挫折
気を失ってしまったジーナを布団に寝かせた後、私は隣にいるシャロルの方を向く。
「シャロル、あんたが人にあんなにも厳しくするなんて珍しいじゃない?どうしたの?」
「なんと言いますか…、ジーナさんは独学とはいえ隠密術と暗殺術に関する認識や、自身の状況の理解度などがあまりにも甘いように感じまして。同じ戦闘術を持つ者として、つい…」
「厳しくしたってわけね。でもジーナは言い訳挟んでたし、降伏も撤退もしなかったっていうのは自分の引き際を分かってない証拠でもあるでしょ?私から見ても、シャロルが厳しくした気持ちは理解できるわ」
「ご理解、痛み入ります。…ジーナさん、これが原因で逃げ出してしまったりしないですよね?」
シャロルは不安そうな表情で私に訊ねてくる。キツイ言い方したことでジーナが逃げ出したり、自暴自棄になってしまわないか心配なのね。
「きっと大丈夫よ。万が一そうなってしまったとしても、私が責任持ってジーナを止めるわ」
「お嬢様…」
「シャロル。ジーナが起きたら、笑顔で優しく声をかけてあげて。彼女が目覚めた後に感じるであろう挫折を癒すために。あんただってギルディスさんから術の指導を受けてた頃や新米メイド時代とかに挫折経験してるでしょ?その時の経験を生かして」
「え!?お嬢様どうして私に挫折経験があるってご存じなのですか!?」
「だってあんた私と出会った頃からずっと完璧メイドだったじゃない。だから私に仕えるよりも前の幼い頃とかに、一度挫折を味わった経験があるんだろうなって」
「完璧という評価をしてくださっている点は大変嬉しゅうございますが、お嬢様も中々独特なお考えをなさいますね…」
「え~?そう?」
シャロルは苦笑いしてるけど、そんなに独特かな?私。
「しかしそれでしたらお嬢様こそ挫折経験などないのでは?これからもないような気がしますが」
「私?そうねぇ~…。確かに前世の頃含めて経験ないわねぇ。悔しい思いは何度かしたけど。でもこれからは分からないわ。私はこの先もっとたくさんの人と関わっていくだろうし、そうやって進んで行くうちに何か深く悩む可能性だってあるもの。人生何があるかなんて分からないし、どれだけ多くの分野に優れた人だろうと、私やセリアのように神の眷属だろうと、完璧ではないもの」
「そうですか?お嬢様なら悔しい思いも短時間で解決しそうな気がするのですが…」
頑なに私が全能ではない事を認めないシャロル。私どんだけ過大評価されてんの?
「そういえば今世に生まれ変わってからも一度、自分が無力に感じた時があったわ。ノワールのお姉さん、レイリー嬢が亡くなった時ね」
「レイリー様が亡くなられた時ですか?」
「うん。ノワールと一緒にヘルモルト家から助け出してあげられなかったのもそうだけど、葬儀の後にノワールが大泣きした時、気の利く言葉を一切かけてあげる事が出来なかった。
当時の私は既に武術を持って、神の眷属として特殊能力まであったのに、ただいる事しかしてあげられなかった自分に無力さを感じて悔しかった。自分に腹が立ったわ」
「お嬢様…」
今思い出してもやっぱりあの時の事は悔しい。他の人にはない能力を、あの時私は既に持っていたのに、全く持って生かせなかった。そして悲しみに侵食されていた当時のノワールの心を癒す言葉が見つからなかった事は、私自身の無力感として今も私の中に残り続けている。
今でこそノワールはすっかり元気だけど、あの時感じた無力感は、以降の私の課題となっている。
「…やはりお嬢様はお優しい方です」
シャロルはしばらく沈黙してると思ったら、急に何か言ってきた。
「なによ?急に」
「私が過去に経験した挫折は、私自身に関する事でした。そもそもほとんどの方が経験される挫折や悩み事は、だいたいが自分自身の事です。
しかしお嬢様はご自身よりも人様の事を優先的に考え、何とか手を差し伸べようとし、それが出来なかった、もしくは不完全な状態になってしまった事で、無力感を感じたり悔しがったりしておられます。これは相当な優しさをお持ちでない限り、感じる事の出来ない事だと思います。
ご自身よりも周囲優先。お心が広く深いお嬢様でないと中々出来る事ではありません」
なんかまたすごい過大評価されてる。私。
「買いかぶり過ぎよ。私はそんなに善人じゃないわ」
「いいえ、お優しいです」
「あんたお花見した時に聞いてたでしょ?私前世で人を半殺しにしてるのよ?」
「しかしそれは当時のグリセリア陛下を馬鹿にされた事が原因ですよね?完全に人様のために怒ってやられた行動ではありませんか」
「今世だって学院祭の時に大勢ぶん殴って…」
「それも当時の学院会警備部が襲われた事が原因ではありませんか」
「これからだって誰かを八つ裂きとかにして残虐的に殺す可能性が…」
「それは誰かをお助けするためか、または誰かの仕返しをするためでは?もしくは相手が大悪党とか」
「ええーい!あー言えばこー言う!私はそんなに優しくなーい!」
「いいえ!十分過ぎるほどお優しいです!」
気が付くと私とシャロルは、横たわるジーナの傍で私が優しいか優しくないかで討論になっていた。
「……お二人とも、何の論議をされてらっしゃるんですか?」
気付けば近くにアテーナがいて、戸惑い気味に問いかけられた。
*************************************
「ん…?」
シャロルとの討論から少し経った後、ジーナを見ていたらちょうど目を覚ました。
「ジーナ、分かる?」
「……アイラ様?」
まだボーっとはしてるけど、ちゃんと頭は動いてるみたい。
「ここは…?」
「洞窟内の寝床よ」
ジーナは洞窟の天井を見たまま固まる。多分再起動中。
「あぁ、そっか。私、負けたんですよね…。シャロルさんに」
「ええ、あなたの負けよ」
ジーナは起き上がろうとしたので、私は咄嗟に彼女の背を支えた。
「…フフ」
「ジーナ?」
起きた彼女は何故か笑った。でもその微笑みの中に、私は失望感を感じ取った。挫折した人がする表情だ。
「私、ダメですね。神獣様方の特訓が厳しすぎるとか愚痴って、アイラ様の突然の模擬戦開催宣言にも対応しきれなくて」
「……」
「シャロルさんとの勝負でも、強がって虚勢を張ってばかりで、言い訳までして…」
「……」
「シャロルさんの戦闘の動きと殺気を感じ取った時、私直感的に負けを感じたんです。でもそれをどうしても認めたくない自分がいて…。簡単な挑発にも感情的になってアッサリ乗せられて…。自分の引き際すら見ようともせず…」
「……」
「意識を失う前、シャロルさんが暗殺者失格だと言っていたのが聞こえました。本当にその通りだと思います」
「……」
「私は父上ほど剣の腕があるわけではありません。だから素早さで勝負できるように自分のやり方で隠密術を収得し、将来暗殺者や諜報活動が出来る事を目指して鍛えてきました。
確かに私はすぐ腰を抜かす時もあるけれど、動きの速さには自信を持っていました。でもその自信も結局は私の慢心で、勝手にのぼせ上ってたのかもしれません。素早さ以外に暗殺者として、暗殺業をせずとも隠密術と暗殺術を持つ者に何が必要なのか、それすらも知ろうとせずに…」
ふとジーナの手を見ると、彼女は両手の拳を強く握り締めていた。きっと自分の弱さが自覚出来たから、それが悔しくてしょうがないんだろう。
「私は…、私は暗殺者失格です…!もう…、私なんかが特訓するなんて…!…う…うぅ…」
ジーナはいよいよ泣き出した。心がポキッといっちゃったな。こりゃ。
「ジーナ、あなた今までに人を殺めた経験は?」
「うぐっ…、ひっく…、ありません…」
「ならまだ実戦した事すらないんでしょ?それなのに今から諦めてどうすんの?シャロルだって暗殺業が厳しい世界だって知ってるからこそ厳しく言ったのよ?あなたのために厳しくしたの」
「えぐっ…、でも…」
「厳しくされて悔しいのなら、自分のダメな点に気付いて苦しいのなら、今度はそれらを乗り切って褒められるように頑張れば良いの!何回転んでも何度でも起き上がって、そうやって諦めずに鍛えて行けば必ず強くなれるわ。努力は絶対裏切らないのよ?」
「……」
「誰かの助けが必要なら遠慮なく言えばいい。私は喜んで協力するわ」
「……」
「ここで諦めちゃダメ。あなたのお父さんだって言ってたでしょ?家には入れないって。あなたのお父さんはあなたにもっと強くなってほしくて、山奥の家じゃ知れない事をたくさん学んで経験してほしくて、私と同行させたんだと思うわ。
これから苦しい事も厳しい事も腹立つ経験もすると思う。でもそれらを乗り切れば、その先にはきっと明るい事や嬉しい事がある。私はそう思ってる。だから前を向きなさい。そのためにも…」
私はジーナをゆっくり抱き寄せた。
「泣きたいときは思いっきり泣きなさい。今ここには私とあなただけ。他には誰もいないわ。
泣いて、泣いた後は前を向く。そうやって人は強くなっていくのよ」
…あれ?レイリー嬢葬儀後もノワール相手に同じようなシチュエーションだったような…。ま、いっか。
「うえぇぇぇぇん!うえぇぇぇぇぇぇぇん!」
「よしよし…」
その後ジーナはしばらくの間、私に抱かれたまま泣き続け、ひとしきり泣いた後は泣き疲れたのか、そのまま眠ってしまった。
私はジーナをそっと横にさせて布団をかけた後、静かにその場を後にした。




