その頃のアストラント
視点がアイラから外れます。
アイラ達がグリセリアとともにグレイシア王都フェルゼンへ到着しようとしている頃、アストラントにいるアイラを知る者達は皆、軽い混乱に陥っていた。
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アイラが今まで生活し、シャロルが仕えてきたリースタイン子爵邸。
ここでは、アイラの両親であるガウスとマリア。そして屋敷の使用人達と兵士達の間に重い空気が流れていた。
「アイラ…、アイラ…、うぅ…」
「クソッ!政府が…、政府がこんな事さえしなければ…!」
マリアは朝からずっと泣いており、ガウスは悲しみを怒りに変え、その矛先をアストラント政府へと向けていた。
アイラとシャロルがとっくに出て行った後の朝、自室から出てこない二人を不審に思った使用人が部屋を訪ねて手紙を発見し、二人が既にいない事が発覚した。
これがきっかけで屋敷内は大混乱に陥り、それは本来の予定でアイラの身柄を預かる事になっていた役人が訪ねて事態を知った事で、宮殿にも知れ渡った。
また、リーズンログ社が借金隠蔽のニュースとともにアイラがシャロルとノワールを連れて自ら国を出た事も伝えており、まだ午前中の現在でも王都中にこのニュースは知れ渡った。
「アイラ…。どうしてこの事を教えてくれなかったんだ…。どうして…」
ガウスはアイラが最後の別れをすることなく黙って出て行ってしまった事を不審に思っていた。
アイラの考えとしては、シャロルやノワールとともに深夜に出て行く事を両親に言ってしまうと、引き止められるか、計画が流失する恐れがあると考え、あえて言わなかった。
しかし、娘を犯罪者にした政府への怒り、娘がいなくなってしまった悲しみ。
この二つの感情に完全に捕らわれてしまっていたガウスには、アイラの考えを読み解く余裕など一切無かった。ましてや、普段の仕事すら全く手をつけられる状態ではなかった。
「奥様、少し部屋で休みましょう。お支え致します」
「ありがとう…」
メイド長はマリアに部屋で休むよう促し、マリアは使用人に支えられる形で自室へと戻って行った。
マリアの精神状態は最悪で、アイラがいなくなってしまったショックから、自力で歩くことすらままならない状態になっていた。
「奥様、気を強くお持ちくださいませ。でないとお腹のお子様に悪影響が出てしまいます。もし何かあれば、アイラお嬢様も悲しみましょう」
「そうね…。ありがとう…。この子の事も、考えなきゃね…」
メイド長、使用人達はマリアのお腹の中に宿る新たな命の心配をしていた。このままマリアの状態が悪くなれば、最悪流産もあり得る。
使用人達もシャロルがいなくなった事の悲しみに包まれていた。しかしマリアの精神状態を見て、これは良くないと一斉に奮起して動き出したのだ。
使用人や兵士は皆、アイラとシャロルがいなくなった悲しみをなんとか乗り越えようと奮起。
マリアは娘がいなくなった悲しみで埋め尽くされながらも、新たな命のため強く気を保っていた。
そしてガウスは、国への怒りと娘を失った悲しみに浸食されていた。
アイラとシャロルが出て行った事をきっかけに、リースタイン子爵邸は足並みがバラバラになっていた。
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ところ変わって、アルクザー宮殿。
「一体何がどうなっているんだ!?誰か教えてくれ!」
「教えるも何も、言葉で言ってしまえば簡単な事だ!前に誰かに盗まれた極秘資料がリーズンログ社に売られたんだよ!それと今日護送予定だったアイラ嬢がいなくなりやがったんだ!」
「おい、いなくなったのはちょっと間違いだぞ?アイラ嬢は自分の従者とヘルモルト伯爵家のノワール嬢を連れて自ら国を出てったんだ」
「どっちでも良いよ!とにかく我々はどうすりゃ良いんだ!」
「分からん!とにかく今は宮殿に民間人を入らせないようにしないと!」
あっちへこっちへと走り回る役人と兵士。宮殿内は混乱に陥っていた。
混乱の原因は二つ。
一つは隠蔽していた借金問題が表に流失したということ。
リーズンログ社のスクープとして大々的に流されたこの件はあっという間に国民へ伝わり、現在一部の国民が宮殿前に集まって政府を批判する声を上げていた。
もう一つは今日グレイシアへ引き渡す予定だったアイラが突然いなくなったこと。
アイラが書き残した置手紙の内容は政府にも伝えられ、従者とノワールを連れていなくなった事も知った彼らは、さらなる混乱に陥っていた。
結局この二つの事に対処法が見つからず、何をして良いのか分からなくなっていた。
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さらにところ変わって、リーズンログ社。
「号外はあっという間になくなりました!新聞、雑誌の売れ行きも過去最高を記録しています!」
「そうか、分かった。これからは国民と政府の様子を見る方に徹してくれ。もう成果は十分だろう」
「分かりました!では、失礼します!」
記者の報告を聞いた後椅子にくつろぐのは、アイラから資料を預かったリーズンログ社の代表。
彼は天井を見ながら、アイラの事を思っていた。
(アイラ嬢は上手くいっていれば今頃国境をとっくに超えているだろう。しかし思惑通りになったな…。これでアイラ嬢の企みは成功ということか…)
アイラは王都では将来有望な逸材として、リーズンログ社も注目していた。
そんなアイラ本人から飛び出た情報。彼はすぐに食いついた。偽の情報とは一切疑わなかった。彼女が嘘を言っているようには思えなかったからだ。
彼女が一体何を思って情報を提供したかは知らない。ましてやどうやって資料を入手したかも分からない。
しかし彼女が企てていたであろう状態には、既になったと彼は感じていた。
(アイラ嬢。あなたがさらに大きな存在となり、再びこの国の記事に載る時を、私は楽しみにしています。その時に機会があれば、またお会いしましょう)
彼は感じていた。アイラはまだ開花していないと。そして開花すれば、それはとてつもなく大きな花になると。
そんな彼女の可能性を期待した上でいずれの再会を願いながら、自分の仕事に入るのだった。
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そして、アイラやノワールが友人を作ったサブエル学院。
ここでもものすごく重たい空気が流れていると同時に、あるトラブルが発生していた。
「てめぇ!何ノコノコ学院に来てやがるんだ!コラァ!」
「黙ってないで何とか言いなさいよ!言う事あるでしょ!」
「……」
リベルト王子は学院に登校した。しかしリィンとは別に。
アイラが政府から罰を言い渡された事を知ったリィンは、当時すぐにリベルト王子に助けを求めた。
しかし政府の方針を分かっていた事を知ったリィンは、怒り狂って役人とあろうことか護衛対象の王子まで殴った。
以来二人の仲は最悪。リィンは護衛から外れ、一人で行動するようになっていた。
その事は他の学院生達も把握済み。さらには学院を去るアイラを引き止めなかったとして、王子は学院内で孤立状態となっていた。
そして今朝になり、アイラとシャロルとノワールが自ら国から出て行った事、国の借金隠蔽の発覚が知れ渡り、それを知った学院関係者と学院生達も動揺を隠せなかった。
そんな中、登校時間に現れた王子にリィンの怒りが爆発。王子の胸ぐらを掴み、大声で怒鳴り散らした。そこにはステラも介入。喧嘩騒ぎとなっていた。
リベルト王子はというと、アイラがいた頃に見せていたスマイルは完全になくなり、ただただ無表情のままだった。リィンやステラの怒りに対しても無反応を貫いていた。
「お前、借金隠蔽の事も知ってたろ?それを隠すためにアイラを利用しただろ!!」
「最低よね。国王の継承辞めた方が良いんじゃない?国のためにもならない事で友人犠牲にするとか許せないんだけど」
「二人とも落ち着け!今はあいつの状態を考えてやってくれ…」
「「あ…」」
二人のリベルト王子に対する怒りを止めたのはレイジだった。
レイジは優先事項を二人に言うと、リィンもステラも怒りを治めた。
レイジが言う、あいつの状態。それはニコルの事を差していた。
ニコルはアイラがいなくなる事がショックでたまらなかった。しかし今朝になってアイラどころか姉であるシャロルまでもがいなくなった事を知った。
これに衝撃を受けたニコルの精神は崩壊寸前までいっていた。大泣きして、泣き止んだ今は上の空状態となっている。
ティナ、ホウ、イルマとエルマを始め、クラスメイトや他のクラスからもニコルを心配した者達が本人の周りを取り囲んで励ましの言葉をかけ、なんとかニコルの精神を支えていた。
「それにしてもアイラやシャロルさんだけじゃなくてノワールまで…。一体何がどうなってんのよ…」
「同時に借金隠蔽まで出てきたからな…。わけ分かんねぇよ…」
「私の父も借金問題は知っていたようです。今朝怒ってきました」
「わたくしのお父様は知らなかったそうですわ。どうやら借金の事は一部の者のみ知っていたようですの」
リィンとステラは状況の理解が進まず、困惑している。
ティナとホウもそれぞれの状態を知り、必死に分析を試みていた。
学院生達が国にそして王子に怒り、アイラやノワールがいなくなった事に困惑する中、たった一人だけ冷静な学院生がいた。
アイラを近くで見てきた学院生。シャルロッテである。
「う~ん…」
「シャル?どうしたの?」
シャルロッテは唸りながら考え事。ミリーが何かと質問する。
「アイラ先輩、国の護送を受けずに国から出て行ったみたいじゃない?」
「そうだね」
「しかもお付きのメイドさんやノワール元部長まで一緒らしいし」
「うん」
「そんな事が起きたと同時に政府の借金隠蔽発覚と」
「驚きだよね、同時になんて…。シャル?」
分割的に発言したと思えば、再び考え込むシャルロッテ。ミリーはわけが分からず首を傾げる。
「私さ、アイラ先輩の行動と借金発覚が無関係とは思えないんだよねぇ」
「え?話が繋がってるって事?」
「うん。私、知った時から考えてて、ちょっと推測立ててみたんだけどさ」
「そうなの?聞かせて!」
ミリーは興味深々の様子。シャルロッテは平然としたまま話し出す。
「まだ簡単で根拠のない推測だけどさ、借金はグレイシアからしてたわけじゃない?」
「うん、そうだね」
「グレイシアから金返せって言われたアストラントは、国民に知られたくないからお金を返そうと考えた。でもお金がなかった」
「うんうん」
「だから代わりにアイラ先輩をグレイシアにあげる事にした」
「ちょっと待って。なんで借金の代わりがアイラ様なの?」
「アイラ先輩、グレイシアのグリセリア女王に気に入られてるって言ってた。それを政府が知ってたとしたら?」
「確かに、そう考えるとあり得る話かも…」
「どうやって先輩を動かそうか考えた時、学院祭で乱闘事件が起きた。それを利用して政府はアイラ先輩に罪をかぶせた」
「あり得なくはない推測だね…。でもそこから先が分からないんだけど?」
「受け入れる様子だったアイラ先輩だけど、実は受け入れてるフリをしていたんじゃないかなって思って」
「罪の受け入れは演技だったって事!?」
「うん。それで秘密裏に何らかのやり方で借金の事を知って、それを持って仕返しを考えた」
「えぇ…、それは考えすぎじゃない?」
「まぁ聞いてよ。その情報を持ってアイラ先輩はリーズンログ社へ情報を売った」
「リーズンログ社の情報提供元がアイラ様って事!?」
「先輩は情報を開示する時を細かく伝えて、今朝に情報が行き渡るようにした。全ては国への報復のために。
先輩が国を出て行けば、政府は先輩が犯人だと特定しても追いかけられないし」
「なんかすごい推測…。でも、従者の人とノワール様が一緒に出て行った理由は?」
「そこが分かんない…。アイラ先輩がどうやって借金の事を知ったのかも分かんないし…」
シャルロッテの推測はほとんど正解だった。アイラが見込んでいた物事を客観的に見る力が発揮されていたのである。
「にしてもあんた冷静よね?あれだけアイラ様の事慕ってたのに」
「寂しいよ…。先輩とはもっと一緒にいたかったし…。家に帰ってもたくさん泣いたよ。でも…」
「でも?」
「このままじゃいけないって思った。ずっとこのままの状態でいたら、いつまでも前に進めない。アイラ先輩はいつだって前を向いてた。だからこそ国を出る覚悟も決まってたんだと思う。
だから私も前を向く。アイラ先輩は別れの時に更なる高みを目指せって言ってくれた。もっと上に行けるって。私はそれに従う。いつかアイラ先輩とまた会えた時に、胸を張って会えるように」
「シャル…」
シャルロッテの表情は闘志に燃えた表情だ。ミリーはそう感じていた。
実際、周囲の混乱をよそにシャルロッテは燃えていた。
(アイラ先輩。今までご指導ありがとうございました。いつか必ずまた会いましょう。私、もっともっと高みを目指して頑張りますから!)
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同じ学院内。職員室にて。
本来ならとっくに授業が行われている時間だが、職員達は未だ会議中だった。
その職員会議に参加出来ていない教員が一人。
(はぁ…。アイラちゃん…、ノワールちゃん…)
ナナカはアイラとノワールの二人を『不思議な二人』と思って見ていた。
次々に功績を立て、全てを受け入れるアイラ。
途中から突然人と接するようになり、頭角を表してきたノワール。
そんなナナカが気にしていた二人が、ほぼ同時期に学院を辞め、一緒に国から出て行った事でナナカの頭の中はいっぱいだった。担任を務めた教師として、今回の事はナナカにも大きなショックを与えていた。
「ナナカ先生、大丈夫ですか?」
「ふえ!?あぁ~、ごめんなさい!聞いてませんでした!」
他の教員から声をかけられ、自分が上の空だった事に気付く。ナナカは慌てて周囲に頭を下げた。
「気持ちも分からんでもないが、他にも学院生はいるんじゃ。教員がそのような状態はマズイぞい?」
「はい!すいませんでした!」
学院長がナナカを注意し、再び会議は再開した。
(しかしアイラ嬢。お主やはり裏で動いておったな?今回の借金隠蔽が発覚する時も出来過ぎておる。おそらく出国の準備をひっそり整えておったのじゃろう?お主は本気でアストラントの敵になるつもりか?)
学院長もシャルロッテと同じく、アイラが裏で何かをしていると考えていた。
そして、本気でアイラがグレイシアに寝返ると考えていた。
(アイラ嬢、家も家族も友人も捨てて、お主は一体これから何をするつもりじゃ…)
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アイラ、シャロル、ノワールがいなくなったアストラント。
そして、アイラの計略によって混乱に陥ったアストラント。
そんな国の中で皆の行動はバラバラ。
今起きている事にただ混乱する者。
嘆き悲しむ者。
怒りに燃える者。
冷静を保つ者。
前に歩み始めようとする者。
アイラと言うただ一人の貴族令嬢だった者が、何かを崩すきっかけを作った瞬間だった。




