第2話:コレジオ入学式
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春の曙。空の淡い紫色が白い雲を染める、そんな時間。
「またここか」と思うほどに最早見慣れてしまった天井を目を覚ましたアランフットは見上げていた。
昨夜の体験が、禍々しい『影』が己に語りかけてきた体験が脳裏から拭いきれない。
悪魔と天使の存在。自分が悪魔であることの宣告。自分と、自覚できないまだ知らぬ自分の存在。
そこはかとない己の確実性がアランフットにはなぜか心地良く感じられた。
「俺が悪魔で、天使が敵か……」
アランフットは呟いた。彼はその事実に少なからず驚いていた。
『影』は天使を殺すことを指示した。アランフットがそれに従うつもりは毛頭ないが、明確に敵となる存在があるというのはかなり衝撃的な事実であった。
いつか自分にその気が無かったとしても交戦しなければならない状況が発生する可能性もある。
アランフットは生まれて十年で自分が悪魔であることを知った。この世界にはまだ自分が天使であることを理解していない者もいるだろう。もし天使と悪魔が殺し合う運命なのだとすれば、たとえそれが友人で会っても殺し合わなくてはいけないのだろうか。
そもそも本当に天使や悪魔などというものは存在するのだろうか。昨日の体験だけがその証拠だと言うには少し物足りない気がする。
アランフットはいろいろなことを考えていた。疑う余地は無い気もするのだが、夢だと言われればそれで納得してしまう自信もあった。
「一旦シュナに聞いてみないとな」
博識な友人のお知恵を拝借してからすべてを判断しても遅くはないだろう。
物思いに耽っていたアランフットは視界に端に映った光に気が付き、ふと窓の外に目を向ける。
夜明け直後だったはずが、既に朝陽が窓から零れ出ていた。
「ま!とりあえず今日は入学式だ!!」
まだ寝惚けている身体に鞭を打ち、気合を入れて起き上がろうとした、その時――
「アッラーン!起っきてー!」
朝からハイテンションな赤髪の少女が勢いよく扉を開け放ち、アランフットに宛がわれた寝室へ駆け込んで来る。
不意打ちではあるがアランフットは彼女の襲撃を物ともしない。慣れたものだ。優雅に身を起こし爽やかに挨拶を交わす。
「おはようラミ」
「あ、おはようアラン。なんだ、起きてたのか……」
残念そうに髪を指で弄び口を尖らせるラミ。
何を隠そう、彼女はアランフットの寝顔を見ることを楽しみに、自らその役割を志願して起こしに来ていた。本来その任を与えられていた先輩に頼み込み代わってもらっていたのだ。
だが目的は達成できなかった。素直に落胆の表情がラミの顔に浮かんでいた。「むう」と、むくれた顔で自分を睨みつける少女の顔をアランフットは苦笑いで見つめていた。
しかしラミは子供と言えどプロフェッショナルとして生きている身。すぐに「じゃあ気を取り直して……」とラミにとっては第二の目的、実際は本来の目的である任務の遂行を図る。
「アランフット様、朝食がご用意できました」
「……」
唐突な態度の豹変に、アランフットはラミに困惑の眼差しを向け何度か瞼を瞬かせた。
「……なんちゃって」
不発。恥ずかしさにさっと頬を染めた少女は、自分から仕掛けておきながらぺろっと舌を出した。
アランフットにかわいいと褒められた昨日の件がある。しっかりと仕事ぶりを見せ、もう一度褒められようという魂胆だったが、まさか沈黙を選ばれるとはラミは思いもしていなかった。
「なんだよ、急に真面目になったらびっくりだよ」
「だって今は一応お仕事中なんだもん!いいから早く来て。シュナも待ってるから」
朝から何も上手くいかないラミは不機嫌そうにアランフットの手を取る。
タイミング良くアランフットの腹が鳴った。
「あはは。アランもお腹すいてるのね。尚更早く行きましょ」
思えば昨日の昼から何も口にしていない。「そりゃ腹も減るわな」とアランフットは妙に納得した心持ちでベッドから降りた。
アルミネ家は広い。貴族の中でも最高位に近い家系にふさわしく、左京三条の敷地の大部分を所有している。
基本的に客人は家の者の案内に従って移動する。アランフットはラミに先導され食堂へと向かっていた。その途中、ラミは何を思ったのか、鼻歌を歌いながら飛んだり跳ねたりと楽しそうに動いている。
「今日はやけに元気じゃないか?」
情緒不安定なラミの行動を見たアランフットは半笑いで質問した。
「だって今日は入学式だよ?私ちょー楽しみだったんだよねー」
「確かにそうだけどさ、実際コレジオって何をするんだ?俺あんまり知らないんだけど」
「えー!!知らないの?」
ラミはこの世の全てを見下せる程の憎たらしい顔をアランフットに向ける。その腹の立つ顔面を殴ろうと握りしめた拳を何とか抑えつけたアランフットの努力は言うまでもない。
「《魔法》の訓練をしたり、【制限】の修行をしたりするんだよ。私のこの右十二角の【制限】がアランとシュナを驚かせる日もそう遠くはないよ」
右手を掲げてドヤ顔で語るラミ。アランフットはそんなラミに見抜かれないように欠伸を噛み殺した。自分で質問しておきながらその仕打ち。アランフットの態度もなかなかひどい。
ラミはアランフットが自分の話を聞いていないとすぐに怒る。「少しぐらいいいじゃないか」とアランフットはいつも反論するのだが、自分の話を興味を持って聞いていてほしいのが恋する乙女というもの。無関心無反応が一番辛い。
しかしアランフットがラミの癇癪にムッとして少し強気になって距離を詰めると、顔を真っ赤にしてすぐに縮こまってしまう。
互いに知り合って日が浅いわけでもないが、アランフットはまだラミの性質を掴みあぐねていた。何故ラミが自分にだけ弱気になるのか。それを理解するにはアランフットの精神はまだ幼かった。
「さ、着いたよ」
ラミが扉を開けアランフットに入室を促す。アランフットは一段と明るいその部屋へおずおずと入る。
基本的に他人の事情より自分の感情を優先する人間だが、大恩のあるアルミネ家での部は弁えているのだろう。
「アランフット様をお連れしました」
食堂の扉を開けラミがそう言うと、そこにいた全員がアランフットの方を一瞥し、従者等は頭を下げた。
「おはようアラン」
「おはようシュナ」
アランフットとシュナイトは軽く挨拶を交わす。
部屋の中央には長い食卓が置いてあり、上座にシュナイトの父シャナイト、右にシュナイト、左に弟のショナイト、ショナイトの隣には母のダイアナが座っていた。その他、周りには使用人が数多く控えていた。
ダイアナだけはきれいな金髪だが、男性陣の髪は深い青色をしている。それがアルミネ家の象徴であるのか、部屋のインテリアには青色が使われている物も多い。
食卓にはアランフットが自宅にいる際には考えられないような豪華な食事が並んでいた。内心は「うっひょー」と小さいアランフットたちが紙吹雪を散らしているが、冷静を装い静かに指定された席に近づく。
だが目は食事に釘付けだった。特に目を惹いたのが豊富な種類の果実。山に自生している奇妙な果物しか食べていないアランフットには色鮮やかな果物が食卓に並んでいることは新鮮だった。
この時点でいつの間にかラミは姿を消しているが、食べ物に夢中なアランフットは気づくわけもない。
「おはよう、アランフット君。よく眠れたかね?」
家長のシャナイトが問う。
「はい。色々とお世話になりました。ありがとうございました」
しっかりとお礼が言える偉い子アランフット。だがまだ目はテーブルに並ぶ果物に釘付け。口の中には唾液が溢れていた。
「ささ、座ったまえ。朝食にしよう」
アランフットは促されるがままシュナイトの隣に座る。そして美味しそうに艶を放つ果物に手を伸ばそうとした時――
「なんで神聖なアルミネ家に下級民が出入りしているんだ!!」
次男のショナイトが激昂する。
自ら神聖視するアルミネ家に出入りするだけには留まらず、食卓にまで下級民が立ち入ってくることが許せないのだ。
おもわずアランフットは微かな笑みを零してしまう。それは勿論嬉しさから来る笑みではない。まさか朝一番右斜め前に座る人物から明らかな悪意が飛んでくるとは思わず、その不意打ちに驚いて笑ってしまったのだ。
「なにがおかしい!!」
「……っ」
だがその意味を理解できるはずもないショナイトは怒りを抑えきれず、ばんっ、とテーブルを叩き立ち上がる。
さすがにアランフットも身の危険を感じ身構えるが、すかさずシャナイトがその云為を窘め、場を治める。
「ショナイト、国王様以外の国民は皆平等であるといつも言っているだろう」
「……もういい」
父の考えに納得できないショナイトはため息を残し、朝食には手をつけずに食堂を後にする。
「ショナイト!」と母のダイアナもその背中に声をかけるが、ショナイトが止まることはなかった。
小さな眼鏡を掛けた白髪の従者がその後を追うが、それ以外は皆平然としたものだった。
アランフットは普段からよくアルミネ家を出入りしている。それは国王からアルミネ家へアランフットへの対応を委託されたからであり、また家長のショナイトの志願によるものが大きいという。
だからといって、アルミネ家が全面的にアランフットの支援に賛成かといえばそんなことはあるはずもない。
下級民が我が物顔で家を、職場を出入りしていることに納得いかない者も少なからず存在する。ただ主に従わざるを得ないだけの人間も一定数はいるだろう。
アランフットが朝食の場に顔を出したのは、長い付き合いの中でも初めての事だった。
ショナイトが我慢ならなかったのも仕方ないことなのかもしれない。アランフットは少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「すまないね、アランフット君。彼はなかなか言うことを聞かなくてね」
「いえ、しっかりしたお子さんで驚きました」
アランフットたち幼馴染三人組は十歳、ショナイトは八歳と、年齢に大きな差は無い。アランフットが放ったたっぷりの皮肉を、この大らかな主人は気にも留めず朝食を始める。
「では頂こうか」
家長の言葉で、食事をする者も提供する者も一斉に動き出す。朝食は量を多く食べる人が少ないため、アルミネ家では主食と水分以外は使用人に注文し食べたいものだけ取り分けてもらう制度を取っていた。
「えーと、じゃあその緑の丸いやつと、黄色の切ってあるやつと、赤い変なやつと、……その青いのはなんだ?」
と、アランフットはここぞとばかりに食べたことのない、見たこともない果物ばかりを注文して頬張る。頬を赤らめて幸せそうな顔を浮かべるアランフットをラミが見たら悶絶していたことだろう。
食事においては全く遠慮をする姿を見せないアランフットの豪快な食べっぷりに部屋にいる者全員が慣れ始めた頃、「そろそろいいかな」とシュナイトが口を開く。
「アラン、昨日の夜この家を出た後なにがあったのか聞かせてくれるかい?本当に妖精に襲われたとかではないよね?」
アランフットは果実を口へ運ぶ手を止める。
「ほーばっぱほーばっぱ(そーだったそーだった)」
果物の欠片を飛び散らせる様にダイアナは眉を顰める。
「俺もシュナに聞きたいことがあったんだ」
目の前から送られる冷たい目線に気が付き、頬にたっぷり溜まったものを胃に流し込んでからアランフットは話し始めた。
「ここを出た後六条を過ぎた辺りで急に意識を失って、夢の中でよくわからない『影』に天使だの悪魔だのわけわかんないこと言われて……」
「てんし、あくまか……」
シュナイトは聞いたことのない単語に反応し、顎に手を当てた。
「それで目が覚めたら雲の中にいて、変な力が溢れててぶわぁーって」
「〈妖精術〉かな」
「んー……たぶんな。それで『影』を倒して力尽きて地面へ急降下」
アランフットは自分が悪魔であると言われたことは伏せておいた。自分にとっても相手にとってもあまり良い情報ではないと判断したからだ。
「ふむ」とシュナイトは脚を組む。
シュナイトの膨大な知識をもってしても、天使悪魔という言葉は聞いたことはなかった。全速力で記憶を探るが検索にヒットは無い。
「てんし……あくま……。父さん、聞いたことある?」
己の力だけでは皆目見当もつかない。シュナイトは父であり、また師でもあるシャナイトに助けを求める。
「……とても古い伝承だな。この世界の神と呼ばれる存在が生まれる以前、天使と悪魔がこの世界を席巻していたと、その一節だけはどこかで読んだ記憶がある」
「その本うちにある?」
「有るかもしれないし無いかもしれない。かなり曖昧な記憶だ。奇妙な言葉だったから覚えているのだがな……」
「なんだったかな」と唸るシャナイト。
親子そろって顎に手を当て額に皺を寄せて薄れた記憶をたどっていた。
しかしその中、当事者であるアランフットは二人の会話を聞かずまた果物を頬張っていた。
インテリのシュナイトがお手上げとなった知識系の話にアランフットが入り込む余地はない。ならば少しでも腹を満たすべし。そんな気概だ。
そこに、側で控えていた従者の一人が口を挟んだ。
「シュナイト様、アランフット様、そろそろ王宮へと向かわれるお時間でございます」
アランフットは果物を口へと運ぶ手を止めた。コレジオの入学式は王宮で行われる。餌に釣られて遅刻するほどの愚鈍でいる気は無かった。
「えっ、もうそんな時間か!急いで行こうぜ」
「そうだね。父さん、このこと国王様にも聞いてみてよ」
「わかった。気をつけて行ってこい」
シュナイトは優雅に口を拭き、アランフットはラストスパートをかけて今まで食べていなかった肉と最後に柑橘類を胃に流し込んだ。
「行くぞ!シュナ」
椅子から立ち上がり親指で出口を指すアランフット。
「待って待って。着替えなくちゃ」
そのまま出ていこうとするアランフットをシュナイトは慌てて引き留めた。
「えっ?俺着替えなんて持ってないぞ?」
「用意してあるからそっちの人について行って」
シュナイトは従者の一人に目で合図をする。従者は「こちらです」とアランフットを先導する。そうやってまたアランフットは促されるままに用意された部屋に入り、用意された衣装を見て「なんだこれ」と思いつつ着替えを始めた。
何から何まで面倒を見てくれるアルミネ家。アランフットはアルミネ家に対する恩は絶対に忘れないようにしようと心に決めている。
慣れない礼服に四苦八苦して着替えていると、少しして扉を叩く音が聞こえた。
「入ってまーす」
アランフットは「入ってくるな」という意味を込めて応答したつもりだったが、ガチャリと扉が開く音がする。「開けんのかよ」と内心ツッコミながら振り返ると、そこにはシュナイトの母、ダイアナが物憂げな顔で立っていた。
「アランフット君……」
「うへっ」
アランフットは調子はずれな声を上げて驚く。
アランフットは昔からダイアナが苦手だった。彼女はいつ如何なる時もただ黙ってそこにいるだけの人間だった。誰が何をしていても何も言わない。シャナイトから声をかけられても首を動かすだけ。シュナイトですらダイアナと話したことがないのではないかと疑ってしまうほど。先程ショナイトに声をかけていたことにも少し驚いたほどだ。
アランフットがダイアナの声を聞いた回数は五本の指で数えるほどしかないと言っても過言ではない。十年近くアルミネ家に通っているのにだ。まして直接話したことなどあるはずがない。
それにどちらかと言えば感覚はショナイトに近いものだとアランフットは考えていた。ダイアナは髪色からわかるようにアルミネ家出身ではない。シャナイトと同様の思想を持っているわけではなく、むしろ他の貴族や国民と同様にアランフット排斥派閥だろうと勝手に考えていた。
それ故の驚きだった。まさかダイアナからアランフットに話しかけてくることがあろうとは。
ダイアナは意を決したような顔つきでアランフットに近づいて来る。その状況だけでもアランフットはかなりの恐怖だが、動くことはできず(逃げるようなスペースの余裕もなく)ただダイアナの動きを見守っていた。
そしてダイアナはアランフットの目の前に立ち口を開く。
「アランフット君、さっきの話だけれど」
「は、はひっ」
アランフットには変な緊張が走る。これまで口を開かなかった彼女は一体何を語るのだろうか。上ずった言葉が唇を滑った。
「天使と悪魔について私の実家に古くから伝わる伝承があります」
「ほ、本当ですか!!」
棚から牡丹餅とはこのことだ。思わぬところからの情報提供でアランフットはまたもや大きな声を出してしまう。ダイアナはその反応に顔を顰めるが、早く会話を終わらせたいのかすぐに話を進めた。
「私は今までこの伝承の意味がわかりませんでした。ただ一般人、まして下級の者からその言葉が出てくるということは、この話は貴族の内で語り合うだけでなく、然るべき者にこそ伝えなくてはならないのだと感じました」
「ありがとうございます」
「伝承通りに伝えます。これは私の言葉ではありませんからね」
伝承なのだからダイアナの言葉ではないことぐらいアランフットにもわかっている。
謎の念押しが気に掛かったが、アランフットはダイアナの存在自体が怖いので軽口は叩かず黙って頷いた。
「では言いますよ……」
ダイアナは俯いて咳払いをした。そしてもう一度顔を上げた時、アランフットと視線が交錯する。何かを訴えるような瞳を感知したアランフットだったが、声をかける前にダイアナは小さくため息を吐き、大きく口を開いた。
「天使と悪魔がワッショイ!最初に天使がワッショイ!後から悪魔がワッショイ!最後に残るはワッショーイ!!」
「……」
「……という言い伝えです」
何事もなかったかのようにダイアナは静かに目を伏せる。
心臓が胸を突き破るほど強く脈打っているのをアランフットは感じた。死に瀕したような一瞬だが莫大な緊張があった。
寡黙な女性が突然騒ぎ出すと途轍もない衝撃を受けるのだと、アランフットは齢十にして知った。この衝撃は生涯忘れることはないだろう。
アランフットがもう一度ダイアナに目をやると、耳をやや赤くして彼女は佇んでいた。その姿は少し老け込んだようにも見える。
「……ど、どういう意味ですか?」
この質問をしていいものか少し迷ったが聞かずにはいられない。荒唐無稽で無様な発言にも何か意味を見出さなければ、あまりにもダイアナが憐れだとアランフットは感じていた。
「先程も言いましたが、この伝承の意味は私にもわかりません。ただ後世に伝えるようにと言われているだけです」
「その言い方は……」
「このように伝えろと言われているのですっ!」
ダイアナは少しだけ大きな声を上げ、アランフットからさっと顔を背けた。
「私が言いたいのはこれだけですので。外でシュナイトたちが待っています。あなたも急ぎなさい」
そう言い残し、ダイアナは再びアランフットに顔を向けることはなく、身体を家具にぶつけながら不器用に部屋から出て行ってしまった。
その背中を見てアランフットは呟く。
「シュナのお母さんって変な人なんだなあ……」
貴重な情報に対する有難みよりも、ダイアナが騒いだことに対するショックが大きすぎたアランフットにはその感想しか持ち得なかった。
だが余韻に浸っている暇は無く、アランフットは急いで準備を終わらせなければならない。
シュナイトたちが待っているとダイアナは言った。ということはラミももう準備は終わっているのだろう。時間に厳しい彼女が遅れたアランフットを咎めない訳がない。まして今日はラミが楽しみにしているコレジオの入学式だ。荒波は立てないようにしたい。
大事件のことは一旦忘れ、アランフットは急いで玄関へと向かう。案内しようとした従者は置いてけぼりにする。広い屋敷から玄関まで案内役は必要なかった。なぜなら強烈な道標があるからだ。
「おっそーい!!」
案の定、その姿を見るや否やラミはアランフットを非難した。
アランフットが声のした方を見るとジンヤパ王国流の礼装に身を包んだ二人が、特にラミが、ラミだけが、こめかみに血筋を浮かべ怒りに満ちた様子で腕を組んでいた。
右足の踵を上下に小刻みに動かしている。少し地面がひび割れている――ようにも見える。シュナイトも苦笑いだ。
アランフットが着替えていた部屋まで聞こえていた、ズンッズンッという鈍い音はやはりラミが発していたのかとアランフットは満足する。道標にして正解だった。
「ねえアラン!入学式がいつ始まるかわかってるよね?その時間から逆算して行動できるよね?」
何とも御立腹なラミだが、それに怯まずアランフットはすぐさま鎮静化を図る。
「ちょっと首元が落ち着かなくてさ……」
服の襟を引っ張り、さりげなく首元の素肌と鎖骨をほんの少しだけラミに見せつける。対ラミ用に開発された技の一つだ。
そのアランフットの姿は、ラミの視界からすると光り輝く超絶イケメンにでも見えたのだろう。
茹で蛸のように顔を真っ赤にして怒るラミの態度は一変。今度は別の理由で頬を赤らめ、アランフットを三度見ほどした後にコホンと一つ咳払い。
「ま、まあ、まだ遅れる時間ではないから。そ、揃ったんだから早く行きましょ」
と、一人コレジオへの道を歩み始める。
「昨日といい、今日といい、君はなかなかに恐ろしい人だね」
シュナイトはニヤニヤとしながらアランフットに近づいた。
「なにが?」
「まだ十歳なのに女の子を誑かすのが上手すぎじゃない?」
「まだ十歳なのにって。シュナも十歳じゃん。それにお前も同じようなもんだろ?」
「いやいや。大人になった君は酷いことになりそうだよ」
シュナイトは肩を竦めた。
「二人ともーおいてくよー」
既に二人をおいて行っているラミが遠くから叫び手を振っている。「今行く!!」と二人は駆けてラミの元へ向かった。
◯◯◯
アルミネ家の主な住居は左京三条の一番内側、つまり「北宮」の中央を南北に走る玄武大路に接している。すなわちただ北上すれば王宮のある「大内裏」へ着くことができる。
だが、三条から一条とはいえそれなりに距離はあった。加えて「大内裏」へ着いても、そこから「玄武門」をくぐり、入学式を行う王宮内の「朝堂院」へと向かわなくてはならない。
比較的距離の近い三条に住んでいるシュナイトやラミですら、そこまでの移動時間は多少かかる。「北宮」に住んでいない平民や、王都唯一の下級民では尚更だ。
だからこそ入学式の開始時間は遅く、朝ちんたらしていても間に合うのだと、ラミは二条を過ぎた辺りでもまだぐちぐちとアランフットに不満を押し付けていた。
「なんでラミはそんな早く行きたいんだよ」
不自然なまでに早めの到着に固執するラミに、アランフットは不満げに問う。いくら時間に正確でいたいとはいえここまで執着しているのはおかしい。
「アランはあいつのことを知らないからそんな呑気でいられるの!」
「あいつって……誰?」
怒気を孕んだ声を聞いたアランフットは急いでシュナイトの顔を見る。ラミの怒りの矛先を少しでも変えようと、シュナイトを無理やり会話に引きずり込む作戦だ。
「んー……まあ着けば嫌でもわかると思うよ。彼は必ず僕らに目をつけるだろうから。アランはあまり関わらない方がいいかもね」
軽く肩を二回叩いたシュナイトにアランフットは口を開きかけるが、発言権は右側を歩く少女に搔っ攫われていく。
「ねえシュナ、あいつなんて言ってくると思う?」
「少なくとも僕はあまり口にしたくないようなことだってことは確かだね」
「だよねー。先に朝堂院の中に座っていれば、まだマシだったんだけどなー」
そう言ってラミはアランフットの瞳をちらりと見て、「誰かさんが準備遅いからなー」とまだ不平を漏らす。
「まあまあ」とシュナイトは苦笑いをしつつ優しくラミをなだめた。
策士策に溺れる。もしくは策がうまく回りすぎたのか。いつの間にかアランフットは一人蚊帳の外へと放り出されていた。先に待ち受けているという悪意に身震いをし、アランフットは黙って二人について歩いていた。
「さ!着いたよ!」
アランフットが二人の会話を聞き流していると、ほどなくして一行は「玄武門」へと到着した。
周りの景色に覆い被さるように聳え立っている「玄武門」にアランフットは息をのんだ。
朱色の柱を基調とした「玄武門」は、門というよりは一つの立派な建物と相違ない。開閉する扉だけではなく、その上部には小さめの部屋がある造りになっている。外観は「百姓街」に住む民衆の家よりも豪華だ。さすがは王が住む場所。「すげぇ」と、それを見上げるアランフットは感嘆の息を漏らしていた。
「守護山」の頂から遠望したことはあったが、真下に立って見てみるとその威圧感、存在感は圧巻であった。
だがそれなりに見慣れた風景であるラミとシュナイトはアランフットの感動に気づかず、「大内裏」の中へすたすたと進んで行ってしまう。
「ちょっと待ってよ!!」
その姿を視界の端で捉え、ふと我に返ったアランフットも慌ててその背中を追いかけた。
「左手に進んでください」と言う入口の側にいた衛兵の案内に従い、三人はいよいよ「朝堂院」へと辿り着く。
ラミは徒歩によって少し乱れた服を整えアランフットの顔を覗いた。
「いい、アラン。くれぐれもいきなり殴りかかったりしちゃダメよ。問題になって入学式どころじゃなくなるわ。我慢して」
「いやいや、初対面で殴りたくなるような奴なんてそうそう居ないよ」
「そう……ならいいんだけど」
アランフットはそんなことあるはずがないとラミの忠告を鼻で笑い飛ばす。
そんな彼をラミは細めた目で一目見て、諦めたように短く息を吐いた。まともに取り合わないアランフットをよそに、二人は、特にラミは覚悟を決めた顔で「朝堂院」へと足を踏み入れる。
「待ちくたびれたぞ!」
待ち構えていたその少年は「朝堂院」に三人が入って来て、前進するために片足を上げる絶妙なタイミングで声をかける。
「やあ、アルミネ家の長男。久しいな」
その言葉を聞くや否や、どうしようもない不快感を持ったアランフットは静かに拳を握り締めた。
「待て待て、待って。落ち着いてくれ」
暴走しそうなアランフットの気配を察知したシュナイトは慌てて押さえつける。身動きが取れなくなり、シュナイトの制止を本気で振りほどく気も無いアランフットは、ただその少年を一瞥して呟いた。
「あいつ……嫌いだな」
「ほらぁだから言ったでしょ?あんなやつ無視して前の方に座りましょ」
ラミは「ほら見たことか」と言わんばかりにアランフットを見、呆れ顔で二人を促した。
三人には取り合う気はさらさら無いのだが、その少年は挨拶を済ませただけで引き下がる程可愛い性分をしていなかった。そもそもそんな人間であればラミから敬遠されるほどの事にはならないだろう。
金髪碧眼の少年は厭味たらしく、大きくゆっくりとした声で三人を挑発する。
「おやおや?この場に相応しくない者がいるなぁ!侍従の女と下級民よ!」
それがラミとアランフットのことを指していることは明らかだ。
プツンとアランフットの内の何かが切れ、理性が弾け飛んだ。これが堪忍袋の緒が切れたという状態なのかもしれないが切れたのはまた別の物かもしれない。
とにかくアランフットにはもう止まることはできなかった。鬼の形相で声の主、シクル・ラワジフの元に近づき、頭一つ大きいシクルの顔を睨みつける。
言葉遣いやら不遜な態度やら、この短い時間でアランフットが受け取った目の前の男に対する全ての情報をアランフットの神経は拒絶していた。
しかしアランフットを見下ろす彼のその青い瞳も同様に、アランフットという存在から何もかもを見下し、拒絶しているようだった。
「なんだ下級民。近寄るな。穢らわしい」
「俺を差別するのはいい。だけどな、しっかりと名前を呼べ。長男、侍従、下級民。位とか身分なんかじゃなくて、俺らにはしっかりした名前があるんだ。名前で呼べよ」
「私にお前如きの名前を呼ばせるとは烏滸がましいとは思わないのか?」
「思わねェよ。立場に縛られない、自由な俺たちの存在すらお前は否定するのか?否定する権利がお前にあんのか?」
アランフットの悲痛な心の叫びを聞いたシクルだが、まるで理解できないと肩をすくめる。
「自由?それは私のような貴族や王族が語るものであって下級民が語り得るものではないのだよ。平民以下はただ上に従っていればいいだけの存在なのさ。そもそもお前は生かされているだけの身分。生きるも死ぬもこちら側の判断であってお前の意志ではないのに何が自由なんだ?」
怒りで肩を震わせるアランフットを見下し、シクルは鼻で小さく笑ってから言葉を続ける。
「お前がどうしても自分の立場が理解できないと言うならば、今日この場で国王様にお前の極刑を求めたっていいんだぞ?」
「っんだと!」
アランフットはシクルの襟首を掴む。初めは制御しようと試みていたシュナイトもラミも、もうアランフットの行動を抑えるのには手をこまねいていた。
アランフットはシクルの顔に息がかかる程顔を近づけて凄む。
「俺の生活がこれ以上脅かされるくらいなら、俺はこの国をぶっ壊すぞ」
「そんなことを私に宣言されても困るな。まあ、貴族たる私が下級民に親切に忠告してやるとすれば、不可能だ。と、これに尽きるだろうな」
「てめェ……ぶっ殺されたいのっ……」
横から第三者の力が介入したことにより、アランフットの言葉は最後まで発音されることはなく、シクルを掴んだ手は解かれ身体は吹き飛ばされた。
咄嗟のことにアランフットは受け身を取ることもできない。そのまま壁に激突した衝撃で身体は悲鳴をあげる。
が、一旦それは無視する。アランフットは自分を投げ飛ばしたその人物にせめてもの反撃を、恨みの籠った目を向けなければならなかった。
「早く座りなさい、アランフット・クローネ」
眼鏡をかけた長身・短髪の女性はアランフットを見下しながら冷たくそう言い放った。
「あなたたちも早く座りなさい」
登場した瞬間に場の雰囲気を掌握したその女性はすぐにアランフットから目を離し、いつの間にか周りに集まっていた他の生徒にも整列を促した。
「けっ」
どうやら敵わないと判断したアランフットは行き場のない怒りを短い音で吐きだした。
「ねえ、見てよあれ」
「入学式なのにひどいな」
アランフットとシクルが争っている間に、静かだった「朝堂院」には他の生徒が続々と到着していた。いつの間にかざわざわと騒がしくなっていることにアランフットは驚く。
三人は準備の遅い誰かさんのせいで割と無難な時間に到着していたようだ。
「すげェ注目されてんな……」
「はぁ……仕方ないでしょ。ああいうのは関わらないのが吉なのよ」
周りから冷ややかな目を向けられていることに気が付くアランフット。コレジオでは大人しく過ごし少しでも友だちを増やそうと考えていたのだが、これは厳しい状況になった。
入学式早々取っ組み合いをしている人物など警戒されるのは当たり前だ。誰も近づきたくはない。
「過ぎてしまったことは仕方ないよ。アランとシクルの相性が悪いことが最初に分かったんだ。大きな収穫だよ」
シュナイトにはそう励まされ、結局アランフット一行は最後に空いていた後方の床に敷かれた座布団に座った。
アランフットは胡坐をかいた膝に肘を乗せ、頬杖をついて周囲を観察する。
部屋には生徒が四十名ほど、大人が二名。内装に関しては入学式という割には大した装いもなく、木造建築の木の優しい色合いにはそぐわない正面に据えられた金色の椅子が文字通り異色を放っているだけだった。
皆が心待ちにしていた入学式という割には、あまりにも簡素で寂しい室内だ。
「アランフットってあの下級民の……」
「あいつ昨日五条の女湯覗いたらしいぜ」
「なんであんな奴がここにいるんだよ」
開式を待つ新入生の初対面の会話の種にはアランフットの悪口が利用されていた。これはシクルとの取っ組み合いが引き金ではない。かといって女湯覗き事件が発端でもない。
「こっち見てんじゃねェっ!!」
「やめなさい!」
アランフットが奇異の目を向けられることに慣れていないわけではない。普段ならば気にせずにその視線を無視することもできる。だが今はシクルのことも相まって、大分機嫌が悪い。
「おいおい、ここは動物園じゃないだろう。どうしてサルが紛れ込んでいるんだ?」
「てめェはあとでぶっ殺す!」
「静かにしときなさい!!」
シクルに向けて堂々と中指を立てるアランフットは、ラミに頭を殴られ撃沈した。
こうなることは初めから決まっていたようなものだ。
アランフットは多くの国民から常に蔑視、奇怪の眼を向けられる存在だ。ほとんど直接的な接触はなく、下級民と余計な関係を持たないようにしていた。
そもそも下級民とはなんなのか。
下級民とは国王によって設置されたアランフット専用の身分制度である。アランフットは全ての国民の「下」の存在であって、基本的に関わってはいけないことになっている。
その枠組みさえ設置してしまえばあとは噂に尾が付き、ひれが付き。ついでに羽まで付き。自然とアランフットは禁忌の存在へと成り上がっていく。或いは成り下がった。
「貴族に向かってあの態度……野蛮だ」
「怖い怖い。見ないようにしよう」
アランフットを下級民だと了解し差別する国民たちだが、勿論皆はアランフット・クローネという人間のことを深く知っているわけではない。
幼い少年が自分らが心底崇拝する国王様に迫害されている。そんな奇妙で非道義的な状況を見れば、まさか国王が何の理由も無しにそんなことをするとは考えられないため、誰もが少年の方に非があると判断する。
現状に不満のある者がその全ての怒りをアランフットに向ければ、全国民の精神衛生も格段に良くなる。国民の「下」を作ることによるメリットは張本人以外にはある。
あることないこと、アランフットには色々な噂が流され、そしてアランフットは勝手に嫌われていく。アランフットにとっては負のスパイラルだが、国民にとっては好循環。
多くの人がアランフットに関わろうとしないとはいえ、彼が「北宮」の路地を歩いていると何かを投げつけられたり、絡まれたりすることは少なからずある。下級民制度に依存してしまう国民も少なくはなかった。
だがアランフットはその仕打ちには全くへこたれていなかった。
優しいアルミネ家があり、親友とも呼べる幼馴染であるシュナイトとラミの存在がある。アランフットは現在の最低限ともいえる生活には満足していた。
だからアランフットは今の生活が侵されない限りは己の境遇の改善に行動を起こす気はなかった。
ただ行動の自由が制限されていることは、受け入れてはいるが納得はしていない。これ以上の侵害があるのならばアランフットは全力で抵抗する気ではいた。
「静粛に!!」
颯爽と現れた爽やかな男性が新入生の前に立つ。蠢く集団は一斉に動きを止めた。
「さて、まず君たちに言っておくことがあるんだけど……」
「あの人誰だ?」
突然話し出した見知らぬ男。アランフットは小声で右隣にいるラミに質問した。その質問が信じられないラミは驚いた顔をして応答する。
「えっ!?知らないの?そんなことあるんだ……。あの人は四眷属のエッダ・ディライトさんだよ」
「おっと失礼。どこからか僕の名前が聞こえたが、自己紹介をしていなかったね」
「うっ……」
アランフットの目が男性と合い、ウインクをされたためアランフットは思わず目を逸らした。誰が話していたのかは気づかれていたようだ。
「僕の名前はエッダ・ディライト。国王が率いる四つの軍隊の大隊長、四眷属の一人です。コレジオの今期、つまり七七期入学生である君たちの代の教育長と務めることになりました。卒業までよろしくね」
「「「えええええ!?」」」
コレジオのトップである校長が国王。だがそれは形式的なもので、事実上その学年のトップとなるのが教育長だ。教育長はコレジオでの授業内容の管理などを行う。その地位に多忙な四眷属が就くというのは極めて異例の事態だった。
エッダに直接教えてもらえるのではないかという期待、コレジオの授業が厳しくなるのではないかという不安等々、色々な感情が新入生に渦巻く。
「四眷属ってそんなにすごいのか?」
「そんなことも知らないなんて……」
「四眷属っていうのは、簡単に言えばこの国で一番強い人ってことだよ。四眷属の中でも力の順位はあるだろうけど、エッダさんはその中でも一番。つまり正真正銘この国で一番強い人だよ。国王を除けば」
「そ、そんなすげェ人が俺らに色々教えてくれるのか……すげェ」
エッダの登場に会場には再びざわめきが戻ってきてしまっていた。この状況を見かねたエッダは大きく咳払いをする。
「いいかい君たち。僕の前で好きに話しをするのは良い。だけど国王の前でこういう失礼なことは無いようにね。入学式と言っても国王様のお言葉を聞くだけの短い時間だから、そのくらいは静かに我慢してね」
皆の威儀を正す。
爽やかに微笑んだエッダの一言は雰囲気まで爽やかにすることはなく、会場には緊張が走り一気に静まり返る。
今から国王がやって来る。
ジンヤパ王国の人間ならばその字面だけでも緊張し前日は眠れない者もいるだろう。国のトップ・オブ・トップ。神にすら匹敵する崇拝の的。もはや同じ人間とは言えないほど高尚な人物だと子供たちは親から教わっている。
生まれてからまだ日が浅い子供たちは親世代ほど信仰心が強いわけではないが、それでも緊張はする。緊張しなければならない。
「では国王様、よろしくお願いします」
子供たちの真剣な面持ちを見て、大丈夫だろうと判断したエッダは身を引いた。
コレジオの入学式は国王の言葉を聞くだけで終わる。それはそれはとても短い時間だ。アランフットもそのような認識で高を括っていた。
「国王ってどんな人だったかな。見たのは随分昔だからな」と、本来憎むべき相手であるにも関わらずそんなことを考える余裕すら持ち合わせていた。
だがアランフットだけは、入学式の開始の合図ともなる国王の第一声を聞くまでが途轍も長く苦しい時間となる。
「うぉっほん!!」
大きな咳払いと共に「朝堂院」の入り口に国王が姿を現した。
アランフットは珍獣を見るような軽い気持ちで国王の方を見たが、国王が「朝堂院」に現れた瞬間、その足が同じ部屋の床を踏んだ瞬間、有り得ない程の重圧がアランフットを襲う。
「がぁ!!」
上半身が重力に耐えられず、頭から床に叩きつけられるほどの重たい力がアランフットの身体に襲い掛かった。
気を抜いてしまえば一瞬で床に這いつくばり、内臓をぶちまけることになるだろう。
「ぐぐぐ……」
歯茎をむき出し、これでもかと歯を食いしばりその重圧に耐える。体勢を維持することが限界で、それ以外指の一本すら動かせない。
助けを求めることすら許されない状況。国王の足音、軋む床音、その一歩ごとに吐き気が増す。「もう殺してくれ」と、そのようなこと口が裂けても言いたくはないが、身体が潰れる前には言ってしまうだろうというくらいアランフットは追い込まれていた。
(「み、みんなは無事か」)
アランフットは他の生徒を、特に友人二人の安否を確認しなければならないと謎の使命感に駆られる。そのような極限状態で周りへ意識が向いたことは奇跡に近かった。顔を動かして確認するほどの余裕は無かったアランフットはどうにか動かした瞳でシュナイトの姿を捉える。
(「なっ……」)
視界に入ったシュナイトの態度には明らかに異常があった。苦しさなど微塵も感じさせない表情をしている。むしろ喜びに頬が紅潮している。
なにかがおかしい。そう思いながらもラミの方へ瞳を動かそうとした時、他の生徒の姿が目に入りアランフットはあることに気が付く。
彼らはアランフットとは違い、誰一人として重圧に喘いでなどいなかった。ただ国王に崇拝の眼差しを注いでいる。
国王に見入ること、その行為だけに心血を注いでいる。それが全てだった。
アランフットだけが息苦しく重たい水の中でもがいていた。否、もがくことすら叶わずただただ沈んでいった。
「くそっ……もうっ……」
アランフットの我慢の限界は近かった。
「諸君よく集まった!」
だが、国王の第一声とともにアランフットにのしかかっていた圧力は弾けるように一気に拡散した。
「うごぁ……」
あと数秒同じ状態であれば押しつぶされていたかもしれない。アランフットは床スレスレまで近づいていた顔を一気に天井に向け、目を閉じた。
大きく息を吸う。身体からは遅れて脂汗が吹き出す。苦しさから解放され、涙も鼻水も全て遅れて押し流れてくる。アランフットは荒く不器用で無様な呼吸を「ぜぇはぁぜぇはぁ」と、どうにか繰り返していた。
しかしそんなアランフットの異状に周りの生徒は誰一人として気がつかない。
生徒の視線は国王の登場からずっと異常なまでに国王に注がれている。
「そして入学おめでとう」
アランフットを一瞥した国王は全く意に介さずに話し始める。
「諸君は皆まだ十歳であるが、成人まであと六年という大切な時期でもある。コレジオではこの六年間で国民たる基本的な事項を全て学んでもらう。コレジオの授業といえば戦闘的な訓練が注目されることが多いが、それだけではない。《魔法》や【制限】は日常生活でも使われていることは諸君もよく知るところであろう。それらの正しい使い方を学ぶのがコレジオの授業の目的だと思ってほしい。各々に得手不得手があるのは当然のことだ。できないことを必要以上に追い詰めることはない。短所がわかれば自ずと長所もわかる。長所がわかればそれをより輝かせれば良い。そういう強い気持ちでこれからの六年間、己と向き合い、より優れた国民になれるよう励んでくれたまえ」
ここまで一気に話すと国王は生徒の顔を見渡し笑顔で頷き、言葉を続けた。
「よし。では最後に毎年恒例なのだが、二十二代目国王が作ったこの詩を皆に送ろう」
アランフットはようやく呼吸も気持ちも落ち着いたところ。国王の話など一言も聞いてはいない。だが一瞬、ピリッと静電気のような刺激が空気中に走ったことをアランフットは感じ取った。
「ちくしょう……またかよ」
陳腐な言葉では表現できないほどの絶望をアランフットは感じていた。あの恐ろしい苦しみにもう一度耐えなくてはいけないのかもしれない。明確な根拠はないが、先程の重圧と同じようななにかが来る気がしてならない。
一人一人の鼓動が聞こえるほどの静けさが会場を包み込む。
国王に視線は吸い寄せられ、意識は吸い込まれ、魂は吸い取られたように、一心不乱にその声に耳を傾ける聴衆に、そしてこの状況に、アランフットは悪寒が走った。
(「これはなにか、絶対になにかがおかしい」)
アランフットは強烈な不安を抱くが、友人だけはなんとしても助けなくてはならないと、感情を押し殺し動いた。
「おい!ラミ!シュナ!どうした!」
二人の軽く肩を揺さぶってみるが反応はない。シュナイトのいつもの知的な顔つきは失われ間抜けな顔をして国王に見入っているし、ラミは今にも涎が垂れてきそうなほどポケっと口を半開きにして国王に見入っている。両者とも意識が戻ってくる気配はなかった。
「くそっどうしたら……」
アランフットが成す術なく困り果てているまま、国王の言葉が再び始まってしまう。
「よく聴きたまえ。そして聴いた後皆で復唱するのだ」
一つ咳払いをし、大きな声で国王は詩を唱え始めた。
「朕思うに我が王祖王宗国を始むること宏遠に徳を立つること深厚なり。我国民よく忠によく孝に億兆心を一にして世々その美を済ませるはこれ我が国家の精華にして、教育の淵源また実にここに存す。爾国民、父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信し、学を修め業を習い、もって智能を啓発し徳器を成就し、進んで公益を広め世務を開き、一旦緩急あれば義勇公に奉しもって天壌無窮の王運を扶翼すべし。この如きは独り朕が忠良の国民たるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。この道は実に我が王祖王宗の遺訓にして子孫国民の共に遵守すべき所。これを古今に通して誤らず、これを中外に施して悖らず。朕爾国民と共に拳々服膺して皆その徳を一にせんと願う」
国王が唱えるその詩を胸糞悪いと感じながらも、アランフットには他の生徒たちの囚われた瞳が徐々に光を失っていくのをただ見守ることしかできなかった。
「きもっちわりぃ……」
奇妙な光景だった。
国王がただ大声で詩を読んでいるだけにも関わらず、その場にいる人間は耳を傾ける以外何をすることも許されていなかった。そして聴衆自身もただ聞き入ることだけを望んでいるように見えた。
「さあ復唱せよ」
「「「朕惟うに我が王祖王宗国……」」」
国王が促すと、生徒たちは一斉に今初めて聞いたはずの詩を唱え始める。
「うそだろ?」
その光景にアランフットは驚愕した。
アランフットはその詩の一文字も覚えていなかった。国王が叫んでいるその光景に滑稽さを覚え、そして自分以外の生徒の表情を見て奇妙に感じただけだ。
そもそも国王が何を言っているのかほとんど聞き取れていない。はるか昔の国王がその当時の言葉で造っているのだ。馴染みがない現代人が理解できる方がおかしい、と思いたいのがアランフットの本音だった。だが、この場で異端なのはむしろアランフットの方だ。それを認めざるを得ない状況だった。
「絶対なんかやってるだろ」
アランフットは国王の良からぬ作為を感じ取る。そしてそれが自分だけではなく大切な友人に向けられていることも。
アランフットは国王に鋭い視線を向ける。
「シュナとラミにまで……」
うまく言葉にはできないが、とても嫌なことをされているとアランフットは思った。怒りを感じた。腑が煮えくり返って我を忘れそうになる。
だが冷静にならなくてはいけないこともアランフットにはわかっていた。だからこそアランフットは必死に動いた。
もしかしたら先程自分が感じた苦しみを二人は今体感しているのかもしれない。そんなことを黙って見逃すことができるわけがなかった。
「シュナ大丈夫か?目を覚ませ!」
「父母に孝に兄弟に友に……」
アランフットは急いで左隣に座っているシュナイトの頬を引っ張る。何をすれば正気に戻るのかはわからなかったが、とにかく手あたり次第シュナイトの顔の部品を引っ張った。だがシュナイトは明確な反応を示さず、操られているかのように光を失った目で詩を唱え続けている。
その様子を確認したアランフットはもう一度国王を睨む。今度は国王と視線が交錯したが、国王はアランフットの行動を意に介することなく、詩を唱える子供たちを満足そうに眺めていた。
「この野郎ぉ……」
アランフットには一旦落ち着けたはずの怒りが、憎しみが、再度ぶり返してくる。自分の大切な人間を縛り付けるその行為は断じて許せるものではなかった。
「俺の友達に……手を……出すな!」
額から熱い何かが身体全体に広がり、静かな怒りで身体が燃え上がる。瞳は緋色に変色し、身体からも微かに緋色のオーラが滲み出る。
その変化にアランフット自身は気づいていないが、力があふれていることは自覚していた。
「エッダ……」
「はっ」
アランフットの動きを見ていた国王は横に控えるエッダの名を呼ぶ。それはアランフットの対処をしろという命令を意味し、瞬時に理解をしたエッダは国王の前に立った。
それと同時にアランフットも立ち上がり、怒りで緋色に燃える瞳は国王だけを見据えていた。
「おらっ!!」
エッダが宙に舞った座布団を認識したと同時に、アランフットが目の前で握りこぶしを振り上げているのを見た。だがエッダは国内最強の四眷属。咄嗟の事にも動じずに簡単にアランフットの拳を掌で受け止める。
「ぐぐぐ」
アランフットはエッダの手から逃れようとするが、がっしりと握られた拳はびくともしなかった。そのことを理解したアランフットは一旦エッダと自分の拳のことは忘れ、再度国王に目を向け叫ぶ。
「こんなこと今すぐ止めろ!!」
アランフットの言葉は確実に耳に届いているはずだが、国王はアランフットを見ようともしない。「エッダ……」と、静かに部下の名前を呼ぶだけ。国王自身はアランフットには関わらないようにエッダに命令しているようだ。
「ごめんね。僕も怒られたくはないから、静かにしていて……ねっ」
「があっ」
エッダが急に体を捻ったかと思うと、強烈な衝撃がアランフットの腹に走った。目を下に向けると長い脚が自身の腹にめり込んでいるのが見える。衝撃の原因を理解したと同時にアランフットの身体は後方へ吹き飛ばされた。
「くそっ!今の俺の力じゃクソジジイの足元にも及ばねェ……」
アランフットは彼我戦力の差を見誤るほど愚かではなかった。国王に敵わなずにこの謎の行為を止めることができないのならば、直接自分が友人を助けるしかない。そう思ったアランフットは瞬時に頭を切り替え、友人の救出に向かう。
急いで自席に戻り、もう一度シュナイトの頬を引っ張り正気に戻そうとする。先程は何も起こらなかった。念のためやってみただけで、意味がなければシュナイトの身体を殴ったり蹴ったり、ぼこぼこにする決心がアランフットにはあった。
しかし一点だけ先程の状況とは違う点がある。それはアランフットの身体からは緋色のオーラが溢れ出ていることだ。アランフットはその状態のままシュナイトの体に触れる。すると当然緋色のオーラもシュナイトの身体に触れる。
「頼む……」
アランフットは祈るような気持ちでシュナイトの頬を引っ張り続ける。じんわりと緋色の力のがシュナイトに流れ込んでいく。その力は母の慈愛のように優しくシュナイトの存在ごと包み込み暖めた。
「はっ!!」
シュナイトの目は光を取り戻した。
「いたたたたた。急に何をするんだ」
シュナイトの意識が元に戻った。「よかったぁ」とアランフットは胸を撫でおろす。国王に一矢報いることはできなかったが、友人を助けることはできた。最低限の目標は達成できたのだ。
シュナイトが正気に戻り安心したのか、アランフットの身体の変化は静かに消えていった。
「だめじゃないか。国王様が来るんだから静かにしない……と……」
我に返ったシュナイトは今までの自身の奇行に全く気づいていないどころか、新入生の前に立ち満足気な笑顔を浮かべている国王の姿と周囲の状況を見て言葉を失う。
「どうなっているんだ……」
シュナイトは辺りの異様な空気に気が付き、すぐに辺りを探ろうとするが、アランフットはそれを制止した。「国王にばれるから動いちゃだめだ」と。
「じゃあ僕を起こしたときはどうしたんだよ!」とツッコんでいる余裕は今のシュナイトにはない。シュナイトはなるべく身体を動かさないように瞳だけを動かして周囲の状況を探った。
「皆どうしてしまったんだ。意味のわからないことを唱えている」
「やっぱり覚えてないのか。国王が詩を詠んでただろ?それをみんなで詠んでんだよ」
「え?そんなの聞いた覚えがないよ」
「みんな変な感じだから怪しくなっ……て、どうしたシュナ?」
アランフットはゆっくりと顔をこちらに向けたシュナイトが、自分ではなく自分の更に奥を見ようとしていることに気がついた。
「ラミは起こした?」
「あっ……」
まだだった。
アランフットはシュナイトが正気に戻ったことに喜び過ぎて、右隣のラミもまた詩を唱えていることを失念していた。詩はもう終盤に差し掛かっている。
「ラミ!起きろ!」
もう形振りは構っていられなかった。すぐにラミの方へ振り返り肩を揺さぶるが、時既に遅し。
「――せんと願う」
アランフットの救出は間に合わず、ラミはその全てを唱え終わってしまった。
「諸君!!素晴らしい朗読であった!以上!!」
国王は最後に一同を見渡した後、満足そうにその場を立ち去った。
「では解散だ。明日からの授業に遅れないようにね」
エッダも早々に切り上げ、国王の背中を追いかけて慌てて「朝堂院」を後にした。
これにてコレジオ入学式は終了。
明らかに国王によって操られていた新入生たちは特に何にも疑問を持たず、何にも気づかず、各々帰宅の支度を始めていた。
そんな彼らの動きには目もくれず、アランフットはラミに顔を近づけ心配そうに瞳を覗き込んだ。
「大丈夫かラミ。身体になんか変化はないか?」
「どどど、どうしたの?そんなに見つめないでよ。なにも出ないよ?」
アランフットに顔を覗き込まれ、頬を赤らめて眼を逸らすラミ。
「本当になんともないのかい?」
「シュナまでどうしたの……いつも通りだよ?」
ラミは腕を曲げ、全く無い力こぶを作って身体に異状がないことを二人に伝える。
「ならいいんだけど……」
「なんかあれば俺に言えよ。あのクソジジイのこと今度はぶっ飛ばしてやるから」
「クソジジイって……国王様の事!?あんたそんな恐ろしいことよく言えるわね」
二人は心配そうな目をラミに向けるが、当の本人は二人が一体何をそんなに心配しているのかを理解できないようだった。アランフットとシュナイトだけがこの状況に疑問を抱いていた。
「下級民よ」
そこにシクルが近づいて来る。ご丁寧にも二人の取り巻きを引き連れている。
「まだ直接お前に名乗っていなかったな。私の名はシクル・ラワジフ。この家名がわからないのであればそこの奴らにでも聞くといい」
「ちっ……」
言葉の端々から見下した態度を滲み出させるシクルに辟易したアランフットは、その不快感を端的な言葉で表した。
「死ね」
「このクソ野郎!!」
アランフットの吐く最大の暴言に激怒するシクルだったが、取り巻きに抑えつけられじたばたした後、なんとか振り上げた拳を収めた。
「先程と今の不敬、私は決して忘れないからな。貴族たる私に喧嘩を売ったこと後悔させてやる」
「わかったから早くどっか行ってくれよ」
アランフットは面倒くさそうに近寄ってきた三人を睨む。
「シクル君~そんなこと言わない方がいいよ~」
だが引き連れられたシクルの友人の一人、ふくよかな少年が気の抜けた声で毒を中和する。一気に空気が和み、アランフットの張り詰めた敵意も少しだけ緩む。
「はぁ……いくぞ」
シクルは「余計なことを言うな」とその少年の頭に拳骨をくらわせた後、三人はすぐにアランフットの元を去っていった。
黙って不満げな目をシュナイトに向けるアランフット。シュナイトは肩をすくめた。
「だから言ったじゃないか。目を付けられるって。それなのに忠告を無視して手を出したのはアランだよ」
「うるせ。俺はあいつのこと嫌いになったからいいんだよ」
アランフットはふくれっ面で「あれはたしかに仕方がないんだ。俺は悪くない」と一人で頷き納得する。
「でもアランがあんなことで怒るとは意外だったよ」
「そうか?俺って案外そういうもんだよ。下級民って立場に甘んじてるのもまだ許せる範囲だからだ。やっぱり人間自由が一番だよ。今って意外と自由なんだぜ?別に「北宮」に入りたいとも思うこともないし」
あれこれと一人で暮らす利点を述べるアランフット。親のいない悲しみなど遠い昔の感情だった。
「でもコレジオに通うと自由な時間が減っちゃわない?」
ラミが鋭い質問をする。アランフットは一瞬言葉に詰まるがすぐに反論する。
「自分の意思で通うからいいの!もちろん嫌になったらこっそり脱走しますし……」
「わがままなだけじゃん」
ラミはすかさず本質を突くが、そんなことアランフットは気にしない。
「まあなんにせよ、僕はアランを怒らせないように注意するよ。あんなに怖い友人の顔は見たくないからね」
「なんでだよー。喧嘩するほど仲が良いって言うだろ?」
「そんな言葉聞いたこともないよ」
「ほらほら、もう帰るよ」
「朝堂院」に残るのが最後であることに気が付いたラミは二人を立ち上がらせ、帰宅を促す。
帰路ではこれからのコレジオでの生活への希望で胸を膨らませ、三人は和気藹藹と話しながらアルミネ家へと帰って行く。
アランフットはちゃっかり昼食も頂くつもりだ。どちらにせよ着替えはアルミネ家にあるため一度取りに行かなくてはならない。そのついでに昼ご飯を一緒に食べようと誰も文句を言うまい。
○○○
「エッダァ!!」
王宮に着き玉座に座るや否や、国王はエッダの名を大声で呼んだ。その声には怒りと焦りと困惑の感情が含まれていた。
それを感じ取ったエッダは身震いをして国王の前に姿を現す。国王の腹いせに付き合わされボコボコにされたりしたらたまったものではない。
「……はっ」
これから一体何を言われるのか。エッダは覚悟を決めて国王の言葉に耳を傾けた。
「これからはお前がアランフット・クローネをしっかりと見張れ!」
やはりそう来たか、とエッダは頭を下げる。
「お、お言葉ですが、なぜ私があのような下級民を……」
「お前はなぜわしがアランフットを下級民にしたのかを忘れたのか?」
「社会の秩序を乱すからとしか……」
「そうだ。その予感がやはり当たっていた」
頭を垂れて国王の話を聞いていたエッダだが、その言葉に咄嗟に顔を上げた。
「あの動きですか……」
「そうだ。アランフットはわしの威圧に堪えた挙句、あの儀式をも弾きおった……確実に対処できるのはお前しかいない」
国王の命令を絶対遵守する身体に変化させる、二十二代国王が作り上げた最悪の《魔法》。国王の魔力が循環する「場」でその詩を全て唱えると、被術者には一切自覚されないが、いつでも傀儡へと変貌させることができる《魔法》の下地が完成する。
そしてその儀式すら被術者には認識できない。正真正銘の無自覚で、いつでも国王は国民を操れるようになっているのだ。戦時の最終手段として使うことが目的であるため、使用回数自体は歴史の中でもかなり少ないのだが。
これは戦闘における潜在能力が見出された子供たちだからこそ埋め込まれる《魔法》だ。それを弾かれてしまってはコレジオに入学させて訓練する意味がない。
「だが、予想通りの事態ではある。これで奴をコレジオに入学させた甲斐はあった。奴を制御できるようにしっかりと見張っておけよ、エッダ」
「はっ」
「下がれ」
「失礼します」
エッダはすぐに姿を消した。
その気配が消えたことを確認し、国王は苦虫を潰したような顔で大きく息を吐いた。
「悪魔の力が覚醒しかけておる。この世界の秩序をも破壊する時は迫っているのか……じきに決断しなくてはな」
アランフットがアルミネ家で食事をするのは今回が初めてか、それに近い経験です。あまりに身分が違うアラン君はさすがに一緒に食卓を囲むことは許されていないのです。あっても帰る際にお弁当的に少し食事を持たせてもらうくらいでしょう。かわいそうです。好きなものを好きなだけ食べられる今の自分の生活に感謝です。