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「オリアーナ、ご挨拶なさい」
あの方が次兄を訪ねて我が屋敷を訪れた日、母から促されて私はあの方と二度目の再会をした。
一度会ったことがあるとはいえ、人見知りだった私はやはり恥ずかしくてうまく挨拶はできなかったけれど、あの方は前と同じく微笑んでくれた。
たまたま、母と次兄が少しだけ席をはずしてあの方とふたりだけになったのだが(といっても勿論部屋には侍女たちも控えていたが)
あの方は、オリアーナ様は読書がお好きなのですか、と私に尋ねた。
「は、はい。あの、歴史書も好きなのですがやっぱりお伽話や物語が一番好きで…」
言ってしまってからすぐ後悔した。公爵家の令嬢が十三歳にもなってお伽話が好きなんてあまりにも幼稚すぎる。
「そうなのですか。ヒューバートから、オリアーナ様はよく本を読んでいると聞いたものですから」
ヒューバートとは私の次兄の名前だ。あの方は穏やかに笑って言った。
「僕もお伽話や物語は好きです。中には教訓も含まれていて面白いですよね。僕は男だからか冒険譚ばかりが多かったですが、妹なんかは騎士と花のお姫様の話がお気に入りみたいでしたね」
「わ、私も騎士と花のお姫様の話が特にお気に入りなんです…!!」
騎士と花のお姫様の話はこの国で特に人気の恋物語だった。つい意気込んで返事した私に、あの方は目を細めて深く微笑んだ。その時の眼差しが本当に優しくて慈愛に溢れていて、私は只々目を奪われた。次いで胸が大きく鳴って、そうして私はその日初恋に落ちた。その恋は今でもずっと続いている。
――――
庭の世話を終え、ミナの手伝いのもと湯浴みをして汚れを落とした私は、ミナと共に食堂に向かった。
既に席には両親、長兄、義姉が着いていて遅刻してしまったかと慌てたが私のほかにも一つだけ席がぽっかり空いている。次兄の席だ。私を見て家族がおはよう、と声をかけてくれる。
「おはようございます。お父様、お母様、ダリオ兄様、お義姉様。遅くなってごめんなさい、ヒュー兄様は?」
私の質問に母がおっとりと答えた。
「遅刻という時間ではないから大丈夫よ。ヒューはねぇ、昨夜ずいぶん遅くに帰ってきたみたいだから起きてくるのは昼頃になるかもしれないわねぇ」
私より三歳年上の次兄、ヒューバート兄様は、一言でいえば豪放快活な性格で活発的で交友関係も非常に広い。外務大臣を務めている父の補佐をしているのだが、朝食の場に父がいるということは仕事のせいで遅くなったのではないだろう。ということは、また友人たちと遅くまで酒を飲んでいたのか。呆れた顔をした私に気づいたのか、父が静かに言った。
「寝かせてやれ。ヒューバートは仕事で遅くなった」
「仕事?最近、そこまで難しい外務案件がありましたか?」
父にすぐ様反応したのは長兄だった。神経質そうに片眉を上げて上座にいる父に顔を向けている。六歳年上の長兄、ダリオ兄様は同い年の王太子様の側近として王太子付き政務官をしている。我が家は公爵という爵位を持っていて、爵位は基本的には世襲制なので父からダリオ兄様へと引き継がれるが、役職はそうではない。父が外務大臣を務めていて、ヒュー兄様も外務補佐をしているのはたまたまヒュー兄様のその性格が外務交渉向きだったからだ。
ダリオ兄様からの質問を受けて、父が少し難しい顔で黙り込んだ。
(どうしたのかしら。ダリオ兄様の言う様に、最近は何も不穏な噂は聞かないのに)
父のそんな顔を見たら私も不安になる。上位貴族ともなると各国の情勢や噂を掴んでおくのは当然だ。お茶会は情報交換の場となるし、夜会は外交だ。私も勿論そのあたりの知識は叩きこまれているし、今も勉強中である。その為、庭の世話は早朝にやっているのだが。
オロオロして斜め向かいの席に座る義姉を見ると、義姉ークロエ義姉様が私を気遣わしげに見ていた。クロエ義姉はダリオ兄様の妻で一年前にふたりは結婚した。我が家は公爵家なので、当然のように政略結婚だったが夫婦仲は非常に良く現在クロエ義姉様は妊娠中である。
食事中だというのに、食堂がなんだか微妙な空気に包まれる。
それを破ったのは、ガチャッという音と共に開けられた扉とおはようー、と欠伸まじりに歩いてくるヒュー兄様の登場だった。
「おはよう。まぁ、ヒュー。昼頃まで寝ているのかと思ったわ」
「おはようございます母上。いやぁ俺も寝てたかったんですが、色々報告もあってー」
ヒュー兄様は短い黒髪を寝癖で跳ねさせながら、母の隣に座った。
「報告とはなんだ」
すかさずダリオ兄様がヒュー兄様に聞き返すが、ヒュー兄様はだははと大口で笑って
「まぁいいじゃん、兄上。父上には昨日の内に報告してあるし、朝食食い終わってから話すからさ」
と流してしまった。
その言葉に顔をしかめたダリオ兄様だったが、朝食の後と言われたことに納得したのか、お前は言葉遣いをなおせ、寝癖は直してから来い、とお小言を言い始めた。うるさそうにしているヒュー兄様だが、決して兄弟仲は悪くないのよね。そして、流石親子。父とダリオ兄様のしかめた顔はそっくりなのだ。
ダリオ兄様とヒュー兄様が言い合いしている隣で、父は無言で食事を進め、母はおっとりとそれを眺め、クロエ義姉様は兄様たちの口論の内容に笑い、私もにこにこしてそれを見ながら食事をする。いつもの朝の風景。
12.19 誤字報告ありがとうございます。修正致しました。