第7話:【制限解除(リミッターリリース)】
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魔法適正調査の授業を行った翌日の教室はどんよりとした重たい雰囲気で満ちていた。
外は快晴にもかかわらず、曇天の湿った空気が身に纏わりついたかのような居心地の悪さを感じさせるものだった。あるいは道で土砂降りの雨に打たれた子供が泣きじゃくっているを見て見ぬふりして通り過ぎる気まずさに似ているかもしれない。
それもそのはず。
いつも通りであれば下落民という最低の称号と《魔法》が使えない落ちこぼれという最悪のレッテルによってアランフットへの陰口の横行となるはずだが、その先陣を切るはずのシクルが神妙な面持ちで自席に座っていた。
だから他の誰も何も言えなかった。
最高級貴族が仲間という後ろ盾がない今、平民が何かをするにはいつもシュナイトが近くにいるアランフットの立場は強い。結局下落民と言っても平民と何ら変わりない。国王から直々に追放され変な場所に住んでいる以外は平民と目に見える差ない。
アランフットに手が出しにくい最大の理由でもあるそのシュナイトとラミもまた普段のようにアランフットに話しかけることなく静かに席に座っていた。
それは張本人でもあるアランフットも同じだった。むしろアランフットの態度こそが今のこの空気を作り出している最大の原因なのかもしれない。
《魔法》が発動できないという前代未聞の事件を軽く話題にできる者はいなかった。唯一それを自虐として話題にできるアランフットが口を閉ざしてしまっていれば、誰もかける言葉などなかった。
それ程《魔法》が発動できないということは重大な問題だった。
まだ歩くことができない赤子ですら《魔法》を発動してしまう事件・事故が後を絶たない。人間にとって歩行よりも《魔法》の方ができて当たり前のことなのだ。《魔法》が使えないアランフットは呼吸ができない人間に等しい。
そんな人間存在するはずないのだから、アランフットという存在は奇妙極まりないのだ。
この四人が放つ異常な空気感が他の生徒が口を開くのを憚らせていた。唯一人を除いて。
「シクル君だいじょ~ぶ」
普段から何事にも無頓着なルーテだけが子犬のように無邪気にシクルに話しかける。
静かな教室ではルーテの声だけが異質に響く。当の本人はそのことにも全くのお構いなしだが。
シクルはそんなルーテの気の抜けた声に少し頬を緩めたが、手で「こっちへ来るな」と意思表示をしただけで留めた。声は発さなかった。
シクルがおとなしく座っているのは何もアランフットとの仲が悪化したからという理由だけではない。むしろそれは小さな要因に過ぎない。
先日の魔法適性調査でシクルが発動した魔法は《土魔法》だった。それ自体は決して悪いことではない。《火魔法》や《水魔法》よりは多少特異な属性ではあるから貴族としては、序列一位の貴族としてでも申し分ない。
だがラワジフ家に続く二位のアルミネ家の長男シュナイトと、そこに仕えるラミはどうであったのか。シュナイトは最も稀有な《雷魔法》を発動させ、ラミは《火魔法》ではあるものの一瞬で「北宮」で噂が広まるような物凄い才能を見せつけた。
この結果は当然シクルの父親の耳にも入る。そして自分の息子が自分よりも下の貴族の跡取りに劣ったことももちろん知った。
ラワジフ家は古来からの風習に乗っ取って行動する家系。良く言えば歴代の王の忠実な部下、悪く言えば凝り固まった思考の一族。対してアルミネ家は時代ごとに考え方も変化する一族。ニュートラルに近い存在。
具体的な人間関係はさて置き、両家は政治的な立場では真正面からぶつかることも多い。アランフットが下落民となる時、その所在について真っ向からぶつかったのもこの二つの家だった。最終的には国王はアルミネ家にアランフットの扱いについて一任したが、ラワジフ家が完全に納得したわけではなかった。
だからシクルの父親、ラワジフ家当主のミケコは息子に厳しい言葉をかけた。たとえ《魔法》で負けていても【制限】では負けるな、と。
ラワジフ家の政治的立場は今や時代錯誤になりつつある。そのことは当家も十分理解していた。だからこそ誰よりも優秀でなければならなかった。圧倒的に優れていなければただの老害も甚だしい。国民に示しがつかなくなってしまう。そして国王から見限られれば最後、「北宮」には居場所がなくなる可能性が高い。
シクルはラワジフ家の次男。何事もなく時が進めばシクルが家を継ぐことは無いが家族全員が優秀であることに越したことは無い。シクルの兄キュータは界隈では有名な秀才だ。シクルはそんな兄に負けるとも劣らない存在でなくてはならない。
だが【制限】は先天的に身体に備わっているもの。最初の授業で各々の【制限】のステータスを発表しているため、シクルがどう抗っても基本ステータスではシュナイトに勝ることは無いことはわかっていた。
だから今日の授業、初の【制限解除】の授業は憂鬱でしかないのだ。シクルが父の期待に応えられないことはわかりきった未来だった。そんな気分の中わざわざアランフットにかまってる元気はない。溜まったストレスを八つ当たり的に他人にぶつかることで発散する方法もあるが、昨日のアランフットのように無様な姿を晒すつもりもシクルには無かった。
そしてまた、こちらも静かな仲良し三人衆。
先日の魔法適性検査が終わった後、ラミとシュナイトはすぐにアランフットに話しかけた。なんとかして励まそうとし、不自然なぐらいにいろいろな話しをしようとした。《魔法》が出せなかった事には触れず、当たり障りのない世間話を続けた。
だがその態度が癇に障ったのか、アランフットはすぐに帰ってしまった。「明日は絶対見返してやるから」とだけ言い残して。
今まで、アランフットは気にしないようにしていたものの、日頃からシュナイトやラミに対して多少の劣等感を感じることはあった。当然のことだ。国内随一の権力者・金持ちと国内随一の下落民との関係の中で劣等感を抱かない方が難しい。
そういう劣等感は一緒に遊んだ時に二人よりも足が速いだとか、木に登るのが得意だとか、そういったことで中和していると自分を欺いて生きてきた。また二人はそのような場合にアランフットの機嫌を取るのが上手い。そしてそれが同情からではなく純粋な感想が出所であるというのがまたアランフットの心の穴を埋めていくことに成功していた。
だからこそ、金銭が絡まない、身分が絡まないことでラミやシュナイトに勝たないと、アランフットが今まで自分を肯定していたものが崩れ去ってしまう。
今までは自分という存在に誇りが持てたていたため、下落民という身分も甘んじて受け入れていた。だが今回は純粋に、ただ純粋に勝てなかった。あるいは勝敗ですらない。《魔法》の凡・非凡ではなく、本来は有るはずのものが無かった。人間そのものとして認められなかった。
もはや馴れ合いは不要だと、アランフットは意気込んでいた。
二人に【制限解除】で勝つことだけが今アランフットに必要なことだった。ここで勝たなければアランフットの存在を肯定していたものは全て消え去る。
そのことはアランフット自身にも漠然と理解できていた。それ故に今日の授業には恐怖すら感じていた。
また、アランフットが自分たちに対して劣等感を感じる可能性があることをラミとシュナイトは理解していた。
もちろん二人はアランフットに対して優越感を感じたことはないし、アランフットを蔑んだこともない。下落民という身分を与えられ差別を受けながらも悲観することなく真っすぐに自分に正直に生きるアランフットに、子供ながら純粋に尊敬の念を抱いていた。
だがいつかアランフットがその劣等感に押しつぶされそうになる時が来る可能性があることも二人は理解していた。
だからもう何も話しかけない。アランフットが自らまた話しかけてくるまで、静かにその時を待つと二人で決めていた。
○○○
「どーしたお前ら、今日はやけに静かだな」
いつになくおちゃらけた口調で、と言っても通常時が冷たすぎるため常人のローテンションぐらいの口調で、レースが教室に入ってきた。
レースの態度は全く教室の雰囲気にはそぐわなかったが、そのきょとんと目を丸めた滑稽な姿を見た生徒たちの態度は多少和らいだ。本人がその理由を理解することは無かったが、生徒が穏やかな表情を浮かべたことに安堵したレースは早速授業の開始を告げる最初の雑談に入る。
「今日も今日とて楽しい楽しい授業だぞ。まあ、なんだ。……最後の楽しい授業と言ってもいいかもしれないな。来週からは正式に座学と訓練が始まるからな。今日ぐらいは楽しんで授業を受けろよ」
問題の四人を一瞥したレースはなんとなく生徒たちの状況を察知し、とにかく楽しむようにと促した。
いよいよ始まる【制限解除】の授業。【制限解除】は十歳になるまではできない。正確には十歳までは【制限解除】に身体が耐えられないと言われている。一定の基準の身体強度が無い場合に【制限解除】をしてしまうと身体が爆散するのだ。
詳しい理由は解明されていないが、この世に生を受けて十年経つと【制限解除】に耐えられる身体になるという揺るぎない事実があった。
「んーまあ【制限解除】は《魔法》と比べたらよほど簡単だ。【制限】に触れて力を込めればできる。これも感覚の問題だからな。口で説明して理解できるものでもない。上に行って早速やっていくぞ」
レースの指示でアランフットたちは二階にある教室に移動した。二階の教室は机と椅子がないだだっ広い空間だ。
《魔法》のように思わぬ事故というものがほとんどの確率で起こらないため、今回は室内で授業を行う。
「今日は自分が現状どの段階まで【制限】を開けるかを確かめる。身体に直接負荷がかかるから無理はしないようにしろよ」
無理しそうな者が数人いることはレースにもわかっていた。そういう者たちに念のために釘を刺しておき、先日と同様に席順で一人ずつ生徒を前に立たせて調査を始める。
「まずはシクルだな。お前の【制限】は……」
「“右十角”」
「そうだったな。……あまり気負いすぎず気楽にやれよ」
シクルの状況を理解しているレースは優しい言葉をかけたが、シクルの緊張がそんな言葉で和らぐはずもない。
今無理をしてでも【最終状態】にならなければ、自尊心も家名も傷つけることになる。後先のことを勘定に入れることは必要ない。シクルは現状必要なことを死ぬ気で達成する必要があった。
「【制限解除】……」
右手の【制限】に触れ、シクルは静かに【制限解除】を始める。
【制限】は角から中点に引いた線からできる三角形がどんどん消えてゆき、全ての【制限】が手の甲から消えたとき【最終状態】となる。
甲高い金属音と共に、【制限解除】時特有の半透明檸檬色の輝く粒子がシクルの周囲を慌ただしく舞い始める。
一瞬にして教室は明るくなり華やかなパーティーでも行われているかのようだ。
それと同時にシクルの身体が光り輝く。
「いきなり六か……」
レースは目を凝らし、シクルの【制限】が六つ目まで開かれていることを確認した。
一度に六つ目までを開けることは大人にも非常に難しい。初めての子供となれば尚更困難なことだ。
ここまで開けたという事実だけでも、初めて【制限解除】をする人間としては相当優秀な結果だ。
「まだ……まだ終われないんだ!!」
だがシクルが求められてることは凡人の中で頭一つ飛び抜けることではない。「初めての割には」という枕詞は必要ない。
誰よりも素晴らしい結果を残し、国に、せめて「北宮」だけにでも、シクル・ラワジフという名を轟かせねばならない。
「うおぉぉぉ!!」
この状態で、この程度の状態でシクルが止まるはずもない。
再度力を込め、まだ開かぬ残りの【制限】をこじ開けようと苦しそうに叫び、左手を右手首に添え力を込める。
七つ目、八つ目とゆっくりだが辛うじて【制限】を開くことに成功する。
「もうやめろ!」
レースはシクルを止めようとした。
【制限】は初心者が無理やり開けられるものでもない。だが何よりシクルが鬼気迫る形相でいることが危険な兆候だと判断した。
今日はなにもそこまでやってほしい授業ではない。あくまで自分が現状どこまで開くことができるのかを確かめる調査なのだ。
これからどれほどの努力をすればいいのかを自覚させることが授業の目的だ。自分の身体を必要以上に追い込むのは今この時ではない。
「まだだ!私を見ておけ!!」
だがシクルは怒号でレースを制した。
右手の【制限】に力を込め、そして全身に力を込める。
「まだ終わるわけにはいかないんだ!少しでも【最終状態】に近づかないといけないんだ!!最高位の貴族として!民衆の上に立つ者として!そして私として!意地を見せなくてはならないんだ!!!」
シクルの額には血管が浮き出、目は充血している。
呼吸すらまともにすることは無く、全神経・全集中を【制限】注ぐ。長い髪が目にかかろうとも構わない。涎が垂れようとも構わない。
「んんんんんんん!」
そしてあまりの力の集中により鼻から血が垂れ、床に落ちたその時――
パリン
儚い音が教室に響き渡った。
シクルの呻き声で満たされていた淀んだ教室はガラスが割れるような音で一気に澄み渡る。九つ目の【制限】が開放された音だった。
【最終状態】とまであと一歩というところまで来たのだ。
「次で……さい……ご……」
だが、シクルが動けたのはそこまでだった。
その後教室に残ったのは静寂。そのまま輝く粒子がシクルの身体に収束することはなく、シクルは力尽きた。
一瞬で【制限】は元の形に戻り、輝く粒子も霧散する。
「くそっ!」
床に倒れ込んだシクルは腕を床に叩きつけて叫んだ。
レースはすぐにシクルに近づき声をかける。
「“右十角”を九つ目まで開放できていた。凄いことだ。ここまでできる新人はあまりいない。誇りに思っていい」
「こんなんじゃだめなんだ!私はもっと天才でなければ、ラワジフ家の名に泥を塗らないようにしなければならないんだ!貴族として最強でなければ……」
シクルは片腕で目を覆う。身体は小刻みに震え一筋の涙が顔の横から流れ落ちた。己の不甲斐なさ、力不足、慚愧による涙。それを笑う者はいなかった。
綺麗な涙だなとアランフットは思った。
何かに本気で取り組むということは素晴らしいことだ。アランフットも今後の人生が大きく懸かっている。彼よりも本気で、或いは死ぬ気で、この授業に臨まなければならないと、アランフットが覚悟を決めた瞬間でもあった。
「このままじゃダメなんだ!もう一回だ!もう一回やらしてくれ!もう一回やれば私は【最終状態】に辿り着けるかもしれないんだ!!」
「体力を著しく消耗しているお前にはもうできまい。お前はよくやったよ」
「うるさい黙れレース。私に意見する気か!私がその気になればお前の首など……」
「現にお前はそこから立ち上がることすらできない。それに言っただろ?ここでは貴族も下落民も関係ない。私が上でお前が下だ。これ以上【制限解除】をすることは認めん」
「ぐっ……」
シクルは言葉を失う。自分にはもう動くことすらできないことはよくわかっていた。だがここで諦めていては父親に自分を認めさせることはできない。
何故ならシクルは確信してしまった。ラミやシュナイト、そしてアランフットまでもが【制限解除】を成功させ【最終状態】に至ってしまうであろうことを。
根拠はないが自分ができなかったことを軽々と成し遂げてしまう姿がシクルの脳裏にはよぎっていた。
「【制限解除】」
静かな声で呟いたシクルは、力なく両腕を上げ右手の甲にある【制限】に触れた。一瞬で半透明檸檬色の粒子が教室中に展開した。
それを見たレースの動きは速かった。挙がった状態のシクルの右腕を床に叩きおろし足で踏みつけ、人差し指でシクルの額を軽く叩いた。
シクルは気を失い輝く粒子も消え去った。
「周りが何と言おうとお前はよくやったよ。シュナイト、シクルを医務室まで連れて行け」
「っ!!わかりました」
急に氏名され驚いたシュナイトだったが、すぐにシクルを担ぎ、教室を後にした。
「次はルーテだな」
「は〜い」
呑気な声が教室に響いた。
……………
「うう……」
シクルはすぐに目を覚まし、苦しそうな声を上げた。身体はまだ動かせないようだった。そんな様子に気が付いたシュナイトは後ろに声をかけた。
「今日は君らしくなかったよ。どうしたんだい?」
何事も余裕を持った調子で成し遂げてしまうシクルを知っていたシュナイトは、今日の生き急ぐようなシクルは初めて見た。
いつも嫌味なやつとはいえ、昔から顔を合わしている仲であり、コレジオに入ってからは少し印象も変わっていた。根が真面目な人間だということも知ってはいたが先程のは度が過ぎている。
シクルはぽつりぽつりと言葉を零す。
「昨日父上に言われたんだ。シュナイトやラミには負けるなと。ラワジフ家の顔に泥を塗るなと。どうせお前たちなら何食わぬ顔で【最終状態】になってしまうのだろう?だから私はたとえこの身体がどうなろうとも、少しでも【最終状態】に近づかなければいけなかった。私はラワジフ家の名を汚すことが何よりも怖いんだ。人の上に立つには誰も優秀でなくてはならない。それはお前にもわかるだろう?」
「うん……」
「それに私には優秀な兄がいる。兄が優秀であるがゆえに私が家の名に泥を塗るわけにはいかないのだ」
シュナイトは何も言えなかった。アルミネ家もジンヤパ王国では有数の貴族。民衆に示しがつかないようなことはできない。その跡取りとなればよほど下手なことはできなくなってしまう。
民衆に自らの行いを認めされるにはそれ相応の実力を示す必要がある。国王が神聖視されているこの国では、国民の不満は貴族に集まる。だから貴族はその圧倒的な実力から自らの全ての行動に正当性を生み出す他ない。
だからシュナイトにはシクルの感情が痛いほどわかる。
生まれ持つ才能など選べるはずもないのに、自分の才覚それだけで勢力図が書き変わってしまうかもしれない。貴族間の争いにおいては金銭の多寡は意味をなさない。積み上げてきた、そしてこれから積み上げられる実績で勝敗が分かれる。
実績が有れば、またその見込みが有れば国王に気に入られ手元に置いておいてもらえる。
ラワジフ家もアルミネ家も奇跡的に「北宮」に居を構えられているだけで、国王の気まぐれ一つで貴族の立場は二転三転とする。
明日には路頭に迷っている可能性だって絶対にないとは誰にも言い切れない。
シクルに対して何も言えず黙っているとタイミングよく医務室に到着した。
「ほら着いたよ。取り敢えず今は休んだ方がいい」
「ああ」
「……じゃあ僕は戻るよ」
医務室の者にシクルの身柄を預けシュナイトは踵を返す。
「シュナイト・アルミネ!」
「ん?」
大きな声でシクルに呼び止められ、シュナイトは振り返った。シクルは支える人間の制止を振り切り、一歩シュナイトに近づいたがよろけて倒れ込んだ。
シュナイトは慌ててシクルに駆け寄ろうとしたが、シクルが言葉を発したことでその歩みを止めた。
「卒業……するまでには、絶対に貴様たちに……勝ってやるから……」
シクルは泣いていた。これは貴族としてのプライドを賭けた宣言。心優しいシュナイトもこのタイミングで宥めるなどという無礼を働くような人間ではない。
「わかった。僕も絶対に負けないよ!」
力強くそう言ってその場を後にした。その後シクルはまた気を失い、急いで医務室の中へと運ばれていった。
……………
シュナイトは静かな廊下を歩いていた。本日使っている教室は二階だが医務室は一階にあった。
普段使っている教室の前を通り過ぎ、二階の教室に近づくにつれて違和感が増していくことにシュナイトは気が付いた。
その原因は何なのか。何かが引っ掛かるとシュナイトは思いを巡らすが答えが出ることは無かった。
遂にシュナイトが二階の教室の扉に辿り着いた時にその違和感の正体に合点がいく。
それは異様な静けさだった。一階は使用されていないのだから静かなのはおかしいことではない。
だが階段でも、教室の中からも物音ひとつしない。授業しているならば話声の一つでも聞こえていいはずだ。だがそこには静寂しかなかった。
おそるおそる扉を開けるシュナイト。こういう時何故だか自分まで静かに行動してしまうよな、と内心笑いながらも静かに扉を開ける。
教室を覗き込むとまず最初に唖然と口を開けている生徒たちが目に入り、次に腰を抜かして醜態を晒しているレースが目に入った。
そして教室の前方には激しく輝く光。
「あっ、シュナ!見て見て!」
聞き慣れた無邪気な声が光源から発せられる。シュナイトは目を細めその光の正体を照合する。
「ラミ!?」
それはラミが【制限解除】をした姿だった。信じられない光景に、シュナイトもまた他の生徒と同様に口を大きく開けて腰を抜かすのだった。
○○○
時間は少しだけ遡る。
シュナイトがシクルを担いで教室を出た後も【制限解除】の調査が続いていた。
ルーテは“右六角”。四つ目までの解除に成功。ウマートは“右九角”。六つ目までの解除に成功。ユナは“右五角”。二つ目までの解除に成功。
誰もが類稀なる才能を持っていると言っても過言ではないが、ここまでにドラマは無く淡々と進行されていった。
そして遂に期待の超新星ラミの登場。
【制限】は“右十二角”という最強のポテンシャル。そして先日の《火魔法》の件もあり、ラミには大きな期待がかかっていた。
「お前は“右十二角”だな」
「はい」
「もう何が起きても驚くまいよ。全力でやってみろ」
レースは自身が盛大なフラグを立てているとは思いもしない。本人なりに心の準備はできているつもりだ。
ラミは頷いて微笑み、そして右手の【制限】に触れる。深呼吸をしてから「行きます」とレースの目を真っすぐ見つめて言った。
「【制限解除】!!」
【制限】に触れると半透明檸檬色の輝く粒子が舞い始めるが、シクルのように空中に漂う時間は短く、粒子はすぐにラミの身体へと収束していった。
そして次第にラミの外見は変化していく。
【最終状態】は読んで字の如く、人間が最大限の力を発揮した状態のことを指す。【制限】の位置と角数によって身体に影響が及ぶ範囲は変動する。【最終状態】の姿は人それぞれ。一度なってみないことにはどのような姿になるかはわからない。
ラミの場合、右手の紋様が消え【最終状態】になった時、全身に装飾が広がった。騎士のような白金色の甲冑が胸・肩・腕・腰回り・脚には顕現したが、その他大部分は布のようにひらひらとした印象を与えるもので、下半身の脛まで隠れた長いスカートは【制限解除】の勢いから微かに靡いていた。騎士というよりは姫騎士といった方が正しいかもしれない姿をしていた。
全身赤を基調とする風貌で、ラミの赤髪とよく似合っており、《火魔法》を使うことからも炎を体現したかのような印象を与えるものだった。
「ふう……」
ラミは額に滲んだ汗を拭った。絶対に【最終状態】になれるという確信はあったがここまで上手く行くとは思っていなかった。安心と単純な疲れから漏れたため息だった。
そしてラミは両手を広げて自分の姿を確認した。
「うん。かわいい。よかったよかった」
【最終状態】があまり自分好みではないというのは良くある話だ。やれ「露出が多い」だの、やれ「ゴツすぎる」など、女性の【最終状態】事情についてラミはアルミネ家で働く先輩たちからさんざん聞かされていた。
ラミは運良く自分好みの姿になることができた。大満足と言ったような表情を浮かべている。
「こ、こ、これは……」
その姿を見たレースは腰を抜かしてしまった。《魔法》の発動のみならず【制限解除】までも当たり前のように成功させてしまったラミ。
光り輝くラミの姿を見てレースは確信する。
かつて十年に一人の天才と評されていたレースを遥かに凌駕するその才能。敢えて言葉にするとしたら百年に一人の天才。
ラミの才能は恐れすら感じさせるほどのものであった。
他の生徒も唖然としている。ここまで連続で【制限解除】をしてきた貴族が成せなかった大業を成し遂げてしまったのだ。開いた口が塞がらなくなってしまうのも頷ける。
そして時は戻る。
「あっ、シュナ!見て見て!」
教室に戻ってきた幼なじみに気づき手を振る少女。全く疲れを感じさせないその動きはますます異常だった。
かつては神童だと言われていたレースですら四眷属にはなれなかったが、ラミは確実にこの国のトップに立てる人材だとレースは確信する。
「ラミなのか……その……凄い格好だね……」
シュナイトは動かし方を忘れてしまった口を何とか動かし、ぎごちなく感想を述べる。
「ええー……。アランならまだしも、シュナまで私のこといやらしい目で見るの?……へんたいっ!」
「いや……ちがっ……」
「もう終わり!」
何かを勘違いしたラミは右手を軽く振って元の姿に戻ると、すたすたと自分の位置に戻って床に座り込んでしまった。
しばらく誰も動き出さなかった。圧倒されると話すことも動くことも忘れてしまう。
「……よし、では次の者は前へ」
レースがそういうまで動ける人間はこの空間に一人もいなかった。
この後は単純で味気の無い調査が続いた。
クラスの大半は平凡な平民だ。少し優秀な生徒がいたとしてもラミと比べてしまえば他の生徒とは些細な差にしかならなかった。ラミはそれ程圧倒的な実力を見せつけたのだ。
レースは放心状態で単調に調査をし続けるマシーンと化している。
「次」
そしていよいよシュナイトの順番が回ってくる。
教室にはざわめきが走る。シュナイトの【制限解除】にもラミと同様に大きな期待がかかっていた。
《雷魔法》を使う生まれながらにして世界のシステムに愛された男。そして幼なじみであるラミはいとも簡単に【最終状態】になってしまった。シュナイトにも同様かそれ以上のことが求められ、期待されることは必然だった。
シュナイトは移動する前に、隣に座るアランフットに話しかけた。
「アラン、君が今何を考えているのかはわからない。だけど僕が君に認められたいって気持ちは変わらない。本気でやってくるよ」
「……ああ」
シュナイトの目を見ずに言った淡白な返事だったが、アランフットはしっかりと頷いた。その返事を聞き、シュナイトは笑顔で前に進み出る。
「シュナイトの【制限】は……」
「秘密です」
「角数は……」
「十二」
「はあ……昨日も今日も散々かき乱された。心の準備はとうにできている。一思いにやってみろ」
「そのつもりです」
レースはこの二日である種の諦めを持った。貴族が同じ年にこれだけ集まると聞いた時から粒ぞろいの集団になることは確信していた。だが貴族ではない、言わばただの侍従が途轍もない才能を発揮している現状。
レースは驚き疲れてしまった。いちいち驚いていても体力の無駄だと察した。だからこれから何が起きようと驚かない自信があった。
シュナイトは両手を広げる。
「【制限解除】」
その場にいた皆が最初に感じたのは優しい風。次に感じたのは暖かい光。そして最後に感じたのは圧倒的な威圧感。
【制限解除】をするために力を込める時間がシュナイトにはなかった。一瞬教室に充満した半透明檸檬色に輝く粒子は、すぐにシュナイトの身体に収束し【最終状態】へと至った。
「おいおいおい。それはないだろう……」
レースは思わず声を漏らす。シュナイトのその姿はまさに「異形」。
【最終状態】は発動者の身体になんらかの影響を与える。その姿は人それぞれだが、一貫しているのが「身に纏う」形で顕現するということだ。
変化は身体に触れている状態で発現する。
だがシュナイトは違う。
ラミのように服装的な外見の変化はない。ただ翼が生えていた。大きな双翼がシュナイトの身体を覆っていた。
その翼が生えているの付け根が、つまりシュナイトの【制限】がある場所ということになる。
「僕の【制限】は背中にあります」
ざわざわと生徒たちは蠢き始める。「背中?」「背中って言ったか?」と、シュナイトの発言内容が信じられないため確認し合う。
そんな反応を見たシュナイトがばさっと双翼を広げると、それに伴い風も広がり座って見ている生徒を煽った。膝を抱えて座っていたルーテが後ろに転がってしまう程しっかりとした風だ。これで信じるほかないだろうと言わんばかりの挑発的な動きだった。
あまりにシュナイトらしくない行動に顔を顰めた者が二人。ラミとアランフットだ。ラミはただむっとしただけだが、アランフットはその行動の真意を読み取った。
(「シュナは俺に力を見せつけているんだ。俺が負けられないと対抗心を燃やすように……」)
「わかってるよ」とアランフットはシュナイトに軽く手を振った。それを見たシュナイトは小さく頷いて巨大な双翼を消した。
「はあー……なんということだ。お前たちは一体なんなんだ……」
レースは頭を抱えた。
理解が追いつかない。この状況を理解しようと思考を続けるだけで頭がおかしくなりそうだった。悉く常識を覆してくる子供たちで頭がパンクしそうだった。
シュナイトのような姿をした【最終状態】をレースは見たことも聞いたこともなかった。
シュナイトのように一部は身体に触れているものの、大部分が触れない状態で顕現しているのは非常に珍しいのだ。そもそもこの世にそんな人間が存在するのかも怪しい。
「もういい。シュナイト、お前は凄い。早く席に戻ってくれ。そして早く前に出てこいアランフット」
シュナイトを評価できるほどの知識も言葉もレースは持ち合わせていなかった。
一早くこの授業を切り上げ、国王に報告するほかない。自分一人で処理できる次元を超えてしまっていた。
そう考えたレースは何の期待もしていない最後の生徒の名をぶっきらぼうに呼んだ。
アランフットが前に出るために歩く途中、当然自席に戻るシュナイトとすれ違う。二人は短く言葉を交わした。
「凄いなお前」
「アランも頑張って」
「ちゃんと見とけよ」
小さく頷くと、アランフットは通常よりもゆっくり、皆に自分の存在を誇示するように歩みを進めた。今から伝説に名を刻む男をしかと見ておけと言わんばかりのおおむろな歩き方だ。
だが生徒たち、そしてレースでさえアランフットにはもう興味がなかった。場が温まりすぎていた。シュナイトの段階で興奮は最高潮に至ったのだ。
アランフットは最後のオチ。《魔法》すら発動できなかったアランフットが、ラミやシュナイト以上の成果を残せると考えている人は、教室にほとんど存在しなかった。
レースはアランフットに問う。
「お前の【制限】は額だったな」
「そう。形は丸」
「丸ねぇ……」
適当に会話をしていたレースは【制限】の形が丸と聞いてそのまま聞き流そうとしたが、「まてよ」と何かに気が付く。よくよく考えれば聞き流せるような話ではない。
【制限】は様々な多角形の紋様であり、【制限解除】はその角が一つ一つ消えていくことで発動している。形が丸ということは――
「……お前、この前の授業で形のことを言ったか?」
「飛ばされたんだよ。お前は額にあるんだなって確認されただけだ」
「丸って……そんなの【制限】の概念が崩れるぞ」
「細かいことはいいから早くやらせてくれよ。昨日の失敗を早く挽回したいんだよ」
それが本当に【制限】なのかどうかはアランフットの身体の変化を見ればわかることだ。レースは大人しく引き下がった。
「……そうだな。じゃあとりあえずやってみろ」
何事も見てから判断すればいい。そう自分に言い聞かせレースはアランフットを見守ることにした。
アランフットは生徒たちの方を見た。そしてラミとシュナイトと目を合わせる。その行為にどのような意味があったのか三人の思惑はそれぞれ異なる。だがシュナイトとラミは、二人とも小さく頷いた。
そしてアランフットは前髪をかき分け額の丸形の【制限】に触れた。
「さあお前ら!驚愕する準備はいいか?」
アランフットは大きく息を吸い、そして叫ぶ。
「【制限解除】!!」
〇〇〇
「きゃぁ……」
ユナのか細い悲鳴が教室に響いた。
【制限解除】の直後、教室は禍々しい風に煽られ、アランフット以外の人間は床に這いつくばざるを得なくなった。それはまるでアランフットという存在に畏敬の念を示しているかのようだ。
それほどにアランフットの姿は人々に純粋な恐怖を感じさせるものだった。
アランフットの【制限解除】は成功した。外見が変化しているため【最終状態】にも到達していることは誰の眼にも明らかだった。
だがその全てが常識外れで、よもや誰も正常な、正当な判断など下すことはできなかった。
今まで【最終状態】へと至ったラミとシュナイトの場合、半透明檸檬色の輝く粒子は各々の身体に収束し、そして身体の変化へと移っていった。半透明檸檬色の粒子は【最終状態】に至ったと同時に視界からは消える。これはラミやシュナイトだけではなく、どのような人物でもそれは変わらない。
しかしアランフットの場合、緋色に輝く粒子が出現し、それは彼の身の回りを常に漂っている。
一般人と発生する粒子の色が違う上、さらにそれが【最終状態】でも消えていない。
また腰に武器が据えられていることも目を引く。これまで【最終状態】で武器まで発生させた者はいない。
そもそも【制限解除】は個人の潜在的な力を引き出すものであり、身体に関係のないものが現れるというのは例を見ないことだった。
だがそんな特異点が霞むほどの異常がアランフットの身体を包んでいた。人間からは決して発生するはずのない花緑青色の「風」がアランフットを中心にして静かに渦巻いている。小さな竜巻を起こしているような状態でアランフットはそこに佇んでいた。
「……これは本当に【制限解除】なのか?」
レースの口からはそんな疑問が零れ落ちた。世界のどこを見てもこのような疑問を感じたのはこの教室にいる人間が初めてだろう。
「これが俺の本気か……」
アランフットはあの日に感じた力を今でも鮮明に覚えている。
『影』に話しかけられたあの日、アランフットが初めて〈妖精術〉によって空を飛んだあの日、鮮烈な記憶を刻んだあの日と今のこれは同じ力だった。
つまりアランフットは空の上で【制限解除】を自然としていたことになる。
あの時は上空だったから良かったものの、室内であの力を解放すれば確実に死人が出る。アランフットが「気をつけよ」と自分の一挙手一投足に意識を向けると、ふとある違和感に気がついた。
「ん?これはなんでこんなところに……」
アランフットは無造作に腰に備わっていた剣を手に取った。アランフットが初めてこの剣を手にした時は背中に備わっていたはずだ。
玄武が乗り移った時に勝手に剣の位置を変えているのだが、意識もなく記憶も消されたアランフットがそれを知る由もない。「おかしいな」と思いながらもアランフットはその刀身を撫でる。
「ぐっ……頭が……」
剣を手に取った時不意に頭痛が襲い、アランフットはとっさに頭を押さえた。割れるような痛みは一瞬で去り、そして不気味な音が頭に反芻し始める。始めは不明瞭な深いな音だったが次第に鮮明になり、何かしらの意図を感じ取れるようになる。
音は頭の中で反響しアランフットに何かを伝えようとしている。
「……七星剣!?それがこいつの名前なのか……」
アランフットが微かに聞き取れた意味のある言葉は「しちせいけん」だった。それは剣自らが名乗ったかのようにアランフットは感じた。
空耳なのかもしれない。だが確かにこの剣は『七星剣』という名の剣な気がする。「星が七個もあるしな」とアランフットは刀身の彫刻を見て勝手に納得する。
そんなアランフットを見るレースはただただ困惑していた。
彼にかけるべき言葉が見つからないどころか、近づくことすらできない程の恐怖を感じてしまっていた。
「これは一体どういう……」
「アランフット君、それを振ってみてくれ」
アランフットが声がした方に目を向けると、そこには肩で息をするエッダが汗を垂らして扉に手を掛け立っていた。
急に現れたエッダの姿にアランフットは驚きを隠せない。
「ど、どうしたんですか?」
「国王が異常な力を感じたと言うからすぐに駆けつけたんだ。まさか君の力だったとは……」
エッダは嬉しそうで嫌そうな、どっちともつかない笑みを浮かべながらそう言った。アランフットは気味の悪さを感じたが、国王や四眷属が自分の力に興味を持ったことは素直に嬉しかった。ラミやシュナイトに負けていないのだとこれで証明されたのだ。
「えーとそれで、この剣を振ればいいんですよね?」
「ああ……。しっかりと力を込めてな」
「危ないんだけどなぁ」と思いつつも、アランフットはエッダの指示に従うことを決めた。
アランフットは思った。今ここで力を見せつけることができれば先日の《魔法》での失敗など帳消しにできるだろうと。或いは《魔法》すら自分は本当はできるのではないかと。
また七星剣を思い切り振りぬくと危ないが、ゆっくり振れば問題ないだろうと、そういう甘い認識でいた。
アランフットは何から何まで甘い考えしか持ち合わせていなかった。
エッダの興味津々な目線を感じながら、アランフットは七星剣の柄を両手で包みゆっくりと振り上げた。
と同時に、アランフットの身体を取り巻いていた花緑青色の風と緋色の粒子は七星剣が持ち上げられるのにつられて上昇し、剣を中心に渦巻き始める。小さな竜巻がさらに小さくなり密度が高くなり、そしてついには七星剣の刃が見えなくなるほどぎっしりと剣を覆いつくす。
錆色の刀身は花緑青色の刃へと変貌していた。
その凄まじいエネルギーは窓を鳴らし、教室を揺らし、コレジオの建物全体がガダガタと音を立てて震え始めた。七星剣に集まる強大な力が教室内の空気を震わせているのだ。
そしてアランフットが七星剣を振り下ろそうとする。この時の彼は先ほどまで考えていたことをまるで忘れていた。ゆっくり振り下ろそう考えていたはずだが、今はその力を欲望のままに解き放つことしか考えていなかった。
「はあっ!!」
だが咄嗟にその力の危険性を察知したエッダは、アランフットの動きを事前に止めようと叫んだ。
「待つんだアランフット君!!」
「えっ、やベっ……」
アランフットはエッダの声を聞き正気に戻り、すぐに剣を振り下ろす手を止める。
しかし間に合わなかった。少しだけ七星剣は動いてしまっていた。
パパパパババババババ!!!!!
七星剣から少しだけ放たれた風は小さな箱の中では十分すぎるほど良く暴れまわった。勢いよく、そして悉く教室の窓ガラスを細かく小さく繊細に、荒々しく遍く粉砕しきった。
粉砕しきった後、七星剣を纏っていた風は満足したかのように一気に弛緩し、またアランフットの身体を緩やかに取り巻き始めた。
「危ない!屈め!!」
レースは大声で子供たちに危険を知らせる。
今まで傍観するしかなかった生徒たちは頭を抱え悲鳴を上げた。己の身体にガラスが降りかかるかもしれないという事態はかなりの恐怖心を子供たちに与えたが、粉砕されたガラスが子供たちに降りかかることは無かった。
それらはアランフットから発生する風によって巻き上げられ、緋色に輝く粒子の光を反射して同じように細かく緋色に輝いていた。神々しくも禍々しくアランフットはその中を静かに立っていた。
その光景はこの世の何よりも恐ろしかったとある者は後に語る。それ程にこの場にいる全員を理解の範疇から超えた、本能的に恐ろしさを感じさせる何かをアランフットは携えていた。
何よりも恐ろしいのがアランフットの恍惚とした表情であった。破壊の限りを尽くした、少なくとも教室で簡単に破壊できるものの全てを粉砕した事後には、アランフットには得も言われぬ快感が駆け巡っていた。
それは己の力の自覚からの快感か、己を肯定できることへの安心感か。或いは別の何かか。少なくとも他人には理解できない感情でアランフットは表情を作り上げていた。それが何よりの恐ろしさを醸し出していた。
だがエッダだけはそんなアランフットに怖気ずくことなく、何かに納得したようとしきりに頷いていた。
そしてすたすたとアランフットに近づき、肩に手を置いた。
「荒削りな力だが磨けば化けそうだ。国王にしっかりと報告しておくよ」
「はあ……。ありがとうございます……」
「レース、始末は頼んだよ。じゃあアランフット君、これからも頑張って」
そう言い残しエッダは来た時と同じように、いつの間にか姿を消していた。誰の目にも留まることなく。
「ああー……疲れたー」
アランフットは充実感で満たされていた。
ラミもシュナイトも凄まじい【制限解除】を見せつけた。だが自分もそれに負けていないという自信があった。
そして何より四眷属のエッダが飛んできて自分の力を見に来た。そして国王に報告するとも言われた。この国においてこれほどの誉め言葉はない。
アランフットにとって国王の評価は全く眼中になく意味もなさない。だがラミもシュナイトもエッダに褒められなかったが、アランフットだけは褒められた。
それだけでアランフットは昨日の《魔法》件など帳消しにできてしまうほどの満足感だった。
「……ところでさ、これってどうやって収めるの?」
エッダが姿を消したのち、アランフットはそう言って額の【制限】を指さし、間抜けた顔で周りを見渡した。
【制限解除】をしたはいいものの、収め方がわからない。
「え……どうやってと言われてもな……」
【制限解除】の仕方ですら言葉で説明するのは難しい。本来自分の身体を守るために存在する【制限】を無理やり開けることができたのなら閉じることは絶対にできるはずだ。
収める方法を言葉にするなど考えたこともなかったレースは言葉に困ってしまう。
だがそんなことをしているうちにもアランフットの内から溢れ出る力はどんどんと膨れ上がる。
緋色の粒子の数も時間を追うごとに急速に増え、アランフットを取り巻く風が周りに及ぼす影響も大きくなる。
「やべぇ……意識が……」
身体が揺らぎ倒れそうになったアランフット。脚がふらつき倒れそうになったが、バンッと足が床にめり込むほど大きな音を立てて何とか踏ん張った――ように見えた。
「アラン大丈夫?」
異変を感じ取ったラミは身体を切り刻むように迫り来る風に抗い、素早くアランフットに近づく。恋する少女ラミは好きな人の助けになるのなら一早く馳せ参じるのだ。
「……う゛ぅ……あ゛ぁぁぁ……」
「ねえアラン?ちゃんと返事を……」
「ラミ!離れろ!」
危険を察知したレースは急いでラミをアランフットの側から引きはがす。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
瞳が緋色に染まったアランフットは奇声とも判別できないような声を発しながら、顔を覗き込んでいたラミに七星剣を振り下ろした。
間一髪レースの救出の方が早く、ラミの身体が真っ二つになることはなかった。はらりとラミの髪の毛が数本床に落ちた。
「お前ら外に逃げろ!こいつは私が抑える!」
レースは生徒に避難の指示を出す。生徒たちは事の異常性を感じ悲鳴などを上げることなく、大した混乱もなく速やかに去って行った。
アランフットの放つ不気味さから足が竦んでしまう生徒もいたが上手く助け合い教室を後にした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「僕も手伝います」
「私も!!」
レースは迅速に生徒たちが教室の外へ逃げたことに安堵した。しかし一度教室の外に出たはずのシュナイトとラミはもう一度教室の中に戻ってきてしまった。
二人にはおかしくなった親友を無視して自分たちだけ逃げるなんてことは考えられなかったのだ。
シュナイトはそのままアランフットに向かって駆け出し、ラミは一度立ち止まって右手の【制限】に左手を添えた。
レースが止める間もなく二人は動き出していた。
「「【制限解除】!!」」
一瞬檸檬色の粒子が部屋に充満したがすぐに二人の【制限】に吸収されていく。その姿を見て止めることを諦めたレースはすぐに二人に指示を飛ばす。
「ああもう仕方がない。お前たちでアランフットの動きを止めてくれ。私が≪水魔法≫で捕らえる」
「「わかりました」」
生徒を危険な場所に置いときたくはないというのがレースの本音だが、【制限解除】までしてここに来られたら仕方がない。
ましてこの場にいるのは誰よりも素晴らしい才能を秘めているラミとシュナイトだ。任せていいだろうとレースは判断した。もちろん危険があれば全力で守るつもりだ。
だが、そんな心配は必要なかった。シュナイトとラミ、二人のコンビネーションは抜群だった。生まれた時から常に一緒にいたというステータスは伊達ではない。
まずラミがスライディングのような形でアランフットの足を払いに行く。
「私に手を出そうとしたこと後悔させてやるんだから!!」
恨みの籠った攻撃。好きな人から手を上げられ怯むような性格はしていない。むしろ返り討ちにしてやると、それ程強い感情でラミはアランフットに向かって行った。
だが、これはうまくかわされる。アランフットは少しだけ跳躍しラミの身体を軽やかにかわした。
「あ゛あ゛あ゛」
少し上方でピタリと静止したアランフットは自身の下で体を横にしているラミを見下ろした。
「なによ!!」
食いつくラミに何を感じたのか、アランフットはその顔に七星剣を向けた。切っ先には花緑青色の光が集まり甲高い音を立て始める。
ラミの額からは大粒の汗が流れ落ちた。
「これは避けられないだろう」
するとすぐにシュナイトは空中で身動きの取れないアランフットに向けて飛び蹴りをかました。
「あ゛あ゛あ゛」
忘れていけないのはアランフットは〈妖精術〉の影響で空が飛べるということ。そして今のアランフットには謎の風が取り巻いているということ。
ラミの攻撃をかわした状態で空中に静止していたアランフットは正面からシュナイトの足を手を使わずに風の壁で受け止める。
シュナイトの足首はそのまま風に捕まり身動きのできない状態となってしまう。
「くっ」
「あ゛あ゛」
アランフットは目の前で止まったシュナイトの足を掴み、そのまま窓があった方へと投げ飛ばした。
「うわあぁぁ」
窓は粉々になっているためシュナイトはそのまま外に放り出されそうになったが、うまく窓枠を掴み外に落ちる危機は回避した。掴んだ場所に残っていた尖ったガラスが掌に刺さり「いてっ」と声を漏らしたが些細な事だった。
「隙を見せたわね!」
そう言ってラミは宙に浮いているアランフットの足に抱きつき、全体重をかけることでバランスを崩しアランフットを床に倒れ込ませた。
「レース先生!今です!」
「任せろ」
すでにレースの目の前には巨大な水の塊が現れていた。
「《水魔法:水陣捕縛》!!」
「ラミ!離れろ!」
水の塊は触手のような形に変形し、アランフットの方へと伸びた。ラミはその《魔法》が届くギリギリのところでアランフットの身体から離れた。
《水魔法:水陣捕縛》はアランフットの身体を雁字搦めに捕らえ動きを封じる。
緋色の光に犯されたアランフットはなおもじたばたと抵抗する。
そんなアランフットの顔にレースは自身の掌から発生した冷水をかけた。
「うっ……」
アランフットの瞳からは緋色の光が消え、黒い瞳が戻る。アランフットは顔を振って水を飛ばしながら体を起こした。
「気が付いたか?」
レースがアランフットに手を差し出し身体を引き起こしながら問うた。
「俺は一体なにを……」
「暴走してたんだよ。ほら教室に誰もいないでしょ?」
「たしかに」
「まあ元に戻ったから良かったよ。誰も怪我をしなかったんだから」
シュナイトの言葉にレースも頷く。
「そうだな。ラミとシュナイトはよくやった。早くも【制限】を使いこなし始はじめているな。……アランフットはその強すぎる力を早く制御できるようにならないとな」
「ちぇっ」
良い所ばかり見せられていたはずのアランフットは最後にレースから注意を受け口をとがらせた。
「「あははは」」
突然笑い出したシュナイトとラミにアランフットは食い掛る。
「何がおかしいんだよ!」
「いや、何もおかしくないさ。ただ……いつも通りだなって」
「そうだよ。アラン昨日はちょっとおかしくなっちゃったんだから」
二人の言葉を聞きアランフットはバツの悪そうな顔をして頬を掻いた。
「あー……ごめん。昨日はちょっと余裕がなかったというか、なんというか……」
そんな生徒たちの姿を見、嬉しそうに頷いていたレースだったが国王に生徒の【制限】について報告したかったということを思い出した。
「明日は休みだ。ゆっくり休んで己の力と向き合え。じゃあ私は帰る。ほかの生徒にもお前たちから解散の旨を伝えといてくれ。」
「あ!職務放棄だ!!」
「黙れ。私はこれから用事があるんだ。頼んだぞ。じゃあな」
そういうとレースは窓があったところから外に飛び出し姿を消してしまった。
「……じゃあみんなの所に行こうか」
余りの唐突さにシュナイトが呆れ顔で言うと二人は頷いた。
〇〇〇
「ただいま戻りました」
エッダは国王の前で跪きながら息を整えていた。
国王の命で一条にある王城から七条のコレジオまで走らされ、アランフットの強大な力を見せられ、そしてまた七条から王城まで走らされた。心身ともに高負荷だ。
「アランフットはどうだった?」
そんなエッダの様子に構わず国王が問う。このようなエッダの扱いは日常茶飯事なのだ。
「やはり無茶苦茶な力です。剣を携え、赤色の粒子を飛ばし、風を纏っていた。どれも国王様がおっしゃっていた悪魔とやらの力で間違いないのでしょうか?」
「やはりな。悪魔の力はついに覚醒してしまったのか。この時が来ないことをどれだけ望んだことか……」
国王は残念そうに長い顎髭をさすった。
「ですが国王、本当に天使や悪魔など存在するのでしょうか」
「……いる」
「……といいますと?」
ひどく現実味のないことを言う国王にエッダは戸惑ってしまうが、最初から理解できるとも思っていない国王は話を進めた。
「まあややこしいことをお前は考えなくていい。アランフットは必ずこの国の、いやこの世界の脅威になる。あの日わしの洗脳を弾き、支配下に入る気もない。あいつが存在するだけでこの国の均衡が崩れ、最初にこの国が滅亡してしまう」
「はあ……」
「とにかくお前は明日あいつの家に向かい、わしの言うことを聞くように説得してこい。先ほどプラズも「西宮」から帰還した。あいつを連れて行ってもいい。アランフットが言うことを聞かないようならば、無理やりにでも地下牢にぶち込んでおけ。わしが直接話す」
「……わかりました。もしアランフットが先ほどの力で抵抗してくるようならば……」
「殺さない程度になら交戦しても構わんよ。さすがにお前たちでも黙らせることぐらいはできよう」
「かしこまりました」
エッダは静かに頭を下げた。
アランフットという人間は非常に不安定な人物として描きたいと思っています。無償の愛を知らないアランフットは自己肯定感がひどく脆い子です(自己肯定感は高く自信家だが、それは根拠のないもので崩れる時は一瞬)。特に親友に対する劣等感は精神的に大ダメージとなりました。そんな失意から立ち直るのが今回のお話でした。