第11話:蓋世
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「はっ!」
短い掛け声と共に身体を引き締め気合を入れる。全身に力を込めたプラズの身体は目の錯覚か、一瞬隆起したかのようにアランフットには見えた。今にも飛びかかろうと地面に押し付ける足はその圧力によって少し床を抉っていた。
先に動いたのはプラズ。床の上では木片が舞う。
プラズは目にも留まらぬ速さでアランフットとの距離を詰めた。アランフットがプラズが動いたことを認識し、その後瞬きする間もなく気づけばプラズが目と鼻の先にいるような状態。
そして【最終状態】によって武装された右拳をアランフットの顔面を狙って突き出す。だが、アランフットは咄嗟に七星剣を顔の前に持ってくることによって辛うじてそれを受け止めた。
ガキンッ、と鈍い音が「玉座の間」に響く。
「くっ……重い」
プラズの拳は重かった。アランフットはあまりの衝撃に思わず声を漏らした。
刀身を触れば自身の手が切れてしまう。よってアランフットは七星剣を持つ右手だけでプラズの拳を受け止め、耐え続ける必要があった。二人には身長差もかなりある上、大人と子供の力の差は言うまでもない。
「ぐううううう」
アランフットは七星剣ごと押し潰されそうになるが、腰に力を入れる。そして〈妖精術〉によって風を起こし自身の身体を支え、歯を食いしばり必死に耐える。
そんな猛然と立ち向かうアランフットの姿を見てプラズは嬉しそうに笑みを零した。その口端から覗く鋭い犬歯が獰猛な肉食獣を想起させ、アランフットに多少の恐怖感を与える。
「がはは!よく耐えるなアランフット!なかなかやるじゃねぇか」
「何であんたの手は切れねーんだよ……」
「今の我の身体は鉄よりも硬いのさ」
それがはったりではないことはアランフットにもわかった。現に七星剣に触れながらその拳は一切傷ついていない。
だがそれは七星剣によってダメージを与えられないということは意味していない。身体が鉄よりも硬いのならば、鉄など簡単に切り崩せるような技で攻撃すれば良いだけの話だ。
アランフットは反撃のため、そして今のままではその拳のあまりの重さに耐えきれないため、片足を一歩後退させ体勢を整え直そうとした。
それが少しの間続いた拮抗した力の鬩ぎ合いに緩みを生じさせてしまった。アランフットの甘さが一瞬の隙を生んでしまったのだ。
「……甘い」
プラズはその勝機を見逃さなかった。
アランフットが足を下げようと脚に意識の比重が傾いた瞬間、さらに上から体重をかける。その勢いによってバランスを崩しかけたアランフットの腹に、プラズは身体を半回転させ左足の蹴りを的中させた。
「っごふっ……」
みしみし、と骨が軋む音を痛みよりも先にアランフットは観測した。
その後、急激に体外からの圧力が加わったことで口から空気も唾液も血も吐きだしながら、アランフットの腹はプラズの足から距離を取った。
七星剣は手から離れ、この『世界』から姿を消した。
「があああ」
アランフットの身体は吹き飛ばされ、壁に激突する。降りかかる瓦礫はアランフットにとって痛みを感じさせるものではなくなっていた。それよりも呼吸ができない程の痛みが腹から全体に駆け巡っている。
「ふぅぅぅぅぅ」
視界が点滅しパニックに陥りそうになるが、アランフットは落ち着いてゆっくりと息を吐いた。
痛みを感じるということはまだまだ生きている証拠だ。痛みを感じなくなり始めた時の方がまずい。ゆっくりと呼吸をし、自然力の巡りに意識を集中する。
アランフットは心を落ち着けてプラズを見た。もう腹の痛みには慣れた。
「我の方が戦闘経験は豊富なのだ。お前が後手に回ったら何もできないぞ」
「っせーな。……んなことわーってるよ」
瓦礫の中から立ち上がり、アランフットは口から血の混じった唾を吐き出す。そして服に着いた汚れを叩き落とした。
段々と口調が荒くなってきているアランフット。既に次の手は考えていた。
「もっと早く、もっと強くプラズに攻撃しなきゃいけねェ……」
花緑青色の風がアランフットの脚を集中的に渦巻き始める。
アランフットが実際に人間と戦ったことはない。しかしどう動けばいいのか、自分がどう動きたいのか、それをイメージすることはできた。そして身体は勝手についてくる。戦闘に関して天賦の才を持っていた。
そして経験がないからこそ、戦闘をするごとに、時間を追うごとにアランフットは強くなっていく。
「〈妖精術:鈴音〉」
リンッ、と鈴が鳴ったような音と緋色に輝く粒子をその場に残し、アランフットの姿はプラズの視界から消えた。
〈妖精術:鈴音〉は超高速移動術。自然力を纏った身体とさらに重点的に脚に自然力を纏わせることで成せる技。
あまりに速く動くため発動者もコントロールがうまくできないこともあるが、相手にはどこに移動したのか全く分からないため、必ず敵に隙が生じる――とアランフットは考えていた。
プラズはふん、と鼻から息を吐く。アランフットの動きが目で追えないのはわかっていた。プラズは目を閉じ視覚以外のその他全神経をアランフットの気配に集中した。
「〈妖精術:風纏剣〉」
プラズの頭上に移動したアランフットは、同じく花緑青色の風を纏い切れ味が格段に増した七星剣〈風纏剣〉を発動した。そして空中でプラズに向けて振り下ろしながら、〈妖精術:鈴音〉で疾風怒濤の如く落下する。
その動きを見切っていたエッダはすぐに声をかける。
「気をつけろプラズ!上だ!」
「わかっている!!」
激しい音と共に王城の床がえぐれた。
細かく粉砕された床が粉塵となり、傍から勝負の行方を見守る者の視界が塞がれる。アランフットの攻撃の威力も、プラズの安否も視界が晴れないことにはわからない。
皆が固唾を飲んで見守る。心配性な男一人を除いて。
「プラズっ!大丈夫か!!」
「さっきからうるさいぞエッダ!集中するから黙っていてくれ!」
プラズは間一髪のところでアランフットの攻撃を回避していた。
「くそっ!これもあたらねェのかよ!!」
アランフットは攻撃が当らない腹いせに、目の前に落ちていた床の残骸を七星剣で叩き斬った。爆風が「玉座の間」を煽り、建物全体がギシギシと軋んだ音を立てる。
威力だけは申し分ない。当たりさえすれば致命傷を与えることも難しいことではない。だが当たらない。
「なんでお前は俺の動きが見切れるんだ?」
「音がうるさいんだ。お前の攻撃は」
〈妖精術:鈴音〉はその素早い動きの代償に空気との摩擦で鈴のような音が鳴ってしまう。小さく高い音で耳を澄まさなければ気にならない程の音だが、四眷属ともなる強者ならばその技の兆候に対処しないはずがない。
四眷属の中でも戦闘センスに全振りの野生的な戦い方をするプラズや、驚異的な身体能力を誇るエッダにしか攻撃は回避できないかもしれない。現にリリーとレティシアはアランフットの動きを全く把握できていない。
だがそれでも、戦闘中であればその音が鳴っていることに気が付き何かしらの対処を施してくるだろう。
音が聞こえた後、プラズはすぐに目を閉じアランフットの気配を探った。
アランフットの剣が当るよりも少し早く、エッダが声をかけて来るよりも少し早く、頭上の気配に気がついたプラズはギリギリで回避することができたのだった。
「休んでいる暇はないぞ!」
プラズは素早い動きでアランフットとの距離を縮める。筋骨隆々の巨体にも関わらず速い。
目で追いきれない速さではないが、想像を超えるスピードのため、アランフットの対応はどうしても後手に回ってしまう。
「あっぶね」
プラズが突き出した拳をアランフットは慌てて七星剣で受け止める。
剣と拳。普通の戦闘ならば最期の一瞬だけにしか発生しない状況かもしれない。抵抗する術を失い殺される直前に拳側が死を悟る瞬間である。
だがプラズは拳でも剣に全く引けを取らない。むしろプラズの勢いはアランフットを圧倒している。この戦闘は誰がどう見てもプラズが優勢だと判断するだろう。
確かにアランフットの動きは速い。少なくともプラズが追い付けるものではない。しかしプラズには余裕があった。圧倒的強者故の余裕だ。
「がはは!いいぞ!もっと我を楽しませてくれ!!」
プラズは今の状況を最高に楽しんでいた。
ジンヤパ国内では比較的安全ではない「王都」の外に任務に出ていたとはいえ、戦闘に発展するほどの任務はほとんどやってこなかった。
「西宮」に勤務していたプラズはその任務中、大半は国境線を監視し、そこに近づく隣国の住人をそれ以上近づかないようにと《火魔法》で脅すことに時間を費やしていた。
血沸き肉躍り、命を晒した戦闘は久しぶりのものだった。
プラズが現国王に声をかけられ四眷属になった理由は、常に強者と戦えると思っていたからだった。しかし現実はそうも上手くいかないことをすぐに察した。
そもそもここ十数年、世界情勢も国内情勢も安定している方だ。プラズが四眷属になる前ほど危険思想を持った人間たちの動きも多くはなかった。
軍隊を率いる四眷属とはいえ戦闘とはほぼ無縁の生活だった。ごく稀に起こる他国とのいざこざでも最高戦力である四眷属が全力で出動することはほとんどなかった。一度だけ出動したのもプラズが四眷属となって一年目の話。その後はからきしだった。
四眷属になった当初は、その戦えないという鬱憤を唯一晴らせるのがエッダとの訓練だった。
エッダはプラズが四眷属に就任した直後に第一皇子からの強烈な推薦により四眷属となった人物だ。だからプラズはエッダの実力には半信半疑であった。現国王に認められた力では取るに取らないと思っていたのだ。
だが、国王が余興として催したエッダと手合わせの際に完敗したことで、プラズの中でエッダは好敵手としての立ち位置に定められた。
四眷属になってから数年はプラズが戦闘欲を抑えるのが我慢の限界になったときにエッダに手合わせをしてもらっていた。一度も勝ったことはないが最高に楽しい時間だった。戦闘が無くともこの時間さえ有れば良いと思えるほどであった。
だがその機会も突然失われることになる。
それは今でもプラズが根に持っている、四眷属の内プラズだけが出陣できなかったナイヤチ共和国との抗争だ(戦争までは発展しなかった)。珍しく小さくはない戦闘だったのだが、たまたまプラズは全く関わっていない。その時プラズは休暇を言い渡されており、後々エッダからその話を聞かされたのだ。
その抗争の後、鬱憤晴らしのためにエッダに手合わせを頼んでもエッダは全く取り合わなくなってしまった。「僕はもう戦わない」の一点張り。
エッダは子供の頃に起きた戦で兄のように慕っていた人物が死んだと聞いたことがある。そのトラウマ今回の闘争で再発し戦闘ができなくなったのかと、プラズは自分ながらに判断した。そこで食らい下がるほど子供でもなかった。
同時にプラズは国王からも「無駄に大規模な技を使うな」と言われ、実質エッダとの修業を禁止されたのだった。
だからアランフットとのこの戦いは本当に久しぶりの戦闘だった。この状況を笑わずにいられるだろうか。プラズに我慢することは不可能だった。
本気と本気のぶつかり合い程面白いものはない。アランフットは負けたら国王に殺されるため本気を出さない理由がない。プラズは本気を出さなければアランフットに殺されてしまうため本気を出さないわけにはいかない。
互いに命に手を掛けられた状態での戦いだ。
「俺に楽しんでるほどの余裕は……ないっ!」
アランフットは力を振り絞りプラズの身体を少し押し返したが、またしばらく二人の鬩ぎ合いは続く。アランフットも気圧されることなく、互角にプラズと張り合うことができていた。
だが剣と拳のぶつかり合いの中でアランフットがうまく七星剣を使ったためその戦況の均衡は崩れた。
それまでは全力で押し続けるプラズの拳をアランフットも同等の力で押し返すという構造だったが、そのままではいずれ自分の体力が尽きプラズに負けてしまうことをアランフットは悟った。
そこでアランフットは少しだけ手首の力を抜き、拳を受ける七星剣の可動域を広げ、素早く剣と拳を離し空間を生み出した。
押し続けるプラズの拳はその対象を失い、若干勢いそのままプラズの姿勢は前のめりになる。
「うらぁ!!」
その隙に七星剣を腕の下に潜らせたアランフットは、プラズの右腕を力強く弾く。連動してプラズの上半身はのけ反った。
胴ががら空きになり明らかにアランフットがプラズに致命傷を負わせるチャンスがやって来た。
(「いける!!」)
その瞬間アランフットは理解していた。今が勝機であることはわかっていた――だが躊躇った。
プラズの拳は【最終状態】の強化のため硬く、七星剣の刃が通ることはない。だが胴体はどうだろうか。アランフットには一抹の不安とも呼べる感情が生まれてしまった。
倒すために戦う相手に倒すことへの不安を懐くとはなんとも荒唐無稽な話だが、至極真っ当な感情だった。
胴が拳ほど硬くないのなら七星剣で斬れてしまうかもしれない。そうなればプラズの胴からは血が噴き出し死ぬかもしれない。
人間が人間を殺すことを躊躇わずにいられるはずがない。躊躇もなくそんなことができてしまう人物は本当に悪魔なのかもしれない。
アランフットは一瞬の躊躇いの後七星剣を胴に向けて振り始めたが、高速戦闘下においてそれは遅すぎる判断だった。
「貴様ぁ!!なぜ今攻撃しなかった!!」
プラズはそれを許さなかった。プラズはアランフットに弾かれた右腕をすぐさま戻し七星剣を掴み、先ほどと同様の動きでアランフットを蹴り飛ばして怒号を放った。
アランフットは返す言葉も出ない。自分でもこの状況に困惑していた。
蹴られた痛みなどなかった。決断したはずの己の行動に揺らぎが生じてしまった。そのことへの動揺が感覚の全てを奪っていった。
国王を殺すことすら厭わないと思っていた自分が、その手下を殺すことにすら逡巡する。まさかそんな感情が自分に生まれるなど予想もできていなかった。
「お前は決意を持って反逆を起こしているのだろう!たとえそれが間違っていることだとしても自分の決断には誇りを持て!!迷いが生じる程度の決断ならば貴様はこの場に立つ資格はない!!」
「……」
黙り込みうな垂れるアランフットを見てプラズは舌打ちを吐き捨てる。
「くそっ……つまらん。お前にその気がないのならお遊びはもう終わりだ」
プラズはさらに後方に下がり、右手で自分の目の前の空中に半円の弧を描いた。その弧上に七つの炎の球体が現れる。
《浮遊魔力》を感知できる者たちはそこら一帯の《浮遊魔力》がごっそり消費されたことに気が付くだろう。それは強大な《魔法》の発動を意味していた。
「国王様!!これ以上は「玉座の間」が!!」
「かまわん。危険が及べばわしが直す。それよりも戦いの行く末を見ておけ。面白いものが見れるかもしれんぞ」
国王は顎で戦闘をする二人を指し、エッダはそれに従い視線を戻した。
「《火魔法:炎弾・連撃》」
炎の弾が銃弾のように連続で発射され対象を貫く《火魔法》。《魔法》を顕現させる場所を固定することで《浮遊魔力》の供給場所が明らかになり、術者は容易に持続的に《魔法》を放出し続けられる。
一弾一弾にかなりの量の《浮遊魔力》が込められており、一弾でも途轍もない破壊力を誇る。それを連続で発射するという非常に器用で殺傷能力の高い《魔法》だ。
「戦う気がないなら避けるんじゃないぞ!」
炎の弾はアランフットに向かって銃弾のような速度で飛んで行く。一度に七つ。発射されてもすぐに炎の弾は補填され、任意のタイミングで飛ばされる。
一度発動されたら最後、術者が《魔法》を解くまでアランフットに休んでいる暇はない。
「くっ……」
迫る危機に気が付いたアランフットは必死に抵抗する。
七星剣を駆使しプラズが発射する炎の弾を捌いていくがプラズも負けていない。大量の《浮遊魔力》を消費して間髪入れずに《魔法》を発動し続ける。
プラズの銀色の髪が炎に照らされ橙色に染まる。飛び散る火の粉がアランフットの身体も剣も熱する。
お互いに体力を消耗し苦痛の表情を浮かべていた。
アランフットは身体を動かし攻撃を回避し続けることによって。プラズは【最終状態】を維持して戦うことによって。
《浮遊魔力》を使った《魔法》を発動する際は外部の力を使っているため、基本的に人体の体力はほとんど必要ない。だが【制限解除】は身体の潜在能力を引き出すため、【制限解除】をすることで《浮遊魔力》を扱う能力も向上する。
したがって、より強力な《魔法》を発動するのであれば【制限解除】をする必要がある。というよりそちらの方が《魔法》の発動がより容易になる。
そのためプラズは【最終状態】のまま《魔法》を発動し続けている。
プラズが炎弾を放ち続け、アランフットが七星剣を振り続ける。弾が発射される鈍く籠る音と、弾が掻き消される鋭く響く音が定期的に鳴り続ける。
飛び散る火の粉がアランフットの服を焦がし、空気を焦がし、不快な臭いがアランフットの精神も蝕んでいった。
「くっ……そっ!」
汗を浮かべ、辛うじてプラズの《魔法》に食らいついてきたアランフット。徐々に体力が削られていくのがアランフットにもわかっていた。明らかに疲労が溜まり身体が悲鳴を上げていた。
そして、終わりは突然にやって来る。
ある一発の炎弾を防ぎきることができず、アランフットの身体に被弾した。そこから体のバランスが崩れ始め、一発二発と当たる炎弾の数は多くなり、ついには全ての攻撃をかわすことができなくなる。
「ぐあっ……」
プラズの《魔法》によりアランフットの身体はまたもや吹っ飛ばされる。七星剣は手から離れ姿を消す。
【制限解除】も解けアランフットは生身を晒した状態になり、床に倒れ込んだ。
「……面白いものは見れないようだ」
国王もそうつぶやくほど勝敗は明白だった。アランフットからは勝ち目を見出すことはできなかった。
壁に激突した身体からは煙が上がっている。アランフットは頭を垂れ、立ち上がらない。否、立ち上がることができない。血が静かに滴り、涙さながら顎に伝って落ちていく。
プラズはとどめを刺すため、ゆっくりとアランフットに近づいて行く。
〇〇〇
――自分の決断には誇りを持て!!
プラズの言葉にアランフットの心は揺れていた。
自由になりたいという目標はあった。自分の人生の在り方を誰かに強制されるなど考えられない。
だがここまで無理をして自由を勝ち取ることなど必要なのだろうか。死の危機を感じながら頑張るほどの事を自分は求めていたのだろうか。そもそも動機が、自由になりたいと願う心が、アランフット自身にも理解できていなかった。
抵抗せずこのまま死んでしまえば自由になるのではないか。そもそも抵抗する意味はあったのだろうか。ここまで死を望まれていて生の正当性など見つけられるのだろうか。アランフットにはわからない。
確かに国王に使役されるならば自由を失うことになるが、殺されれば全てが終わる。今抵抗さえしなければ楽に殺してもらえるかもしれない。
国王に勝って自分が支配者になればいいとも思ったが、その部下にすら勝てないようであれば国王に勝てるはずがない。
アランフットは慚愧の念に駆られそうになっていた。今までの自分を全否定してしまいたい。もう全てを終わらせたかった。
「俺は死ぬべきなのかな……」
そんな言葉がアランフットの口から零れてた。
(「諦めるな」)(「お前は私たちの希望だ」)
またあの時の声がアランフットの頭の中に響いた。アランフットが初めて自由に生きたいと願ったあの日、正体不明の『影』が現れた時にアランフットに話しかけてきた声だ。
「やめろっ!!」
アランフットは耳を塞いだ。この声だ。この声が自分を狂わせる。この声がアランフットの行動を支配し、限定する。この声から解放されなければ自分は本当の意味で自由にはなれない。
(「君は自由にならなくちゃいけないんだ」)(「あなたは私たちを……」)
耳を塞いだところで頭に響く音は消えなかった。それどころが外界の音が遮断されたことでより鮮明に聞こえてくる。
「ああああああああああ」
アランフットは奇声を上げ声を掻き消そうとするが、何も変わらず声は語り掛ける。自由になれ、自由になれと。
(「『■』は生きろ。『■』のために生きればそれでいい」)
あの時の親しみを感じる声はアランフットにそう言葉をかけた。
あの時の声だと、アランフットはすぐに理解した。全ての思考を解放してくれるあの声だ。アランフットはこの声に縋る。
「俺は!俺は一体どうすればいいんだ!!」
(「『■』は生きていればいいんだ。そしていつかあいつをこ……」)
そこで言葉は途切れてしまったが、霞みがかっていたアランフットの思考は一気に晴れ上がった。全ての声は統合され、アランフットの声となる。
「いや……だめだ。死んだらだめだ。ここで死んだら本当に全てが終わる。国王が倒せないなら俺が出ていけばいい。倒せないならかわしてそのまま突き進めばいい。俺が、俺だけが、俺の道を作るんだ。それが自由ってことだ」
アランフットは壁に背中を預け、床に座りながら目線だけをプラズに向けた。プラズはゆっくりと近づいてきている。その姿を鬼と言われれば、実物を見たことがなくても納得してしまう。恐ろしいオーラを纏った人間が確実に近づいてきていた。
プラズがこちらに辿り着けばアランフットは間違いなく殺される。プラズを殺さなければアランフットは殺される。アランフットは目を閉じた。
己の目的のためならば手段を選ばなくても良いだろう。誰かが邪魔をすると言うならば殺してしまってもいいだろう。何を気にする必要があるのだろう。
人が人を殺すことに躊躇いを覚えるのは人が人を殺すからだ。臆することはない。自分は人ではない。悪魔なのだから。
目標のためには貪欲に、泥臭く、這いつくばってでも。人間らしく、人間臭く、悪魔のように自分の答えを手に入れれば良い。
「よし……」
アランフットは覚悟を決めた。
自分の目的のためには手段を選ばない。自分が生きるためになら手段を選ばない。自分が求めるものを手に入れるためなら、アランフットは手段を選ばない。
たとえその過程で人間を殺すことになったとしても。
アランフットは目を開け顔を上げた。
「……覚悟は決まったようだな」
プラズはアランフットの葛藤を見抜いていた。だからこそ少し不自然であってもゆっくりとアランフットに近づいていた。自分が辿り着けばアランフットを殺すか、自ら手を下さなくとも結果的にアランフットは死ぬことになる。
そのこと自体に躊躇いは無い。ジンヤパ王国内で国王の命令に背き、まして反逆を起こすということは万死に値する。そこに対する怒りは忘れていない。
だが一人の少年の成長を見守りたいという気持ちもプラズにはあった。プラズ自身、戦闘に明け暮れた少年期、自ら師事を仰いだ者はいなかったものの戦闘の中で先人から学び成長してきた。その機会が今アランフットにも訪れている。
契機は与えた。アランフットがこの後どうなるのか。プラズはそれが知りたかった。殺すのはそれが分かった後でも遅くはないだろう。
「ごほっ……あーあー」
アランフットは血の混じった痰を吐きだして立ち上がった。満身創痍の身体は直立することすら難しかった。だがそれでもアランフットは、壁に背を着けながらもなんとか立ち上がった。立ち上がらねばならなかった。
「残念だが、お前に我を倒すほどの力は残っていないようだ」
「……それはどうかな」
図星を突かれはったりをかます。
アランフットには決意こそ有るものの、力が無い。力が無ければ何もできない。
「うおおおおおおおおおおお」
自分の中にある残りの力を全部振り絞るように、アランフットは最期の雄叫びを上げる。
唾液が垂れようとも構わない。鼻血が出ようとも構わない。形振り構う余裕は無い。アランフットには手段も時間も残されていない。
「うおおおおおおおおおおお」
自分の中にある微かな力を探り当てるように、アランフットは産声のように不細工に雄叫びを上げる。
自分には何もない。自分一人の力では何もできない。それは痛い程わかった。
何もできなくなった自分が勝てるように、悪魔にも縋る思いで、悪魔に魂を売る勢いで。
「うおおおおおおおおおおお」
自動的に【制限解除】が行われ、緋色に輝く粒子がアランフットの身体周辺に密集した。それは今までのように拡散しているわけではない。明らかにアランフットの身体に寄り添うように展開されている。
(「冷たい……」)
冷たい風がアランフットの背後に寄り添ったような感覚をアランフットは覚えた。黒い暗い影が自分に覆いかぶさって来る。だがそれは逃げられるものではなく、アランフットは逃げる気にもならなかった。悪魔に魂を売る準備はできている。
アランフットの澄んだ黒色の瞳は、綺麗な緋色へと変色していた。
「ぐぅおおおおおおお!!!!」
プラズは立ち止まり静かに目の前の少年を見守っていた。もう少しで彼が何かを成す気がしてならなかった。
その優しさが、甘い考えが、自身の敗北を導くとは思いもせずに。
「なんだっ!!」
プラズは力の奔流を感じ声を上げた。《浮遊魔力》のように明らかな力の流れではない。まして《純魔力》ほどの大きな力を感じるわけでもない。
だが今までの戦闘の経験を蓄積した自分の身体が危険信号を発している。
顔を見上げたプラズはもう一度アランフットを見る。まだ少年は叫んでいるだけだ。だが末恐ろしい。
「嫌な感じだ……早めに潰すが吉か」
プラズは早めの対処が必要だと判断した。
これからアランフットが何をするのか見てみたい気持ちもあるが、それを見てしまえば何もかもが終わってしまうような、漠然とした不安がどうも拭いきれなかった。
あの少年には何かある。そう感じずにはいられなかった。国王が早めに消してしまおうと考えるのにも頷ける。確かにアランフットはいずれこの国の脅威になる。冗談ではなくそう考えられるほどには、アランフットの存在には凄味があった。
「……そろそろ我も時間だな」
プラズは額の角に触れた。始め程の長さは無くもう少しで額の中に隠れてしまいそうだ。これは鬼化の終了を意味している。プラズにも残されている時間は少なかった。
改めて右手に力を込め、一気にアランフットを叩きに行こうとしたその瞬間――
バコンッ
突然プラズの足元の床は大きく深く凹み、プラズの身体はそのへこんだ床の底に強く押し付けられた。
それは回避する間もない一瞬の出来事。一瞬の浮遊感を感じた後、プラズの身体はすぐに地面に叩きつけられた。
「ぐっ……なんだ……これは……」
辛うじて口は動かすプラズだが身体は全く動かせない。床もプラズの身体もミシミシと音を立てながら、圧力をかけられていく。
「まずい……」
気を抜き力を抜けばプラズの身体は圧し潰される。耐えるためには全力で【最終状態】を維持するしかなかった。
だがそうすればそうするほど強力な圧力がプラズの体力を削っていく。
「がああああああ」
自然力を吸収し鬼化をして急激に力を得ていたがそれも終わり、自然力を吸収していた反動がプラズの全身を痛めつける。
加えて【制限解除】も解け、プラズは完全に成す術がなくなった。
「はあはあ……」
アランフットは自分が発動したのかもわからない目の前の出来事に目を見開いていた。無意識の果ての事象で、自身の体力が著しく削れていることでしか己の及ぼした影響だと判断する要素が無い。
「なんだこれは。こんな力が俺にまだ……」
「ふざっ……けるなぁ!!」
一瞬檸檬色の粒子が拡散する。プラズも負けじと力を振り絞り、右手を振り上げアランフットが発動した謎の圧力を弾き飛ばす。幸い圧力は持続的なものではなく、一度抵抗すればその後の追い打ちは無かった。
そういう技なのかアランフットが未熟なだけか、それはわからないが、幸いプラズはまだ動くことができた。――限界を超えられればの話だが。
「くそがぁぁぁ!!」
気合では決して負けないプラズは凹んだ斜面に爪を立て、一歩一歩、一手一手確実に這い上がっていく。何とかして平面まで手が届きプラズは自由に動かない身体を放り出した。
しかしプラズはそこで力尽き仰向けになる。顔を横に向けると目の前には足があった。
「負けたか……」
プラズはそこで負けと共に死を悟った。顔を上げると疲れているがしっかりとした顔つきのアランフットがこちらを見下ろしているからだ。
「俺の方が……先に辿り着いたな」
「先程とは顔つきが違うな。……覚悟はできたのか?」
「ああ。俺は何が何でも生き残って、自分から自由ってものを掴み取る。誰が邪魔して来ようとも俺はそいつらを蹴散らしていく。俺は俺のために生きる。そのための犠牲は厭わない。お前はその……最初の犠牲だ」
アランフットは【制限解除】をし、七星剣を呼び出した。そしてプラズの首を落すため剣を振り上げる。
と同時に、視界の端で四眷属の三人がアランフットを止めようと動きだそうとしていることも察知する。
「〈妖精術:暴風獄〉」
アランフットは片手をその三人の方へ向け〈妖精術〉を発動する。三人は回避する間もなくその牢獄に囚われた。
国王に向けても発動したのだが、それは当たり前かのように弾き飛ばされてしまう。
アランフットは国王をそのままにしておくことを一瞬躊躇ったが、プラズにとどめを刺すことの方が早いと判断した。
そしてもう一度プラズに話しかける。
「プラズさんありがとう。最初の敵があなたで良かった。あなたのおかげで俺の生き方に覚悟ができたよ」
「我も最期に全力で戦えた。そのことには感謝しよう。……まあ我を倒したところでお前では国王様には勝てはしないがな」
「それはもういいんだ。……じゃあ、本当にさよならだ」
アランフットは一度下がってしまっていた七星剣をもう一度振り上げる。そして目を閉じ、プラズの首を狙って思いきり七星剣を振り下ろした。
「……おい」
国王は自分の背後に声をかける。
「はっ」
国王の足元にあった黒い影から何かが飛び出し、目にも留まらぬ速さでアランフットとプラズの間に割り込んだ。
キンッ、という甲高い音が王城に響く。
「……なんだ?」
とても人体を通ったとは思えない音を不審に思ったアランフットは目を開けた。
果たしてそこには謎の女性が立っていた。七星剣は謎の女性が片手に持った細い棒で受け止められている。
「なっ……お前は……」
不意に姿を現した女性にアランフットは困惑を隠せない。
見たことも無い、気配も感じなかった人物が自分の攻撃を防いでいる状況に理解が追い付かなかった。
「えっと……これはどういう……」
アランフットの虚を突いたその女性は、素早く身体を回し七星剣は叩き落としつつアランフットを蹴り飛ばそうとする。
だがどうにか反応して動くことができたアランフットは辛うじて腕で防御する。
しかしアランフットはその威力を殺すことは出来ず、身体は吹き飛ばされ勢いそのまま壁に激突した。
手から離れた七星剣は一瞬で姿を消す。
「何度も何度も蹴りやがって……」
壁に衝突した衝撃で【制限解除】が解け、〈妖精術:暴風獄〉も霧散する。四眷属の三人は何事もなかったかのようにそこに立っていた。死を覚悟し這いつくばっていたプラズもその謎の女性によって国王の元へと回収されてしまっていた。
アランフットは国王を見る。国王と四眷属と謎の女性。その五人がアランフットを見下ろす光景は、アランフットがこの「玉座の間」に到着した時となんら変化のない威圧感のある景色だった。
国王の表情からは何も感じ取れない。焦りも怒りも、或いは高揚も、何も感じられない表情をしていた。アランフットとプラズの対決が退屈な興行かのように、初めから何一つ変わらない表情をしてアランフットを見下ろしていた。
アランフットがようやく一人倒せそうだというところに出現した一人の女性によって、形勢の全てが覆されてしまう。
アランフットは謎の女性に恨みの籠った目を向けた。
「もう少しで勝てそうだったのに!邪魔しやがって!!」
風の檻から解放され、その女性の姿を見た四眷属たちは目を大きく見開く。彼らはその人物を知っていた。
その人物を見たエッダは思わず声を漏らした。
「サリエリさん……」
四眷属ですらひどく恐れる女性が、女児が、アランフットを睨みつけ仁王立ちしていた。
戦闘シーンの描写って難しいですね。頭の中にある動きをどこまで説明すれば良いのかも、それで伝わるのかもわからない。既に自分の中では出来上がってしまっている映像なので、その先入観をいかに捨てられるかの勝負だけどそんな才能も無く……