第9話:修業・修業・修業
少し話がややこしいかもしれないです。
感想・ブックマーク等よろしくお願いします。
「妖怪なんて、初対面の相手に使う言葉じゃないですよ。まぁ言い得て妙というか、なかなか良い所をついてきてはいますが」
「うむむむむ……」
アランフットはソイと名乗った人物の顔をまじまじと見つめる。見れば見るほど不思議な生き物なのだ。
そもそも人間なのか。人間ではないのなら何という生物なのか。なぜ姿が見えなかったのに声は聞こえたのか。どうやって姿を消していたのか。或いはどうやって姿を現したのか。
アランフットには理解できないことだらけだ。
「そんな一度に質問されても困ります」
ソイは呆れ顔で手を力なく振った。アランフットは何も言っていないのに。
「私は人間ではありません。かと言ってこの『世界』でいう生物とはまた違います。妖精に似た存在だと思ってください」
そう言って微笑んだ彼女にはどこか恐ろしい力を秘めているように感じられ、アランフットは背筋を伸ばした。
「私たちのような存在には強さを表す“位階”という指標があります。強い順に一位二位三位と続き八位まで。そして一番下が初位と言うんです。それが私の名の由来です」
と言い、一息吐いてから――
「私本当はもっと強いのに、母様が私を使役しやすいように初位まで下げやがってくださったのです。まったく腹立たしい。なんで人間の言いなりになんてならなきゃいけないんですか。あ、でも母様も人間じゃないのか。そうそう母さんと言えばこの前……」
「なんなんだこいつ」
自分勝手に話しを進めていくソイをアランフットは呆れ顔で見守っていた。
アランフットには興味のない話しだった。一瞬その存在の不思議さに魅了されて見入ってしまったが、それだけで興味は完結した。アランフットが欲している答えが得られないのであれば、これ以上ソイの話を聞く必要はない。
なにせアランフットは乾坤一擲の大勝負に出ることを先程決心した。今足りないのは手錠を外す力と柵を破る力。
「あ、ちなみに言っときますけどあなたじゃ王様には勝てませんよ」
柵に近づきアランフットの顔を覗き込んだソイは、それがさぞ当たり前であるかのように言い放った。そんな彼女の歯に絹着せぬ物言いは、鬱憤が溜まっているアランフットの逆鱗に触れた。
「んなもんやってみなきゃわからねぇだろ!!突然出てきてテキトーなことを言うな!」
「いいえわかります。あなたがその手錠ごとき外せないのがその証拠です」
「ぐっ……」
図星だった。
先刻欲した力、手錠と柵を突破する力を持ってしても国王を倒すために必要な力には到底足りない。そんなことはアランフットも十分に理解していた。
しかしだからといってここで静かに野垂れ死ぬわけにはいかない。黙って国王に使役されるのもまたアランフットには死と同義だ。
アランフットは死にたくない。死んでしまえば何の意味もない。
苦悩に歪むアランフットの顔を見て、ソイは距離を取り、背中を壁に預けながら優しく声をかけた。
「私なら君のこと強くできますよ」
「はあ?」
奇妙な提案をしていた少女に、アランフットは懐疑の目を向けた。
アランフットはソイのことを見縊っていた。たしかに登場時、一瞬恐ろしさは感じた。しかしそれは見た目の異常性からに他ならないはずだ。今は恐ろしさというよりは、道化のような諧謔的な何かを感じ取っていたところだ。
「言っとくけどな、お前も見た目はそんなに強そうには見えな……」
目の前の男が何を言ってくるのか理解していたソイは引きつった笑顔と、額には薄く血管を浮かべてアランフットの言葉を静かに聞いていた。
しかし「強そうには見えない」とその言葉が言い終わる前にソイは動いた。と言っても背中を寄り掛かけていた壁を体勢を変えずに腕だけ動かし叩いただけ。
べこんっという不自然な音とともに、ソイの腕が壁に触れた瞬間王城の地下の壁は抉り取られて消滅していた。
「これでも私が弱いと?」
「ええ……」
ソイは勝利を確信したかのような、或いはアランフットを心底見下したような、アランフットを神経を逆撫でするようなすまし顔でアランフットに言い放つ。
だがアランフットは怒りを感じる暇もなく、想定外の驚きに目も鼻の穴も口も最大限に開いて間抜けな表情を晒していた。
「何の音だ!」
守衛が異常音に気がつき、入り口からアランフットがいる場所に近づいてくる。すぐにアランフットの柵の前に立ち、驚きのあまり口を開いたままのアランフットを守衛は厳しく問いただす。
「おい!今のは何の音だ!あまりふざけた真似をしていると国王様に報告するぞ!」
「い、いや、俺じゃなくてあいつが……あ、あれ?」
そう言ってアランフットはソイがいた方向を指さすが、アランフットが目を離した一瞬の隙に、壁は初めから何もなかったかのように元通りになっていた。
そしてソイは相変わらずのすまし顔。
「何ですか?私がなにかしましたか?」
「クソ野郎……」
アランフットと目が合うとニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべ、いかにもアランフットをおちょくっている様子だ。
アランフットは苛つきのあまり頬の上部がピクピクと動くが、守衛が目の前にいる今大きな声を出すこともできない。
守衛もアランフットの指に合わせて顔を動かすが、そこからは何も発見することができないようだ。
「うーむ。異常はないな」
顎を掻きながら守衛は辺りを見回すが特に変わったことは無い。
アランフットは考えた。ここでソイという意味の分からない女には退場してもらおうと。
「おっさん、今の変な音出したのはそこの女の子だよ。そいつを捕まえてくれ」
「あん?何を言ってんだ?女の子?そんなのはいない。今この牢獄にいるのはお前だけだ」
「違う!いるじゃんそこに!壁に寄りかかってるやつ!」
「落ち着きなさい少年。異常はない。今の音はなかったことにしてやる。静かにしていなさい」
「そうですよ。君には落ち着きがない。まずはそういうところから直しなさい」
「てめェクソが……」
「気分が悪いのはわかるがな、あまり変なことはするなよ」
そうアランフットに釘を刺し、守衛は元の場所へ去って行った。
アランフットにはどうも納得がいかない。ソイはまだそこにいる。だが守衛がその存在に気が付くことは無かった。彼にはソイの姿がずっと見えていた。だが守衛にはソイの姿は全く見えていなかったようだ。
アランフットはインチキをしているソイに不満にも似た感情をぶつける。
「何でお前は見つからなかったんだよ。目の前にいたのに。お前が怒られればよかったのに」
「……あの、質問の前に名前を呼んでもらえます?お前お前って、そういうの嫌です」
自分の質問に一筋縄では応えないソイに苛つきを隠せないアランフットだが、この状況で優位なのがソイだということは理解できていた。
「わーったよ。……なんでソイは守衛に見つからなかったんだ?」
アランフットは面倒くさい問答は避けようと思い、ソイの要求には素直に従い答えを求める。
「彼は人間だからですよ」
「は?俺もにんげ……」
そう言いかけてアランフットは言葉を止めた。先刻自分は悪魔だということに気づかされたばかりだ。他から決めつけられた存在自体も、己が見つめなおして自覚してしまった考え方も、何もかもが人間的ではないことを先程自覚したばかりだった。
ソイはそのことを言っているのだと、アランフットはそう感じてしまった。
「あーそうですよ!俺はどうせ悪魔ですよ!」
「あっ!そうじゃないんです!違うんです!」
アランフットは不貞腐れてソイに背を向けた。目に見えるほど明らかに暗い空気を纏って床を指先でいじりだしたアランフットを見て、ソイは慌てて弁解した。
「違うの!あなたは〈妖精術〉が使えるでしょ。それが人間とは決定的に違うの!」
じとっとした目でアランフットはソイを睨む。
「ふーん……どういうこと?」
「あなたは〈妖精術〉を使っている時に風が使えるようになりませんでしたか?」
「あー……なったなった」
「だから何だよ」とアランフットは尚もソイのことを睨む。
その程度のことで自分が悪魔だと言われ、こんな辛気臭い場所に閉じ込められているとするならばたまったものではない。
ソイはアランフットの質問を受け、柵に近づき小声で耳打ちするように小さな声で話し出した。
「あの風はですね、“自然力”という人間とは対極にある力を使っているんですよ。人間が使うのは人間力ですね。あ、もちろん私が使っているのは自然力ですよ。人間じゃないので」
「……つまり自然力を使えば姿が見えなくなるってことか」
「まあそれは言い方次第、視点次第って感じですね。私の立場から言うなれば、さっき来た彼は自然力を使えないから私のことが見えなかった、と感じるわけです。私は別に隠れてるつもりはありませんからね。でもですねここで話は終わらないんですよ!まだからくりがあるんです!!」
急に大きな声を出して立ち上がったソイをアランフットは冷ややかな目で追っていた。ソイは自慢げに人差し指を立てアランフットの興味を惹こうとするが全く効果はない。
「はぁ……」
アランフットは大きく溜息をついた。面倒くさい説明を聞いていられるほどの余裕は無かった。ややこしい説明を聞くなんて以ての外だ。
「……ちょっちめんどいな」
その言葉を聞いたソイは血相を変えてアランフットを叱りつけた。
「大事なことなんですからしっかり聞きなさい!あなたが強くなるための話なんですよ!」
「はいっ!ごめんなさい!!」
その一瞬の変貌に底知れぬ恐怖を感じ取ったアランフットは急いで姿勢を正し(なんとなく正座が良いと判断している)、「では続きをどうぞ」と手で促した。
ソイは大きなため息をついた。
「はあ……さっき言ったように人間は人間力を使って生きています。その他の生物は自然力を使って生きています。しかし……」
「他の生物は人間でも見えてる。自然力使ってるのに。はい!お前言ってることはおかしい!論破!!」
「だ!ま!れ!!」
「すびばぜんでじた……」
ソイは一瞬だけ柵の内に入り、アランフットの頭を思いっきり叩き黙らせる。大きなたんこぶを抱えアランフットはこの場では二度とソイには逆らわないことを誓った。
ソイからしてもアランフットの対話は煩雑だ。しかし彼女は負けていられない。ここで挫けてしまえば、戻った後に怒られるのは自分だ。最後まで話さなければならない理由が彼女にもあった。
「しっかり最後まで聞いてくださいよ……。その矛盾の中で新たに出てくるのが、考慮しなければならないのが、私や妖精のような概念体というものの存在なのです」
「がいねんたい?」
初めて聞いた言葉にアランフットは首を傾げる。そんな反応を見たソイは胸を張って答える。
「そうです!あなたは私が姿を表すまで私の姿が見えなかったでしょう?私はずっとそこにいたのに。それは私という存在を知識段階で知らなかったからなのです。知らなければ知らない。知っていれば知っている。見えなければ見えない。見えるのなら見える。触れるなら触れる。触れないなら触れない。そういう存在のことを概念体と呼ぶのです。普通に生活している動物や植物は自然力を使っていますが概念体ではありません。だから人間にも普通に見えているんです」
「う~ん……でもソイの姿は見れるようになったぞ?俺はお前の存在なんか知らなかったのに」
「ええ。人間は自分の力では概念体を見ることはできません。しかし概念体は大量の自然力を使えばこの『世界』で実体化して人間にも見えるようになるんです。今回は私が頑張って存在感を増してあなたに見えるようにしたんです」
「えっへん」と腰に手を当て自慢げなソイ。なんとなくではあるがアランフットはソイが言いたいことを理解した気がしていた。
「では結論をどうぞ」
だからこそ早く終わってほしかった。頭を使う説明は必要としていない。必要なのは強くなる方法だ。
「もうっ!面倒くさがらないでくださいよ!……つまり守衛の彼が来た時に、今私は説明した逆の方法で、この『世界』に顕現できる自然力量を下回るように自然力を放出したんです。だから人間には見えなくなった、ということです。まああの程度の存在感であれば、四眷属ぐらいの強者だと気配ぐらいは察知されたかもですけどね」
「だから!なんで俺は見えてたんだよ!自分で言いたくないけどさ、俺は四眷属よりも強くないだろ?」
「本来あなたは人間であるから人間力を使うはずですが、概念体である妖精が使用する特殊能力〈妖精術〉を使う影響で自然力を扱うようになっている。そしてあなたはその自然力の使用可能量があまりにも多い。だから私が使用を減らした自然力量をあなたは自動的に自分の視界にだけ補填して私の姿を見続けていたんです。……そんなジロジロ見ていたら覗き魔を疑われたって文句は言えませんよ」
「よくわかんねェなぁ……って何でお前がそのことを知ってんだよ!!」
あの日は丸一日強烈な出来事が多すぎてそんなことはすっかり忘れていたが、アランフットは女湯に侵入するという大罪を犯していた。
それをこんな得体のしれない生物にまで知られているとは。どこまで広がっているのかわからない噂に、アランフットは自ら身体を抱え身震いをした。
「あら?覗いたことを認めるんですか?」
「違うって!あれは〈妖精術〉がうまく使えなくて、意図してないのに飛んじゃったわけで……」
アランフットはそこで少しの違和感に気がつく。ソイの解説では説明がつかないことがある。
急に動きが止まったアランフットに、ソイは汚物を見るような目を向けて問う。
「なんですか?」
「何で俺って妖精に触れたんだ?」
「と言いますと?」
話が見えてこないソイは腕を組み、仕組みはわからないが頭の上に器用にも「?」を三つ作り出していた。
「今までの話の前提は全部「〈妖精術〉を使えるようになったことに伴って使えるようになった自然力」があってのことだろ?その概念体ってのは知らなければ見ることもないはずだろ?俺は妖精のことなんか知らなかったから触れるはずもないだろ?じゃあ俺はどうやって妖精を殺すんだ?」
「あちゃーそこに気づいちゃいましたか。それは聞いて欲しくない質問ですね」
「そーなのか?じゃあいいや」
すんなり引き下がったアランフットにソイは慌ててツッコミを入れる。
「いやいやいや!そこは聞いてくださいよ」
「なんだお前?しっかりしろよ」
行動が読めない奇妙な生物にアランフットは不快感を露わにする。
「苛つきますね。十歳のガキにこんなにまで言われるとは……」
「早く早く!知ってるなら早く教えて!」
「ったく……わからないんですよ。なぜあなたが妖精を取り込めたのか。なぜ妖精があなたに自ら近づいたのか。なぜ実体化してしまったのか。母様が言うには器があったってことらしいですけど……」
「……そーいや、母様って誰?」
ソイの口からたまに出る母様という存在。アランフットにはそれが誰だかわからないから気になるのだが――
「まあ会えばわかります」
ソイは教えない。今教える必要はないと判断したからだ。自分が従う人物は必ずアランフットに接触する。今教えなくても、アランフットがその正体を知ることを拒んでも、嫌でもわかってしまう。
それにソイは心のどこかでは、アランフットと母様が出会わないことを望んでいた。出会ってしまえば少なくともこの『世界』に良い影響は及ぼさないことはわかっていた。
「つまりですね、あなたには何故か元から自然力を使う能力が備わっているんです。それも妖精が引きつけられてこの『世界』で顕現してしまうほどの」
「はぁぁ……」
アランフットはソイから目を離した大きく息を吐きながら、返事とも溜息とも受け取れるような返事をした。
「ふえぇ。こんな真面目に説明したのに最後の返事がこのバカみたいな反応ですよ!母様!あぁ母様!私にはこんなクソガキ扱うことなんてできませんよ……」
「うるさいうるさい」
ソイの嘆きは無視し、アランフットは熟慮する。
一連の説明は結局アランフットが自然力なるものを使っているという説明にすぎなかった。
力が使える理由などこの際どうでも良い。アランフットは強くならなければならない。この手錠を破り国王を敗るほどの力が必要だった。
「ソイ!話しをすり替えるな!」
「ふえぇ……何のことですか?」
お礼を言われるでもなく、当たり前のように威圧的に話すアランフットに慄くソイ。
「ソイが俺のこと強くできるって言ったんだぞ?」
「え?そんなこと言いました?」
「スクロールして見てこい!」
「ちょっと言ってる意味がわからないです……。冗談ですよ!ちゃんと覚えてますよ!でも私は強くなる方法を教えるだけですよ。自分で頑張って修業してください」
「わかった。頼むよ」
強くなれるのなら手段は選んでいられない。アランフットは素直に頷いた。
「うんうん。今ぐらい素直なのが可愛いですよ」
撫でまわしたいというように両手を伸ばし柵の内に入れてくるがアランフットはすぐに身を引いた。「むっ」とむくれるソイ。
「まあそんなことはどうでも良いんですよ。強くなる方法ですよね」
「そうそう」
「【制限】に触れずに【制限解除】をする。これだけです」
「……それだけっ!?」
ソイの言葉を理解するまでに多少時間がかかったが、アランフットは素っ頓狂な声を上げた。
ソイは決してバカにしているわけではない。
「これがとても難しい……というか他の人間にはできません。あなたとあともう一人しかできないって母様が言ってました」
「もう一人って?」
「さあ?私は知りません。でもあなたと似た境遇にあるとかないとか……」
「じゃあそいつも悪魔とか言われてんのかな」
「それも知りません。でもこの国にいるそうですよ」
「えっ……じゃあ俺と全然似てないじゃん」
「そうなんですよ。私にもよくわかりません」
「まあいいや」とアランフットは頭を振った。今はその知らない誰かさんの所在について考えている場合ではない。
ソイに教えてもらった修業に励まなければならない。
「えーっと、触れないで【制限解除】をすればいいから……」
なんとなしに手を動かし始めたアランフットだったが、すぐにぴたりと動きを止めソイの顔を振り返った。
「【制限】に触れなけりゃ良いんだよな?」
「はい。と言っても簡単にできることじゃありませんからね。他の人類は必ず触れる動きが入るそうですし。できなくて当たり前です。時間はまだあるので焦らなくても……」
「いや、俺もうそれできるぞ」
「できる、そうできるんだよ」とアランフットは何度も頷いた。プラズに頭を鷲掴みにされた時、無理やり連行されそうになったあの時、その手を引き剥がそうと力んでいた拍子にできてしまった。
「いやいやいや、これはですね簡単なことじゃないんですよ。そんな簡単にできてしまったらわざわざ早めに私が出てきた意味がないじゃないですか」
だがソイは信じない。「とんだ戯言を」程度にしか取り合わない。
実はソイが母様からアランフットの前に姿を現し助言するように命令されたのはもう少し後の、アランフットが牢に入ってからもう少し時間が経ってからということだった。しかしあまりにも弱いアランフットを見かね、ソイは独断で行動しているのだ。
「できるんなら見せてくださいよ」
ソイはあくまで失敗することを前提に要求する。どうせできるわけがない、アランフットの妄言だろうと高を括っていた。
「いいよ。【制限解除】」
アランフットは立ち上がり何の力を込めず、流れるように、呼吸をするように、自然体で【制限解除】を平然とやってのける。
辺りには緋色に輝く粒子が舞い始めた。
「あなたって……無茶苦茶ですよね。母様が執心なのもわかります」
あんぐりと口を開けたソイはただ諦めるしかなかった。無茶苦茶というか規格外というか、ソイはもうアランフットの器を自分で測ろうとすることを止める決意をした。
簡単に常識を超えてくるため予想するだけ時間の無駄だった。アランフットはそういう奴だと事実を認めたほうが精神への負荷が圧倒的に小さいことにソイは気づいてしまう。
「じゃあ次はなにをすればいい?」
子犬のように輝く目でアランフットに見つめられ、ソイはたじろいた。そんなに求められても十分な答えを出す自信がなかった。認めざるを得ない才能を持った少年を前にして自信を失ってしまったのだ。
「じゃ、じゃあ次は、あなたが自分に溜められる自然力の最大量を増やします。あなたの戦闘は自然力を使わないとまったく機能しないですからね。それに自然力が無いと〈妖精術〉が使えませんから。……そうそう。あなたの【制限】の紋様が丸というのはどういうことを表しているのかわかってますか?」
「わからん。俺という人間の特別性とか?」
「ああ俺は人間じゃないのか」と下を向いて呟くアランフットにソイはため息を行く。
「あなたは正真正銘人間ですから。もうめんどくさいからそういうこといちいち言わないでください」
ソイは自身の大きな尻尾を抱え込み撫でながら話を続けた。
「丸ってことは【制限解除】をしたところで得られる力が無いってことですよ」
「え……じゃあこれって何なの?」
衝撃の告白に戸惑うアランフットだが、額の【制限】を親指で叩き不満げにソイに問う。
「知りませんよ。紛い物です。しかしあなたが【制限解除】をすると自然力の許容上限が格段に上がり、自然力の吸収スピードも上がります。そして〈妖精術〉も使えるようになる。おそらくそれがあなたにとっての力の飛躍なのでしょう。だからより多くの自然力を吸収できて放出できる方が良いんです」
「うん。まあなんとなくわかった気がする」
「修業内容は簡単です。【制限解除】をした状態を保ち、なるべく多くの自然力を吸収する。これだけです。風もなるべく起こさないようにしてください。あれは自然力を無駄に消費していますから」
とりあえず指針が決まれば後はやるだけだ。アランフットに残された時間は少ない。できることを精一杯やるしかなかった。
「時間は一週間です。最終日までとにかく限界突破です!!」
「よっしゃっ!頑張るぞ!」
「頑張ってください!じゃあ私はここで一旦お暇します。何か用があれば心で念じてから自然力を提供してくれればいつでも来ます。あなたが提供する練習もしとかなきゃですし」
「お?……わかった」
自然力を提供などはよく理解できていないが、アランフットはとりあえず修業に取り掛かりたかった。そのため深く考えずに返事をしてしまった。
「あ、わかったんですか……。じゃあいいや。それでは……」
「最後にいいか?」
「なんですか?」
最後の最後。アランフットにはどうしても気になっていたことが一つだけあった。今までの会話でどうも引っ掛かることがある。
「ソイはさ、俺に名前を呼べって言ってきたじゃん?」
「はい、言いました。お前って言われるの嫌いなので。私にはちゃんと名前があるので」
「お前さ……俺の名前一度も呼んでないよ」
ソイは真っすぐにアランフットの瞳を捉えた。そして高速で瞬きをする。その不可解な動きをアランフットは黙って見ていた。するとソイは静かに微笑んで姿を消した。
「……なんだあいつ」
長らく話しても全く人物像が掴めないソイに対してそう呟いたものの、アランフットはそれ以上彼女のことを気に留めることは無かった。
己の修行に集中して取り組まなければならない。
アランフットは今人生の分岐点に立っている。そのことは理解できているつもりだった。はっきりとその道が別れるのは一週間後。
アランフットの短いようで長い修行が始まる。
「でもこの修行って……めちゃくちゃ暇じゃね?」
だがすぐにアランフットはとんでもないことに気がついてしまうのだった。
〇〇〇
「結局アランは一度も来なかったね」
休日はいつもシュナイトの家に訪れていたアランフットだったが、今回の休日は一度も訪れることはなかった。その不自然さに嫌な予感を抱きながら、コレジオへ向かう道中、ラミとシュナイトは話していた。
「コレジオが始まったから自宅で修行していたのかもしれないよ」
「私はアランならシュナの目の前でいろいろやると思うけどなぁ。アランはシュナに対抗心燃やしてるから」
「対抗心??」
「もちろん友達としてよ?シュナがいない時いつも、ほにゃほにゃでは勝ってやるって色々修行してたもん」
ラミはおかしそうにケラケラと笑った。その姿を見てシュナイトも微笑む。
ラミがシュナイトと友達として話せるタイミングは今はコレジオにいる時間しかない。アランフットがいれば話は別だが、基本的に家では絶対の主従関係にある。
仲の良い友達でもあるだけに、この互いが対等に話せる時間というのはとても貴重だった。
「僕はむしろアランに勝つために努力していたんだけど……アランも同じことをしていてくれたのか。なんだか嬉しいな」
「二人とも負けず嫌いだからね。ほんとシュナはアランのこと好きだよね」
「えっ……そうかな?でもラミもアランのこと好きだろ?」
「えへへ、大好き」
笑っていたシュナイトは「でも……」と顔を少し曇らせた。
「やっぱりアランが一度も顔を見せないのはおかしいよ」
「でしょでしょ?私たちからは会いに行きづらいから様子も見に行けなかったし……」
「なんだか胸騒ぎがするよ」
コレジオに到着し教室に入るとほとんどの生徒が既に集まっていたが、そこにアランフットの姿はなかった。二人は別れ各々の席に座りアランフットを待つが、姿はいつまで経っても見ることはできなかった。
そしてコレジオが始まる八の刻になっても、レースが教室に入って来ても、アランフットが教室に姿を見せることはなかった。
「お前たちに大切な報告がある」
教壇に立つや否や、レースは真剣な面持ちで口を開いた。
「アランフットのことだが……しばらくコレジオを休むそうだ。理由は……わからない。……が、国王様が決められたことだ。あまり深追いはするな。特にシュナイトとラミは一度アランフットのことは忘れろ。お前らは仲が良すぎるから辛いだろうがな」
レースのその不自然な物言いに二人は眉を顰めた。
「……忘れるってどういうことですか?なにもそこまで言わなくても」
「あいつが戻ってくるまでは忘れたほうが良い」
「そんなことできるわけがない」とシュナイトは反論したかったが、レースに遮られた言葉によってその意志は消滅した。
「あいつは下落民だ。そのことを忘れるな!コレジオでは対等な関係だが、国内ではそれは通用しない。国王様の意向で大きく立場が変わってしまう人間なんだ。あいつが早く帰って来ることを願いたい気持ちもわかるが、今は忘れる方が賢明だ。……何が起こるかわからないからな」
そう言われてしまえばもう口出しはできまい。
国王が死ねと言えば死ななければならない。下落民とはそういう身分だった。否、それは誰もが同じだ。貴族であっても国王の命令には背くことはできない。
そのことは貴族であるシュナイトが一番良くわかっている。だが今ここで身分制度云々に異議申し立てしたところで意味がないこともシュナイトはわかっていた。
故に沈黙を選ぶしかない。
二人が一応は納得しているような表情をレースは確認し、少し重くなった雰囲気を払拭するようにレースは声色を変え授業を開始した。
「さあ、では授業を始めるぞ。前回の授業までで個々の能力の把握は終わった。今日からは座学と修業を両立していく。午前中は国史の学習だ。寝たやつは午後の修業でみっちりしごいてやるから覚悟しておけよ」
○○○
「なぁにやってんですか……」
二日後、アランフットの様子を見に地下牢獄まで来たソイは、床にぐったり寝ころんでいるアランフットのことを呆れた顔で見下していた。
「昨日一日何の音沙汰もなかったから少し寂しくなって見に来たらこの体たらくですよ。一体何のためにアドバイスしてあげたのか」
「……飽きちゃった」
「はあ?」
アランフットがぽつりと漏らした言葉にソイは耳を疑った。張り切って修業に励んでいるのかと思えばもうそんなことを抜かしているのか、と。
「飽きちゃったの!」
「の!じゃないですよ!!一昨日の『……殺すか』とかなんとか格好つけてたあなたはどこに行ったんですか!」
「たしかに言ったけどさぁ……」と頬を膨らませるアランフット。
「ソイが教えてくれた修行って本当に意味あるの?」
「そりゃあー……(長い溜め)……ありますよ!ありまくりですよ!!」
ソイは当たり前だと言わんばかりに胸を張って鼻から大きく息を吐いた。だがアランフットにはどうも納得がいかない。
「【制限解除】して自然力を取り込めるだけ取り込めばいいんだよな?ソイがいなくなってから寝るまで、監視が来た時はやめたけど、それ以外はずっと取り込んでた。そんで昨日は目が覚めてから寝るまでずっと取り込んだよ」
「はい」
「……え?どうやったらこの修行終わるの?先が見えないのって嫌い」
アランフットは両手を拘束する手錠で頭を掻いた。その双眸は光を失い、希望の欠片も持っていないような悲壮感溢れる表情にソイは困惑した。
「一昨日もやって、昨日もずっと取り込んでいたと……」
そんな表情に騙されアランフットの発言自体には注意が向いていなかったが、ソイはもう一度発言を振り返りその内容を吟味する。
「え!!二日間取り込んでたんですか?」
「だからそう言ったじゃん」
ソイはもうそのアランフットがやってのけたことへの理解が全く追い付かない。
アランフットのやることなすこと全てがソイの想定の範疇を優に越えてくる。アランフットはそういう人間だと理解したつもりでいてもまだ驚いてしまう。
ソイは「ううう」と両耳を両手で押さえる困ったポーズを繰り出し、そして上目遣いでお願いする。
「い、一度見せてくれませんか?」
「いいよ?」
何が問題なのかわからないアランフットはソイの焦った顔に首を傾げつつ立ち上がる。
そしてあくまで自然体でアランフットは【制限解除】をする。身体のどこかに力を入れるでもなく、呼吸をするかのように普通に。これは以前と何も変わらない。
だがソイはアランフットが醸し出す風格がこの二日で明らかに変わっていることに息を呑んだ。以前見たものは荒々しく尖ったオーラのようなものを感じ取っていたが、今はとても穏やかに力が溢れ出ているのを感じ取った。「この二日でなにが……」とソイは固唾を飲んだ。
「じゃあ取り込んでみるよ」
アランフットは緋色に輝く粒子の中でそう言った。
「ええ。お願いします」
力は実際に目に見るものではない。毎日魔力(人間力)を扱っている人間ですら魔力を感じることはできるが目にすることはできない。だから扱うことのない自然力など確実に見ることはできない。
例外を除けば魔力も自然力も人間に見えるものではないのだ。
だが概念体からすれば自然力は見るものである。見ようとすれば見えるものである。常に自然力を吸収しなければこの『世界』に顕現できない概念体は、より濃い自然力がある場所へ行かなければならないからだ。
だから概念体の一つであるソイにはアランフットに集まる自然力が目に見えていた。
自然力は空気のように存在している。だからアランフットの周りにももちろん大量の自然力が存在している。その自然力が静かに、だが次第に速く多くアランフットに取り込まれていく。
「え……すごっ……」
風は吹いていない。だがアランフットが自然力を物凄い勢いで引きつけるその流れに、ソイは背後から強風に煽られたような感覚を覚えた。一歩足を前に踏み出したが、そこで踏ん張りアランフットのことを観察し続ける。
(「母様にもう二度と柵の内側に行くなと言われた理由がわかりました。中に行けば私は取り込まれてしまう」)
気を抜けば一気に引き寄せられ取り込まれてしまうであろう状況に冷や汗を掻きながらも、ソイは尚もアランフットの観察を続けた。一体どれ程の許容量があり、どれほど吸収することができるのか見極めなくてはならない。しかしそうは言ってもソイにはゆっくり見ていられるほどの余裕も無く――
「……わかりました。もうやめていいですよ」
アランフットが自然力を取り込み始めてから十数秒、もう充分だとばかりにソイが声をかけた。否、音を上げたと言う方が正しい。
「え?もういいのか?」
まだまだ余裕がある、限界知らずのアランフットはこのまま続けようとするが、身の危険を感じたソイは首を振って中断させる。これ以上続けられてはソイは本当にアランフットに取り込まれかねない。
アランフットは少し残念そうに【制限解除】をやめる。
「本当にこれに限界なんてあんのか?」
「あります。絶対にあります。人間に本来必要のない力である自然力は体内に取り込めば一時的に優れた力を手に入れられますが、使用後必ず拒絶反応が出ます。限界が来た時はその反応がすぐに出るはずです。どこか苦しかったりしませんか?」
「いや特にないな。一昨日からずーと溜めてるけど、今んとこなんもないぞ」
「すっと溜めてるっ!?!?」
眩暈がする。とんでもないことを言い出したアランフットにソイは面食らった。
「一昨日から?一度も放出はしてないんですか?」
「だからさっきも言ったじゃん。ソイが来るまでずっと溜めてたんだよ。それに放出ってなんだよ。お前そんなことやれなんて言ってねーじゃん」
確かに言っていない。しかしそれは言う必要もなく当然のように行うであろうと判断したからだった。
息を止める修業をしろと言われ、息を止めたまま一度も呼吸をしない者がいると思うだろうか。少なくともソイが知る限りそんな阿呆はいない。
「そ、そんな……あなた死にますよ?人間の身体で、しかもさっきの勢いで吸収してたら……あなたの許容上限は一体……」
「えー全然元気だけどな。どっかおかしかったりすんのかな」
アランフットはもう一度【制限解除】をし、身体に異常がないか飛んだら跳ねたりして確認を始めた。その間にソイはもう一度アランフットのことをよく見つめる。正確にはアランフットに蓄積された自然力を、よく目を凝らして。
「嘘……でしょ。自然力がこんなに濃くなるなんて……。こやつ……妾より……」
果たしてソイの金眼を通して見たアランフットの身体は濃い花緑青色に染まっていた。ソイは全身の毛が逆立つのを感じた。
「お主は一体……」
アランフットの自然力に障られ花緑青色に染まってしまった瞳を潤ませながら、ソイは譫言のように呟いた。アランフットはその異変に首を傾げる。
「お主ぃ?どうしたんだお前?」
いつの間にか柵まで近づき自らの目を覗き込んでいるアランフットに気が付き、ソイは慌てて壁まで引き下がった。ひんやりとした石作りの壁がソイの冷静さを取り戻す手助けをする。
「あーいやいや……気にしないでください」
ソイは肩を落として深く息を吐いた。その隙にアランフットは【制限解除】を解く。
最後に残った緋色の粒子がソイの顔の前でしゅわっ、と消えた。
「それにしてもあなたは異常です。そんなに濃い自然力を私は見たことがありません。世の中にはね、ものがたくさん溢れているけれど、その全て必要だということを知っていますか?」
「うんうん……と言いますと?」
「世の中にあるもの全ては、全て必要だから存在しているんです。言い換えれば必要ないものは存在しない」
「なるほど!……だから何?」
アランフットは「また訳の分からないことを……」と思い、結論を促す。だが事態はアランフットが考えるより深刻なようだ。涙を浮かべた顔でソイは激しく問いかける。
「あなたの……あなたのその自然力は一体何に使うんですか!あなたのその異常なまでの許容上限は一体何のためにあるんですか!一体何にそんな自然力を使う必要があると言うんですか!」
突然激昂したソイにアランフットは戸惑いを隠せない。
「な、なんだよ急に……怒られても俺は何も知らないよ。ただできちゃっただけなんだから……」
「自然力はね、概念体が存在するのに必要なものでもありますが、概念体を殺す唯一の力でもあるんです。あなたのその自然力の塊を概念体にぶつければ、およそ全ての概念体が消滅します。そんなもの……そんなものが存在していいわけがない……」
嗚咽を漏らしながらソイは床に座り込む。その涙が何を意味しているのかアランフットに理解することはできなかった。
自ら望んで力を手に入れたわけではないが、あまりにも悲痛な顔をして訴えるソイにアランフットは申し訳ない気持ちになってしまった。
「なんか……ごめんなさい……」
「うぅ……」
「なぁ、顔を上げろよ。謝るから」
その言葉に従うようにソイはゆっくりと顔を上げる。そこに張り付いていたのは泣きじゃくったくちゃくちゃの顔ではなく、アランフットのことをおちょくっているかのようなにやけた顔だった。
「おまっ……」
「騙されましたね。まあ仕方ないですよ。私みたいに可愛い子の涙を見たら怯んじゃいますよね」
「このクソ野郎が!!」
まんまと騙されたアランフットは怒りのあまりソイに飛び掛かろうとするが、それは両手を縛る手錠と行く手を塞ぐ柵に阻まれてしまう。涼しい顔をして口笛を吹くソイにアランフットは恨みの籠った目を向ける。
「お前……覚えとけよ……」
「もういいんですよ、こんなことは。それよりも次からはそれの溜まった自然力を放出する修行です。無意識に放出できてないとなると相当難しい修行になりますよ」
ぱっと顔を明るくするアランフット。
「よっしゃっ!やっとそれっぽいのが来たな!」
「いいですかアランフット。いずれあなたにはその膨大な自然力を丸ごと使うような大きな事件が起きる。私はなぜだか確信しました。それが数日後の戦いかもしれないし遙か先のことかもしれない。でも覚悟しておいたほうがいいと思います」
「おう!わかった」
「はあ……。そういえば一昨日の気合はまだ残っているんですか?なんだかおちゃらけているように見えますけど……」
アランフットは当たり前だと頷く。
「確かに明るく見えるかもしれないけど、まだ迷ってるんだ。俺がどうするべきなのか。こんな場所にいてられないってのは変わらない。だけどもう一回国王と話したい。その後で国王を殺すっていう結論が出たらそれに従うまでだ。だからあいつに会うまでは俺は強くなることに集中するよ。それまで引き続き俺に修業をつけてくれ、ソイ」
「ふえぇ。一日合わなかっただけで成長を感じます。私感動しました」
萎れていた耳を立たせソイは嬉しそうに尻尾を振った。そんなソイを見ながらアランフットはふとあることに気が付く。
「そーいやさ……」
「なんです?」
「お前今日は名前呼んでくれたな」
「……うっさい!!」
ソイは顔を真っ赤にして姿を消した。
「放出の仕方、教えてもらってないんだけどな……」
○○五日後○〇
「シュナイト、少しいいか?」
シュナイトの父シャナイトは書庫へ向かおうとするシュナイトを呼び止めた。休日、シュナイトの家での出来事だ。
シュナイトは大事そうに本を抱えながら父の方へ振り返った。
「何ですか?父さん」
「アランフット君のことなんだが……」
シュナイトは何かを察したように眉を動かした。話があるならばそろそろだと考えていたところだった。
「ラミも呼んでいいですか?」
「かまわないよ。ではラミを呼んだら私の部屋に来てくれ」
アランフットの話とならば自分一人で聞くべきではないと判断し、シュナイトはラミを連れてくることを決めた。
シュナイトは近くのメイドにラミの居場所を聞き、厨房にラミを呼びに行く。ラミは厨房で他のメイドたちと一緒に昼食の仕込みをしていた。一生懸命に働いているその姿は美しいものであったが、見惚れている場合ではないとシュナイトは首を振った。
「ラミ!父さんの所に行こう。アランについて話があるみたいだ」
シュナイトが厨房に顔を出したことがわかると他のメイドたちはすぐに頭を下げるが、シュナイトの只ならぬ表情と発言内容に、ラミは青ざめた顔をシュナイトに向けた。
結局アランフットは一週間も姿を見せなかったため、ラミもかなり嫌な予感を抱いていた。
「シャナイト様が何かおっしゃったの?」
シャナイトの部屋へ向かう途中、ラミは我慢できずにシュナイトに問うた。
「いや、まだ何も聞いていないよ。ラミも一緒に話を聞いたほうがいいかなって」
「そっか……ありがとう」
二人は急いでシャナイトの部屋へ向かった。三階建ての家の二階、正面玄関のすぐ前にある大階段を上って正面にある一番大きな部屋。それがシャナイトの部屋だ。
シュナイトは辿り着いてすぐに扉を開けシャナイトに話をするように促した。その礼儀に欠けた行動にラミは恐縮気味だが、シュナイトは意にも留めず、とにかく早く話すようにとシャナイトに求めた。
シャナイトは落ちかけていた眼鏡を掛けなおしてから口を開いた。
「昨日、王城で国王様と四眷属の者たちが話しているのを聞いたんだが、これは二人には伝えておいたほうがいいと思ってね。口外は禁止だが、それは守れるな?」
「……わかりました。お願いします」
ラミもシャナイトに視線を投げられしっかりと頷いた。
「今アランフット君と会えない状況が続いていると思うが、彼がどういう状況にあるかを君たちは知っているかい?」
「いいえ、知りません」
「私も知りません。アランは大丈夫なんですか?」
「アランフット君はね……今地下牢獄にいるんだ」
「「え……」」
二人は絶句する。国を揺るがすような大罪人が収監されると噂の地下牢獄にアランフットが閉じ込められている。そんなこと考えてもみなかった。
二人からすれば、いくら下落民とはいえアランフットが国に対して何かをするとはとても考えられないことだ。だが下落民だからこそ地下牢獄に入れられているのかもしれない。それは何もおかしいことではなかった。
「そしてね……心して聞いてくれ」
シャナイトは子どもたちの眼を見る。その表情に二人はゴクリと唾を飲み込んだ。
「アランフット君は今日処刑される」
「「……」」
「このことを二人に言うかどうかは迷った。だが何かの縁で友達になった二人にだからこそ、このことは伝えておこうと判断した。知っていながら伝えないのは私の良心も痛む。言っといてなんだが、今日はずっと家にいなさい。残酷なことだが静かに過ごしなさい。国王様が決めなさったことだ。私たちがどうにかできる話ではない」
「ですが……」
国王の決めたことだ。逆らうことは許されない。ましてシュナイトはジンヤパ王国でも二番目に高貴な家柄とされるアルミネ家だ。国王の意志に逆らうことなどあってはならない。
シュナイトにもそんなことは理解できていた。だが家柄云々の前に、まずアランフットは大切な友人だ。ただの友人ではなく親友だ。親友を見捨てるなどあってはならないことだとシュナイトは思った。
だからシュナイトは父の言葉に反発しようとしたが――
「シュナ、一旦部屋に戻ろ?」
それをラミは止めた。従者としてではなく、友として。
シュナイトが何を言おうとするのか、しようとするのか、それを理解できない程浅い関係ではない。
ここで争い、シャナイトに二人がアランフットをかばう意思を見抜かれてしまえば無理やりにでも押さえつけられてしまうだろう。一日子供を家に監禁することぐらい容易い。
「……そうだな……ここは……我慢しよう……」
二人は頭を下げ静かにシャナイトの前を去った。
「すまんな二人とも」
シャナイトはなぜだか二人が自分の言うことを聞いて諦めてくれたと安心してしまった。そんなことあるはずがないのに。或いは全てを見抜いたうえで放っておいたのか。とにかくシャナイトはそれ以上二人に何かを言うことはなかった。
二人は頭を下げシャナイトの部屋を後にし、急いでシュナイトの部屋へ移動した。
「当たり前のことを聞くけど、アランを助けに行くよね?」
質問する意味はない。答えは既に出ているからだ。むしろここで自分の意に反するような答えを出せば、シュナイトはラミとの縁を切っていたかもしれない。
だがシュナイトは念のためにラミに問うた。ラミが自分よりも賢明な人間であるということは認めていた。よりよい答えが得られる可能性もあれば、自分の思慮が強化される可能性もある。
またその意志がないのに主の命令で国王に歯向かわせるのは酷だとも思ったからだ。
「もちろんよ」
だが、ラミもまた親友を見捨てるような人間ではなかった。それがたとえ絶対忠誠を誓うべき相手であっても、アランフットを見捨てるという選択はできなかった。その点ではシュナイトもラミを異常であった。その異常性を見抜けなかったため、先ほどのシャナイトの反応が生まれたのかもしれない。
シュナイトは満面の笑みで満足気に頷いた。君は友人に足る人物だよ、と。
「じゃあ何通りか作戦を考えようか」
世代を代表する天才二人が本気でアランフットを助けるために動き出そうとしている。そんなことができるはずもないという考えは二人にはなかった。
○○○
「はあ……やっと成功ですか。一体何日かければ気が済むんですか」
輝いていた毛並みは光沢を失い、綺麗に整っていた毛も枝毛のように跳ね、顔面からも生気の光が消えたソイは呟いた。
「こんなに難しいなんて聞いてねぇぞ!!」
「私はあなたが天才肌の人だと思ってたんですよ!こんなにも不器用な上に性格も頑固って……良いとこ無しじゃないですか!」
「っせーな!できるようになったからいいんだよ!」
アランフットの修業は非常に難航していた。自然力の吸収は驚異的なセンスを見せつけたアランフットだったが、放出に関しては全くと言っていい程センスが無かった。
そんな様子を見かねてソイが色々とアドバイスをするのだが、アランフットは全く聞く耳を持たない。正確には聞きはするが、それが自分なりに理解できないため結局無視して修業を続けるのだ。
修業は長引き、結局自然力の放出をマスターしたのは運命の日、国王に宣告された一週間後の当日だった。
「本当に襲撃という形で良いんですよね?」
「おう」
ソイはアランフットの意志に揺るぎが生じてないことを確認した。
「国王は十二の刻にここに来るらしいです。既に十一の刻は過ぎました。準備が出来次第出発しましょう」
「りょーかい」
「では私は一旦……」
「待て待て」
どこかへ行こうと姿を消そうとしたソイをアランフットは呼び止めた。
「なんですか毎回毎回。かまちょですか?私はそんなに暇じゃないんですよ」
「この手錠ってどうやって外すんだ?」
「ん?」
ソイには一瞬アランフットが何を言っているのか理解ができなかった。音声情報だけが先に到達し、後から遅れて意味情報が追い付く
アランフットは今まで修業を重ねていたにも関わらず、国王によって作られた手錠が外せないと言うのだ。今までの修業は何の意味を持っていたのだろうか。
「え?【制限解除】をして、今習得した方法で何らかの〈妖精術〉を使えば破壊できますよね?」
「いや……びくともしないけど……」
アランフットは瞬時に【制限解除】をし、両手を慌ただしく動かすが、確かに手錠が破壊される兆しは見えない。ソイはアランフットの身体に目を凝らすが自然力も十分に使えている。何の異常もない。つまりアランフットは万全の状態。
「本当に取れないんですか?」
「うん……」
「…………死にましたね」
○○○
「久方ぶりの娑婆の空気だ!!」
「同じ空間なんですから空気も同じでしょう……」
「いいんだよ!こういうのは雰囲気が大切なんだよ!」
緋色の粒子が飛び交う中、金属と金属が擦れる甲高い音と共にアランフットを閉じ込めていた柵がガラガラと崩れ落ちた。
アランフットが手を離すと七星剣は姿を消す。同時に【制限解除】も解いた。
「手錠うまく取れてよかったですね」
「ああ。自然力を取り入れると身体の強度も上がるらしいな。しかも前よりも確実に力が上がってる気がする」
アランフットは拳を握ったり開いたりして己のパワーアップを噛み締める。手錠は落ち着いて力を集中させることで簡単に取ることができた。
「本来の【制限解除】なら自身に秘められた内部の力を段階的に引き出しますが、あなたの場合だと【制限解除】をすることで自然力を取り入れ一気に力を手に入れています。諸刃の剣ですよ、その戦い方は」
「でもまだ身体に異状はないぞ?」
「これからあるかもしれないでしょう?とにかくお気を付けて」
「はいはい」
「異常が出た場合は一旦自然力を放出して吸収を止めることです。あなたは良くも悪くも人間なんですから毒を保持し続けるのは避けたほうがいい」
ソイの忠告を聞き流しつつ、アランフットは微笑を浮かべ柵の外側に歩み出た。
凝り固まった首を鳴らし、肩を鳴らし、指を鳴らしながら。腕が鳴るぜと言わんばかりの自信と闘志で満ちた目をしながら。
「ありがとなソイ」
アランフットはソイと向き合い素直に感謝の念を伝えた。今自分の実力が国王にどこまで通用するのかはわからないが、確実に強くはなっている。それはソイのおかげだ。
だが、謝意を示されたソイは存外素っ気ない態度を取った。
「あ、近寄らないでください。触らないでください」
「そんなこと言うなよ。あんまり触れなかったけどおまえの耳と尻尾、結構気になってたんだよ。一回だけでいいから触らせてよ」
「私は狐の幻獣、概念体です。母様がこっちの姿の方が可愛いと言うのでこの姿でいる訳であなたに欲情されるためではないんですよ」
ソイは目を爛々と輝かせながらなんとか触ろうとしてくるアランフットを見、後ずさりをしながら説明をする。アランフットにだけは触れられてはならない理由がソイにはあった。
「えーいっ」
「ぎゃーー!!」
だがそんな努力も虚しく、まんまとアランフットに飛びつかれたソイは断末魔を上げた。
「終わった……触るなって言ったのに……触るなって言ったのに~……」
遂には泣き出す始末。アランフットもさすがにその反応には動揺を隠せなかった。他人から泣くほど拒絶されるという経験は初めてだった。
「ご、ごめん。そんなに嫌がられるとは思ってなくて……」
「好き嫌いの話じゃないんですよ。これじゃ契約者が変わっちゃうんですよ~」
「契約者?」
話しの雲行きが怪しい。めんどくさい話になりそうだ。アランフットは頭を掻いてソイが泣き止むのを待った。
ソイはすぐに涙を止め、鼻水をすすりながら説明をする。
「母様は私と契約を結んでるんですよ……。必要な自然力を母様が供給して私がこの『世界』に顕現できる代わりに私が力を貸す。でも契約の仕方がおかしいと思ったんですよ」
「……悪いんだけどさ、それ聞かなきゃいけない感じ?そろそろ国王の所に行きたいんだけど」
ソイと母様とやらの遺恨はアランフットには関係がない話だ。できれば面倒くさいのでこの場から逃げ出したい。泣かせてしまったのは申し訳ないが、第三者とのいざこざを持ち込まれるのは勘弁してほしかった。
「聞きなさいよ!主人のせいでしょ!」
その自分の発言に驚き、ソイは両手で口を押えた。アランフットもその言葉には目を丸くする。
「……ああ、こんな小童を主人だなんて……。恥にも程があります」
「なんかいい響きだな!主人って。お前は俺の部下第一号ってことだな」
ソイはアランフットをキッと睨む。
「うっさい!とにかく説明すると、母様より多くの自然力を扱える者以外には従わない。そして万が一母様より多くの自然力を扱う者が現れたら人に従うっていう約束をもとに契約したんです」
「なるほどね。それで俺が現れちゃったってわけか。でもそんな約束しなければよかったのに。明らかに不自然だろその契約。まるで俺が登場することを知っていたかのような契約じゃん」
「母様より強い人なんて普通はいないんですよ!しかもこの契約を交わしたのも随分前のことですから忘れてたんですよ。触れられなければ契約者が変わるってことはなかったのに……主人が触れるから……触るなって言ったのに……うえ~ん」
「ごめんて」
アランフットは優しくソイの頭を撫でてやるが、ご立腹のソイは頬を膨らませたままふてくされている。
「お前!!何を喋っている!!」
守衛はアランフットとソイの話し声を聞き取り、アランフットの方へ急いで近づいてくる。アランフットの行動を制御できなければ上司から怒られてしまう。守衛も必死だ。
「話し声には気づくのに柵が壊れる音には気づかないって、とんだ間抜けだな」
アランフットは鼻で笑い、しゅっ、と細い音を残し一瞬で守衛の横まで移動する。
「これがどういうことかお前はわかっているんだろうな。国王様への明らかな反逆だぞ」
「わかってるさ。けど、悪いな守衛さん。今日の仕事はここまでだ」
そこまで言葉を聞き、守衛の男は意識を失った。
「動きの方もまあまあ上手くいってますね」
「そうみたいだな。よし!じゃあ国王のとこ行ってくるわ!」
「わかりました。私は一旦母様の元へ戻ります。健闘を祈ってますよ」
「おうっ!」
最後にアランフットはソイと拳を合わせ、自信満々に王城へと繋がる階段を登って行った。
ソイはその背中を見ながら溜息を吐くのだった。
「まともに戦えるはずもないのに酷なことを……。母様は一体彼に何がさせたいのでしょう」
最後のソイの声が守衛に聞こえた理由は、アランフットが自然力の供給源になったことで彼らが生きる『世界』に概念体であるソイが完全に顕現してしまったからです。