第14話:Thing In Itself
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ケレスの能力により原型など想像もできない程折曲げられた鑓は、国王によって後々注入された《純魔力》が分離し、対を成す双剣の形に戻る。
紫陽花色の粒子がアランフットの頬に当たり消滅する。それを片目を閉じて受け止めた後、アランフットは【制限解除】を解いた。ケレスが登場したことでこれ以上自力で抵抗する必要はないと判断したのだ。
同様にケレスが登場しこれ以上の威嚇は必要ないと判断した国王は身体から放っていた光を徐々に弱めていった。
「あなたが【制限解除】をするなんて久しぶりじゃない?」
「そうさな。わしがこの国の王になってからは初めてだ」
アランフットはもう一度ケレスの背後から顔を出し国王の姿を見た。光が弱まったことで国王の姿を視認することが可能となっていた。
国王は全身に白金の甲冑を纏っている。その部品一つ一つが輝いているのだが、特に胸当ての部分が太陽がそこにあるかのように強烈な光を放ち、全体的に光が弱まっても尚そこだけは直視はできない程の明るさだった。
「ソイ!!いつまで寝てるのっ!!」
ソイはケレスの登場に安心して地面に寝ころんでいた。余計な戦闘に巻き込まれないように死んだふりをしておこうという魂胆だ。
そんなソイを見たケレスは怒鳴りつける。その声を聞いたソイは反射のように一瞬で立ち上がり、直立不動の姿勢になってケレスの方へ向く。
「はいっ!何でしょうか母様!!」
「アランちゃんの縛りを解いて先に逃げなさい」
「わかりました。でも母様は……」
「こいつを動けないようにしてから行くわ。ちなみに下の子たちもみんな動かないから安心していいわよ」
「わかりました」
国王はケレスの言葉を聞き、歯を食いしばる。そして恨めしそうにケレスを睨みつけた。
「あいつらを殺したのか?」
「さあどうかしら?あの程度で死にはしないと思うけれど」
「貴様ァ……」
***
ケレスが上にくる少し前。「玉座の間」でのこと。
「はぁはぁ……」
肩で息をするサリエリは一度もケレスに攻撃を与えることができていなかった。見えない壁によってすべての攻撃が弾かれる。この難題を攻略することがどうしてもできなかった。
「くっそ、当たらない。どーしたら……」
「どうしましょうねぇ。頑張って考えなさい」
「もっと速く動けば。或いは……」
なんとか自分に攻撃を与えようとするサリエリを尻目に、ケレスは頭上に目を凝らした。目に寄る皺が事態の深刻さを表していた。
「……悪いわねお嬢ちゃん、もう時間はなさそう」
「えっ……」
上空でアランフットは身動きが取れないこと、国王が凄まじい魔力を溜めていることを察知したのだ。こんなところで遊んでいる場合ではない。アランフットが殺されてしまえば長い時間待っていた計画が始まる前に水泡に帰してしまう。
「少し眠っておいてちょうだい」
ケレスは瞬時にサリエリの横に移動し、相当の実力者でなければ見逃してしまうほど素早い手刀をサリエリの首に叩き込む。
「うがっ……」
サリエリは最後の力を振り絞り何とか行かせまいとケレスの服を掴むが、すぐに意識を失いその力も緩んでしまう。ケレスは支えを失った身体を受け止めて優しく床に寝ころばせ、自身の服を掴む手も優しく外した。
だが彼女の瞳は既にエッダを捉えていた。
「そんなに睨まないでくださいよケレス様。僕はあなたの行動に対しては何もしませんよ」
「あらそう」
ケレスは微笑む。エッダもそれにつられて微笑む。穏便に話が済むに越したことはないのだ。
だがエッダの緊張が少し綻んだ瞬間、ケレスはサリエリと同様に目にも留まらぬ速さでエッダの横へ移動し手刀を繰り出す。
「っ!!」
「……危ないですよ」
だがその手はいとも簡単に受け止められていた。ケレスがその手から逃れようとしてもエッダの手は離れなかった。
ケレスは静かに怒りに燃える花緑青色の瞳でエッダを見透かすように睨め回した。
「どういうつもりよ、『嘘つき』君」
「どうか僕のことは見逃してくれませんかね。今回は絶対に手は出さないとあのお方に誓いましょう」
「本当にいいのかしら?私がアランちゃんを連れて行ったらあいつに何を言われるかわからないわよ?」
「大丈夫ですよ。先程どちらでも良いと言われたのでね」
ふん、と鼻を鳴らすケレス。
「ならいいわ。ただ、邪魔したら本当に殺すわよ」
「ええ、もちろん。僕もまだ死にたくありませんよ」
ケレスはエッダの手を振り解き、最後に一瞥をくれてからアランフットが待つ上空へ飛んで行った。
「……これで計画通りだ」
エッダのその一言は聞かずに。
***
ソイは心配そうな素振りなど見せず、ニヤニヤしながらアランフットに近づいて行った。
「大丈夫ですか~主人?」
「ああなんともないけど……痛い」
ガチガチに締め付けられたアランフットの身体は悲鳴を上げていた。
「すぐに外します。一旦全ての自然力を私に回してくれませんか?」
「……わかった」
アランフットは【制限解除】をして自然力の吸収を活性化させる。そして眼を閉じ、吸収した全ての自然力をソイへの供給に集中する。
「この量は……凄いですね」
想像を上回る量の自然力が巡ってきたことに驚いたソイは思わず声を上げた。その声に反応し眼を開けたアランフットは、目の前にいる少女の変化に驚く。
「ソイ……お前尻尾が……」
「静かにしてください、集中したいので」
ソイはアランフットに人差し指を向け言葉を遮る。時間の無い今、余計な話をしている暇はない。
顎に手を付けながら、ソイはじっくりと《土魔法:岩冥固牢》を見て回る。時々人差し指を曲げ第二関節の裏でこんこんと叩く。何かを探っているようだ。
「……なあ」
「うっさい!!」
少しだけ質問をしようとしただけにも関わらず怒鳴られたアランフットは顔を顰めた。これは本当に話しかけてはいけない状態だと、ソイとの対話は諦める。今のアランフットは助けられなければ死んでしまう。大人しくソイに従うしか生き延びる方法は無かった。
どうやら自分にできそうなことはなさそうだと判断したアランフットは、仕方なくケレスと国王の戦いを観戦しようと思った。仕方なくそう思った。
なにせ二人の戦闘はつまらない。視界の端で捉えていただけだが、先ほどから一歩も動かずにいる。
戦っていると表現するのがおかしい程、全く動いていなかった。一瞬激昂するかのように思えた国王だったが、案外落ち着いてケレスを倒そうとしている。
アランフットはそのつまらない二人を見たが、結局またすぐにソイに話しかけることになった。
「なあソイまだか?」
「もううるさいなぁ……あ、ここか。見つけました」
何もできないくせに五月蠅いアランフットを黙らせようとした矢先、ソイは探していたものを遂に見つけ出す。
「なにを?」
「魔力が一番薄いところです。《土魔法》はね、こういうところが欠点なんですよ」
ソイは拳を握る。一瞬ソイに身体が引き付けられるような錯覚を覚え、何事だとアランフットはソイを見る。
ソイが振り上げた拳は濃い花緑青色のオーラに包まれ、その拳自体は見えなくなっていた。その色はアランフットでも出すことのできない程濃い。
「お前、すげェな」
アランフットはソイの実力を知り、必要以上にからかって怒らせるのはやめておこうと身を震わせた。
ソイはその拳を見つけたというある一点に向かって力強く振り下ろした。
「でりゃぁ!」
ソイが殴った一点から花緑青色の力は拘束全体へと広がった。その後すぐにバキバキ、と罅が入り、アランフットの力ではびくともしなかった国王の《土魔法:岩冥固牢》は一気に崩壊した。
アランフットは地面に膝を着きじんわりと痛む全身に自然力を取り込んだ。
「休んでいる暇はありませんよ。急いで逃げましょう」
そんなアランフットを見てソイは急かした。ケレスがなぜ国王と戦わないかを彼女は見抜いていたのだ。
だがアランフットはソイがいとも簡単に拘束を破壊したことに納得がいかず、ソイを呼び止める。
「待てよ。今のがどういうことなのか教えてくれ」
「そういうことはあっちで教えますから今はとにかく逃げましょう。母様!先に行きますよ」
アランフットの手を引っ張りつつ、ソイはケレスに報告する。
「早く行きなさい。王都の外で会いましょう」
尚もアランフットの手を引っ張るソイに、「ちょっと待て」とアランフットは立ち止まる。そしてソイに供給していた自然力を自分に還元する。内包される自然力が増し、より多くの緋色の粒子が展開された。
そしてアランフットがソイの身体を抱きかかえた時、これから展開されるであろう最悪のシナリオに辿り着いたソイはアランフットの腕から逃れようと身体をよじった。
「ちょっとちょっと!まさかここから飛ぶ気じゃないですよね?」
「……あ?それ以外どうやって降りるんだよ。この地面浮いてるんだぜ?」
「やだやだ。私は一回消えます!!」
ソイは青ざめた顔で何とかアランフットの手から逃れようとするが、アランフットは全く力を緩めようとしない。
「だーめだよ。俺に何かあったらどうすんだ。お前がいなきゃ俺は勝てないんだよ!」
「いやいや、そんな腑抜けた発言を堂々としないでくださいよ」
「俺にはお前が必要なんだよ、ソイ」
純粋な目で真っすぐ見つめられ、ソイは目を泳がす。
「うぬぬぬぬ。し、仕方ありませ……ギャアァァァァ」
ソイの言葉を最後まで聞かず、アランフットは躊躇なく飛び降りた。その直後背中で何かが爆ぜる音が聞こえ、爆風が二人の背中を強く押した。
涙を浮かべながら泣き叫ぶソイを抱え、アランフットは満面の笑みで「ジンヤパ城」の屋根まで降りる。この時「玉座の間」の屋根ではなく「ジンヤパ城」に降りたのはここら一帯では最も高さのある建造物だからだ。高い場所から飛んだ方が安全だろうと判断したのだ。
「王都の外ってめちゃくちゃ遠いじゃん……」
アランフットは文句を言いながらも屋根を力強く蹴り、今度は地面と平行に移動を始まる。ソイは泣き叫ぶ元気も無く、ただ静かに涙を流しアランフットの腕にしがみついていた。
「……やはり簡単には行かせてくれぬか」
「別に行ってもよかったのよ?あなたが私から目を離したら殺すつもりだったけれど」
アランフットの動きを止めるため国王が放った《魔法》はケレスによって防がれた。アランフットの背後の爆音は、国王の放った《魔法》をケレスが弾いたもの時に生まれたものだった。
国王はケレスを睨みながらも、素早く対を成す黄金の双剣を自らの手元は取り寄せた。それは《浮遊魔力》を扱うだけでは再現不可能。《純魔力》を無限に使える国王だからこそ成せる芸当だった。
「まあ良い。お前を倒してからでも遅くない」
国王は淡々と話す。今このタイミングで激情を交えても意味がない。淡々と、粛々と、黙々と、ケレスを再起不能にしアランフットを止めなくてはなくてはならない。
「口には気を付けたほうがいいわ。私の力は知っているでしょう?」
「確かにお主の力は強大だ。だがあえて同じ言葉を返そう。お主もわしの力を知っているだろう?」
「うふっ。上等よ、ぼうや」
国王の放つ檸檬色の粒子が空間一帯を覆う。同時にケレスが放つ花緑青色のオーラも空間を満たした。
人間力の頂点と自然力の頂点がぶつかり合う。この二人が戦うとどうなるのか、それを知る者はいない。
○○○
「わかったかい?それじゃあ作戦通りにいくよ」
「ねえちょっと、あれアランじゃない?」
「ほ、ほんとだ!本当にアランは空が飛べたのか……」
「そんなことに感心している場合じゃないわ。おーい!アラーン!」
「大内裏」と他を隔てる境界線に設置された「玄武門」の前で話していたラミとシュナイトは、上空を飛ぶアランフットの姿を見つけた。
下の方から名前を呼ばれたような気がしたアランフットは眼下に目を凝らす。
「シュナ!ラミ!」
最も親しい友人を発見したアランフットは嬉しそうに叫ぶ。
そして「玄武門」の上に降り立った。
「アラン!大丈夫なの?」
国王に処刑されるという話だった。それが今生きた姿で外に出てきている。国王に反逆行為をしたことは明らかだ。
シュナイトはアランフットがまだ殺されていないことに胸を撫でおろしたが、まだ危機が去っていないことはわかる。
危機が去ることなどないことはわかっている。
「大丈夫じゃない!すぐに逃げなきゃいけないんだ!」
「主人話している時間なんてありませんよ」
わかっている。アランフットに残された時間は少ないことはわかっているが、少し時間が欲しかった。
ラミもシュナイトもまだアランフットと別れる心の準備はできていない。
「少しどこかで話せないかい?」
「だってよソイ。いいだろ?」
「うむむ……少しだけですよ」
「二人とも!羅城門まで来て!その上で待ってる」
そう言い残してアランフットは「玄武門」の一部を破壊するほどの力で蹴って飛んで行った。
「急ごう。アランとは今生の別れになるかもしれない」
「えっ……」
「国王に命を狙われてるのに逃げ出すんだ。生き残るのがそもそも不可能に近い。逃げ切れたとしても少なくともこの国にはもう戻ってこれないよ」
「そっか……じゃあ急がなきゃだね」
二人は流れるような動きで走り出しと同時に【制限解除】をして全力で走り出した。
***
「なあソイ」
一足先に羅城門へ到着したアランフットはどうしても気になっていたことをソイに質問する。
「なんです?」
「その尻尾さ、どうなってんの?」
「しっぽ??」
ふさふさの尻尾を身体の前に持ってきたソイは、自分の尻尾の状態を確認するとみるみるうちに顔を赤くした。
「なに見てるんですか!へんたいっ!!」
「ごはっ」
突然腹を思いっきり殴られたアランフットは、腹を押さえて蹲りソイを睨む。
「なにすんだてめェ……」
「ふんっ!もう主人なんて知らないんだから!」
いつの間にか尻尾をもとの状態に戻したソイは腕を組み頬を膨らませながらそっぽを向いた。
その様子を見たアランフットはため息をつき胡坐をかく。
「なあソイ、俺はこれからどこに行くんだ?」
「謝ってくれないと答えません」
ご立腹なソイはアランフットのことを見ようともしない。面倒くさいことになったとアランフットは頭を掻き毟り、投げやりに謝罪する。
「ああ、悪かった悪かった。俺が全て悪かったよ!」
「気持ちが籠っていないので嫌です」
「このやろう……」とアランフットは拳を握った。どうやらこのガキにはわからせなくてはならないみたいだ。アランフット・クローネという男の真の怖さを。
アランフットは既にソイの弱点は把握済みだ。予想段階ではあるが自信はある。
「ごめんって、言ってるだ~ろっ!」
「うきゃあ!!」
アランフットに尻尾を思い切り握られ抱き寄せられたソイは、顔を赤らめ涙を浮かべながらアランフットの胸をポコスカと殴る。
「いやぁ、ソイはほんとにモフモフだなあ」
アランフットは顔を緩めソイの大きな耳をモフる。
遂に羞恥心に耐えられなくなったソイはアランフットの胸をドンと押し立ち上がる。
「で?質問は何ですか?」
まだ怒っている様子ではあるがアランフットの質問には答えてくれるらしい。
アランフットはソイに倒された身体を起こして座りなおす。
「これからどこに行くんだ?安全な場所に逃がしてくれるんだろ?」
「へ?そんなこと言いましたか?確かに逃すとは言いましたけど安全は保証できませんよ?」
「えっ?」
急いで羅城門を降りて行こうと立ち上がったアランフットの腕をソイはがっしりと掴んだ。
「逃げようったってそうはいきませんよ。あなたは母様の意志を継ぐ者ですからね」
「いやいや、俺そんなこと聞いてないし、俺がそんなことに従うわけが……」
確かにアランフットは何も聞いていなかった。
ソイが急に現れ助けてくれるというから助けてもらった。ケレスが助けてくれるから助けてもらった。
だが目的が何なのか、見返りは何なのか、アランフットのことを助ける理由がわからない。
アランフットが世界を救うから何なのか。
アランフットが従いたくない考えを二人が持っているのなら、二人は紛れもない敵ということになる。
「もしかしてお前たちは……」
「なんですか!?」
急に何もかもが怪しく感じてきてしまったアランフットはソイに詰問しようとしたが、それは言葉にならずに終わる。
「な、なんでこんなところに手が……」
本来誰も来るはずのない羅城門の最上部。なぜだかそこに下から手が伸びてきたのをアランフットは見てしまった。
一気に顔から血の気が引く。
ソイもその手を発見し、あまりの不気味さにアランフットに抱き着く。
「ひっ……ままま主人、なんですかあれ」
「いや、わかんねーよ。お、お前見て来いよ」
「い、いやですよこんな不気味な……」
互いが互いの身体を押し合い、どうにか自分はその場から離れようとするが膠着して動けない。
だがその不気味な手の正体はすぐに分かった。
「ひどいな……僕だよ。ここに呼んだのは君たちじゃないか」
「よいしょ」と言いながらシュナイトが這い上がり、それに続いてラミも上がってきた。
「着いたなら呼んでくれれば迎えに行ったのに」
「待つより早いと思って」
「てか着くの早いな」
思ったよりも早い到着にアランフットは驚いた。
ここから長々と会話を始めそうな雰囲気を感じ取ったソイは「おほん」と小さく咳払いをしてソイはアランフットたちの会話を制した。
「時間がありません。お別れは手短に済ませてください」
目を瞑って偉そうに言ってみたものの、なかなか会話が始まらない。
どうしたものかと不思議に思い片目をうっすら開けると、なぜだか自分に目線が集まっていることにソイは気が付いた。
ラミは手を口に持っていき、わなわなと震えながらアランフットに問う。
「ね、ねえアラン、この子は……」
「こいつはなソイって言うんだけど……何なのかはよくわからない」
「さ、触ってもいい?」
ぎょっと目を見開いたソイはアランフットに助けを求めて目線を送るが、アランフットはニヤニヤして見下すだけ。
「や、やめてくださいよ?私ここからいったん消えますね?……あれ、消えられない」
ソイは何かに思い当たりアランフットの顔を見た。喜色満面の笑みを顔を浮かべながらアランフットはソイを見返した。
ソイがこの『世界』に顕現するためには自然力を供給してもらうしかない。ソイがその供給を断とうとしても、断てないくらい大量に送り続ければソイはこの『世界』から消えられない。
それを理解したソイは恨めしそうな顔をしながら諦めたように身体をラミに明け渡した。
「きゃーー、かーわーいーいー!!」
ラミはこの見たこともないモフモフの生物に夢中だった。
耳を触り尻尾を触りやりたい放題。とても満足げな顔をして頬を紅潮させている。
そして嫌がっていたはずのソイもなぜか恍惚とした表情を浮かべている。よほどラミの触り方が気持ち良いのか、「ラミ姉さん~」などと譫言のように呟いている。
そんな二人を横目にアランフットとシュナイトは話を進める。
「僕らはアランが国王に命を狙われていると聞いて君を助けようと思って……」
「ごめんな心配かけて。でも命に関してはなんともない」
「そうみたいだね。安心したよ。僕にもラミにも君の存在は欠かせないからね。でも……」
シュナイトが言わんとしていることにアランフットは頷く。
「ああ、この国にはもういられない」
「あてはあるのかい?ナイヤチ共和国は危ないけど、別の大陸に移ればジンヤパ王国との友好国もある。そこまで行ければ何とか生きていけるとは思うけど、国王が指名手配などしたら君は一生逃げ続けなければいけない生活になってしまう」
「心配には及びませんよ」
ラミに抱きしめられた状態のままソイは言う。
「これからアランフット君には特別な場所で修業をしてもらいます。そこには私と母様しか辿り着くことはできません。だから絶対に襲われたりはしません。気長に待っていればまたいつか会うことができます。まあそれが何年後になるかはわかりませんが。アランフット君の器が完成するまではこちらには帰ってこないでしょうから」
「本当なの?本当にアランはいなくなっちゃうの?」
ラミは頭ではわっかていたものの、いよいよ現実味を帯びてきたアランフットとの別れに涙を浮かべた。
「ああ……。俺も初めて聞いたけど、そういうことになる」
「え……言ってませんでしたっけ?」
ラミとシュナイトに猜疑心を向けられては面倒くさいと判断したソイはすっとぼける。
「で、そこの子が言っている母様というのは誰なんだい?」
シュナイトは問う。それの人物はアランフットの身を預けても問題ない人物なのかと。
「ああそれはですね……」
「私のことよ」
ただでさえ高度の高い羅城門のさらに上から声がかかった。ケレスだ。
「あ、ケレスさん。国王はどうしたんですか?」
「あんなガキ私が本気出したら瞬殺よ」
「えっ殺したんすか?」
「もうっ、比喩よ比喩」
ケレスは笑ながら羅城門へ降りる。
ケレスと呼ばれた女性とアランフットは思いのほか良好な関係らしいと見たシュナイトは安堵しつつ、ケレスに問う。
「あのケレスさん、アランのことはお願いしていいのでしょうか」
「ん?君は……」
「失礼しました。僕はシュナイト・アルミネと申します。隣にいるのは……」
シュナイトはラミのことを紹介しようとするが、ケレスはそれを遮る。
「いやいや、知ってるわ。シュナイト君とラミちゃんでしょ。アランちゃんのことは心配だと思うけれど大丈夫。絶対に危害は加えさせないわ。大丈夫、早くて十年後には帰ってくるわ」
想像していたよりも遥かに大きな数字を提示され、シュナイトとラミは言葉を失う。
「じゅ、十年……」
「そんな……そんなにアランと会えないの?」
「まあ別に死ぬわけじゃないんだし」
おちゃらけたアランフットとは裏腹に、ラミは涙を流しながらアランフットの胸に顔をこすりつける。
「そういうことじゃないでしょ……ばかぁ」
自分より少し背の高い子にすがられるとはなんとも変な気分だ、とぐらいにしかアランフットは思わなかったが、ソイはアランフットのことをにやけた顔で見る。
いつの間にかシュナイトも顔を赤くし、鼻をすすりながら話していた。
「ではケレスさん……アランのことよろしくお願いします。彼は生意気で腹が立つこともよくありますが……」
「おいっ」
「根は真面目で明るい人です。彼の何が国王の癇に障ったのかわかりませんが今まで不当な扱いを受けてきました。どうかあなた方はアランに優しくしてあげてください」
「やめろよ恥ずかしい」
アランフットは顔の前で手を振る。今なおにやけた顔で自分を見るソイの頭には拳骨を落しておいた。
「心優しき少年、君もまた選ばれた人間だ。否が応でもアランちゃんとはいづれ引かれ合う。その時までの辛抱だよ」
「……わかりました」
シュナイトだけアランフットとの再会を約束され、ラミは不満げに涙に濡れた顔を上げる。
「私は?」
「君もだよお嬢ちゃん。想い続ければきっとまた再開できる」
「うん!」
ラミはアランフットから離れ元気よく答えた。ケレスは顔を上げる。
「そろそろ行こうか。アランちゃん最後の言葉を」
「ああ」
その隙にケレスはソイに目配せをして何かを伝える。
「シュナ、ラミ、俺は絶対に帰ってくる。この国には住めなくともお前たちにはこっそり会いに来るよ」
「待ってるよ……僕は今決めた。四眷属になる。そうすれば国外に出る回数も多くなるしアランに合うことも簡単になると思う」
「えっ、じゃあ私もなるよ」
「家はいいのか?」
「ショナイトに任せればいいさ」
「私も何とかする。絶対四眷属になる!」
「じゃあ次合うときは二人ともお偉いさんかもな。元気にしとけよ」
「アランも健康には気を付けて」
「私たちのこと忘れないでよ」
三人は拳を合わせて笑みを浮かべた。
「じゃあな」「じゃあ」「じゃあね」
○○○
アランフットは拳を離し、すぐに進行方向へ振り返った。
存外冷めたものだった。離別に躊躇はなかった。
その隙にソイはシュナイトに近寄り手をサラッと触り、またアランフットの元へ戻る。
一体何だったのかとシュナイトとラミは顔を見合わせた。
「じゃあアランちゃん、もう一度【制限解除】をしてちょうだい。王都を抜けてから一気にあっちに移動するわ」
「わかりました」
アランフットは大きく息を吸い込んで叫んだ。
「【制限解除】!!」
激しい風と共に緋色に光り輝く粒子が辺りに分散した。その粒子はもちろん後ろにいる二人も包み込む。
「アランの色ってなんで違うんだろうね、シュナ」
「……」
「シュナ?」
ラミは返事がないシュナイトのほうを向いた。
想定した場所にシュナイトの顔はなかった。そしてラミはシュナイトが頭を抱えて蹲っていることに気が付く。すぐに駆け寄り状態を確認した。
「大丈夫?」
「あ、頭が……」
周りに何もない現状でシュナイトを介抱できないラミがあたふたしているところにソイが忠告する。
「ラミ姉さん!シュナイト君のことはしっかりとおさえておいてください!」
「どういうことソイちゃん!私はどうすれば……」
「とにかくシュナイト君をその場にとどめておいてください」
ケレスはアランフットを促す。
「行くわよ」
「ちょっ、シュナが……」
「大丈夫。必要な工程よ」
「だけど……」
ケレスはそれでもなおシュナイトに駆け寄ろうとするアランフットの襟をつかみ、ソイを頭の上にのせて羅城門の天井を蹴った。
「シュナー!!」
「ア、アラン……」
突如シュナイトの【制限】が外れ、檸檬色の粒子と共に大きな翼が大空に広がる。
それはコレジオの授業で見せた翼の大きさとは比にならないほど大きく、天にも届く勢いで大きく展開された。
羅城門の上には緋色と檸檬色の粒子が慌ただしく混沌と入り乱れる。
「あ、あが、うがぁ……」
シュナイトは苦しそうに呻き声を出し、涎を垂らしながら頭を掻き毟る。眼球は充血し、呼吸は荒い。
変化が起きたのはその直後。
ラミは辺りが薄暗くなったように感じた。そしてまた元の明るさに戻る。暗くなり明るくなる。それが繰り返された。
原因はシュナイトが【制限解除】をした時に発生した檸檬色の粒子が点滅している事だった。
檸檬色から藍色に、藍色から檸檬色に。
檸檬色から藍色、藍色から檸檬色。
檸檬色藍色、藍色檸檬色。
檸檬藍、藍檸檬、檸檬藍、藍檸檬――
「何が起きているの……」
粒子の点滅は段々と速度を増す。
あまりにも点滅が続き少し気分が悪くなった頃にやっと点滅は止まり、辺りはまた薄暗くなる。
ラミは安心して息を吐いた。皆がいなくなり心細かったが、これで事態が収まったと思った。
だがシュナイトが起き上がる気配はない。
光が消えたかと思うと、今度は一段と明るくなり辺りを照らす。
ラミは優しい色だと思った。
懐かしくも感じた。そして今までアランフットが放っていた緋色の粒子がどうしようもなく恐ろしく感じられた。
半透明の藍色だった。
シュナイトの檸檬色だった粒子は、いつの間にか藍色の粒子に変色していた。
「あ、あいつを、あいツヲ、アイツヲ、タおさナキゃ」
「何言ってるの、あれはアランだよ」
既に遠くまで行き、米粒ほどの大きさしか見えないアランフット一行を指さしてラミは説明するが、シュナイトは全く聞く耳を持たない。
「うるさイ。オ前はダマッテイロ!!」
「シュナ……眼が……」
なだめるラミを威嚇して睨むシュナイトの瞳の色が藍色に変化していることにラミは気が付く。
その瞳の変化でシュナイトの豹変は絶対に自分が何とかでるようなことではないとラミは悟った。
シュナイトの変化を背中で感じつつ、ケレスはアランフットに注意する。
「アランちゃん見ちゃだめよ」
「いや、もう遅い……」
アランフットが発生させる緋色の粒子も通常よりも輝きを増し、そしてシュナイト同様にアランフットの瞳も緋色に変色していた。
アランフットの身体は耐え難い衝動に蝕まれ、シュナイトの元へ向かおうとする。
だがケレスはそれを許さない。
アランフットはケレスの手から逃れようともがく。
「……なせっ……放せ!!」
「あら、だめだったみたいね。ソイちゃんお願い」
「へいへい」
「母様の持ち方が悪いんですよ」という言葉をぐっと飲み込み、ソイはケレスの言葉に従う。
緊張感のない会話だが、事態は割に深刻だ。
アランフットは何とかしてシュナイトの元へ行こうとする。
それは先ほどのような、シュナイトを案ずる気持ちからではない。
もっとどす黒い、暗い感情が発端だった。それはそう、まるで殺意。
「アランちゃんは静かにしてて」
ケレスはそんな素振りを見せるアランフットから大量に自然力を吸い取り気絶させる。
慌ただしく動き回っていた緋色の粒子は消え去り残りは藍色の粒子のみ。
シュナイトは今にもアランフットに襲い掛かろうと、遠くにいる標的に狙いを定めていた。
「どうしようどうしよう」
「落ち着いてくださいラミ姉さん」
「ソイちゃん!?どうしてここに……」
「やっぱり危険そうなので止めに来ました」
ソイはシュナイトの元まで駆け寄り、飛び跳ねてシュナイトの頭を軽くはたいた。
するとシュナイトは一瞬で身体が硬直したように直立し、ビクンッ痙攣する。
「ア、ラン……アラ、ン……あ、ら、ん……」
やがてシュナイトは膝から崩れ落ちる。
ラミは急いでシュナイトのもとへ駆け寄った。どうやら意識は失っている。
「そいじゃ、後は頼みます」
「ソイちゃ……」
ソイは煙なようなものを残して消えてしまった
「一体何が起きたんだろう」
ラミは不安げな顔をして眠るシュナイトの頭を撫でた。
***
王都を囲う山「守護山」を越えたあたりでソイはアランフットとケレスの元に帰ってきた。
「お帰り。ごくろうさま」
「ただいまです。まあまあうまくいったんじゃないですか?」
「そうね。まあこれは急がなくてもいいわ。まずはアランちゃんを起こしてあっちに行きましょうか」
ケレスは先ほどとは逆にアランフットに自然力を流し込み、強制的に【制限解除】をさせ意識を戻す。
「うっ……ここは?もう着いたのか?」
「まだよ。私たちは疲れるからアランちゃんの自然力を使おうと思って」
「えー、何すりゃいいんですか?」
「そこにいるだけでいいわ。入り口は私が作るから」
そう言われ、アランフットはただ突っ立っている。
ケレスはソイを頭にのせながら微笑んでいるという、アランフットにはなんとも言えない奇妙な時間が少し流れた。
「あのっ……」
「作る」というような行動を全くしないケレスに文句を言おうとした矢先、目の前の空間に変化が起きた。
視界が一瞬歪んだかと思うと、徐々に元あった空間が押し退けられていき、最終的には奇妙な円が空間に浮かんでいた。
「完成よ」
「えっこれで完成?!なんだこれ」
「くぐればわかるわ。先に行くわね」
ケレスがその浮かんだ円の中に入ると姿は消えた。
反対側から出てくるということはなく、反対側に回ったアランフットはそもそも反対側には円がないことに気が付いた。
「どこに繋がっているんだ……」
アランフットは恐る恐る足を踏み入れた。
その空間は初め暗闇で、アランフットはしばらく歩いた。そしてやっと一筋の光が見えたかと思うと、その光は一気に視界に広がった。
あまりの眩しさに目を細めつつ見たその景色をアランフットは生涯一度も忘れることはないだろう。
目の前に現れたのは緑の世界。自然に囲まれた、否、自然そのものの世界だった。
「ようこそ『物自体界』へ」
ケレスはそう言って悪魔的に微笑んだ。
○○○
「アランフットには逃げられたようですね」
「……アランフットに関しては今ここで殺せていようと、逃げられようとどちらでもよい。わしも奴も目指すのは人類の平和。道筋が変わっただけだ」
「国王様も……ずいぶんと腑抜けましたね」
「お前は誰に向かって口をきいて……ぐっ……」
玉座に座る国王の背後から腹に剣が突き刺さっていた。剣先からは血が滴る。
国王は自らに剣を突き立て、目の前へ歩んできた人物へと目をやる。
「お、お前は、いったい……」
目の前にいるのは仮面をつけた人物。国王が良く知ると思っていた声の主とは全くの別人であった。
「作戦は順調です。次の段階にあなたは必要ない。後は王子に譲りましょう」
「ふざけるなよ……。この程度でわしの動きを止められるとでも……」
国王の身体は動かそうと思ったが思うように動かない。身体が痺れて動けないのだ。
「毒か……」
「そう、あなたはもうじき死ぬ。お疲れさまでした。あなた【制限】、大切に使わせてもらいますよ」
国王は「ごぼっ」と吐血する。
国王は最後の力を振り絞り仮面の人物の足元に《土魔法》を発動するが、あえなくかわされてしまう。
だが避けられることまで予測していた国王は、仮面の男の顔面を爆発させる。
危うく直撃するところを何とか交わした仮面の人物だったが、国王の《魔法》により仮面は粉砕された。
仮面をつけていた人物は俯いていたが、段々と顔を上げ、国王にその不敵な笑みを浮かべた顔を晒す。
「お前……だったのか……」
国王はその顔を確認し、恨めしそうに呟いた後、息絶えて首を垂れた。
この国王の訃報は瞬く間に王国に広がった。
“死因は傷口から猛毒の侵入による毒殺。犯人は突如王国内に現れた謎の女性ケレス。
その過程でアランフット・クローネは国王の危機にいち早く気が付き、犯人であるケレスと応戦したが敗れて誘拐された。
彼の勇敢な行動を称して下落身分の撤廃。そして貴族相当の地位を与える。アランフット・クローネをジンヤパ王国はいつでも歓迎する。”
事の顛末の真実を知るものは少ない。だがこの報告が虚偽であることを知る者も少なからず存在する。
世界を揺るがす陰謀が動き出そうとしていた。