第10話:悪魔と呼ばれる少年
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地下牢獄の長い階段を抜けると薄暗い部屋に出た。何かに使う部屋というよりは、地下牢獄への階段を隠すためのスペースと考えたほうがいいような、埃っぽく小さな部屋だった。
アランフットはむず痒くなる鼻を片手で抑えながら、もう片手で壁伝いに手を這わせ、手探りで出口を探した。
「これか……」
引っ掛かりがある場所に手が触れ、それが次の部屋への扉だということを察知する。指先に力を込めその扉を開けようとするがびくともしない。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ」
片手では不可能と悟り両手で扉をこじ開けようとするがそれでも扉は開かなかった。どうしたものかとアランフットが考えていると――
「そう慌てるな。今開けてやろう」
忌々しい声にアランフットは顔を顰めるが、扉が動き出したことですぐに目を輝かせその動きに見惚れていた。
「げほげほっ」
扉が動いたことにより埃が舞い、アランフットは目を閉じて咳き込む。涙が浮かんだ目を上げると次第に光がアランフットのいる小さなスペースにも差し込んできていた。
「くう~気持ちいいなぁ~」
視界の前が白くなった。
久しぶりに身体全身で浴びる自然な光。地下牢獄にはろうそくの光以外はまともな光は無く終始薄暗かった。目が慣れてしまえば支障は無かったが、やはり自然の光は良いものだ。
アランフットは顔の前に手をかざし光をかき分けて歩みを進めた。
アランフットが地下牢獄の階段より出た場所は「玉座の間」だった。
床は木製、或いは木製に見せかけた何かであるが、壁は石作りという、歪な和洋折衷を体現しているような部屋だ。この構成は国王の趣味のようなものでいつでも変更できるようになっている。
王城と言っても本当に「城」として居を構えているのは国王の居住スペースである「正殿(ジンヤパ城)」のみである。王城とは、それを含めた「大内裏」のことを指すのであって、地下牢獄がある場所は正確には「玉座の間」という、王族以外の者が入ることが許されている最大限「正殿」に近い場所であった。
国王は多くの時間をここで過ごすため、そして国内で最強の力を持つため、犯罪者が万が一にも脱走した場合にも限りなく迅速に対応できるような作りになっている。
「やっと出てきたか、反逆者の悪魔の子よ」
アランフットが薄目を開けるとそこには五人の人間が待ち構えていた。床よりも三段程高い位置にある金色の玉座に座る国王。そして段差の下に左右二人ずつ分かれて立つ四眷属たち。
エッダの隣とプラズの隣に一人ずつ見覚えのない女性が立っていることをアランフットは確認した。
(「やっぱりあれが四眷属の残り二人か」)
いずれ戦うかもしれない脅威へ目を向けたが、エッダやプラズと比べると戦闘力はやや劣るだろうとアランフットは判断した。
「……なんだ、待ってたのかよ」
物々しい雰囲気が溢れる部屋の中、アランフットだけが異質に不敵な笑みを浮かべていた。
「我々にはお前が出てくることはわかっていたからな!」
アランフットはむっ、と眉間に皺を寄せた。真っ先に口を開いたプラズだったからだ。アランフットは一蹴する。
「いや、お前は興味ない。用あるのは国王だけだ」
「はっ!!いきなり国王様が相手をして下さると思うなよ。お前の相手は我で十分だ」
そう言ってプラズは国王に目線を送った。示し合わせた発言ではなくプラズが一人走った結果の発言であるため、国王の許可が必要と考えたからだ。
プラズの目を見た国王は黙って小さく頷き、他の四眷属には少し距離を取るように指示を出した。
アランフットはプラズの瞳を睨み、指の関節を鳴らした。
国王との対話の後、早急に結論を出そうと考えていたが一筋縄ではいかないようだ。アランフットが想定していた最悪のシナリオ、四眷属全員と戦ってから国王と対戦という可能性も現実味を帯びてきた。
「めんどくせーな。お前じゃあもう俺の相手にはならないぞ」
「ぬかせ小僧。お前ごとき前回と同様生身で倒してやるわ」
「じゃあせいぜい死なないように頑張ってくれ」
アランフットは口角を上げる。修業を経たアランフットを前と同じ子供だと思っていると痛い目を見る。自然力の扱い方を習得し、〈妖精術〉を意識的に使えるようになったアランフットは強い。
アランフットの風格ともいうべき、外見から感じ取れる本人が放つ雰囲気は、地下牢獄に幽閉された時の子供とは明らかに異なるものだった。それは誰の目から見ても明らかだった。
「国王様っ!!」
エッダはその変化に気が付きすぐに国王に声をかけるが、国王はエッダを手で制した。「黙って見ておけ」と言われたように感じたエッダは口を噤み、プラズの戦闘を静かに見守ることにした。
「おいおい……嘘だろ……」
その立ち姿を見たプラズは額から垂れ流れてくる汗を感じ取った。
「嘘」という言葉にはアランフットの急成長が信じられないという意味もあったが、むしろ目の前の子供に多かれ少なかれ恐怖心を抱いてしまっている自分が信じられなかった。
プラズには自分が強いという自覚があった。国内でプラズに勝てるほどの実力を持っている者は片手で数えられる程度しかいないのは事実だ。プラズの強さは盲目的な評価ではなく客観的な判断だ。
その自他共に強さを認める自分がぽっと出の子供に負けるはずがないと鼻で笑いたいところだが、理性では抑えきれない本能でアランフットという少年に恐怖心を抱いてしまっていることも認めざるを得ない状況だった。
(「落ち着け、相手は子供だ。我の相手ではない。慎重に動けばいい」)
と、プラズが考えていた矢先――
「なにっ!!」
手品で物体が一瞬で消え去るように、アランフットの姿は突如としてプラズの視界から消えた。否、傍から観戦していた者たちですら、その予想外のスピードから、誰もアランフットの動きを目で追えていなかっただろう。
「はい、おしまい」
「くっ……」
プラズがアランフットの声と認識したもの聞いたのは背後から発せられた。
ズゴン、という音と共に床が抉り取られる。アランフットが七星剣を力の限り振り下ろした結果だ。
プラズは背後から声に反応し咄嗟に身体を床に投げ出しその場から離れ難を逃れた。しかしアランフットの動きは全く見えていない。音に反応し本能的に動き危機一髪攻撃を回避しただけであった。
目で見て頭で処理してから動くという通常の動きではアランフットの速さには対応できないことをプラズは悟った。
アランフットの醸し出す雰囲気ははったりなどではなく、それ相応の実力を持った者が出せる成長の証であった。
アランフットはこの一週間で驚異的な成長を遂げた。この場に居るアランフット以外の五人がそれを認めた瞬間だった。
「お前はなかなか強くなったよう……」
プラズが立ち上がりながらアランフットの姿を視界に入れた時、既にアランフットの周りには緋色に輝く粒子が集まっていた。
「……いつ【制限解除】を……」
「ん?今あんたの目の前でしただろ?」
「プラズ!気をつけろ!アランフット君は【制限】に触れなくても開放できるようだ!」
外側からアランフットを見ていたエッダがすかさずプラズに忠告する。エッダはこの場でアランフットの動きを目で追える数少ない人物の一人だった。
あくまでアランフットの動きが追えなかったのは予想外であったからだ。覚悟を持って臨めば不可能なことではない。
「それはこの前みたからわかっている!」
プラズはエッダに怒鳴り返す。
「だがお前が【制限解除】をする時は風が発生するものだと思っていたんだがな……」
プラズは戦闘に関しては妙に冴えている男だ。野生の勘とも言えるそれがなければ、先程のアランフットの初動でやられていただろう。
たしかに今までアランフットが【制限解除】をするときには必ず風が発生していた。だがそれはアランフットが自然力をうまく扱えていなかったため、力を込めた拍子にその時までに溜まっていた自然力が放出されているだけの現象だった。
今のアランフットはノーモーションで【制限解除】をし、自然力を無意識に放出せずに溜め込み、意識的に自然力を使って高速で移動する。
その速すぎる動きに、アランフットの身体を取り巻く緋色の輝く粒子すら置いていかれるほどだ。
つまりアランフットは【制限解除】の兆候を見せずに【制限解除】をすることができる。常人が初見でアランフットの動きを見切ることは不可能に近い。だからこそ国王も四眷属もその動きを見切ることができなかった。
「この一週間、ただ徒に過ごしていただけではなさそうだな」
「ああ。国王を倒せるように頑張ったんだ」
アランフットの発言の後、沈黙が流れる。
「……ぷっ」
「「「「ははははは!!」」」」
失笑から大爆笑へ。四眷属の四人が大きな笑い声を上げた。
アランフットはその不快な状況に顔を顰めつつ、黙って目を細めた。戦意を滾らせ、殺意を研ぎ澄まし、ただじっと待っていた。
笑い声がしばらく続いた後、笑い涙を拭いながらプラズは口を開いた。
「あー腹が痛てぇ。国王様には失礼だが最高に面白い冗談だったぞ」
「あ?」
「お前は冗談なんかを言うような奴には見えなかったが」
「……何がそんなに面白れェんだよ。俺は本気だ」
冗談のつもりは髪の毛一本分もない。アランフットは本気で国王を倒せる準備をしてきたつもりだ。結果が不毛なものだったとしても、そこに笑う要素などない。
アランフットにとっては人生を賭けた戦いだ。覚悟が違う。
「がはは、本気だから面白いのだ。国王様を倒せる人間がいるものか。それにな……」
「そんなに言うなら今すぐ殺してやるよ!!」
逆上したアランフットは右手に七星剣を呼び出し、瞬時に視界の端で玉座に座っている国王の元へと跳んだ。
だが振り降ろした七星剣が国王の身体を貫き、鮮烈に血飛沫を上げる――なんてことは起きるはずも無かった。それどころか、剣を少し振り下ろすことすらアランフットには叶わなかった。
「そもそもお前は国王様に辿り着くことすらできん。なぜなら……」
「僕たちがいるからね」
アランフットの身体は玉座の少し前で四眷属によって動きを封じられていた。七星剣を持った右手はエッダが抑え、左腕はプラズ、白色に近い金髪長髪の女性リリー・グリーフはアランフットの胴体を動けないように抑え、もう一人の四眷属レティシア・プレゼンタはアランフットの喉元にナイフを突きつけていた。
「はっ!お前らこそ笑わせるなよ」
アランフットはそのような状況でも彼らの発言を鼻で笑い飛ばした。
「四人がかりでやっと俺のことを止めておいて、そんなんで国王を守り切れるのか?」
「僕らが守るなんて烏滸がましいよ。国王様の手を煩わせないように僕らが壁になるのさ」
「やっぱりあんたら一人一人を倒すしかないってことか……」
アランフットはエッダの目を横目で睨む。エッダは相変わらずの飄々とした態度は崩していないが、瞳の奥に有る意志は確固としたものだ。
ちっ、とアランフットは下を鳴らした。面倒くさいことこの上ない。
「うらっ!」
アランフットは風を発生させ身体を捻り、体を掴んでいる四眷属を無理やり引き剥がす。そして後方へ跳んで距離を取った。
「めんどくせェ。もう何人でもいいからかかってきてよ。こんな無駄な戦い早く終わらせようぜ」
アランフットは床に唾を吐き、四眷属一人一人を一瞥した。
(「やっぱり危険なのはエッダさんだな。あの人だけは底が見えない」)
プラズは勿論、他の女性二人も自分の相手ではないとアランフットは判断した。
女性たちに関してはアランフットが国王の方へ動いた時の反応がほかの二人に比べて遅かった。プラズに勝つことができれば相手ではないだろう。
アランフットがそんなことを考えている中、彼の態度がどうも気に食わない男が一人いた。あまりにも舐められた態度を取られ続け、我慢の限界も近かった。
「いいや!お前の相手は我一人で充分だ。お前の速さにはもう慣れた。叩き潰してやる!!」
「あんまり大きな声を出すなよ。……まぁいいか。まずはプラズさんからね」
ごきっ、と首を鳴らしながらプラズは歩み出た。
◯◯◯
強者の気迫がぶつかり合い刺激的な雰囲気が漂う。ビリビリと痺れるような感覚が肌を刺す。
文字通り一触即発のムード。アランフットとプラズが本気で戦うには「玉座の間」は脆すぎるかもしれない。
「中で戦わせていいんですか?」
エッダは国王に問うた。
この場所は「大内裏」の最奥にあるため仮に全てが崩れ落ちても多くの国民に被害が出ることは無い。だが「大内裏」では多くの人々が働いている。彼らの命を見過ごすことはエッダにはできなかった。
「かまわん。崩れそうになったらわしが作り直す。お前はプラズが死なないように注意して見ておけ」
「はっ」
まさかプラズが負けるはずない、と言い切れるほどの自信はエッダにはなかった。
プラズは強い。それこそ数多くいる国民の中から最強に近い四眷属に選ばれるほどに。
だがアランフットにはもっと異質の強さを感じ取っていた。エッダ程の実力者でも恐れてしまうような何かがアランフットにはあった。
そして対峙しているプラズはエッダよりもより鮮明にそのオーラを感じ取っていた。
アランフットが自分を正当な敵として見据えた時、その瞳からはある光が消えた。その意味をプラズは直感した。
戦争となれば数はどうあれ、仲間は必ず死に、敵もまた必ず死ぬ。参加経験のあるプラズは当たり前のように人が死ぬ空間で息を吸い、また吐いていた。
自らの手で人を殺めたこともある。敵を殺す間際、その相手が死を悟り絶望した時に消える光がある。自らの手の中で仲間が息を引き取ったこともある。死の間際、自分の死を悟り仲間に未来を託し消えていく光がある。自らの手が届かず助けられなかったこともある。こちらに手を伸ばし助けを求めるがそれが叶わず、恐怖によって消える光もある。
だが、アランフットの瞳から消えた光はそのどれにも当てはまらない光だった。プラズはそれと同じ目を知っている。
それはまさに戦争にいる自分だ。人を殺すことを躊躇わない、そういう部分の全てを諦めたからこそ、アランフットの瞳から光が消えたのだ。
「じゃあいくよプラズさん……」
「来いっ!!」
そう言ってアランフットは右手に持った七星剣をプラズに向けて構えた。プラズもいつでも反撃できるように、あわよくば先制できるように、両手を胸の前で構える。
だが案の定先手を取ったのはアランフットだった。
七星剣を掲げると同時に、白く濁った風がアランフットの足元から上方へ向かって発生し、彼を中心に渦巻き始める。
光り輝く緋色の粒子も同時に巻き込まれ、チカチカと光が稀に漏れてくる程度に濁った風がアランフットの全身を包んだ。
周囲からはアランフットの姿が見えづらくなる構図が出来上がる。
「〈妖精術:風刃〉」
アランフットはその渦の内側で七星剣を振り降ろし斬撃を放つ。そうすると斬撃は風を纏い、ただの斬撃が実体を持ち、風の刃と化す。
攻撃者の姿を上手く視認できない被攻撃者は、斬撃がいつ、どこから飛んでくるのかを判別することが難しくなる。そして攻撃者自身は風の壁に包まれているため、生半可な攻撃ではそれが阻まれてしまうため非常に攻めづらい。
いきなり攻守共に完成度の高い技を放ったアランフットには、外野陣は驚きを隠せない。
「っ!!」
プラズは突如飛んでくる風の刃を咄嗟に回避することに辛うじて成功する。
直後に響く轟音により、プラズの後方にあった石壁が破壊されたことを察知する。その壁はただの壁ではない。現在の国王ではない可能性も高いが、いつしかの国王の手によって作り出されたものだ。簡単に破壊できるような代物ではない。
アランフットの放つ斬撃には凄まじい力が込められていることを察したプラズは息を呑んだ。
(「こいつ……先ほどよりも強くなっている……」)
数日前に会った少年とは別人級の強さ。そして数分前の少年とは別人級の強さだ。
だがそのことに驚き、感動している暇もない。
一発目の攻撃は上手くかわすことができたが、刃は一つではない。息をつく暇なく次々と鋭い風の刃がプラズを目掛けて飛んで来ていた。
「【制限解除】!!」
プラズは無駄に動くことをやめた。諦めたわけではない。諦める必要は無かった。
確かにアランフットが放った斬撃の威力には驚いたが、それは戦闘経験のない無力な子供が放ったと思ったからこそ驚いただけのこと。
戦場にはこれと同等の技もそれ以上の技もある。歴戦のプラズからすれば、それは負ける要素には成り得なかった。
「ふん!ふんっ!!」
プラズは【制限解除】をして肉体を強化し、そして襲い掛かる風の刃を腕だけで弾き始めた。
プラズの【制限解除】の強さはその肉体強度向上率にあった。どんな人間でも【制限解除】をすれば肉体強度は高くなるが、プラズはその向上率がずば抜けている。
固い物同士がぶつかり合う激しい音が王城に反響する。時には火花すら飛ぶような攻防だ。
「甘い甘い!我の【制限】は右十一角だが、まだ三角目までしか開放してないぞ!!」
プラズは楽しそうに笑いながら、自らに迫って来る全ての風刃を弾き掻き消した。その数二十。アランフットが一息で放てる最大数の斬撃だった。
「むちゃくちゃだな」
風の壁は霧散した。アランフットは呆れた顔でそこに立っている。力の差に愕然とするというよりは、想像を超えた力技に呆然としていた。
「隙ありだ」
アランフットの気の緩みを見逃さなかったプラズは、すかさず右手の五指を床に立てた。
「《火魔法:火炎獄》」
「うわっ!!」
突然アランフットの足元が光を放つ。アランフットは危険を感じ回避しようとするがその時間を与えるほどプラズも甘くない。
一瞬でアランフットの周囲を覆うように炎が湧き起こり、アランフットはその中に閉じ込められてしまう。
「そこに囚われてしまえばお前はもう動けまい。我の勝ちだ」
「……」
返事をしないアランフットをプラズは豪快に笑った。
「がはは!声も出せないか。まあ仕方ない。本気の《魔法》を見るのも初めてだろうからな。声を出そうとすれば熱で喉が焼ける。無理をしないというのは賢明で嫌いではない。大人しく諦めろ」
「……これが……四眷属の本気なのか?」
アランフットは感情の籠らない声でそう言った。そこに侮蔑の意思はない。ただ単純で純粋な感想だ。
「なにっ?」
「四眷属でこの程度なら……国王も大したことないのかもな」
直後、アランフットを捕えていた《火魔法:火炎獄》は蒸発したように《浮遊魔力》に戻り霧散した。一気に緋色の粒子が部屋中に拡散した。
「貴様ぁ!!」
プラズは怒号を上げる。
「〈妖精術:暴風獄〉……ってか?」
そしてすぐにアランフットはプラズが発動した《火魔法:火炎獄》の形を真似、〈妖精術〉を発動しプラズを捕えた。プラズの足元からは花緑青色の風の壁が発生していた。
その流れるような動きを前に四眷属はおろか、国王すらプラズを救出することはできなかった。
内に閉じ込められたプラズは《火魔法》を使い風の壁を壊そうとするが、それを外から眺める者の目には、〈暴風獄〉の内側からチカチカと赤い光が漏れているのが見える程度で、プラズがそこから抜け出してくるような兆しは見えない。
「はあ……やっとうるさいのがいなくなったな。次は誰ですかい?」
絶句する四眷属の他の三人をアランフットは視界で捉えた。
プラズの《魔法》はアランフットに傷どころか、服に煤をつけることすらできていなかった。そのあまりにも非現実的な現実に理解が遅れてしまうのは当然のことだった。
ついこの間【制限解除】をしたばかりで、戦闘の「せ」の字も知らないような子供に、国の最高戦力の一角が成す術なく戦闘不能にされた。そんな光景を目の当たりにして驚かずにいられる者がいるだろうか。
いるとすればそれは、初めからアランフットを危険視し、懐柔するか、意に反するならば殺そうとしている国王だけだろう。
「その力、自然力だろう?」
国王が問う。思わぬ質問にアランフットは戸惑った。
「……あんた自然力を知ってんのか?」
「無論だ。自然力を使うのは悪魔の特徴。魔力を使う人間とは常に対立してきた」
「……なるほどな。でもなんで国王様は俺が自然力を使う前から俺が悪魔だってわかったんだ?」
「お前を大人しくさせるには説明すべきなのかもしれんな……」
国王は長い顎鬚をさすりながら天を仰いだ。その天井には色鮮やかな装飾が施されている。
国王につられ天井を見たアランフットは多少の感動を抱いたが、国王の言葉ですぐに気を引き締め直した。
「少し長くなるぞ」
国王はそう前置きをして語り始めた。
○○○
「七年前のある日、「百姓街」のある一家で殺人事件が起きた。わしが国王の座を引き継いでからかなりの年月が経ち太平な世になっていたからな、結構な騒ぎになったものだ。
その家は父と母、そして三歳になる一人息子の三人家族だった。その両親は無残な姿で発見されたんだが、不可解なことに一人息子の死体だけがどこにも見つからなかった。
我々は「北宮」の人員総出でその子供を探した。どこかの阿呆が人攫いでもしていたらとんでもない。その子供が犯人であるならば野放しにしておくこともできまい。
わしはわしの国民が奪われるのが不愉快だったからな、自ら《魔法》を使ってまでして国中を捜索したのだが、結局その子供は見つからなかった。
「北宮」だけならともかく、この国全体を隈なく探すことは不可能に近い。国外に出られているならば正真正銘不可能だ。わしはその子供を探すのを諦めた。
だが三日後、その子供は急に姿を現した。わしが今座っているこの玉座で気持ちよさそうな顔で寝ていたよ。額に奇妙な文様をつけてな。
わしはなぜだかそこで確信した。こいつはわしと、わし含めた人間と、何か違うものを持っている生まれた人間であることを。
そこで思い当たったのが悪魔の存在だった。大昔は人間と悪魔が戦っていたらしい。そんなものは作られた物語だと思っていたが、その子供を見て否定もできなくなってしまった。
ただの子供だと何度自分に言い聞かせても、その子供の額の紋様を見るだけで理解のできない恐ろしさを感じてしまう。その拭いきれない恐怖を無視はできなかった。わしは生涯の多くを戦場で過ごしたわけではないが、直感に従って生きたことで急場をしのいできた。
だが、その場で殺してしまわなければならない、というほどの恐怖ではなかった。そうだな……恐怖というよりは不安よな。その子供を見ていると胸騒ぎがした。しばらく様子を見て判断しても遅くないだろうと思う程度の不安だ。
だからわしは、一悶着あったが、その子供を下落民として多くの人間から隔離する方法を取った。その子供というのがお前だ。アランフット・クローネ」
国王は顎でアランフットを指すが、アランフットは黙って受け取り、国王の次の言葉を待った。
国王はもう一度髭をさすり、少し間を空けてからまた口を開いた。
「……そして、なぜわしが自然力の存在を知っているのか、という話だったな。
わしがまだ若く、世界中を旅している時にな、お前と同じような力を扱う者に出会ったことがある。
奴は神に選ばれた力などと抜かしておったが、国に帰り、前国王であるわしの父にその力のことを尋ねれば、それは自然力という力で、悪魔の力であるということがわかった。
わしは自然力を見たことがある。だからお前が使っている力が自然力であることもわかるのだ。
そして自然力を使うお前が悪魔であるというわしの直感は正しかったというわけだ。今ここで証明された」
「なるほどな。……でもあんたは何の根拠もない理由で俺を隔離して差別が向くようにしていたってことになるな」
「むしろ感謝してほしいものよ。あの場で殺しておいてもよかったのだが、力を使えるようになる十歳までは生かしておいてやったんだ。判断が付かないという理由で生かしておいたわしの甘さに感謝するがよい。
それにわしが下落民という立場を設定したことで、他人との接触は減りお前は今まで平穏に暮らすことができただろう。アルミネ家の子供とも親しくなれたようだしな。普通に暮らしていれば、他の人間との齟齬が出て即刻始末しなければならない状況になっていたかもしれない。わしへ抱くべき感情は感謝以外なかろう」
「ちっ……」
反論の余地も無い国王の主張に、アランフットは苦し紛れに舌打ちをするしかなかった。
そして国王は何かを思い出したように玉座の肘掛けを叩いた。
「そうだそうだ。わしが若い時に会ったという自然力を使っていた者の名を教えてやろう。なかなか面白い名でな。奴の名はザブラ……」
「うおおおおおおお!!!!!」
しかし国王の言葉をアランフットが最期まで聞き取ることは無く、「玉座の間」は奇妙な雄叫びで溢れかえった。
○○○
「何の声だ!!」
自信の話が遮られたことに腹を立てたのか、或いはあまりの騒音に憤慨したのか定かではないが、国王は声を荒げた。
待機する四眷属が震え上がったのは言うまでもない。
「国王様!プ、プラズが……」
プラズを捕えていた〈妖精術:暴風獄〉はいつの間にか消えていた。国王はそちらに目を向け、状況を理解し静かに頷いた。
その〈妖精術〉消失の瞬間を見ていたアランフットは何が起きているのか理解できない。
それはアランフットがプラズの《火魔法》を脱出した時のように《浮遊魔力》として空気中に還る蒸発のような状況ではなかった。
明らかに〈妖精術:暴風獄〉はプラズに吸収されたように消えていった。
「なんなんだよお前……」
アランフットは怯えた表情を浮かべ震える声を振り絞った。
〈妖精術:暴風獄〉から脱出したプラズの外見は少し変化していた。体格は一回り程大きくなり、肌が浅黒いままだが、額がひび割れ小さな角がのぞいていた。
アランフットはその奇妙な姿に恐れ慄いた。七星剣を握る右手は滴るほどて汗を掻き、震えてかちゃかちゃ、と音を立てていた。その反応を自覚することでさらにアランフットは緊張感を感じることになる。
「我は鬼族の末裔だ」
「……おに?」
聞きなれない単語にアランフットはすぐさま聞き返す。プラズは笑い、両手を広げ語り始める。
「ごく稀に人間の中にも自然力を吸収してしまう体質の者がいるのだ。普段は大した影響はないが一定の量を越えた者は凶暴化し、鬼となり一時的に力が飛躍して強くなる。それが鬼族と呼ばれるようになった。
我は濃い自然力に長時間触れていると鬼化できる。ありがたいことだ。ここまで上質な自然力を与えられれば長時間鬼化できるだろう。久しぶりの感覚でなかなか良い気分だ。どうもありがとう」
ぺこり、とプラズは頭を下げた。彼なりに感謝を伝えたつもりだったが、それは煽り以外のなにものでもない。
その行動はアランフットを神経を逆撫でするものだったが、プラズは意に介さない。
「これでもうお前に勝ち目は無くなった」
アランフットも肩を鳴らし、プラズに対峙する。
そして【制限解除】を一度解く。暗黙の了解を察した行動。
「じゃあちょっと……俺も本気を出すか。まだまだ実力は見せちゃいねェんだよ、こっちは」
「お前は強い。それは認めよう。敬意を持って我も全力でお前を倒すとしよう」
二人は同時に叫ぶ。
「「【制限解除】!!」」
檸檬色と緋色の輝く粒子が一気に拡散し、「玉座の間」を慌ただしく舞い始める。すぐに檸檬色の粒子はプラズに収縮した。
収縮したということはプラズは【最終状態】に至ったということだ。
アランフットは対峙する男を良く観察した。
【最終状態】になったプラズの外見は鬼化の影響で、大きな変化は見えないが、明らかに力を増していることはわかる。
プラズの右手には騎士の小手のようなものが武装されている。
「すげーな……化け物じみた力を感じる……」
「悪魔とやらに言われるのなら本望」
アランフットは震える手でプラズの右手を指した。
「特にその右手……」
「我の【最終状態】はその力の全てが右手に収縮されている。触れたらお前如きの身体は一瞬で砕け散ろう」
アランフットにその力を見せるため、プラズは近くに落ちていた壁の残骸を持ち上げ右手で握り潰す。音も無く握りつぶされた残骸は塵芥となり、プラズの掌の隙間からさらさらと零れ落ちた。
だが、真に恐れるべきはそのパワーアップではなく、鬼化してどのように戦闘スタイルが変化するかだ。今まで見切っていたプラズの動きも目で追えなくなる可能性すらある。
(「あとの二人にも注意が必要だな……」)
そしてプラズがこのような変体を可能とした瞬間、エッダはともかく、四眷属の他の二人にもこのような可能性が残されている場合もあるとアランフットは考えた。プラズより弱いにも関わらず四眷属に選出されているという事は、見ただけでは測りきれない、何か隠された力があるに違いないからだ。
自分が強すぎると、そう考えるほどアランフットは慢心していなかった。
「どうした?怖いのか?身体が震えているぞ」
「武者震いだよ」
アランフットの身体の震えはもはや意味を異にしてた。
「あんたを倒して一気に国王まで倒してやる!!」
「がはは!!受けて立とう!!さあ!第二戦の開幕だ!!」
両者は攻撃に備え、構える。