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For freedom―悪魔の力を宿した男―  作者: シロ/クロ
第1章:Provocation To this Kingdom
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第5話:魔法怪獣討伐訓練②

感想・ブックマークなどよろしくお願いします。

 プルートの双眸は完全に狂人のそれとなっていた。

 溢れ出る力はアランフットたち三人を苦しめる圧力となる。溢れかえる殺意は三人を威嚇する抑止力となる。


「まずはお前ら二人だ!」


 プルートの獰猛に光る瞳はシュナイトとラミの二人を捉えている。その眼は獲物に狙いを定めた肉食獣の眼ではない。既に獲物の喉元に食らいつき仕留め終わった、肉を貪る直前の獣の眼。ただ貪欲に獲物に喰らいつく恍惚とした眼だった。


「うあ……」


「……」


 シュナイトとラミはその狂気の眼に見入られた。囚われた。

 今まで果敢に動き回り攻撃を避け続けた二人は、遂にはその足の動きを止める他なくなった。圧倒的な力の差を前に抗う術を持ち合わせていなかった。だがそれも当たり前の反応だった。寧ろここまでうまく逃げ回っていたことの方が奇跡みたいなものだった。


 相手は戦闘狂。人と戦うために生き、人を殺すために生きる人間。その戦闘狂が本気で自分たちを殺そうとしている。

 何の訓練もしていない、何も知らない、平和の中で育ってきた子供たちが少しでも対抗できたことを褒めるべきだ。


「《土魔法:岩土之壁(がんどのかべ)》!!」


 プルートはアランフットを捉えている《土魔法:土塊之(どかいの)(むち)》以外の四本を解除し、右手の平を地面に着けて新たな《魔法》を発動した。


「これでお前たちは逃げられない!」


 本来ならば自分の目の前に発動し相手の攻撃を回避したり己の身を隠すための《魔法》。だがプルートは自分を含めた四人を囲むように範囲を広く展開し、ドーム状に《魔法》を展開した。最初から逃げる隙など無かったアランフットたち三人だが、これで完全に退路を絶たれてしまったことになる。


「ラミ!シュナ!!頑張れ!逃げろ!」


 日光が多少遮られた視界は薄暗くなり、三人の恐怖心を助長させる。「このままでは死ぬ」と、アランフットはいよいよ事の重大性、緊急性に気がつき、必死に二人を激励した。


 だが、二人は蛇に睨まれた蛙のように動くことができなかった。狂気という異次元の気概に触れてしまった二人は恐怖で身が竦み、乾いた唇を震わせることしかできない。


 アランフットは唾を飲み込み自らの心を落ち着けた。


「落ち着け俺。なんか考えろ」


 今動かなければいけないのは自分だ。親友を助けるのは自分だ。愛する者を救うのは自分だ。今すぐこの《魔法》を打ち砕き、いつの日かの軽やかさで敵を翻弄し、敵の悪意から友人を助け出すのは自分だ。


 英雄に憧れたことはない。誰かのために生きる人生など馬鹿馬鹿しいと思っていた。だが心を許した友人無くして、本当に自分が求めるものなど手に入りはしないのだと今ならわかる。

 救いを求める人間のために動く英雄の気持ちが今なら少しはわかる。今だけは英雄的な力を求めたって良いのかもしれない。


 あまりの興奮に耳鳴りが起きるような気がしてきた。アランフットはもう一度唾を飲み込んだ。

 アランフットは現在の敵の状態を把握するため、落ち着いてプルートの姿に焦点を合わせる。彼は今にも二人に飛びかかりそうだ。


「うぬぐぅ……」


 悠長に構えている暇はなかった。アランフットは身体に思い切り力を込め、プルートの《魔法》をから解放されようともがき始める。


「ふん!」


 その動きはプルートからも見えていた。だが彼はそんなアランフットを一瞥しただけ。

 アランフットの動向には全く構わなかった。目の前にいる邪魔者を早急に排除することしか考えていなかった。


「《土魔法:岩石之(がんせきの)巨人(きょじん)》!!」


 プルートは両手を地面につけて叫ぶ。この限られた空間で二人を仕留めるのに最も適した《魔法》をプルートは発動する。地面は大きく盛り上がり、子供たちより二回りほど大きな焦げ茶色の巨人が姿を現す。プルートはその頭の上に乗りこんだ。


「まずは男だ!」


 プルートは最初の標的としてシュナイトを選んだ。それはただ機械的に選択しただけだった。どちらかと言えば動きが良かった方を選んだだけだ。そこに大した理由はなかった。それほどプルートにとって人を殺すというのは躊躇いが生じるようなものではなかったのだ。


 シュナイトはしっかりとその声は聞こえていた。だが動かない。動けないでいた。


「一人目ぇ!」


 土で作られた巨人の頭の上に乗ったプルートが叫ぶと巨人は動き出し、シュナイトを横殴りしようと左腕を振り回した。


 巨人の動き自体は速くない。だがその動きが見えていてもシュナイトは動くことができなかった。

 圧倒的な殺意を前に身体が完全に萎縮してしまっていた。迫りくる腕にただ黙って吹き飛ばされるしかないのか。

 シュナイトは何とか動かすことのできた瞼を固く閉じ恐怖から目を逸らす。


 アランフットにもその動きは見えていた。自分に何かできることはないかと必死に考えるが有効な手段は見つからない。自分は大切な友人を見殺しにしてしまうのか。とても受け入れられない現実にアランフットは怒りの感情しか湧いてこない。


 ドクンと、身体の中で何かが脈打つ。彼の瞳は緋色に変色していた。


「避けろー!シュナー!!」


 アランフットは大声でシュナイトの名前を叫ぶ。結局彼には叫ぶことしかできなかった。その程度の事しかできない己の力の無さを悔いた。


「ありがとう、アラン」


 だが、その力強い声に精神を奮い起こされたシュナイトはカッと目を開く。乾いていた瞳には生力の光が戻っていた。


 シュナイトは目前まで迫っていた巨人の手を眼で捉える。そして最適解を高速で導きだす。

 横から迫っている物体に対し横の動きをしても意味がない。だからと言って上に逃げても下半身が巻き込まれるだろう。


「よっと」


 僅かに触れた髪の毛が数本ひらりと空中を舞う。

 シュナイトは間一髪のところで半身をのけぞらせ、巨人の腕をかわすことに成功した。


 標的を失った巨人の腕は勢いそのまま壁に激突し、轟音と共に崩れ落ちる。当たればひとたまりもないことは誰もが理解した。


「今のうち……に……」


「ははは!そんな簡単に逃がすわけないだろ!」


 崩れた壁の隙間から逃げ出すことを提案しようとしたアランフットだったが、すぐに修復され元通りになったのを見て口を噤んだ。


 一瞬差し込んだ希望もすぐに潰えてしまう。壁を崩したところですぐに修復されてしまえばその隙に逃げることもできない。プルートは敢えてそのことを見せつけるために攻撃を避けさせたのかもしれない。


 仮にシュナイトが実力でそれを成し遂げたのだとしても、最悪の想定をしてしまうほどにはプルートの力は圧倒的だった。


「……っぁはぁはぁ」


 そのあまりにも間一髪な具合を理解したシュナイトの身体からは一気に大量の汗が吹き出す。本当に絶命の寸前にいたのだと自覚したのだ。


「あ……危なかった。ありがとうアラン」


「早くラミを助けてやれ!あと俺のことも!!」


「いや!アランはそのままじっとしていて!」


 シュナイトは同様に足が竦んでしまっていたラミの所へ駆け寄りながら、アランフットの提案は却下する。


「はっ?なんでだよ!」


 これはアランフットにとっては予想外の返答。

 アランフットは困惑の表情をシュナイトに向けた。シュナイトはこの期に及んでまだ親友を守るなどと言うのだろうか。今し方死にそうになった。そんな状況でまだ人を庇うことなどできるのだろうか。


 シュナイトはアランフットではない。親友などという綺麗な言葉で関係性を飾っても、あくまで自分と他人。自分を守ることができなくてどうして他人を守ることができよう。自分の命を捨てて他人の命を拾うことなど考える余地もない。


 いくら英雄と言えど、人の救出に自分の死を換算しているはずがない。それは英雄などではなく、ただの愚者だ。


「ふざけんな!何でお前は俺のために……今死にそうになっただろ!」


 アランフットは怒鳴った。この極限状態でわけのわからないことを言わないで欲しかった。頼むから自分の拘束を解いて欲しかった。


「アランのためじゃないよ」


 シュナイトは首を横に振る。


「僕は僕のために動いている。アランに認められたいから僕は動くんだ」


「そんなの……そんなの命を差し出す理由にならないだろ。もっと別の方法で俺を認めさせろよ。だいたい認めるってなんだよ。もう認めてるから。早くこの《魔法》をぶっ壊してくれよ」


 人に認められたい、その気持ち自体はアランフットにも理解できる。だが今はそんな話をしている場合ではない。命がかかっている。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。


「アラン、おそらくその《魔法》は私たちには壊せない」


「ラミ……」


 どうにかして身体を動かせるようになったラミも静かに言い放つ。


「だからじっとしてて。あの人、先に私たちを狙っているから」


 ラミもシュナイトと同じ考えだった。


「だから、俺がじっとしてたらお前ら死んじゃうだろ!お前たちが死んだら、俺は、俺は……」


「任せてよ!私たち三人はいつも一緒。ね?シュナ」


「もちろんだよ。先生たちももうじき来ると思う。それまでの辛抱だよ、アラン」


 二人の決意は既に固く、その意志は梃子でも動きそうにない。その覚悟をアランフットは無下にすることはできなかった。アランフットは何もできない己の不甲斐なさ、戦ってほしくないという願望を下唇を噛んで押し殺した。


「……わかったよ。絶対死ぬなよ」


 シュナイトとラミはアランフットの言葉を受け力強く頷き、振り返ってプルートを真っすぐ睨みつける。プルートはその顔を見て獰猛な笑みを浮かべる。


「お別れの挨拶は済んだか!せっかく待ってやったんだ!せいぜい早く死ね!」


「あと少し逃げ続ければ僕らの勝ちだ」


「さあどうかな!あまり他人を信用しすぎない方がいいぞ!」


 プルートは自分が乗る巨人の頭を叩く。


「行くぞ!」


 プルートは巨人に指示を出し、今度は二人に同時に攻撃を仕掛ける。左右両方向から巨大な腕が迫る。


「相手の動きは遅い。できるだけ体力は温存。直前で素早くかわそう」


「わかった」


 そこからしばらくの間、幾度となく迫り来る巨人の腕を二人は華麗に避け続けた。


 プルートも攻撃の手を一切緩めない。

 いよいよ本気で仕留めようとしているのだ。二人はうまく攻撃をかわしているが、長丁場となれば体力の消耗は否めない。


 現在、最低限の力で動いているが、緊張状態で最高のパフォーマンスができるほど精神も肉体も鍛えられていない。


 次第に汗を掻き、息も上がってくる。段々と二人の動きが鈍くなっているのはアランフットが見ていても明らかだった。

「どうにか無事でいてくれ」とアランフットは心の中で祈る。


 だが、その祈りも虚しく遂にその時が来てしまった。


「当たりぃ!!」


 プルートの不気味な声が響くと同時にシュナイトの片足が粉砕される奇妙な音がした。

 巨人の腕を跳ねてかわす時に僅かに遅れて残った片足が巻き込まれてしまったのだ。

 辺りに血が飛び散る。


 シュナイトはあまりの激痛に声を発することができないまま地面に倒れ込んだ。


「シュナー!」


 アランフットは叫ぶがその声はもはやシュナイトには届かない。ただ必死に痛みを忘れ、且つ脳が意識をここに留めているだけ。気を抜けばシュナイトの意識は飛ぶ。


「シュ、シュナイト様!!」


「だめだ!来るな!!」


 ラミはあまりの動揺で友達としてではなく、主としてのシュナイトに駆け寄ろうとしてしまう。

 だが、シュナイトはそれを圧倒的な精神力で止めた。底知れない気合いで声を絞り出した。


 ラミの幼い頃から自然に備わった主人を守ろうという意志を、主人の意志をもって引き止めた。


「僕が死んでも、ラミは先生たちが来るまで逃げ続けろ」


「そ、そんな……」


 シュナイトはもう自分が使い物にならないことを悟っていた。アランフットを助けるために時間を稼ぐ作戦に自分はもう必要ないと。


 だからまだ動けるラミまで自分への攻撃に巻き込むわけにはいかなかった。


「これでやっと!一人目だ!!」


 冷酷非道な狂人は殺戮の機会は絶対に逃さない。狙った獲物は絶対に逃がさない。死にかけた者を見たら絶対に逃さない。

 それが狂人が狂人たる所以。


 最期は静かに頭上から腕は振り下ろされた。


「シュナイトー!」


 アランフットは名前を呼んで何になるでもないことにはとうに気づいていた。だが叫ばずにはいられない。

 なんとか力になるように。何とかして奇跡が起きてシュナイトが助かるように。


 ピンチを救えるかも知れないと、そんな烏滸がましく考えていたわけではない。

 だが叫ばずにはいられない。

 少しでも友人の、親友の、命の恩人の支えになりたかった。赦されたかった。


 だがそんな淡い、儚すぎる希望は打ち砕かれ、揉みくちゃにされ、掻き消された。


 砂埃は起きない。プルートは殺す時はあくまで上品に殺すのが好きだった。その過程がいくら下品な戦いだったとしてもだ。


 だから巨人の腕が振り下ろされ、地面とぶつかった衝撃で発生する砂埃は起きない。

 アランフットの所まで運ばれたのは、ちょっとした砂混じりの鉄臭い風とちょっとしたぬるい液体だけ。


 恐怖に犯された断末魔など聞こえない。一瞬の出来事だから。

 聞こえたのは人体が簡単に潰された細い音だけ。

 五臓六腑が飛び散る、そんな生優しい圧死をプルートが許すはずがない。

 内臓が飛び出す暇すら与えず圧倒的な重さと速さで潰す。


 そうして生まれたのが、アランフットの視界に残る血の塊。


 シュナイトは跡形もなく死んだ。


「シュナーーーぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」


 アランフットは千切れるほど眼を見開き、裂けるほど喉を押し開き、未だに自由にならない身をよじり、悪魔のような叫び声を上げる。


 少しでもシュナイトに近寄ろうとした足が縺れ、無様に地面に倒れ込む。


 目の前の血溜まり。狂乱的な少年。無力な自分。


 涙も鼻水も涎も、赤く染まった地面の色を少しでも薄めるなんてことは無かった。

 それはもう、変えようのないたった一つの真実なのだ。


「もう……」


 シュナイトの死を目の当たりにしたラミは放心状態でその場に座り込む。

 アランフットのように醜態を晒すことすらできない。

 心にも身体にも、限界を超える負荷を受け入れる容量は無かった。


「女は大人しいな!逃げなくていいのか!」


 プルートとその巨人が近づいてきてもラミは動かない。もう動けなかった。ただ頭を垂れて座っているだけ。アランフットを守るために時間を稼ぐという作戦も、もう頭にはない。

 救いが欲しかった。今の苦しみから解放される救いが欲しかった。だからこそ死を受け入れるしかなかった。


「それじゃ……二人目だ!!」


 今度は上からではなく、横から当たるようにプルートは巨人の腕を動かす。


 血が土に吸収され乾いた跡となった腕が、細かな砂を落しながら動き始める。

 ラミがこの世に命を留めているのもあと数秒のことだ。


 アランフットには潤んだ瞳でラミを見ることしかできなかった。


「アラン……」


 その最期、ラミは掠れた瞳でアランフットのことを見た。何かを伝えたかったのか。或いはその行動に意味は無かったのか。


「っラミ……」


 その答えは何でも良い。ラミがアランフットを見たことが重要だった。


 アランフットは弱々しい声で名前を呼んだ。それがラミに聞こえたのかどうかはわからない。

 ただラミは本当の最期にはアランフットに笑顔を見せた。不気味さを覚えるほどの可愛らしい微笑みだった。


 直後巨大な腕がアランフットの視界に割り込み、それが消えると同時にラミの姿はなくなっていた。


「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは……」


「「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」」


 狂人たちの狂人たちによる狂人たちのための笑いが壁にぶつかり地獄的に反響する。生粋の狂人とたった今成り果てた狂人。二人の笑い声が響き合う空間はまさに地獄そのものだ。


「何がおかしい!」


 プルートは殺人の余韻をアランフットが邪魔したことが許せない。だが何よりもアランフットが笑うことが許せなかった。

 絶望して意気消沈するか、怒り狂って我を忘れるか、そんな反応をプルートは見たかった。そしてそうした者をいたぶり殺したかった。


「……こんなもん笑うしかないだろ?頼っていた先生たちはいつまでたっても来ない。二人は死んで俺は何もせずにのうのうと生きている。これを笑わずにどーしていられるって言うんだ?」


 アランフットは頭を垂れたままぽつぽつと言葉を絞り出す。


「俺の……生きる意味が失われたんだ……」


「生きる意味?」


 プルートは眉を顰める。


「何かおかしいか?二人は俺が生きる意味だった!!」


「人間の存在自体が生きる意味なのか?」


「そうだよ!二人がいたから俺は今まで生きてこれたんだ!二人がいなきゃ俺はどうやって生きていけばいいのか……」


 生活全般を支えていたのはアルミネ家全体だが、アランフットの精神的な支柱はシュナイトとラミの存在だった。

 二人が父であり母であり兄弟であった。家族と同等か、それ以上の存在だった。二人がいれば家族はいらない。二人がいないのならば自分が生きている意味などない。そう思えるほどにアランフットにとって二人は重要な存在だった。


 本来独りぼっちだったはずのアランフットを、孤独から救い出した人間たちなのだから。


「お前は狂っている!他人のために生きて何になる!自分のためにしか生きられないのが人間なんだよ!」


「お前に狂人と言われるのなら本望だよ。早く殺してくれ」


 プルートは困惑した声を上げるが、アランフットにはもうそれに対応する気力すらない。逆に冷静になってしまったアランフットは、力の入らない身体に力を込めて立ち上がり、壁に背を預けて拘束されたままの身を差し出した。


「さあ……殺せ……」


 プルートは悲壮感漂う顔をアランフットに向けた。何故(なにゆえ)の悲しみか。


「……つまらん……つまらんつまらん!つまらんつまらんつまらんつまらん!!」


 突如声を荒げるプルートにアランフットは力のない眼を向ける。


「なんなんだお前は!他人の命の一つや二つに踊らされ、自分の命を差し出すだと!ふざけるな!抵抗する気もないだと!ふざけるな!俺はなんでこんな奴を最後まで残したんだ!さっきの二人の方がよほど面白かった!」


 プルートは唾を吐き散らしながら喚いた。


「……知るかよ。早く殺してくれ」


「こんな腑抜けのどこが脅威だ!何が破壊者だ!リーダーがわざわざ気に掛けるからどんなに凄い奴かと思えば!ただのカスじゃないか!俺の方がよほどその名にふさわしい!」


 プルートは憎しみの籠った目でアランフットを睨みつけた。


「本来の俺ならお前みたいなつまらん奴を殺したりしない!だが今日は違う!こんな屈辱を味わったのは初めてだ!だからお前のことは特別に!最高に!最低な!下品な殺し方をしてやる!楽に死ねると思うなよ!」


 プルートは鬼の形相で凄むが、それを見てもアランフットに恐怖心は芽生えなかった。


「死ねるならなんでもいいよ」


 その程度の感想しかアランフットは抱かなかった。


 思い返せば謂れのない差別を受ける日々。

 自分が生きている必要は最初からなかったのかもしれない。


 自分を必要としてくれた親友をこの世から失った今、アランフットは直ちに二人の元へ行きたかった。たとえプルートがどんな残虐な仕打ちをしてこようとアランフットには効かない。


 もう目の前には三人だけの楽しい世界が待っている。感覚などというものはもう麻痺しきっていた。

 視覚と聴覚だけが辛うじて機能しているだけ。辛うじて魂が現世に留まっているだけ。


「四肢をもぎ取り!それから頭を潰す!まずは右腕だ!」



 だが、人生とは皮肉なものだ。


 全てが自分の思い通りに行く者など存在しない。

 幸運なことばかり起きればすぐに不運がやって来たりもする。その逆もまた然り。不運の連続からいきなりとんでもない幸運に恵まれることだってある。

 かと思えば、常に幸運で恵まれた人生をおくる者もいて、常に不幸な環境で生きていかねばならない者もいる。


 生を求めれば死がやって来る。死を求めても生が残る。そんな状況もあるだろう。

 全て運命という神様の悪戯なのだろうか。


 ある者は言った。神は万物に宿るのだと。自然物の一つ一つに神様は宿り人間に幸を与えれば不幸も与える。全ては神の御心のままだと。


 また、ある者は言った。神は死んだ、我々が殺したのだと。神の存在を心の底からは信じない者が増えすぎた。神の存在意義は薄れてきているのだと。神など存在せず、ただの事象に偶然だの必然だの名前を付けているだけなのだと。



 だが神の存在を信じようが信じまいが関係ない。


 今回、この窮地に関しては、神はアランフットの敵となった。



 ○○○



「右腕さん!さようならぁ!!」


 プルートはアランフットの右腕を潰すために土の巨像を動かす。

 プルートの心情にももはや平穏が訪れていた。後は痛みに苦しむアランフットも楽しく観察すればいいだけだからだ。


 プルートは嬉しそうに目を細め巨人の頭の上におおむろに座った。巨人の拳は迫る。だがアランフットは動こうとはしない。


 そもそも拘束の所為で自由には動けないのだが、迫り来る脅威に抵抗する動きすらない。「さあ潰れるぞ」とプルートは意気込み、アランフットの姿に目を凝らす。


 すると一瞬黒い靄がアランフットの身体から発生したのが見えた気がした。


「なんだ!!」


 プルートが目を擦り、もう一度アランフットの姿を見ても、先ほど同様に意気消沈したアランフットが呆然と立っているだけ。


 見間違いかとプルートは高を括ったが、それは見間違いではなかったのだと直後に知ることとなる。


 巨人の拳がアランフットの右腕に触れると同時に、先ほどプルートが目撃した黒い靄が巨人の腕に纏わり始めたのだ。


「何をしている!!」


 思わぬ反撃にプルートは声を荒げるが、アランフットは気を失ったかのように反応が無い。


 巨人の拳はアランフットに触れた部分から崩壊し始め、その崩壊はすぐに巨人の身体全体へと広がった。

 黒い靄に触れるとプルートの《魔法》は一瞬で崩れ去る。瞬時にそのことを理解したプルートは巨人の頭から身体を宙に投げ出した。


「なっ……何が起きているんだ!」


 精も根も尽き果てたはずのアランフットが思わぬ反撃を、しかも想像を遥かに超える強さの反撃を仕掛けてきている。


 《魔法》を掻き消す人間など聞いたこともない。

 プルートは危うく着地し、困惑した声を上げた。


 するとプルートの言葉に応えるように、魂に直接話しかけるような『声』がプルートの身体に響いた。


『異邦の者よぉ、ちぃと暴れすぎだぁ』


 アランフットの身体からは漆黒のオーラが溢れだしていた。アランフットの身体を拘束していた《魔法》も一瞬で消え、その人物は立ち居振る舞いを整える。


「だ、誰だ!」


 プルートは目の前に居る人物を理解することが出来なかった。

 姿はアランフットとなんら変わりはない。だが、溢れ出るオーラが別人である事を証明していた。否、人ならざるものであることすら証明している。


『誰だ、かぁ。まぁおめぇが知らねぇのも無理はねぇ。なんたってぇこの土地の人間も忘れちまうくらいだからなぁ』


 アランフットの姿をした人物は残念そうに肩をすくめた。


『俺はここら辺一帯のぉ……まぁ……人間が言うところの神だなぁ。名乗りはしないがぁ……』


「神だと!そんなもの現実世界に存在するわけないだろ!」


『別に信じなくたってぇいい。俺はぁ外の人間がぁうちの人間を殺すのをぉ止めに来ただけだぁ。俺の寝床の近くでぇ騒がれたちゃぁうるさくて仕方がねぇからなぁ』


『めんどくせぇ』と『神』は舌打ちをした。

 はは、と笑ったプルートは思考を捨てた。


 目の前で話している人物の正体などどうでも良くなってしまった。『神』などと言うふざけたアランフットもどきの正体はもうわかるまい。


 少なくとも人の精神を乗っ取ることができるという狂った能力を持っている。プルートよりは確実に強い。見た目はアランフットで間違いないが、中身は全く違うものとして戦わなくてはならない。


「あはははははははは!」


 プルートは額に手を当て、改めて笑った。今回はつまらない任務になったと思っていたが、もしかしたら長い人生で最高に面白いことになるかもしれない。


『おめぇ気持ちわりぃなぁ。一体何度目だぁ』


『神』は心底嫌そうな顔をしてプルートを睨んだ。


「ほぅ!」


 その言葉を聞いたプルートは目を見開いた。


「まさかこれに気づける奴が他にもいるとは!そうだな……最後、とだけ言っておこうか!」


『だからぁそんなに狂っているのかぁ。かわいそうなやつだなぁ。早く死にゃぁいいのに』


『神』は大きくため息を吐いた。


『それにしてもぉ、こんな小せぇ子供たちにぃ保護者もつけねぇような国になっちまったのかよぉ、この国はぁ』


「いや!それは違うな!俺の仲間が邪魔してるのさ!」


『……そうかぁ。助けは来ねぇってことだな。ならぁ俺がお前を倒してもいいんだな?』


 プルートは咄嗟に身構えた。


 身の毛がよだつほどの寒気を感じた。

 それが『神』が発する殺気であることにプルートは気づくことができない。自分の身体の反応の原因究明をしているような余裕を持ち合わせてはいなかった。

「倒す」という言葉と同時に、『神』が放つ雰囲気がより一層重圧的なものに変化した。

 もうプルートに笑っている余裕はない。

 気を抜けば一瞬で殺される。


 漆黒のオーラはついにアランフットの全身を包み込み、眼だけが紫色の不気味な光を放つ。

 火影のように揺らめく紫の光は、プルートに底知れない恐怖感を植え付ける。プルートの額から伝う汗がその感情の全てを表していた。


『神と自ら名乗ったぁ以上、俺から手ぇ出すのはぁ大人げねぇ。お前から攻撃してみろぉ』


 人差し指を曲げプルートを挑発する『神』。


「ふん!俺をなめたことを後悔させてやる!」


 相手は確かに怖いが、舐められるほど自分も落ちぶれていない。プルートはこめかみに血管を浮かべながら《魔法》を放つ準備を始める。


『おめぇ【制限(リミッター)】は使わねぇのか?』


「俺はまだ九歳だ!使えるわけないだろ!」


『魂は別でもぉ、肉体はぁ追い付けねぇもんなのか……』


「次のは【制限(リミッター)】使わなくても君を倒せるほどの《魔法》だ!覚悟しろ!」


 プルートはふと「戦いの中でアランフットの実力を見極める」という本来の目的を思い出していた。

 ついでにメルクリウスに「勝てなければすぐに逃げろ」と言われたことも。


 だがプルートは任務における、つまり抹殺の対象となるアランフットに対してではなく、アランフットという人間に個人的に興味が湧いてしまった。

 この急激なパワーアップは、自分よりも強くなってしまったその伸び代は、『神』とやらを名乗るその真意は、果ては一体アランフットは何者なのだろうかと。



 自分より相手が強いのであればそれ相応の《魔法》をもって対抗しなければならない。子供相手に放った《魔法》など『神』とやらには効かないだろう。


 従来の《魔法》、自分の身を案じた《魔法》などという生ぬるいものではこの『神』には勝てない。


「うおおおおおお!!」


 そう考えたプルートは自分の身体から最大限の力を振り絞る。


『おいおい、自爆しねぇ程度にしておけよぉ』


 『神』はプルートが何をしようとしているのか理解できた。それは戦士に最後の手段として教えられる最も危険な《魔法》の発動方法。

『神』はなにもプルートに死んでほしいわけではない。即刻この国から、この『神』が監視する土地から出て行ってほしいだけだった。この土地の子供たちに手を出さないでほしいだけだった。


「気遣いはごめんだ!俺は全力で行く!」


 プルートはそう言って両手を広げた。


「《土魔法:冥王之(めいおうの)(てっ)(つい)》!」


 プルートの頭上には力が収束し、巨大な鉄の塊が形を成し始める。『神』はその様子を見、感動したように目を細めた。


『ほぅ……なかなかすげぇ《魔法》じゃねぇか。まともに食らえばぁ死んでしまうなぁ』


『仕方ねぇ』とそう言って『神』は額に手を添えた。

 緋色に輝く粒子が『神』の身体の周りを舞い始める。その一粒一粒が全身で喜びを表現しているかのように、『神』の身体に触れては跳ね、その輝きを強くしていった。


『俺もぉ少し、本気を出すぜぇ』


「おいおい!君こそ死ぬぞ!」


 プルートは焦ったように笑った。自分の《土魔法》で死ぬのは構わないが、自爆されては何の面白みもない。敵の心配より自分の心配をしろと笑ったのだ。


『うるせぇ。黙って見とけぇ』


 だが『神』は一蹴する。


『【制限(リミッター)解除(リリース)】』


『神』の身体の周りを飛び回っていた緋色の粒子は一度『神』の身体に一気に吸収され、また再度空中を飛び始めた。


「失敗か?」


 黒いオーラに邪魔され、プルートがその全容を見ることは適わない。プルートは眉を顰めた。だがプルートには理解ができた。


 明らかに力が増長している。それはそう、【最終(パーフェクト)状態(ステイト)】であるかのような力の増幅量だった。


「ふはははは!凄い!凄いぞ!こんな力を見たのはリーダー以来だ!」


『さぁ来い』


 果たしてプルートの頭の上に浮かんでいた巨大な鉄の塊は、頭より一回り大きい立方体となっていた。その質量と密度は簡単に人体を潰せるほど。否、地面すらも消し飛ぶかもしれない。当たったらひとたまりも無いものであるのは明らかだ。


「おらぁ!」


『おっかねぇなぁ』


 プルートは空中に浮いた鉄の塊を手で乱暴に『神』のいる場所へと導いた。初動の空気と擦れる小さな音だけを残して、鉄鎚は目にも止まらぬ速さで飛んで行く。


『わりぃなぁ』


『神』は眉一つ動かさずに静かに右手を前に出した。


 ――ジュッ


 鉄鎚は前回の巨人と同様、黒いオーラを纏う『神』の指に触れた瞬間に消滅した。

『神』の身体には傷一つ付けられない。傷どころか、その身体に少しの汚れすらついていない。


「な、なんだと!俺の全力が!」


 プルートは目の前で起きたことが信じられないというように、わざとらしくあんぐりと口を開けた。だがその表情にはそぐわず、眼は笑っている。


「なーんてな!」


『なにぃ!?』


 次の一手が用意されているかのようなプルートの発言に、『神』はわざとらしく驚きの声を上げる。


「一つだけのわけがないでしょうが!!」


 初手が防がれることは想定内。『神』の手が触れてしまえば自身の《土魔法》が掻き消されてしまうことも想定の範疇にあった。


 そのため、『神』が【制限(リミッター)解除(リリース)】をしているうちに半分を頭上高くに飛ばしておいたのだ。


「俺の勝ちだ!!」


 プルートは勝利を確信した。いくら《魔法》を無効化する『神』であっても、死角からの不意打ちとなれば話は別だろう。


 鉄鎚が落ちる風圧のよって砂埃が舞い上がる。


『なぁんてなぁ』


「うそっ……だろ!」


 追撃を試みた鉄鎚は、今度は『神』の手に触れることなく消滅した。否、手どころか身体のどの部位に触れることなく消滅した。


 鉄鎚は頭一つ分上で静止し、プルートの瞼がくっつきまた離れる時間で姿を消していた。

 目への猜疑心が生まれる余地も無く、初めから何もなかったかのように綺麗さっぱり消滅していた。


 神を自ら名乗った人物はその名の通り、神々しさすら感じさせるほど全くの無傷で元居た場所から一歩も動かずに立っていた。

 舞い落ちる砂埃すら『神』の威光を表しているかのよう。


 プルートはその美しさに思わず息を呑んでしまう。


『おめぇよぉ、俺が全ての《魔法》を無効化すると思ったろぉ』


 にやけた面を顔面に貼り付けているのであろう『神』は、プルートに問う。


「……違うのか?」


『そんな無茶苦茶なことあるわけねぇだろぉ。俺が無効化できるのはぁ《土魔法》だけだぁ』


「それでも十分無茶苦茶じゃない?」


 プルートは「まてよ?」と顎に手を当てた。

 各属性に特化した、まして無効化できるなどという人外の力。そして『神』と名乗る。


 目の前の人物が本当に『神』ならば、かつては崇められ畏れられた存在。プルートはその存在に心当たりがあった。


「……もしかして君は……」


『おっとぉ、俺の正体がぁわかったところでぇ……さよならだぁ』


 『神』は背中に備わった剣を手に取り、『この位置じゃぁ取りにきぃ』と腰まで移動させ、プルートに見せた。


『この剣はなぁ七星剣ってんだがぁ、おめぇなら知ってんじゃねぇか?』


「それを持った雑魚となら戦ったことある気がするけど?」


『それはなぁそいつが使い方を知らねぇからだぁ。折角俺とやり合ったんだぁ。俺がぁ本当の使い方を見せてやるよぉ』


 そう言うや否や、『神』は剣を構えて力を込めた。


『この錆びた剣はぁ本来の強すぎる力を封印されているんだぁ。本気で使うにはぁその封印を解かなきゃならねぇ』


「君にその封印が解けるのか?」


『七星剣にはぁ、その名の通り七つ星の封印がされてあるぅ。全て解くにはぁこの『世界』に存在する全ての力を持たなきゃぁならねぇ。火・水・土・雷の四属性の力ぁ。風、つまり自然の力ぁ。そして人間自体の力ぁ。そして決してぇ人間が絶対に手に入れられねぇ最後の力がぁ……』


 そこで口を噤む『神』。プルートは答えを促した。


「なんなんだ?」


『神の力だぁ』


 プルートは言葉が出なかった。


 目の前にいる人物が言っていることは嘘でもはったりでもない。目の前の、アランフットに乗り移った存在は本当に『神』なのだから。

 土属性を、《魔法》を無効化するなどという人間にはあってはならない能力が備わっているのは、人間でない者しかあるまい。


 そこで思い当たるのはただ一つの存在。

 かつて世界を救ったという四神が一柱、玄武しかいないではないか。


 プルートは漠然とした神という存在を信じる気はさらさらない。だが、かつて世界を救った四神と言うならば話は別だ。

 信じる信じないの話ではない。それらは確実に存在していて、今も存在している。


 プルートは命を諦めた。

 だが、死ぬのは怖くなかった。

 この長い魂の循環からやっと解き放たれる。その最後を飾るのが玄武とは身に余る光栄だ。


『早く逃げろよぉ』


 玄武は七星剣に六つの力を入れ終え最後に身に纏った漆黒のオーラ、つまり玄武の力、神の力を注ぎこんだ。


『七星剣、開放ぉ』


 七星剣の表面の錆びは崩れ落ち、七色の光が溢れ出した。壁の中は光に包まれる。


「アランフット!そして玄武!お前たちは絶対に忘れないぞ!」


 プルートは喜色満面の笑みで叫ぶ。名前を呼ばれた玄武は『ちっ』と舌打ちをした。


『[秘技:全破壊(ディストラクション)]』


 光の剣がプルートに向けて振り下ろされた。


 光は全てを包み込み、破壊する。

 砂も土も木々も、全てが消滅する。

 慈悲なき破壊は壊したまま何も生み出さない。だからこそ七星剣は選ばれた者にしか与えられない。

 強大な力をうまく使いこなせる人物にしか与えられない。


 全てが消滅する轟音と共に光は消え、七星剣には再び自動的に封印が施される。光の剣は錆びたがらくた同然の剣に戻ってしまった。


『うまく逃げたみてぇだなぁ』


 玄武は静かに頷いた。一仕事終えた達成感は無い。

 疲労のみの虚しい戦闘であった。この地の子供が、ましてかつての戦友に託された子供が殺されてしまうのを見過ごすわけにはいかなかった。


『柄にもねぇことをしたなぁ』


 玄武は額に手を当て、深く息を吐きだした。そして玄武は幼くして命を失った者たちへ眼を向ける。


『かわいそうにぃ、今ぁ直してやるからなぁ』


 玄武は、シュナイトの場合は血溜まりに、ラミの場合はその死体に手を添え、人智を超えた力を注ぎ込み存在を修復し始める。二人は光に包まれ次第に原型を取り戻していく。


『記憶もぉ消しといてやらねぇとなぁ』


 そして玄武は二人の頭に触れ、プルートがシュナイトとラミを殺すまでの記憶を消した。シクル等が去った後の記憶を全て消したことになる。


 玄武が子供が持つべきでないと判断した残酷な記憶は全て消し去られていた。それはアランフットも同様。

 だが己への無力感とプルートへの憎しみだけは残しておいた。今後の成長に期待し、そしてまたプルートに出会った時にすぐに対処できるようにという玄武の配慮だ。


『じゃあなぁアラン。またぁいつかなぁ』


 アランフットの身体を包んでいた黒いオーラが揺らぎ始める。シュナイトとラミを横に並べ、自らもまたその横に横たわりながら玄武はそう言って消えていった。



 〇○○



「アランフットー!シュナイトー!ラミー!」


 レースの大地すら揺らすような大きな声で三人は目を覚ました。気づけばシクルたちが周りを囲んでいる。


「お前たち大丈夫か」


 いつもは冷たい表情であまり感情を表に出さないレースがひどく怯えた表情を浮かべ、アランフットの顔に手を触れる。


「どーしたの先生?顔色悪いよ」


 上半身を起こしたアランフットが陽気に言うと、その砕けた口調を正すこともなく、レースは震える手で三人の後方を指さした。

 素直にその導きに従い後ろを振り向いた三人は言葉を失う。


 山が半分消滅している。とても綺麗に、あたかも最初からその半分などなかったかのように。「北宮」を守り続けた「守護山」の一角が完全に消滅していた。


「……」


「おい!」


「……」


「おいアランフット!」


 シクルはしゃがみ込み、なかなか反応しないアランフットの肩を揺さぶる。


「な、なんだよシクル」


「エッダは来てないのか?」


 この場に真っ先に駆け付けなければならない男の姿がここにはない。


「エッダさん?なんで?」


「私が最初に救援を頼んだのがエッダだからだ!」


「うーん……お前たちがいなくなった後の記憶がないんだよなぁ」


 アランフットは腕を組み目を閉じて記憶を探るが、どうも綺麗さっぱり何も覚えていない。


「シュナとラミは覚えているか?」


「……確かに記憶がない」


「私も……覚えてないや」


 それは他の二人も同じことだった。玄武が復活させる際、三人がシクルと別れた後の記憶を全て消しているのだから思い出せるはずもない。

 神のみぞ知る、ということだ。正確にはプルートも知っているのだが。


 シクルは怒りのあまり膝を叩き語気を荒げた。


「一体エッダは何をやっているんだ!!」


「これもエッダさんがやってくれたんじゃないか?今いないのはあの少年を追いかけているからで」


「三人が気絶していたのは?」


「おおかた戦いに巻き込まれて頭を打ってしまったのだろう。少し頭が痛いよ」


 最後にシュナイトは頭をさすりながら言った。


「とにかくここは危ない。早く下に降りよう。三人とも早く助けに来てやれなくてすまなかった」


 レースは申し訳なさそうに、己の不甲斐なさを噛みしめながら頭を下げた。



 ***



「どうだったアランフットは?」


「アランフット自体は大したことない!ただこの土地を守る神はとんでもなかったぞ!」


「珍しく興奮しているねプルート。神だなんてくだらないことを言い出すなんて」


「別に信じなくてもいいけどさ!痛い目を見るのはお前だぜ!メルクリウス!」


「大丈夫さ。僕の逃げ足は君より速いからね」


「ふんっ!そうそう、アランフットは殺さないようにみんなに伝えとけ!いつか必ず俺が殺すからってな!」


「うーん……誰も言うことを聞かないだろうけど一応言っておくよ。でもどうしてだい?弱者には興味が無いのだろう?」


「確かに今は弱い!だがどう化けるかはわからん!なんたって神に守られる男だ!そんな人間、大昔のジンヤパ国王以来だからな!」



 〇〇〇



 アランフットたちは下山した後、すぐに「内裏」のコレジオ校舎に戻った。

 しかし特に何があったわけでもなく明日はいつもの時間にこの校舎に集まるように言われただけ。


 それだけ生徒に伝えレースはどこかへ消えてしまった。初代王の時代から崩れたことがないと言われていた「守護山」の一角が消滅した。

 そんな緊急事態のため初めての校外訓練は最終的に早めの下校となった。



 *****



「失礼します」


 レースは緊急事態の報告をしに王城へ来ていた。


 とは言っても国が傾くような、そういう類の緊急事態ではない。どちらかといえば精神的な緊急事態だ。


「王都」を必ず守るという「守護山」が崩壊したなど、国民が知ったら大騒ぎになってしまう。動揺するのは一般的な国民だけではない。将来を担う子供たちを教育するという重役を務めているレースでさえ大きな動揺を抱えていた。


 国に仕える者は国王の正統性を神聖視している。

 国王の威厳が揺らぐことは自らの正統性を失うことを意味する。「守護山」が消滅するなどあってはならないことだった。


 レースが頭を下げて王室に入ると国王は玉座に座っていた。床よりも数段高く位置する場所から見下ろす国王の眼光は針よりも鋭く、レースは一度動きを止めた。


 だが玉座の下、下手側にはエッダが控えていた。


「貴様っ!どこで何をしていた!」


 レースはその姿を見るや否やエッダに飛びかかり、襟首を掴み詰問した。レースが来てからずっと半笑いでいるのエッダがレースは気に食わなかった。

 エッダは国王の方を一度見て助けを求めるが、国王がなだめる気配がないことを理解した。そしてエッダは仕方なしに弁解を始める。


「落ち着いてくれ。僕は見回りをしていたんだよ。彼らが戦闘に巻き込まれているなど知らなかったんだ」


「嘘をつけ!シクルは貴様に……」


「レース、ここはコレジオではないんだ。言葉遣いには気を付けろ」


「シ、シクル様はお前に助けを求めたと……」


「確かに頼まれた。不審者がいないか探しながら移動していたらあの衝撃だ。そして逃げる人影が見えたから追いかけた」


「いくら慎重になっていたとはいえ、お前の到着時間が遅すぎる」


「だからな……」


「そこまでにしておけ」


 国王は二人の口論を制止した。


「死人が出なかったんだ。それだけで良いではないか。山も既に修復してある」


 国王の家系は初代から続くこの国で最も古い家系。この家系が長く続いている理由は圧倒的な強さにある。


 本来は【制限(リミッター)】も《魔法》も親から子にそのまま引き継がれることはない。近い能力を持って生まれることもあるが、そのほとんどは無作為に能力が備わる。


 だが国王の家系だけは違う。世界最強と言われていた初代王の能力を代々受け継いでいる。時代が移り変わり国王の世界最強という能力はやや薄れたものの、それでもなお国王の圧倒的な力に変わりはない。

 その引き継がれている能力の一つ、初代王の時から変わらぬ強大な《土魔法》によって玄武が破壊した山を修復したのだった。


「……わかりました。報告の内容はそのことですので私は失礼します」


「ご苦労」


 レースは一礼すると一度エッダを睨み、そして踵を返して王室を後にした。


「エッダ、本当は何があった」


 レースの姿が見えなくなると国王はエッダに問うた。国王はエッダが何か隠しているのを見抜いていた。そしてレースがいれば絶対に口を割らないことも。エッダは申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。実は私もよくわかっておりません。アランフットが不審者と戦っていましたがアランフットが圧倒的に優勢だったので少し様子を見ていました」


「山はアランフットがやったのか?敵がやったのか?」


「おそらくアランフットだと思います。その後不審者が逃げたので私は追いかけました」


「で、逃げられたと……」


「申し訳ございません」


 国王はため息をつくが、エッダから不審者が逃げたと言うならばおよそ誰にも捕まえられまいと、それ以上の言及はしなかった。


「まあ良い。引き続きアランフットの監視をしておけ。明日はいよいよ《魔法》を出すのだろう?」


「そうですね。わかりました」



 ……………



 またある場所でのこと。


「先ほどのあの力はアランフットの力なのでしょうか?」


「違うわ。あれはどこぞの『バカ亀』の力よ」


「『バカ亀』?」


「ええ、そうよ。見たら驚くわよ、気持ち悪くって。『キモ亀』よ」


「えー……そんなの見たくないですよ……」


「あいつまで出て来るって事は、ソイちゃんもいつかは出会うことになるでしょうね。……そんなことより、明日はいよいよアランちゃんが《魔法》を発動するわ」


(はは)(さま)の後継者にふさわしいかどうかがそこで決まるわけですね!」


「まだ断言はできないけれど、それでほぼ決定になるわね。楽しみだわ……」


 様々な場所で、様々な思惑が動き始める。

シュナイトが消されるシーンは個人的にうまく書けたんじゃないかなぁと思ってます。

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