部位を再生させる再生魔法を得意とする者たちが多くいる。非情に高価ではあるが、教会で再生魔法を受けることで欠損部位を再生させることはできるのだ。とすれば自身の研究対象である生体部品は研究が成功すれば、それは教会の再生魔法と競合することになる。
「……教会は再生技術を独占しようというのか」
「――ご名答です。さすがは国家最高の錬金術師といったところですね。その通りです。あなたの研究が成功すれば、人々は教会の再生魔法ではなくあなたの生体部品を利用するようになるかもしれない。……それは許されないことです」
「馬鹿な!! 生体部品の研究が成功すれば、特別裕福ではない人間だって欠損部位を再生することができるようになるんだぞ!!」
「――だから、それが困ると言っているのですよ。再生魔法は教会の権威を支える重要な要素の一つです。人々には今までどおり教会に頼ってもらわなければなりません。それに教会の貴重な収入源を減らすわけにもいきませんからね」
「なっ……」
およそ聖女とは思えない発言にヴァイスは言葉を失った。聖女とは人々の幸福のために神に祈りをささげる存在ではなかったのか。ヴァイスの聖女に対するイメージがガラガラと音をたてて崩れ去っていった。
「貴方の研究が失敗していれば何の問題もなかった。……でも、実際はもうすぐ人への応用の段階に入るらしいじゃないですか? これ以上はさすがに見過ごすわけにはいかない。だから私たちが今日こうして来たんですよ」
イザリアはそう言って微笑む。
「さて、そろそろ話は終わりにしましょう。おとなしく連行されてください。……言っておきますが、抵抗は無駄ですよ。この家は完全に包囲されてますから」
イザリアはそう言うと周りの兵士たちに合図をした。すると周りの兵士たちはジリジリとヴァイスに近寄り始める。
(くっ、どうする……? 第一級異端罪は捕まれば死刑は確実だ……ならばここはやるしかないッ!!)
こんなところで捕まるわけにはいかない。ヴァイスは覚悟を決め、床に手を置いて自分の前に壁を錬成しようとした。しかし、その瞬間、ルーフィがささやくように呪文を口にする。
「【束縛の鎖】」
すると、何もない空間からいきなり鎖が現れ、ヴァイスの体に巻き付きヴァイスを縛る。
「ぐっ……クソっ!!」
ヴァイスは体を動かし抜け出そうとするが、鎖はヴァイスの体に固く巻き付き、抜け出すことはできなかった。ヴァイスは錬金術を使おうとしたが、鎖の効果なのか、なぜだか錬成陣を発動することができなかった。
「ルーフィ、ナイスぅ! ……それにしても全く油断も隙もあったもんじゃないわね!」
エスティナはそう言うとヴァイスの方へと近づき、ヴァイスの前に立った。
「ま、こういうときはやっぱり一発入れておくに限るわ」
エスティナはそう言うとニヤリと笑って、ヴァイスの顔面に向かって回し蹴りを繰り出した。
「ごはっ!!」
その強烈な一撃をまともに食らい、ヴァイスは後方へと吹っ飛んだ。ヴァイスはガシャンと音をたてて椅子に追突し、そのまま床へと倒れる。
「う……ぐ……」
ヴァイスはかろうじて意識はあったが、とても立ち上がることはできなかった。ヴァイスの異変を察知したのか、今まで鳴き声を上げることがなかったロンが「チューチュー!!」と大きな声で鳴き始める。
「あら、これは……ネズミ? 実験動物か何かかしら」
ロンの檻の近くにいたイザリアが、檻の中で走り回って騒ぐロンを見て言った。
「……騒々しいですね」
イザリアはそう呟くと、手を檻の方へとかざす。
「【聖なる炎】」
イザリアがそう呪文を唱えると、ロンは身が黄金色の炎に包まれた。
「チューチュー!! チューチュー!!」
ロンは悲痛な鳴き声を上げてのたうち回った。……やがてロンは真っ黒な無残な姿となって、全く動かなくなった。
「ロ……ン……」
一部始終を見ていたヴァイスはそう呟く。ヴァイスの脳裏に、初めて自分の前足が再生されたときに喜んで辺りを走り回るロンの姿が浮かんだ。
「これで静かになりました。それじゃあ、私たちは研究資料を押収しますから、兵士の皆さんは彼が変な動きをしないか見張っていてください」
イザリアがそう指示したところで、ヴァイスは意識を失った。ヴァイスが気を失っているうちに聖女三姉妹はヴァイスの研究資料を全て回収し終え、ヴァイスの家から撤収した。
「……やりなさい」
ヴァイスの家の前でイザリアが兵士に指示をすると、兵士はヴァイスの家へと火をつける。火はすぐに燃え広がり、ヴァイスの家を飲み込んでいった。ヴァイスはこの日、全てを失った。