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歳の離れた姉たちは、十四〜十五歳で婚約して、それぞれ結婚準備を整えて十六〜十八歳で嫁いで行くことがほとんどだった。
しかし、十四歳になった私に父が言った言葉は
「二年、リンドウェル教会に行儀見習いとして行きなさい」
「え?」
口をぽかんと開けて聞き返す私に、父は全く同じことをもう一度言った。父の後ろでは母が私の反応を心配そうに伺っている。リンドウェル教会とは王城の首都より東にあり、馬車で五日ほどかかる場所にある。国教でもあるアテライ教のいわば総本山ともいえる立派な教会で最高司祭もそこにいる。教会で貴族令嬢が行儀作法を見習う為に、教会預かりになることは別段あることなので、それ自体は驚くことじゃない。
私が驚いたのは、姉たちにもそんなことさせなかったのに、末の私にのみ教会に行かせることと、しかも婚約もしてない身で二年も教会に行って大丈夫なんだろうかということだ。両親からはしっかりと愛情を貰って育ててもらっていると感じているから、私を疎んじてということでは決してないだろうし。そして父は国政を担う政治家である。無駄なことはしないはずだ。でもなぜなのか考えてもわからない。その後しつこく両親に理由を聞いたけれど、行儀を習う為としか答えてくれなかった。
二年も家族から離れて、たったひとりで教会に行くのはちょっと不安だったし怖かった。ミナはいっしょに行かせてほしいと息巻いていたけれど、教会では家柄関係なく皆平等。自分のことは自分でやるのが基本理念となる、その為の行儀見習いだ。侍女を連れていくことはできない。
それに…あの方にお会いすることができなくなる。
もちろん今までも頻繁にお会いできていたわけではない。三歳年上のあの方との共通点なんて次兄だけなので、偶に次兄を訪ねて屋敷に来てくれる時に挨拶とほんの少しお話するだけだ。でも、顔を見ただけで、笑顔を見ただけで、胸がドキドキいって顔が赤くなるのだから初恋はすごいなぁと思う。教会に行ったら、そんなことももうできなくなる。
諦めと寂しさを抱えて、ひとり教会に向かった十四の私。
早寝早起き、自分のことは自分で、そして教会から大好きな刺繍を仕事のひとつとして与えらた私は、とにかく教会の生活が肌に合い、生き生きと暮らすことになるわけだが。
父から言われていたように、二年で家に帰ることとなりサイ家に戻ってきたのが十六歳の時。
戻って一年、未だに父から婚約を言われることはなかった。
―――
「ヒューバート、話というのは?」
さっきまでクロエ義姉様とわいわい話していたのに、ダリオ兄様がスッとヒュー兄様に切り込んだ。
そうだ、食事が終わったら話すと言っていたはすだ。自然私もヒュー兄様に向きなおる。
ヒュー兄様はティーカップをソーサーに置いて、右手で頭をかきながら、んーと唸った。こういう粗野っぽい仕草や砕けすぎた口調をよくダリオ兄様に怒られているけれど、本人曰く 留学中と父上の修行中に身についたものだから仕方ない。むしろ色々役立つし、公の場では別にちゃんとすれば問題なくね とのことだ。ノリが軽すぎる。
「ベガルタ伯爵の娘いるでしょ、あー、名前は…」
「ベティ・ベガルタ嬢。十六歳。婚約はまだだったかしら」
「さっすが義姉上。いや、ほんとよく知ってましたね。ベガルタ伯爵家ってもうだいぶ落ちぶれてるのに、特に歴史が深いわけでも名家でもないし」
感心したように声をあげたヒュー兄様にクロエ義姉様がうふふ、と返した。隣では自慢気にダリオ兄様が鼻をならしている。夫婦仲が良くて羨ましいかぎりだ。
ふむ、でもそうか。私も貴族たちの情報は叩きこまれているけれど咄嗟には名前が出てこなかった。それだけ、なんというか、影が薄いのだベガルタ伯爵家は。
「そのベティ嬢がどうかしたのか?」
「まぁ、なんつーか、ベティ嬢は非常に開放的かつ情熱的で魅惑的な女性らしくー」
「語尾を伸ばすな。ベティ嬢がそんな女だとしても関係な」
「留学中の近隣諸国の御曹司や外務官を誘いまくってる。同時に複数を。下っ端の奴ら同士なら好きにしろって感じだけど、よりによって北方の第二王子に色目使いやがって」
ダリオ兄様をさえぎって、ヒュー兄様があけすけに吐き捨てた。それを聞いて一気に渋面になるダリオ兄様。あらあらと口に手を当てるクロエ義姉様。両親は既に聞いていたようで特に動じず、私はというと、あんまりな内容に恥ずかしくなるというより面食らってしまった。私よりも年下なのにす、すごいとしかいいようがない。
神経質で潔癖ぎみのダリオ兄様は下世話な話が嫌いだ。渋面のまま声も硬く言った。
「お前が出てくるということは、北が何か言ってきたんだな」
「第二王子様はこちらにご学遊なされた折に、息抜きで行った仮面舞踏会でベティ嬢と本人曰く運命の恋に落ち、国に連れ帰って王子妃にすると決めたとか。しかし祖国には幼少の頃の婚約者がいる。我が国には何も言わず、ベティ嬢を連れて祖国に密かに戻った王子は、あちらの陛下たちと自身の婚約者の前で一方的な婚約破棄およびベティ嬢との婚約を高らかに宣言なされたようで」
急に丁寧な口調で話し始めたヒュー兄様は、あからさまに嫌悪感まるだしで喋った。私も話を聞いてあまりの内容に頭が痛くなってくる、しかしそれは私だけではないようでダリオ兄様たちも眉間を揉んでいた。
「王子の独断で急にそんなことできるわけねぇっつーのに。大混乱に陥ったあちらの王宮は、とりあえずベティ嬢のことも調べた。自分とこの王子がどこの馬の骨ともわからない女連れて来たんだから当然だよな。そうしたら、一応は貴族の末端ではあったものの、出るわ出るわベティ嬢の奔放なる遍歴の数々。王子にそれを話しても、曰く真実の愛に目覚めた王子は信じようとしないし。そうこうしてる内に、まずいと思ったベティ嬢は抜け出して我が国に帰ってきちまった。あっちの国としては大恥だから、王子を抑えこんで周囲を口止めし何もなかったことにしようとしてるけどね」
「阿保すぎて頭が痛くなる話だが、その問題は一応決着がついているんじゃないのか?第二王子は国に戻り、ベティ嬢は親の元に戻り。その後はどちらも勝手にすればいい」
「俺もそう思ったんだけどね、兄上。我が国に戻ったベティ嬢が姿をくらました。入国の記録はあるが出国の記録はない。しかもベガルタ家の使用人によるとベティ嬢は愛の結晶が〜とか言っていて、妊娠の可能性もある。かつ、第二王子は未だベティ嬢にご執心。何をするかわらない、はい、我が国の不利益はもうわかるよね」
凄まじい展開の醜聞に、思考を巡らせる。