第3話②:アランフットVSシクル
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レースによる長い解説も終わり、教室に残る生徒たちの数はすぐに疎らになっていった。
なぜか初めから知り合いがいる者が複数人固まって話し込むだけで、知人がいない大多数はすごすごと教室から退散する。学校の初日などそんなものだろう。
もちろんコレジオが始まる前から仲の良いこの三人はイレギュラー側だ。
「ねえねえ、明日の魔獣と戦うってどういうことかしら」
ラミがアランフットとシュナイトの席に近づく。主題は明日の授業内容。
魔獣と戦う、そんなことを聞かされて胸を躍らせないことができるだろうか。
「魔獣って言やぁ青龍とか白虎とかいうやつか?」
「違うよアラン。それは神様だよ。魔獣っていうのは、よくわからないけど、存在しないはずだから先生が《魔法》で造ったりするんじゃないかな」
「神様と魔獣を一緒にするなんて、あんた罰当たりにもほどがあるわよ」
「だって俺神様なんて見たことねーもん!ほんとにいんのか?」
「うーん……昔はいたらしいけど、今はどうなんだろうね」
三人の間には楽しい時間が流れていた。
シュナイトとラミはアランフットとは違い暇ではない。帰宅すればやらねばならないことは決まっている。だからその時間ぎりぎりまではコレジオに残り、少しでもアランフットと一緒にいようとする。
理由は簡単。この後、アランフットがアルミネ家に通う機会が極端に減るからだ。
下落民のアランフットが「北宮」に入りアルミネ家に入るのは学習面のサポートという名目だった。コレジオに通い始めればそれが必要なくなる。アランフットがアルミネ家に通う口実がなくなってしまう。
だからシュナイトとラミは少しでも長い時間一緒にいようとするのだ。
「いやぁ、まさかシュナの【制限】の位置も手の甲じゃないとは……」
話は変わり【制限】の話題へと移った。
アランフットはシュナイトの身体をジロジロと舐め回すように観察する。自分以外に位置ズレの人間がいるとは思ってもいなかった。
「逆に今までよく気づかなかったね」
「大人は【制限】を隠せる人多いじゃん?だからシュナイトもそういう感じかと……」
「それは熟練者になればの話だよ。僕は初心者もいいところさ。ラミにはすぐに位置ズレを気づかれてしまったし」
「知っていたなら教えろよ!」という感情を瞳に装填し、アランフットはラミを睨む。
自分の【制限】が額の紋様であると発覚した一時期、アルミネ家のありとあらゆる人にそのことを自慢していたのが今更ながら恥ずかしい。
「だってだって、私のは右十二角だから、一応序列的には一番な訳じゃん?ってことはシュナに負けることはないじゃん?あっても引き分けだと思うじゃん?だから勝ち誇ってみようと思って聞いてみたらさ、まさかせ……」
「ラミ!!それ以上は言っちゃだめだよ」
「ご……ごめんなさい」
ラミが口を滑らせそうになっていることを察知したシュナイトは咄嗟にラミの口を手で押さえた。
ラミは親友であり主人でもあるシュナイトに叱られ目を落す。約束事を守れず話の勢いで秘密を話してしまいそうになったことをすぐに後悔した。
アランフットは話の佳境で前のめりになった身体の所在が分からず、宙に浮いた腰を不器用に降ろしてから不満げな声を漏らした。
「なぁ……気になるじゃん!俺はおでこにあるって言ったんだからシュナも教えてよ!」
「授業で【制限解除】する時には披露することになるよ。ほら、先生も僕の【制限】の位置を深掘りしなかったでしょ。位置ズレはそれだけで戦力になる可能性が高いからあまり大勢にひけらかさないんだよ」
「それじゃあ俺がバカみたいじゃんかよ……」
アランフットが口を尖らせシュナイトに不満をぶつける。シュナイトは笑顔を崩さず何とかアランフットをなだめていた。
そんな所に背後から声がかかる。
「あ、あの~……」
突然聞こえたか細い声。
恐怖を感じたアランフットは奇声を上げながら飛び上がる。
「ひゃあっ!」
「ちょっとアランうるさい。……ほら、ユナちゃんが怖がっちゃったじゃない」
そんな反応を見せたアランフットにラミは冷ややかな目線を送った。
アランフットは幽霊でも見るかのような感覚で恐る恐る後ろを振り返る。
果たしてそこには怯えた子ウサギがいた。瞳には涙を浮かべ顔は青ざめている。何かを言おうとしているのか口は微かに動いているが、声帯は機能していない。
自分を主張できないタイプ。アランフットの周りの人間で示すとシュナイトの母ダイアナに似た系統だ。彼女はただ静かなだけだがアランフットは少し苦手。
さらにそこに怯えて話せないという要素が入ると、それはもう快活なアランフットとは似ても似つかない存在の出来上がりだ。
「大丈夫かい?」
イケメン&優男部門ジンヤパ王国代表に足るシュナイトがユナに救いの手を差し伸べる。アランフットの大声で怯えきった今のユナの眼には、それはもう白馬の王子様にも思えたことだろう。血がうまく通わず青ざめていた顔はみるみるうちに気色ばんでいく。
ユナは全く別の理由で声が出せなくなってしまう。
「はあ、シュナがまた一人女の子を落としたわ」
ラミは呆れたようにため息をついた。
「え、シュナってそんなに人気なの?」
「そういえばアランは三人でいるシュナしか知らないものね。街を一緒に歩いているとひどいのよ……」
「なにが?」
「私は侍従だからシュナが外を歩く時は一緒に出掛けて隣を歩かなきゃいけないの。その時の周りの女子からの嫉妬の目……ずーと浴びてなきゃいけないの……」
「へー」
まだ知らない女の世界、まだ知らない親友の意外な一面に驚きを隠せないアランフット。だがシュナイトはそのエピソードに悲しそうに首を振った。
「好きな子に振り向いてもらえなければ、ほかのどの女の子に好意を向けられても仕方ないよ」
「え、シュナって好きな人っているの?」
「……まあね」
「誰?誰だよ?教えてくれよ」
「そ、それは……言えないよ」
「何でだよ~なんも教えてくれねぇじゃん」
アランフットは頬を膨らませた。教えてくれないならば別にそれ以上追及する気はない。アランフットはもともと恋愛というものにそれほど興味があるわけではない。ただ今日は少し隠し事が多い気がするのだ。
「今日は全然話してくれないのな」
アランフットの不満ももっともだと思ったため、「申し訳ない」とシュナイトは頭を下げる。
だがその謝罪を受け取ることはせず、この話題が自己完結してしまったアランフットの興味はもう別の所へ移っていた。
アランフットにとって今最も問題なのは、なぜかこの空間に居座っている小動物の方だった。
シュナイトとラミは面識があるのかもしれないが、アランフットは知らない。それだけで排除の対象になり得る。
アランフットからすれば、敵が多いこの国では「知らない者」ということがそれだけで敵になり得る可能性を持っている者なのだ。
ジンヤパ王国にアランフットのことを知らない者はいない。だがアランフットが知っている人はほとんどいない。
この恐ろしさは、この苦しさは想像を絶する。
「で、ユナはなにをしに来たんだ?」
アランフットの言葉には無意識の内に威圧的なニュアンスが含まれてしまっていた。その怒気に気が付いたユナはビクッと身体を震わせ、アランフットの顔を恐る恐る窺った。
ユナもまたアランフットを警戒している。それは決して避けられないことである。
アランフットは国王から下落民の烙印を押され迫害・差別されているにも関わらず、最高権力に近い貴族と仲良くしている。事情を知らない者からすると、それは奇妙にも程がある光景だった。
いくら中立派のアルミネ家であっても国王の意志と反しているように映ってしまう。アランフットとアルミネ家には何か特別な繋がりがあるに違いない。そう考えなければ辻褄が合わない。
だからこそユナはアランフットに対して何か言葉を発することに最大の緊張を感じていた。
アランフットに嫌われ、それに付随してシュナイトやラミに嫌われてしまえばユナの立場は危うい。
発言しようとしても上手く言葉が出てこないユナ。大量の汗が噴き出る。
「大丈夫だよ」
シュナイトは優しくユナの背中に手を添えた。
「お、女の子は私の他に、ら、ラミちゃんしかいないから、と、友達になりたいなと、お、思って……」
「なに言ってるのよ。もう友達だよ。よろしくね、ユナちゃん」
屈託のない笑顔で応答するラミ。ユナも緊張した表情を解き、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「あ、ありがとうラミちゃん。よ、よろしくね」
「うん!この二人が私の親友のアランとシュナ。二人も仲良くしてあげて」
「よろしくー」 「よろしくね、ユナ」
「よ、よろしくお願いします」
彼女は一応ラミの友達らしい。親友の友だちは自分の友だちでもある。ということはユナは自分の友だちでもある。
アランフットはそう考え、仕方なしにユナを仲間の一員と認めた。
後々詳しく話を聞いていると、ユナもまた貴族であるということをアランフットは知った。ついでにルーテも貴族らしい。
同じ学年に四人も貴族がいることは非常に珍しいことだとシュナイトは言う。それが良いことなのか悪いことなのか、判断はまだ誰にもできない。
奇跡的に揃った貴族と国内唯一の下落民。彼らが何を起こすのかはまだ先のお話だ。
「それにしてもお前らと同じ貴族なのに、シクルだけはなんであんな嫌なやつなんだろうな!」
アランフットの一言で話はシクルたち三人の話題へと変わった。
貴族であるシュナイトとユナ、そして彼らの事情に精通しているラミが全くの無知であるアランフットに色々と説明をする。
「シクルは言わずと知れたラワジフ家の次男坊なのよ。ジンヤパ王国トップの貴族よ」
「そしてルーテの家系はシクルの家系の配下にある。もう一人いつも行動を共にするウマートはラワジフ家の護衛長の息子。あそこの絆は僕らと同じかそれ以上の強い繋がりがあるはずだよ」
「つまりシクルをぶん殴るには、まずはルーテとウマートを倒さなきゃいけないと。なるほどなるほど」
「で、ユナの家系はさっき言った通り。これが僕らジンヤパ王国の貴族の勢力図かな」
ユナの家系は貴族ではあるものの零細的な貴族で、その地位の存続すら危ういという。というのも過去に大犯罪者を輩出してしまったため国王から罰則としていろいろと取り上げられてしまったのだ。そこからの脱却を目指しているのが現状だ。だからユナは強くなって四眷属となり、一族の地位の復活を目指している。
その話を聞きアランフットは素直に感心した。ユナは常に周りの出来事に怯えており視界に入るだけで腹立たしいが、自分のことに関してはしっかりと芯を持つ人物らしい。少し自分に似た部分を感じたアランフットはすぐにユナを認め、仲良くなれそうだと直感した。
ふと目が合ったユナにアランフットは微笑みかけるが、ユナは見てはいけないものを見てしまったかのように急いで目を背ける、そんなかんけいだが。
○○○
シクルたち一行は、帰り道の途中で何やら話し合っていた。
「シクル君、やめとこうよ〜」
「うるさい!私は今ここでやらなければいけないんだ」
シクルは腕に纏わりつくルーテの身体を振り払った。
「私は今、今日この日にアランフットを殴り倒さなければ、もう二度とこのコレジオの制度には参加できなくなる。それを避けられる手段があるのならばそれを選ぶのが皆の手本でなければならない貴族である私の役目だろ」
「それはわかるが、殴り込みに行く必要はないだろう」
「体裁というものが必要なんだよ!急に下落民に馴れ馴れしくしたらどう見たっておかしいだろ!」
「そんなこと誰も気にしないと思うけどな〜」
「私が気にするのだ!」
シクルは考えあってアランフットの元へ殴り込みに行こうとしている。それをなだめようとする部下の二人。しかし主人は止まりそうにない。
「お前らが着いてこないというなら私一人で行く。お前らは先に帰っておけ」
シクルは二人を置き去りにし、ズンズンとコレジオまでの道を引き返して行く。流石に主人を置いて家に帰ることなどできないルーテとウマートは急いで後を追いかける。
○○○
「そろそろ帰りなさい」
そんなこんな色んな話をしていると巡回してきた警備員がまだ教室に残っていたアランフットたちに下校を促した。
「……そろそろ帰るか」
「そうだね。明日は羅城門出て正面の山の麓に集合か。少し遠いな」
シュナイトはコレジオよりもさらに遠くに位置する集合場所に唸る。
「俺の家近いよ。寄ってく?」
「私行きたい!」
千載一遇のチャンスに恐ろしい速度で手を挙げるラミ。
シュナイトはその風で乱れた髪を直しながら答える。
「まあ僕も考えておくよ。ユナは?」
「わ、私は、い、いい……」
「そっか。まあ気が変わったら来いよ」
友人ならばいつでも歓迎だ。自分の家に友人を入れるという経験が無いアランフットは、皆が遊びに来るかもしれないということが、想像するだけで楽しみで仕方なかった。
そして下校のために席を立ちあがったその時――
「少しいいか……」
「ひゃあっ!」
またもや突然背後から声がかかり、アランフットは大きな悲鳴を上げる。
女子の冷たい視線を感じながらも、アランフットは幽霊でも見るかのような感覚で恐る恐る後ろを振り返った。
「シクル……」
そこには目の敵であるシクルとその取り巻きのルーテとウマートが立っていた。
「少し面を貸せ」
シクルは「ついてこい」と、顎で指図する。
「上等じゃねぇか」
事態を察したアランフットは喧嘩腰で対応する。
彼に喧嘩をした経験など有るはずもないが、シクルが善意で話しかけてきているとは微塵も感じられない。
売られた喧嘩を買わないという選択肢がアランフットには無かった。
「僕たちもついていくよ」
腰を浮かしかけたシュナイトの提案をアランフットは手で制した。男の戦いに助太刀は無用。
「俺一人で大丈夫だ。シュナたちは先に帰れ」
「お仲間がいなけりゃ寂しいなら、一緒に来てもいいんだぞ」
「はっ、仲間を二人も連れて来ながらよく言うぜ」
「ちっ、行くぞ」
アランフットはシクルに従い、コレジオの校舎の隣にある訓練場広場へと向かう。
残されたラミとユナは心配そうな顔で四人の背中を見送った。
「大丈夫かな……」
シュナイトは険しい顔で頷く。
「シクルも馬鹿じゃない。なにか考えがあるんだろう……と、信じるしかない」
○○○
シクル、ルーテ、ウマートの三人は横並びで立ちアランフットと対峙している。乾いた風が広場の砂をさらい、アランフットとシクルたちの間に小さな砂埃を起こした。
正午の日差しが四人に降り注ぐ。
滲み出る汗によりアランフットの不快感は増していた。
「何の用だよ!」
「……」
一向に話を始めないシクルにアランフットは敵意の籠った目を向ける。だが、呼び出した張本人はアランフットの質問には答えない。四人の間には気まずい沈黙が流れているだけだった。
なかなか話を始めないシクルのじれったいその態度に、アランフットは舌打ちを連発して発言するように圧力をかけるが、それでもシクルは口を開かない。
「ごめんね~アランフット君。ほら、早く言いなよシクル君」
ルーテに優しく諭されたからか、偶然タイミングが嚙み合っただけか、シクルは遂に重たい口を開くことになった。
「私はお前がコレジオに存在すること自体認めることができない」
「はあっ!?」
シクルのその言葉にアランフットは面食らった。シクルに認められようと認められなかろうと、アランフットがコレジオに通うことは決まっているのだ。わざわざ呼び出して言うほどの事でもない。
「……何が言いたい」
だがシクルが無駄な事を言うためだけにわざわざアランフットに話しかけるという選択をするとは考えにくい。アランフットはそこに潜む真意を探ろうと思った。
「私は例え国王直轄のコレジオという組織の中であろうと、下落民が我々と平等であると認めたくはない。貴様は国の規律を乱す存在だ。少なくとも私はそう教わった。始めは自分と同じ年齢の子供を迫害するなどひどい話だと思ったが、国王が判断し父上も賛同すれば、私も賛同する他ない。貴族は民の上に立つ存在。あくどい貴族も他の都にはいるそうだが、私は誇り高きラワジフ家だ。己で発した言葉に偽りを持ってはならない。私は貴族という立場で貴様の迫害に加担していた身だ。アルミネ家がいくら援助していたとしてもそれは変わりようのない事実だ。そこを曲げるようなことはできん」
だから――
「私と決闘しろ!アランフット・クローネ!」
「……っえ?」
想像の斜め上の要求にアランフットは間抜けな声を出してしまう。
「んっと……えっ?俺とお前が戦えばいいのか?……どういうことだ?」
一体、今の話の流れからどうすれば決闘をすることになるのかアランフットには理解できなかった。
なんとなく三対一で喧嘩するという事態は覚悟していた。だがシクルの話を聞いたことで彼が家の立場に従って動いていたことを知り、シュナイトとは、アルミネ家とは異なった貴族の覚悟を知り、少しだけ感心した矢先の宣戦布告。
話の流れが珍紛漢紛だ。
「ごめんねアランフット君。この子すごく真面目で不器用なんだ」
ルーテが話を補足する。
「今までの立場があるから手のひら返しで君のことを認めるのは貴族の誇りを傷つけることになるし、国民に示しがつかない。だからこの決闘でシクル君に君という存在を認めさせてほしいってことなんだ」
「そういうことだ」
「じゃあそう言えよ!!」
偉そうに頷くシクルにアランフットは怒鳴る。
「なるほどなぁ……シクルが俺を認めるためねぇ……」
アランフットは顎に手を当てた。
彼にとっては貴族の誇りも、シクルが自分をどう思うかも興味はない。面と向かって喧嘩を売られたから買おうと、その程度の感覚だった。
だがシクルは覚悟を決めてここに立ち、そして決闘を申し込んだ。ならば引くにわけにはいかないだろう。シクルのことを一発ぶちのめそうと、アランフットもまた腹を括った。
「俺が喧嘩に勝てばいいんだな?」
アランフットは勝利条件を確認する。いかなる勝負であれ好き好んで負けるはずもない。
「いや、この決闘を私が申し込み、受諾された時点で私はお前の存在を認めてしまっていることになる。だからお前は負けてもいい。この決闘は私が私にけじめをつけるための戦いだ」
「……お前、俺と友達になりてェんだろ?そのために一生懸命言い訳考えてきたんだろ」
「んなっ!そんなわけあるかっ!貴様のような野蛮人と友人になりたいわけないだろっ!!」
「……まあいいさ。ぶっとばしてやる」
ルーテとウマートはシクルの側を離れ、一人ずつ左右に分かれる。二人は正式に勝敗を見極める審判役兼証人を担う。
「先に相手の背を地面につけた者の勝ちだ。ただし【制限】と《魔法》の使用は禁止する。試合条件はこれでいいか?」
「ああ」
「では始めよう」
シクルはそう言うや否や、すたすたとアランフットに向かって真っすぐ歩きだす。
普通に街を歩いているような余りにも無防備な歩き方。アランフットはそこに敵意がないこと察知し疑問に思いつつも、念のため攻撃を受けられるように身構える。
その姿を見たシクルは笑って言った。
「な、なんだよ……」
「これは正式な決闘だということを表す儀式だ。相手の心臓に拳を合わせろ」
そう言ってシクルは握った拳をアランフットの胸に当てる。アランフットも見様見真似でシクルの胸へと拳を合わせた。
二人の視線が交錯する。シクルの口角が微かに上がったような気がした。
刹那アランフットは強烈な害意を感じ取る。全身に重たい液体を塗りたくられているかのような感覚。これがシクルから発せられたものと判断するのは難しいことではない。
シクルは躊躇なく右の拳でアランフットの顔面に殴りかかる。
アランフットはその横から迫る拳を間一髪上半身をのけ反らせて回避し、何度かの後方転回でシクルとの距離を取る。
ズキッと、アランフットの鼻先に痛みが走った。完全にはかわしきれず拳は鼻に掠っていたようだ。
アランフットは静かに垂れてきた鼻血を乱暴に噴き出して止血した。
「お前けっこう本気だな」
「手加減する意味もなかろう」
心臓が一斉に全身に血を送り始め、目が眩むような感覚がした。アランフットは口角を上げ、歯をむき出しにして声を上げずに笑った。
名目上の決闘とはいえ、相手は本気で自分を倒しに来ている。
これは本気の戦いだ。
アランフットの中でドロッと何かが蠢く。
ここで負けるわけにはいかない。ここでの負けは今後の人生全ての不具合に繋がる。アランフットにはそんな気がしてならなかった。
「よぉしっ!」
アランフットは両手で頬を叩いた。
気持ちを切り替えなければならない。どこか楽観視していた甘い気持ちを捨て、本気でシクルを倒しに行かなくてはならない。そして絶対に負けてはならない。
「休んでいる暇はないぞ!」
様子を見るとシクルは既にアランフットから見て大きく右に旋回し背後に回ろうという動きを見せている。
アランフットは走り出した。ただ真っすぐに走り出した。意識的に砂を巻き上げシクルの視界を少しでも悪化させようとしながら走った。
その動きを察知したシクルは進行中の動きを中断し敵の背を追いかける。
「そうそう。大人しく付いてこい」
自分の動きに釣られたシクルの動きを見たアランフットは左脚を前で止めることで急ブレーキをかけ、迫り来るシクルに向かってまた全速力で走り出す。
再度視線が交錯する。
目を見ただけで互いの思考が読めるほど熟練した技能は持っていない。だが互いに進行方向を逸らし受け身に転じることなど考えていないことはわかった。
両者はさらに速度を上げ、真正面から衝突する。
「おらっ!!」
「ふんっ!!」
アランフットの右腕を横にシクルの右腕が縦にぶつかり衝撃波が広がる。周りで見ているルーテとウマートにまでその衝撃が伝わり目を細めるほど。
だが決闘の最中の二人は衝突した衝撃どころでは止まらない。
アランフットはぶつかった右腕を素早く離し両手で縦向きのシクルの右腕を掴む。
そのまま身体を浮かし、空中で身体を寝かしながら右足でシクルの顔面を蹴り飛ばそうとした。
だが、シクルはアランフットの手を振りほどき、身を屈めて迫る足をかわす。
シクルは宙に浮いた状態になったアランフットの腹を殴るべく右拳を突き上げるが、それはアランフットの左の掌に阻まれ、シクルの拳を握ったままアランフットは着地する。
その掴んだままの拳を引き寄せシクルの身体を一気に引き寄せ鳩尾に右拳を殴りつけようとするがシクルはそれを左手で防いだ。
ここで初めて両者の動きが止まる。
「なかなかやるな、アランフット。訓練を受けているわけでもなかろうに」
シクルは非常に驚いていた。
戦うことが当たり前のこの世界では戦闘訓練もまた子供に必要な教育となっている。一般人こそコレジオでそれを初めて学ぶこともあるだろうが、教育環境が整っている貴族などは早くから戦闘ノウハウを叩きこまれる。
自分の身を自分で守れる程度の力は貴族にも求められるのだ。
その中でもシクルは現状ルーテとウマートを瞬殺できるぐらいには強かった。それ故の驚愕。何も学んでいないはずのアランフットが自分と互角の戦いをしているのだ。驚かないわけがない。
「へへ、楽しいなこういうの!」
アランフットは非常に興奮していた。
アランフットは家族に口答えするなどの小さな喧嘩も、友達と殴り合うなどの大きな喧嘩も、経験することがなくここまで生きてきた。
今自分が身を置いている環境は未知の体験そのものだった。血湧き肉躍る感覚がアランフットを興奮させていた。
「へっ」
「ふん」
二人は互いに短く笑いを漏らし、隙を見せず素早く距離を取った。
だがそれも束の間。
すぐにアランフットはシクルに攻撃を仕掛ける。
真っすぐに距離を詰め地面に手をつき、今度はシクルの脚を取りに行く。
だが、この攻撃を見切ったシクルは両足で跳躍しアランフットの攻撃を難なくかわす。
「かかったな」
上手く避けたように見えたが、ここでアランフットに背を向けてしまう位置まで跳んだことでシクルは隙を作ってしまった。
シクルが振り返った瞬間に、アランフットは地面に手をついた時に掴んだ砂をシクルの顔に投げつける。
シクルは咄嗟に顔を背けた。
「貴様!汚いぞ!!」
「勝ちゃいいんだよ!」
この反応はシクルが悪いわけではない。
顔に何か投げつけられれば恐怖を感じてしまうことは無理はない。それが何か大きな形のある物体であればシクルは防ぐこともできただろう。だが自らの顔に迫ってきたのは砂。手で払えば簡単に取り除けるようなものではない。
顔を背け目を守る判断をした方があるいは正解なのかもしれない。今回はアランフットの類稀なる才能によって、シクルの反応が間違いになってしまっただけで。
「あらよっと」
シクルが自分から目を離したその隙を見逃さなかったアランフットは、一気にシクルとの距離を詰め身体を掴み、そしてそのまま足払いをして静かにシクルの身体を地面につけた。
アランフットが決闘の勝利条件を満たした。
アランフットは雲一つない青空を見上げた。
何事も無かったかのように静かな時間が流れ始める。息を吞むような素早い展開に、体験したこともない出来事に、時間が置き去られていたかのように急に時間が進み始めた。そんな感覚だ。
吐き出す息にも熱が加わり何故か震えている。視界が狭まり鼓動がうるさく耳に響く。
アランフットは自分がひどく興奮していることを自覚した。命こそ賭けていないが、本気の戦いとはこうも楽しいものなのかと、自分でも制御できない感情が脳を支配していた。
音の高い風が吹き、その場の静寂を知る。
「しょ、勝者……アランフット君!!」
目の前の事態がすぐには呑み込めなかったルーテが大きな声で判定を宣言し、アランフットの勝利を認める。普段表情を出さないウマートまでもが大きく目を見開いて驚いていた。
そのような状況も相俟って、アランフットもまたようやく状況が飲み込めるようになった。
「勝った……俺は勝ったんだ」
戦いの興奮よりも、次第に勝利への喜びが身体を満たし始めていた。
「ふはははははははは」
負けを認めたシクルは額に手を置き大きな声を上げて笑った。
「まさか私が負けるとはな……。思いもしなかったぞ」
「ああ……楽しかったな。授業でこれが続くと思うとわくわくが止まらねェ」
「さしずめお前は戦闘の申し子というわけか……」
アランフットは倒れているシクルに手を差し出した。シクルは何の躊躇いもなくその手を掴み立ち上がる。
昨日の敵は今日の友。正当な決闘を終えた男達に蟠りはない。
「おっと、忘れるな」
シクルはそう言ってアランフットの胸に拳をつける。アランフットもそれに倣い、清々しい表情で拳をあわせた。
「これで私はお前を心から認められる。正直私が勝っていたら認めるとは言いつつも、お前と関わることを止めていただろう。しかし私は負けた。常識的な敬意を持ってお前をアランフットと呼んでもいいだろうか」
「ああ、もちろんだシクル。俺らはもう友達だ!」
「き!貴様のようなやつと友などもにょもにょ……」
「なんだお前気持ちわりぃなぁ」
顔を赤らめ下を向くシクルにアランフットはさっと身を引く。
「だがしかしたかし!!」
拳を高く掲げ、瞳を燃やし、身体までもが炎を上げながらシクルは宣言する。
「今回はあくまで条件付きの戦いだった。【制限】や《魔法》を使った戦闘では、私は決して負けないだろう。せいぜい今回の勝利を過去の栄光として意地汚く縋りつくといい!」
「俺は絶対に負けねェぞ!!」
快活な笑顔を浮かべる少年たちをどこまでも透き通った碧霄が見守っていた。
○○○
暗い路地裏。人目が全くない場所に怪しげな男が二人。
「まずは様子見で良い。現状どれほどの力が出せるのか、それを確認してほしい」
「すぐに始末しなくていいの?」
「殺せるなら殺してくれてかまわない。今後我々の作戦において大きな驚異になり得る存在だと感じたのなら全力で殺せ。ただ、今の彼ですら殺せない程強大だというのならば、直ぐに退散して僕かリーダーに報告してくれ」
「なんだいメルクリウス、僕が負けるとでも言いたいのか?舐めてるの?」
「いやいや、僕はただ組織最年少の君を心配しているだけさ」
「余計なお世話かな?リーダー以外では僕が組織最強のはずだよ?」
「確かにそうだね。……でも気を抜くなよプルート。アランフットは……彼は異常だぞ」
マンガの効果音がすごい好きなんですけど(体のちょっとした動きにつくやつ)、あれを小説として地の文に組み込むと違和感があるので入れられなくて悲しい今日この頃。もっと文章作るのうまくなったら入れられるようになるのかなぁ……