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For freedom―悪魔の力を宿した男―  作者: シロ/クロ
第1章:Provocation To this Kingdom
8/28

第4話:魔法怪獣討伐訓練①

ちょい長めです。ブックマークや感想などよろしくお願いします。

 この日の集合時間は九の刻。入学式と同様、遅めの集合時間だ。集合場所は「王都」を囲む「守護山」の一角の麓。「北宮」に住んでいる者は移動に時間がかかるため、その分の配慮で集合時間は遅くなっていた。時間には優しいジンヤパ王国。ここにも初代王の意志が関わっているとかいないとか。


「おはようラミ」


 アランフットは集合時間よりかなり早めに家を出て集合場所に降り立ったのだが、既にそこには一人佇む少女の姿があった。

 相変わらずの早すぎる事前行動にアランフットはふっと笑みを零してから声をかける。


「アラン!おはよう!!」


 声の主に気がついたラミはすぐに振り返り、とびきりの笑顔を見せた。


「あれ?またシュナとは一緒に来てないの?」


 いつも二人で一緒に移動している印象が強いが、コレジオが始まってからというもの、シュナイトとラミが一緒に通う姿を目撃していない気がする。アランフットにとってはある意味不気味な状態だ。


「うん。シュナは……彼は準備が遅いから」


「ラミが速過ぎるんだよ」


 アランフットは苦笑いを浮かべる。仕事をしながらも主より先を行く。それが良いのか悪いのか、ラミは独自のスタイルを貫いていた。


「ふんだ。シュナに関係なく私は私の動きたい時間に動けばいいのよ」


「それは従者として良くないだろ」


「いいの!!」


 ラミが早く移動するのにはアランフットには決して理解できない別の明確な理由があった。コレジオに到着するのが早い理由はシクルよりも先に到着し、誰にも文句を言われず席を取るため。

 そして今日早く集合場所に来た理由は、家が近いアランフットが通常より早く集合場所に着くと見越し、少しでも長い時間二人きりで過ごそうと思ったからだった。


「むぅぅ……」


 ラミはなぜ自分が今この時間に一人でここに立っているのか、それをアランフットに気づいて欲しかった。


 潤んだ深紅の瞳でアランフットの顔を盗み見る。自分の意図に気づいているのかをどうしても確かめたかった。だがラミのその行動だけにしか気が付けなかったアランフットは、その意味ありげな行動に「ん?」と首をかしげてラミの目を覗き込むだけだった。


 ラミは咄嗟に目を逸らす。


(「かっこいい……」)


 恋は盲目とはよく言ったものだ。なるほど、確かにラミは常日頃発揮される聡明さの欠片もないほど単純な思考しか持ち合わせていない。

 アランフットの前ではいつも通りの、アホな少女がそこにいた。アランフットを視界に入れただけで当初の目的を忘れその容姿に魅入ってしまうとは。


「あっ、そういえばさ……」


 だがしかし、アホなままではいられないのもまた根は賢い彼女の宿命。ラミはだらしなく緩んだ頬を引き締め本題に入る。アランフットに絶対に聞いておかなければならないことがあるのだ。


「昨日シクルたちに呼び出されて、その後どうなったの?見た感じ……怪我とかはなさそうだけど。大丈夫だった?」


「ああ!それがさ、聞いてくれよラミ。実はな……」


 自分が忘れていたのが信じられないといった様子でアランフットは自分の頭を叩いた。忘れられもしない昨日の愉快な出来事を話すということを失念していた。


「シクルに広場に呼び出されて話を聞いたらさ……」


 丁度その時、アランフットの視界にある人物の姿が入る。

 アランフットはラミへの会話を中断し、その人物に向かって大きく手を振った。


「おーい!!」


 その動作に伴いラミはアランフットが手を振った相手へ目を向けた。

 てっきりシュナイトが来たものだと思っていた。アランフットがそんなことをする相手は自分かシュナイトしかいない。ラミはそう高を括っていた。「シュナも意外と早く到着したんだ」という感想を持った程度だった。そのくらい平穏な気持ちでラミは振り返った。


「えっ……」


 絶句。

 ラミが目にした人物は思いもよらない人物だった。想像の余地すらない人物だった。だからこそ言葉を失った。

 それは温厚なシュナイトならまだしも、常に牙むき出し敵意むき出しのアランフットだけは決して懐柔されることはないと思っていた人物だった。


「ちょ、ちょっと待って。落ち着きなさいラミ・ケニス。私は、少し、気分が上がっているだけだわ。大丈夫。ゆっくり深呼吸をしなさい」


 どうにか見間違いだと信じたい。自分に落ち着けと語りかける。

 ラミは両眼を手で擦り視界をリフレッシュ。

 もう一度アランフットが手を振った方向を見る。その像がシュナイトであれば何の問題もない。そう、問題は無いのだ。あるはずがないのだ。


 だが先刻より近づき、より鮮明に見えるその人物。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 絶叫。

 やはりおかしい。ラミには全く理解が及ばない状況だった。それ故の狂喜乱舞だった。


「シクルー!!」


 シクル・ラワジフ。アランフットが入学式で一目見た時から嫌悪感を示していた人物。その人物に今アランフットは自ら手を振り名前を呼んでいる。


 とても現実とは思えない出来事にラミは目が回ってしまう。目の前で一体何が起きているのだろうか。

 眩暈でも起きたのかというほど、三半規管がぶっ壊れたのかというほど、身体を支える器官が失われてしまったかのようだ。


「おはよう。早いなアランフット。さすが「守護山」に住んでいるだけある」


「シクル達も早いな。三人で仲良さそうに」


「な、な、仲良くなどないわ!家の関係にすぎん!な?ルーテ」


 アランフットの言葉に顔を真っ赤にするシクル。しどろもどろになったシクルは急いでルーテに否定の同意を求めた。


「お腹すいたなぁ」


 だがルーテはシクルの話など聞いておらず、話の流れを完全に無視した個人的な感想をしみじみと漏らす。


「……なんだ?朝食は取らなかったのか?」


「歩いて来たら消化しちゃったよぉ。遠いんだよぉここは~」


「デブが……お前じゃ話しにならん。ウマートも何か言ってやれ」


 シクルは使い物にならないルーテを見捨て、沈着冷静なウマートに助けを求める。


「………………」


 事態を静観する主義のウマートは何も言わない。何も語らない。つまりシクルが一人で浮く。


「せめて何か言葉を発しろ!!これでは私が一人浮いてるみたいじゃないか!」


「シクル……元気だな」


「うおぉぉぉい!揚げ足をとってどうする!!どっちだ?お前は私の味方ではないのか?」


「……………」


 それをアランフットは微笑を浮かべて見守っていた。簡単に言えばシクルはツンデレだった。それを見抜いたアランフットは一人空回りするシクルの状況を楽しんで見ていた。

 だが同時に全く楽しむことができない者も一名。ラミから見た今の状況はまさに混沌(カオス)。悪夢でも見ているような居心地の悪さだ。


「もぉ~どうなってるのぉ~助けてシュナ~」


 アランフットが普通に会話を始めたこの光景にラミは心の中で頭を抱えていた。奇妙で狂ったこの光景は一人で分析処理できるほど簡単な状況ではない。急いでこの場に居ないシュナイトに救難信号を送るが反応があるはずもない。


「おーい!」


 そんな地獄みたいな空間にラミが耐えかねていると、少し離れたところからシュナイトが手を振って歩いて来るのが見えた。

 後ろにはユナの姿もある。遂に救いがやって来た。

 あと少し遅ければ自分の精神は崩壊していた。そんな恐怖を感じつつ、ラミはすぐさま二人の元へ駆け寄った。


 そしてラミはシュナイトが視界の端でアランフットとシクルを捉えたのを察知した。シュナイトならばあの光景を見て、絶対に黙っていられないだろう。それならばシュナイトに全て任せておけば自分が聞きたい情報は確実に得られる。


「あらあら~お二人さんは一緒に来たんですか?」


 ああいう訳の分からない世界には触れない方がいいと判断したラミ。アランフットたちの状況解明を放棄し、生気の戻った目で二人にちょっかいを出す。

 近寄ってきたラミにシュナイトは含羞の笑みを浮かべ、ラミが想像しているようなことは無いと首を横に振った。


「ユナが僕のことを羅城門で待っていてくれてね。一緒に来たんだ」


「べ、別に待ってたわけじゃ、な、ないです。い、一緒に行けたらいいなと、お、思ってただけです」


「かーわーいーいー。ユナちゃんはシュナのこと大好きなんだね」


 ラミはしどろもどろになるユナに抱きつき頬ずりをする。まさか自分の気持ちが悟られているとは思いもよらなかったユナは、ラミの言葉を聞き湯気が出るほど顔を真っ赤にして言った。


「べ、別に、シュ、シュナイト様のこと、す、す、す……」


 ユナはもじもじ身体を動かしながら、ちらちらとシュナイトを見る。これは先ほどのラミがアランフットにした行動と大差ない。

 だが知能を捨てた状態のラミの行動を今のラミが覚えているはずもない。「ユナちゃんは可愛いなぁ」と、ラミは達観した優しい目をユナに向けていた。


 ユナのその不思議な行動を見たシュナイトは優しく話しかける。


「どうしたの?大丈夫?」


「す、す、す!!」


 シュナイトの優しい声に包まれ愛情キャパシティーを越えてしまったユナ。


「きゅ~」


「きゃー!ユナちゃん!ユナちゃん!!」


 ユナは頬を紅潮させたまま頭から湯気を上げ意識を失う。自分の腕の中で気絶したユナの名前をラミは大声で呼ぶが反応はない。


「この子は昔から興奮するとすぐに倒れちゃうんだ」


「あらら」とすぐに駆け寄ったのはいとこのルーテ。心配そうな顔をしているが落ち着いている。こういうことはユナにとっては日常茶飯事なのだ(なのか?)。


「しばらく安静にしておけば大丈夫。授業には参加できるよ」


「そうか。よかった……ありがとうルーテ」


 自分が原因で倒れたことは明白で心配そうに見守っていたシュナイトだが、ルーテのその言葉を聞いて一安心。


「さてさて」


 こうなったおかげで、言葉は悪いが邪魔者はいなくなった。シュナイトにはこの場に来てからというものの、どうしても看過できないことがあった。

 ゆっくりとアランフットに近づいてゆく。


「一体どうして、何があったらそんなにシクルと仲良くなるのかな?」


 シクルと仲良さげに話しているアランフットに、シュナイトは不満げに問う。

 アランフットは口を開こうとしたが、それより早くその問いにはシクルが答えた。


「私はアランフットを対等な人間だと認めた。少なくともコレジオでは友として接することにもなった。ついでにもうラミ・ケニスにも、もう言い掛かりはつけまいよ」


「そう。それはどうも有り難き御言葉痛み入ります」


 シュナイトは唖然とした。

 知り合って間もないわけでもないが、あそこまで明確に敵対心を向けていた人物と友好的に接しているシクルは見たことがなかった。


「一体何があったと言うんだい?」


「まあいろいろとな。俺らはお互いに認め合ったんだ。仲良くいこうぜ」


「僕には教えてくれないのか……」


 シュナイトはアランフットの肩と胸の間を寂しそうに軽く押す。親友がいつの間にか別の人と親しげにしている。多少の嫉妬心が生まれてしまうのも当然なのかもしれない。だがアランフットは親友の感情などお構いなし。シュナイトの肩をバシバシと叩く。


「気にすんなって!」


 次の言葉を発しようとしたシュナイトだったが、それはレースの言葉でかき消された。


「時間だ!!集まれ!!」



 ○○○



「よし、全員いるな」


 レースは指差し確認で人数を数え、出欠状況を確認した。



「なんだあれ……」

「誰だろう」


「黙れ」


 レースの横には黒いコートで顔を隠している人物が三人並んでいるのだが、それに対する言及は無いまま授業は始まる。


「昨日の予告通り、本日は魔獣を倒す訓練をする。と言ってもそんな想像上のものをどうやって作り出し、倒すのか疑問に思うことだろう。そうだろう?ラミ」


 誘導尋問も甚だしいが、そこは優等生。指名されたラミはしっかりと答える。


「《魔法》で作られた怪物を倒す、ということでしょうか?」


「うむ、正解だ。お前は非常に聡明だな」


「ありがとうございます」


 レースは嬉しそうに頷いた後、一つ咳払いをして説明を続ける。


「さてと、ラミが言った通り、本日は我々教師陣が《魔法》で作り出した怪物を倒してもらう。ただこの訓練の目的は自分の魔法適性を発見することにある。だから怪物といっても凶暴なものではない。簡単に倒せるようになっている」


「先生ーそんなの退屈でーす」


 激しい戦闘を期待していたアランフットは腑抜けた授業内に不満を漏らす。しかしその軽口にはレースは厳しい目を向けた。不真面目な生徒は嫌いだ。


「アランフット、お前は何か勘違いしているようだが私はお前の友人ではない。気安く話しかけるな」


「ぐっ……教師の言う言葉じゃねぇ」


「確かにこいつの言うことは一理あるぞ」


 横からシクルも意見する。


「我々は例年に比べ実力の平均は高いはずだ。そう簡単な訓練であれば我々は満足できん」


 レースはアランフットとシクルを一瞥し、ふんっと鼻を鳴らした。


「何もお前たちを満足させるために授業をしているのではない。だが安心しろ。確かに例年より()()()()実力のあるお前たちには、少しだけ豪華な授業になっている。だから黙って聞いておけ」


 彼らと関わっているのは時間の無駄だと判断し、レースは授業の展開に意識を向ける。


「何故初めから《魔法》の訓練をせずに魔獣を倒すなんて実習をするのか。私の持論だが、《魔法》は実際に触れてみた方が感覚を掴みやすい。確証はない。だが、自信はある」


 レースは今まで教師として一生懸命知的な雰囲気を醸し出しているが、実際どちらかと言えば脳筋だ。知力より腕力。言葉で理解するより身体で理解するタイプの人間だった。


「私は《水魔法》の使い手だ。だからあと三つ属性が足りない。そこで今回の授業は特別にこの人たちの力を借りて行うことにする」


 じゃじゃーん、とレースが自分の横に並ぶ人物たちを手で示すと、コートを目深に着ていた三人はコートを一斉に空へと脱ぎ捨てた。


 陽の本に露わとなった三人の内、一人の顔を見た生徒たちは驚きを声を上げる。


「「「「「エッダさん!?」」」」」


 目の前には、かの有名な四眷属のエッダ・ディライトが爽やかな笑みを浮かべて立っていた。まさか入学二日目の授業でいきなり四眷属に授業をしてもらえるとは思ってもいなかったのだろう。子供たちには嬉し恐ろしといった反応が広がった。


「お前は人気者で良いよな」


「いやいや、期待が重くて困りますよ」


 仲間から小突かれ、エッダは苦笑いを浮かべる。


「エッダはこの国随一の《雷魔法》の使い手だ。他にも他属性屈指の使い手を呼んでいる。忙しい中お前たちの相手をしてくれるのだ。シクル、代表で挨拶しろ」


 指名されたシクルは堂々とした態度で前に出て一礼する。


「本日は上級国民、高級貴族たる私のために足を運び、私の修行の手助けをするとのこと、大変ご苦労である。貴殿らには特別にわたしかごふっ……」


「大変失礼しました」


 シクルの言葉に不穏な雰囲気を感じ取った二人は即座に動いた。ウマートの強烈な肘打ちが脇腹に決まり、シクルは地面にうずくまり呻き声を漏らす。ルーテがすかさず謝りシクルを引きずって元の場所に戻すことでその場を収めたのだ。長年行動を共にするからこそできる流れるような連携プレー。


「ははは、よろしくね~」


 エッダは機嫌を損ねた様子は一切なく、笑顔で手をひらひらと振っている。


 そもそもコレジオという機関から一歩外に出れば身分が一番高いのはシクルで間違いない。その他シュナイト、ルーテ、ユナは少なくともこの場に居るどの大人よりも身分は高い。

 そのため大人たちからすれば、特にレース以外の外部の人間からすれば、貴族がいくら自分たちに不遜な態度を取ろうとも怒りなどという感情は生まれない。今のシクルの発言にも何ら問題はないのだが、子供は純粋だ。たとえ一日限定であろうと先生となる大人に失礼はできない。そんな思いで生まれた出来事だった。



「はあ……もう良い」


 レースは顔に手を当て、諦めのため息をつき、話を戻す。


「この訓練では我々が作り出した各属性の魔獣を倒してもらう。だが、ただ倒すだけでは少々つまらないだろう。だからこの訓練では得点制度を設ける。《火魔法》の魔獣は一点、《水魔法》の魔獣は三点、《土魔法》の魔獣は五点、《雷魔法》の魔獣は十点だ。これらの魔獣を倒した総合得点で各班に順位をつける。一位になった班には特別にエッダと握手をする権利を与えよう」


 突如指名されたエッダは驚きの目をレースに向けるが、生徒の目の色が分かったのを見てすぐに笑顔で頷いた。


「四人一組を作れ。一組だけ三人になるがそこは適当にやれ」


 レースの指示に従い、アランフットはラミとシュナイト、そして今やっと目を覚ましたユナと組む。シクルは当然ルーテとウマートに声をかけた。他の生徒たちも思い思いの班を組み始める。


「勝負だなシクル!!」


「私が負けるなどありえん」


 いつの間にか息を吹き返したシクルを挑発するアランフット。決闘を終え、互いに好敵手と認め合った。何事においても、それが勝負であるのなら負けるわけにはいかない。


「準備はできたな!もうすでに魔獣は山に放ってある。いいか!お前ら。しっかりと頭を使うんだぞ!」


 やる気に満ちた子供達の瞳を見てレースはふっと笑った。何事にも競争心剥き出しだった若かりし頃を思い出したのかもしれない。


「それでは……訓練開始!!」



 ○○○



 レースの掛け声と同時に生徒たちは一斉に走り出す。なるべく早く山に入り、より多くの魔獣を倒そうと必死だった。

 甲高い歓声を上げながら駆けていく子供たちを見て、エッダを含めたおっさん三人はしみじみと息を漏らす。


「やっぱ若いっていいなあ。【制限(リミッター)解除(リリース)】もしないで簡単に山を登っちゃうんだからなあ。大人になるって残酷だなあ」


「守護山」は「王都」を囲む十二の山。高さ百メートル弱のかなり低い山とはいえ、山は山。それを無邪気に駆け回るというのは、常に激務に追われている大人たちには考えられないことだった。


「それで、君たちは何をやっているのかな?」


 他の生徒たちの動きとは裏腹に、アランフットたち四人は開始地点に立ち止まったままだった。


「先に作戦を考えます」


 エッダの質問にはシュナイトが答える。


「そうかい、それは素晴らしいことだ。……じゃあ僕たちは安全点検に向かいましょう」


 エッダは感心して頷くと、レース等を連れ山を登って行った。自ら放った《魔法》に危険性は無いが、転倒などの怪我は考えられる。

 生徒たちの安全確保は大人の最優先事項と言っても過言ではない。四人は素早い動きで各々の配置へと散って行く。


 その背中を見送ったアランフットは口を尖らせてシュナイトに問う。


「作戦ってなにを考えるんだよ」


 アランフットは他生徒同様早く飛び出したくてうずうずしていた。加えてシクルとの勝負も掛かっている。こんな場所でじっとしている場合ではないのだ。

 だがシュナイトは優しく窘めた。


「先生が言ってたでしょ?頭を使えって」


「言ってたけど……」


「点数配分が不自然だと思わないか?」


「あっ!私も思った。《雷魔法》の配点が高すぎるって」


 ラミがすかさず同意する。そしてユナも何かに気がつき発言しようとする。


「あ、あの……」


「大丈夫。言ってごらん」


「え、えっと……て、点数が高い方が、む、難しいんじゃないかな?」


 シュナイトは「そうだね」と頷き、この訓練に対する見解を述べる。


「僕もそうだと思う。なにせ《雷魔法》を使うのがエッダさんだからね。いくら簡単に倒せると言っても、そう容易に倒せるものではないだろう」


「じゃあどうすんだよ」


 アランフットは口を尖らせたままだ。


「二つ作戦がある。一つ目は《火魔法》《水魔法》の魔獣を倒す組と《土魔法》《雷魔法》の魔獣を倒す組の二手に分ける方法。二つ目は前半は《火魔法》と《水魔法》の怪物を倒すことに専念して点数を稼いで、余裕が出てきた後半はより強い方を倒す方法」


「どっちがいいかな?」とシュナイトは他の三人の顔を見渡した。


「私は後者の方がいいと思うわ」


「わ、私も……」


「うん」


 ラミとユナの了承は取れた。あとはアランフットのみ。

 だが、アランフットはまだ渋っている。

 一番強いと言われれば、それを倒しに行きたくなるのが男の性。


 最後の一押しが必要だとシュナイトは判断した。


「取り敢えず一旦あれに触れてみよう」


 シュナイトは山を少し登ったところにいる《火魔法》の魔獣を指さした。魔獣と言っても凶暴で身の危険を感じるような獣型ではない。手のひらサイズの火の玉に手足が生えたような可愛いものだった。


 魔獣よりも恐ろしいのは獲物に飢えた野獣。アランフットはシュナイトが指さしたそれを見つけた瞬間に飛び出した。ぶわっ、と砂埃が舞い上がり三人に降りかかる。


「きゃっ……」


 ユナは砂埃から顔を隠し、珍しく不満を口にする。


「わ、私……あの人嫌です」


 比較的穏やかで静かに過ごしているユナとは対照的に、アランフットは、特にコレジオに入ってからのアランフットは一挙手一投足が大きい。


 それは単にアランフットは仲が良い友人と毎日会えるのが嬉しいからだ。シュナイトとラミとは昔から仲が良いが、それは毎日一緒に過ごしていたということではない。立場の違いもあり、シュナイトとラミはアランフットより格段に忙しい日々を過ごしていた。

 そんな彼らに無条件でほぼ毎日会えるというのだからアランフットのテンションが上がってしまうのも無理もない。


 だから一挙一動がうるさい。だが、そんな子供らしく可愛らしい理由は同年代には通用しない。アランフットはユナに嫌われた。ただそれだけ。


 そんなことにはお構いなし、気遣いなし、自覚なしのアランフットは対象に向かいながら叫ぶ。


「シュナ!これは俺が倒すぞ!!」


「いいよ~。一思いにやっちゃって」


 力強く握られたアランフットの拳が《火魔法》の魔獣に迫る。


「うおりゃあぁ!!」


 ぽしゅ……


「あ、あれ?」


 アランフットの全力の拳は空を切った――と錯覚するほど呆気なく《火魔法》の魔獣はその姿を消した。シュナイトは満足顔。ラミは惚れ顔。ユナは呆れ顔。


「え、ら、ラミちゃんもしかして……」


 横で一人様子がおかしいラミを見てユナは何かに気がついたが、その言葉が最後まで紡がれることはない。シュナイトが大きく拍手をしながら戻って来るアランフットを出迎えたのだ。


「いやー素晴らしかったよ、アラン。僕の予想は正しかった。やはり得点の低い魔獣は相当簡単に倒せるらしいね」


「でもでも俺が強すぎたって可能性も残ってるだろ?ユナとかにもやらせてみないと……」


 あまりの呆気なさに目をパチクリさせているアランフットは必死に反発した。あの程度の脆さの魔獣に声まで出して全力で殴りかかってしまった自分が少し恥ずかしい。

 それに自分が強すぎた可能性も否定しきれない。せめてユナでも試してみないと結論を出すには早いだろうというのがアランフットの主張だった。


 だが、聞き捨てならないアランフットの言葉を聞いたユナは、戻ってきたアランフットにさっと近づき、静かな声で耳打ちする。


「……私の名前を気安く呼ばないでもらえます?私はシュナイト様だけのものなので。それに私……あなたより強いですから」


「えっ……」


 恐ろしく冷たい声で囁かれる。真冬の風が耳に吹き付けたかのようだ。

 予想だにもしなかったユナの言葉を聞き、アランフットの顔からは一気に血の気が引く。


「わ、私は、こ、怖いので、倒すなんてできません……」


「アラン!ユナちゃんにひどいこと言っちゃだめだよ」


「え、ええ……」


 困惑が隠せない。いつもの弱気なユナと、今耳打ちをしてきた冷たいユナはまるで別人だった。アランフットは触れてはいけないものに触れてしまったのだ。

 取り繕った話し方と意中の人間に対する異常な愛。女性の怖い部分、ユナの狂気を見てしまった。もう深く関わらないようにしよう。アランフットは心の中で固く誓ったのだった。


「残念ながらアランの主張は間違っている。魔獣はアランの拳が当たって消えたんじゃなくて、正確には拳が迫る風圧で消えたんだ」


「わ、私見たよ」


「私も」


 多勢に無勢。アランフットの主張は聞き入れられることなく撤回される。


「ほらね。よし!じゃあ作戦はこうしよう。とりあえずみんなで《火魔法》と《水魔法》、そしてできれば《土魔法》の魔獣をたくさん倒す。その後に《雷魔法》の魔獣を倒そう。前半にどのくらい弱い魔獣を倒せるかが肝心だから全員頼んだよ」


 三人に異論はない。ユナは最初からシュナに全服従。ラミは自分と同じ答えに大満足。アランフットは多少の不満はあるが、結局暴れられるのなら何でも良い。


「じゃあ行こうか!」


 四人はいよいよ山に向かって駆け出した。



 ○○○



 コレジオ生徒たちは初めて触れる《魔法》に心を躍らせながら魔獣討伐に興じていた。それはシクルたち一行も例外ではない。


「ウマート!そっちに一体行ったぞ!」


「……了解」


「ルーテ!大丈夫か?」


「ちょっと転んだだけだよ~」


 シクル、ルーテ、ウマートの三人は順調に魔獣の討伐数を重ねていた。《火魔法》《水魔法》の魔獣を重点的に倒すという基本的な方針はアランフットたちと同じだった。


「《雷魔法》の魔獣にてこずってしまったな。他の班にかなり点差をつけられてしまっているはずだ。この調子でたくさん倒さなければな」


「シクル君今日は凄くやる気だねえ。どうしたの?」


「シュナイトやアランフットに負けるわけにはいかないだろ」


「お友達増えてよかたねえ」


「しっ」


 ウマートはほのぼのとした会話にはそぐわない緊張感のある声を出し、唇に人差し指を当てて二人の会話を制止した。ただでさえ鋭いウマートの目つきはより一層研ぎ澄まされ、視線は頂上へ向かっていた。


「……気配を……感じる。凄く嫌な感じだ……」


「確かに何かあるな……。あれを倒せば得点を挽回できるかもしれん。行くぞお前ら!」


「え~少し休憩しようよ~」


 シクルが真っ先に駆け出し、ルーテも重たい身体を揺らしながら一生懸命シクルについて行く。だがウマートだけは厳しい目を頂上に向けているままだった。


「あれは本当に先生が用意した魔獣なのか……」



 ○○○



 多くの生徒が談笑しながら楽しく授業に参加している中、アランフットたち四人は黙々と魔獣を倒し回っていた。


 アランフットは本気だった。

 この試験で一位になれば、下落というレッテルがみんなの意識から剥がれるかもしれない。無理にでも無くしたいわけではないが、どうせならこの機会にあっと言わせ、アランフットという男の存在を見せつけてやりたかった。


 シュナイトは負けん気でいっぱいだった。

 恥ずかしくて直接本人には言わないが、シュナイトはアランフットのことを心底尊敬していた。常に周りから蔑まれていても自分を失わずいつも明るい。今回の授業で活躍を見せることで、そんなアランフットに認めてもらいたかった。シクルのような関係に自分もなりたいのだ。


 ラミは元気だった。

 身体を動かすことは五本の指に入るくらい好きなことだ。同じく五本の指に入っているアランフットが一緒となれば尚更楽しい。少しでもアランフットの気を引くため全力で魔獣を倒していた。


 ただ一人、ユナは空気だった。

 正直驚いていた。アランフットに先ほど脅し文句を吐いたばかりだったが、明らかにアランフットの方が体力も身のこなしも上手だった。他の二人の身のこなしも自分の遥か上。三人に着いて行くので精一杯だった。


 大量の魔獣を掻き消していき、そろそろ折り返しかとシュナイトが声をかけようとした時、丁度授業折り返しを伝える笛がこだました。


「よし、一回集まろう」


 シュナイトの声で三人は魔獣を倒す手を止めた。


「そろそろ雷に行くのか?」


 今のレベルの魔獣に飽き始めていたアランフットは期待の籠った目でシュナイトを見た。《火魔法》《水魔法》の魔獣はコツさえ掴んでしまえば簡単に倒せてしまう。手ごたえがまるで無い。


「そうだね。一度《雷魔法》の魔獣がどれほどの強さか確かめてみてもいいだろう」


 シュナイトは汗を拭いつつ頷き、アランフットに同意した。


「ユナちゃん大丈夫?」


 ラミは肩で息をするユナに声をかける。


「う、うん、あ、ありがとう、ラミちゃん。ご、ごめんね、な、何もできなくて」


「そんなことないよ。あの男子二人がおかしいだけだから。私も全然倒せてないよ……」


 肩をすくめながらにっこり微笑んだラミの言葉を聞き、ユナはほっと胸を撫で下ろす。使い物にならないなどと言われたら心に一生治らない傷を負っていたところだ。


「少し休憩しようか」


 シュナイトの提案にユナは激しく首を振る。自分が足手まといになりシュナイトに迷惑をかけることだけは避けたかった。


「わ、私なら、だ、大丈夫……です」


「だめだよユナ、休憩はしっかり取らなきゃ。アランもそれでいいよね?」


 シュナイトはいつの間にか木に登っているアランフットを見上げて言った。


「いいぞー。それよりシュナ!ちょっとこっちに来てくれ!」


 アランフットはシュナイトの方を見ずに言った。何を見つけたのか、山の頂上をじっと見ながら手で「木の上まで来い」とシュナイトを招いた。


「僕も木を登るの?」


「そうだよ。早く来て」


「……仕方ないな」


 シュナイトはしぶしぶ木に手をかけた。木に登るなど久方ぶりだ。転落しはしないだろうかと一抹の不安を抱えながらもシュナイトはアランフットがいる場所まで登っていく。


 ユナはその隙を狙ってラミに話しかける。


「シュナイト様はアランフットと仲がいいんだね」


 その話し方はあまりにも普通だった。通常のおどおどした態度は姿を消し、ユナが普通に話しかけてきたことにラミは驚きを隠せなかった。


「えっ、ユナちゃん話し方が……」


「うん。シュナイト様の前とか大勢の前だと緊張しちゃってうまく話せなくなるの。でも二人きりならちゃんと話せるよ」


「そうなんだ……」


 たしかに驚いたラミだったが、そういうものだと理解してしまえばそれ以上は気にしない。すぐに話を戻す。


「私たち三人はね、まあ幼馴染みたいなものなの。私の家系はシュナの家に仕えているから、私とシュナは本当に生まれた時からいつも一緒だし……」


「う、生まれた時から。いつもっていうのはどういう……」


「私のお父さんが執事でお母さんがメイドなの。だから私もメイドやってて……」


「羨ましい!!」


 ユナは自分にとって夢のような環境が存在することを知り感情を昂らせた。輝く目を向けラミの両手を取る。無理なことは分かっているが、無理なことをお願いしてみたい。そんな意思が籠った目だった。若干引き気味のラミ。


「アランはえーと……何でだっけ?忘れちゃったけど仲良くなった。たしかシュナのお父さんが五歳ぐらいの時に連れてきたんだったと思うけど……」


「うん、まあアランフットはどうでもいいや。……それより気になっていたんだけどその呼び方は何?」


「呼び方?」


 何のことだかわからないラミは首をかしげた。


「シュナイト様とかアランフットの、シュナとかアランって呼び方」


「ああ!あれね。あれはアランが呼び出したの。周りの人には変な顔されたけど、仲良い感じがして良くない?」


「変だよ……最初何を言っているのかわからなかったもん」


 少し不満げに口を尖らせるユナを見たラミは頭を撫でて宥めていた。


 そんな会話が地上で繰り広げられている時、やっとのことで木の上まで登ったシュナイトは下を見ながらアランフットに声をかけた。


「あの二人、仲良くなったね」


「コレジオに女子は二人だから、そこで仲間になっとかないと後々面倒くさいんだろ」


「そんな冷静な分析しなくても……」


 思いの外冷静な分析を述べるアランフットにシュナイトは呆れ顔を向ける。


「で、何の用だい?」


 わざわざ木に登ってまで話さなくてはいけないこととは何か。シュナイトは気になって仕方がない。


「少し耳を澄まして意識を山の頂上にやってみてよ」


「……どうして?」


「変な音とか、気配がしないか?」


 アランフットの言葉に従い、シュナイトはアランフットと同様に目を閉じ耳に集中し意識を頂上へ向ける。


「……確かに……確かに何か聞こえる!これは一体何だろうか……」


「何があると思う?」


「魔獣がたくさんいるとかかな?先生たちが特別に点数の高い魔獣を隠して潜ませている可能性は考えられる。そこに生徒が集まているとか?」


「やっぱそう思うよな!」


 アランフットは嬉しそうに首を縦に振る。


「なあシュナ」


「まさか……」


 アランフットはこの上なく悪い顔を、良く言えば果てしなく無邪気な顔をして笑った。


「行ってみようぜ!」


「はあ……行くしかないよね」


 シュナイトは間髪入れずに了承した。昔からアランフットが好奇心旺盛なことは知っている。山頂の気配に相当な興味が湧いてしまうことも想定の範囲内だった。シュナイトですら何があるのか、かなり気になる。シュナイトは下を向いて眼下にいるラミとユナに声をかける。


「そろそろ移動しようか!」


「そうね!ユナちゃん行ける?」


「う、うん」


 よっとアランフットとシュナイトは木の上から飛び降りる。そして女子二人に先ほど確認した山頂の不思議な気配について説明した。これを好機と捉えた二人も山頂に行くことには賛同した。


「それじゃあ出発しよう」


 四人は頂上に向けて一斉に駆けだした。


「頼んだぞ、プルート」


 そして木の陰から彼らを見ていた謎の人物もまた、アランフットたちを追いかけ頂上へと向かって行くのだった。



 ○○○



「君たちはさ?アランフットの事を知らないって言うのかい?」


 一早く異様な気配に気が付き頂上に向かったシクルたち一行。

 そこには一人の少年がいた。

 ただそこに会話の余地などは無く、目があった瞬間にその少年が発動する《土魔法》にシクルたち三人は襲われていた。


 少年の緩やかな口調とは裏腹に、凄まじい音を上げながら鞭状にしなる《土魔法》は地面を抉っていく。

 三人は辛うじてかわし続けるのが精一杯。逃げ出す隙などなかった。


「本当にアランフットの事知らないの?」


 少年はアランフットの情報を求めていた。


「シクル君、もう言っちゃおうよ~」


 冗談にならない弱音を吐いたルーテの頭をシクルは叩いた。


「お前は馬鹿か!あいつは絶対にこの国の人間じゃないんだぞ!!」


「その通りだよ?僕がこんな平和ボケした吐きだめのような国にいるわけないだろう?」


「そんな貴様に国民を売るわけないだろ!!私は貴族だ。国民を守るのは貴族の義務。異邦の者に同朋を渡すわけがなかろう!」


 強がるシクルだが、今のこの厳しい状況を打開できる策は何も思いついていない。後手に回るだけではいつしか限界が来る。

 そんなことを考えていると、案の定ウマートがシクルの思考に追い打ちをかけてきた。


「シクル……そろそろ体力が追いつかなくなる……」


 少年は一向に攻撃の手を緩める気配を見せない。したがって三人は攻撃をかわし続ける他ない。休む暇もなかった。体力の限界は思いの外すぐ近くまでやってきていた。


「ほらほら!元気なのは口だけか?足の動きが鈍くなってるのか?」


「う、うわぁ~」


 少年の《土魔法》によって作り出された土の鞭の一つが、ついにルーテの足を絡めとった。咄嗟のことに救出のために一歩も動くことが出来なかったシクルは名前を叫ぶことしかできなかった。


「ルーテ!!」


「た、助けてえ~」


「ははははは、一人確保かな?」


「貴様!!ルーテを離せ!!」


 シクルは怒りのあまり血走った眼を少年に向けるが、少年は怯む素振りなどなくヘラヘラと笑って返答する。


「アランフットの情報を教えてくれたら解放するよ?」


 少年は悪魔のような条件をシクルに突きつけた。アランフットとルーテを天秤にかけた時、どちらが重く傾くか、シクルには明確な答えがあった。だがそれは貴族として、ラワジフ家の貴族としては決してやっていけないことだった。


「シクル……ルーテを助けるためなら仕方ないんじゃないか?」


 ウマートの主張はもっともだった。一見残酷にも取れるこの意見は誰にも攻められまい。幼いころからの友人か、先日知り合ったばかりの人間か、どちらの命を選ぶかなど本来迷うべき選択ではないのかもしれない。


 しかしシクルは自らの存在に誇りを持ている。どうしようもないほど貴族だった。一度決めたことは貫き通す。それが子供ながらに身に着けたシクルの貴族としての覚悟だった。


「だが……貴族として覚悟を捨てるわけには……」


「プライドは守って、親友は見捨てるのか!」


「しかし!!」


「早く教えてくれないと殺しちゃうよ?」


 少年の言葉はシクルを焦らせる。


「た、助けてえ~シクル君~」


 ルーテの声はシクルの判断力を鈍らせる。


「ああ、くそっ!」


 細かいことを考えている時間はない。アランフットとルーテの選択に迷いの余地はなかった。肥大した自尊心か肥満体型な親友か、そのどちらを取るのかシクルは逡巡していた。


「3!……2!……1!」


 少年のカウントダウンが何を意味するのか、そんなことは考えなくともわかる。シクルはいよいよ覚悟を決めた。親友を助けるために貴族としての自尊心を捨て、アランフットの情報を伝えようと決めた。


「くそっ!私も結局人の子かっ!!」


 貴族として、その理想像に必死に縋り付いて生きて来たにも関わらず、親友を選ぶという非情になりきれない自分に、自嘲の笑みを浮かべながらシクルは口を開こうとした。


 その時――


「なにしてんだ!!」


 この場で最も聞きたくなかった声がシクルの耳に届く。或いはその声の主の登場を渇望した自分の幻聴かとすら思えた。


 だがアランフットはそこにいた。


 頂上に到着したアランフットたち四人がシクルとウマートに駆け寄る。四人は緊迫した今の状況に理解が追いついていない。


「一体……何が起きてる」


「よりにもよって貴様が来てしまうのか……」


「アラン、あれを見て」


 シュナイトは謎の少年の近くで囚われているルーテを指差した。


「捕まってるのか……」


「彼は……確実に悪い人だね。先生たちが関与しているとは思えない」


「おいお前!ルーテを返せ!!」


 シュナイトの判断を聞き、アランフットはその謎の少年に怒号を飛ばす。ルーテは初見の好感度第一位。そんな良い奴を傷つけるなど、アランフットが許せる範疇を優に超えている。


「またうるさいのが増えたね?君はアランフットについて知っているのかい?」


 その不自然な質問に首をかしげるアランフット。


「知ってるも何も、アランフットってのは……」


「待て!」


 シクルは慌ててアランフットが自ら名乗ってしまうことを防ごうとする。いままでの凶暴性から少年がアランフットに対して良い存在ではないことは明らかだった。ここはどうにかしてアランフットのことを誤魔化し、ルーテを穏便に救出するのが最善だ。


「なんだよ?」


「あいつはお前に何かしらの悪意を持っている。自分を偽るんだ。あいつに関わるな」


 シクルはしっかりと忠告した。

 だがその忠告を聞いて尚、アランフットは止まらなかった。


「俺がアランフット・クローネだ!!」


 シクルが自身が貴族であるということに誇りを持っているのならば、アランフットは自分自身がアランフットであるということに誇りを持っていた。

 ほぼ全ての人間から否定される自分を、自分だけは否定したくない。だから自分を偽るなどということはしない。


「そうかそうか。くひひ……」


 ぴしっと空気が一気に凍りつく。

 新たな命が芽吹く春とは思えない、生命が死する冬がやってきたかと錯覚するほどの寒気がその場に居た全員を襲った。


 それは少年が発する殺気。殺気など感じたことがあるはずもない少年少女が感じるほどの殺気。少年の残酷な笑みを見ただけで、彼らの頭には殺されるイメージが湧いてしまう。


「君がアランフットなんだね?」


「ああ!だったらなんだってんだ!」


「じゃあもうこのデブはいらないね?」


「うわぁ~」


 人質として必要なくなったルーテは少年に蹴飛ばされシルクの元へ戻ってくる。


「大丈夫か!!」


 シクルはルーテの上半身を抱き上げ容態を看た。蹴られた衝撃で意識は失っていたが、命に別状はなさそうだった。


「シクルとウマートはルーテを連れて山を降りろ」


 アランフットは少年から目を離さずに言った。その言葉を聞いたシクルは、はっと顔を上げアランフットの顔を後ろから見る。アランフットは覚悟の決まった、少年の顔には似合わない精悍な顔をしていた。


「だが……」


「お前たちにはもうあいつの攻撃から逃げ切れるほどの体力はないんだろ?運良くあいつは俺に用があるみたいだ。俺が囮になるからお前たちは山を降りろ」


「しかし……」


 尚も食い下がるシクルにシュナイトが続けて言い放つ。


「アランの言う通り君たちは降りてくれ。ルーテの治療も必要だし、早く先生を呼んで来てほしい」


 シュナイトの主張はもっともだった。この事態を一刻も早く先生に伝えなくてはならない。不審者の出現など子供だけの力でどうにかできる問題ではない。シクルたちがこの場に居座って足手纏いになるよりかは、迅速に先生の救援を求める方が賢明な判断だ。それを理解したシクルは頷いた。


「わかった。言う通りにしよう」


「ユナも一緒に降りた方が良い」


「わ、わ、わ……」


 ユナは少年の殺気に障られ、上手く言葉を発することができなくなってしまっていた。そんな状態をシュナイトは瞬時に理解していた。


「大丈夫。ここは僕たちが時間を稼ぐ。シクル、ユナも一緒にお願い」


「わかった」


 そこでアランフットはもう一人の女の子に声をかける。


「ラミは降りなくて良いのか?」


「水臭いこと言わないでよ。私たちは親友でしょ?」


「……まあ、そう言うよな」


 段取りが決まったところでアランフットはもう一度少年に声をかけた。


「ということで少年、後ろの四人は見逃してくれよ」


「かまわないよ?僕が興味あるのはアランフットだけだからね?今ならそこの二人も見逃すよ?」


 アランフットとシュナイトはその言葉を聞き、後ろの人たちに下山を促す。


「そういうことだ、早く行け」


「頼む」


「わかった」


 シクルはルーテを背負う。そして意を決した顔で下山を始めるが、下り道を行きかけてもう一度振り返る。


「アランフット!」


 声をかけられたアランフットは面倒くさそうに応える。


「何だよ。早く先生を呼んでこいよ」


「貴様を最初に倒すのは私だからな。そんな奴に負けるなよ」


 シクルの不器用な激励を受けアランフットは笑みを浮かべた。


「負けねーよ」


 その返答を聞きシルクは力強く頷いた。そして歩ける二人を連れて下方へと駆けて行った。


「お待たせしたな少年」


 アランフットはビシッと指をさす。


「ところでお前は誰だ?」


 アランフットへ明らかな悪意を持つ、全く素性のしれない少年。アランフットは「俺への嫌悪もここまで来たか」と自嘲気味に笑う。


「僕の名前はプルートだよ?歳はまだ九歳かな?」


「まじか。本当に年下だったんだ。舐められないように少年って呼んでただけなのに」


「僕の目的は一つ。アランフット、君を殺すこと……だよね?」


「いや、知らん」


 唐突に殺害予告をするプルート。

 なんとなく予想はできていたことだが、実際に口に出されると事態の緊迫感が増す。シュナイトとラミは生唾を飲み込む。


 対して予告の対象であるアランフットは静かにプルートを睨んでいた。アランフットには心当たりがあった。今まで自分が「下落民」として扱われてきたその原因が、プルートが自分の命を狙う理由だろうと。

 今思えば国王が自分を殺さなかったこと自体が幸運なのではないかという気さえしてきた。いつか必ず来る運命だったものが、今来ただけの話かもしれない。


 陽は既に空の頂上に届こうとしている。ということはこの訓練もじきに終わる。

 プルートが本当にアランフットのことを殺そうとしているのならば、訓練が終わるまで死ぬ気で逃げきれば先生が異変に気がついて助けに来るはず。

 アランフットは改めて少年に立ち向かう覚悟を決めた。


「どうするんだ、アラン。はっきり言って彼は危険人物だ。何をしてくるかわからないぞ」


「とにかく先生が来るまで時間を稼ぐしかないだろ」


 三人は体勢を低くし、いつでもプルートの攻撃をかわせるような姿勢を作った。


「……ところでアランフット、横にいる二人は誰だ?」


 今気がついたと言わんばかりのとぼけた声でプルートが問う。先程まで認識していたはずなのにすっかり記憶から抜け落ちている。


「俺の親友だ」


「親友?……よくわからないけど、僕がアランフットを殺すのを邪魔したりはしないよね?」


「もちろんするさ。親友を見殺しにするわけないじゃないか」


「ええ、その通りね」


「はあぁ??」


 シュナイトはすかさず反応し、ラミも当たり前だと同調する。その返答を聞いたプルートは顔を顰めた。

 やっと獲物を見つけたにも関わらずとんだ邪魔が入った。面倒臭いにも程がある。


「君たちは面倒くさいよ?はあ……まずは君たちを殺すしかないよ?」


 プルートはさぞ面倒くさそうに無造作に頭を掻きむしった。彼の二人を見る目はまさに害虫を見つけてしまった時のそれだ。


「《土魔法:土塊之(どかいの)(むち)》」


 プルートは五指を足元の地面につけた。その五本の指から力が伝わり地面が蠢き出す。


「な、何が起きるんだ?」


「ん?君たちも本気の《魔法》も見るのは初めてかい?この国の子供たちはどうも成長が遅いね?《魔法》だけは子供でも扱えるっていうのにね?」


 ボコボコと地面が隆起し、次第に触手のように地面が伸び始める。その影は三人を飲み込むように伸びる。


「おいおいおい。これはやばいだろ……」


 そして遂には地面に直結したままの五本のしなる鞭が出来上がった。先程ルーテを捕らえていたものより一回り大きい。


「お前、その《魔法》でルーテを……」


「彼らはなかなかうまく逃げた方だと思うよ?君たちはうまくできるかな?」


 五本の内一本の鞭は地面から離れ真っ直ぐアランフットに飛んでくる。


「くそっ!!」


 一瞬反応が遅れたアランフットはかわすこともできず、成す術なくその鞭に身体を縛り上げられてしまう。

 その強固な縛りはアランフットの一切の身動きを封じる。抵抗はできず、その場に座り込む他ない。


 アランフットは何もできない悔しさに歯を食いしばり状況を見た。残りの鞭は二本ずつラミとシュナイトに襲い掛かっていた。


「ラミ、シュナ、かわせーー!」


 アランフットは大きな声を出して激励する。

 二人だけにプルートの処理を任せてしまって心底申し訳ない。せめて応援することで役に立とうと思ったのだ。


「す、すげェ」


 だがすぐにそんな応援など必要なかったのだと悟った。

 貴族であるユナを驚かせたアランフットの身体能力。それに迫る勢いで動いていたのは誰だったか。シュナイトだ。

 そんな二人についていく過程で楽しそうに笑っていたのは誰だったか。ラミだ。


 二人は華麗な身のこなしで二本の鞭をかわし続ける。


「はっ!!」

「えいっ!」


 時折苦しそうな顔を覗かせるが、避けることだけに専念すれば良いのであれば難は無さそうだった。


 対してプルートは悔しそうな表情を浮かべている。今は遊んでいるわけじゃない。殺すと宣言して攻撃を始めた。いくら弱い《魔法》で攻めているとはいえ、無防備な子供に簡単に避け続けられる程弱い《魔法》ではない。プルートの顔は青ざめ、額には汗が滲んでいた。


「……なかなか良い動きかな?僕は……さっきの子たちの様に……遊んでいる……わけじゃ……ない……んだよね?」


 常に疑問形で会話するプルート。

 彼は自分の存在の正当性を理解することができなくなる時がある。幾重にも魂が分裂しているが故に精神が極度に擦り減っているのだ。

 何かがうまくいかない時、彼の精神は一瞬で崩壊する。


「僕は子供二人を殺そうとしているんだよね?この《魔法》じゃあ弱いってことかな?もう面倒くさいよね?いいよね?意地張らなくていいよね?こんな奴らに手加減してやる意味なんてないよね?早くこんな奴ら殺して、アランフットを殺して、メルクリウスに報告すればいいんだよね?あれ?誰を殺せばいいんだっけ?邪魔な子供を二人殺すよね?そうしたらアランフットを殺すんだよね?全部で何人だ?二人殺して一人殺すよね?三人殺せばいいのかな?目の前にいるのは何人だっけ?三人だよね?三人殺せばよくて目の前にいるのは三人だよね?僕が三人殺したら目の前に残るのは何人だ?三人いて三人殺したら誰もいなくなるよね?みんな死ぬってことかな?みんな死ぬってことだよね?皆殺し?皆殺しってことになる?皆殺しだよね?」


 頭を抱え地面に座り込み、ぶつぶつと独り言を話し始めた。苦戦を強いられたプルートの人格はここで豹変する。 プルートの紫色の瞳は不気味な光を放った。


「……みな……みな……皆殺しだ!!あはは!あはははははははは!!そうだ!みんなぶち殺せばいいんだろ!メルクリウスは確かに殺せって言ったよな!殺すんだよ!あの女もあの男もアランフットとかいう男も!!みんなぶち殺せばいいんだよ!いちいちメルクリウスに報告なんてしないで直接ユピテル様に報告すればいいんだよ!俺が最強なんだ!何も知らない連中は俺をガキだと言って馬鹿にするけど!お前らより年上だからな!全員俺より年下だからな!馬鹿な奴らにはしっかり格の違いってものを見せてやらなきゃな!メルクリウスもディアナもユノも!馬鹿どもは俺の話を信じられない!今ここでガキどもをぶち殺して馬鹿どもに教えてやらなきゃな!僕が最強なんだ!そのための皆殺しだ!!全員ぶっ殺してやるよ!」


 涎を垂らしながら喚き散らす姿からは恐怖以外の感情を受け取れない程に、プルートは常軌を逸していた。



 ○○○



「ここから先には何もないから上には行かないでね」


 山の中腹より少し上に登ったあたりの頂上に繋がる道でエッダは生徒たちを誘導していた。


「ほらほら、ここから先は何もないよ。どうしてみんなこんなに集まるんだい?」


「だってほら……」


 一人の生徒が頂上へ続く道のさらに奥を指差した。


「シクル君たちが降りて来てるよ」


「えっ……」


 エッダが振り返ると確かにシクルとウマート、ユナ、そしてシクルに担がれたルーテが鬼気迫る形相で駆け下りて来ているところだった。四人とも貴族との関係者でエッダもよく見ている顔だ。間違いはない。エッダは瞬時に良くない状況を悟った。


「話しは僕が聞くから君たちは安全な場所で訓練しなさい」


「はあ~い」と生徒たちは気の抜けた返事をする。そして何度かシクルたちに心配そうな視線を送りながらも山を下って行った。


「エッダ!」


 シクルはコレジオという環境を忘れ、まさしく鬼の形相でエッダの服を掴んだ。


「大変なんだ!!」


 四人の子供たちは今にも泣きだしそうだった。エッダは取り敢えず落ち着けるように肩を触った。冷静にならなくては完璧な状況判断などできない。


「落ち着いて話してください。上で何があったのですか?」


「この国の者ではない者にアランフットたちが襲われている」


「本当に外国人ですか?」


 他国の人間がジンヤパ王国に、まして「北宮」に侵入できることなどまずない。見間違えの可能性が高い。となれば襲われているというのも間違いの可能性が高まる。


「ラワジフ家の名に誓う。奴は少なくとも「北宮」の者ではない。それに十歳近くの年齢であの様に《魔法》が使えるのは確実にこの国の者ではない」


 エッダはため息をつく。貴族の名に誓われてしまえば疑う余地はない。


「……わかりました。頂上には僕が行きます。君たちは早く降りてレースにルーテ様の手当てをしてもらってください」


「わかった。早く行ってくれ。三人は殺されてしまうかもしれない」


「承知しました」


 エッダは頷くと、すぐに砂煙を上げて姿を消した。エッダは国内で随一の《雷魔法》の使い手にして瞬身の使い手でもある。その速さから国王の伝令役としても重宝されているという。エッダが高速で向かったのなら事態の収束も時間の問題だ。


「私たちも早く降りよう」


「う、うん」


 シクルたちは四眷属に助けを求められたことに安心しつつも、ルーテの治療のため急いで残りの山を下って行った。

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