5
サイ家に戻ってきた私がまず始めたことは、再度語学の勉強をすることだった。
普段使用しない言葉は忘れていってしまう。
誕生日パーティーまでにおさらいしておかなければ。
そして…
「本当にお嬢様の刺繍は見事なものですね」
私の手元を覗きこんで、ミナが感心したような声を上げた。ミナに褒められて照れくさくなってしまう。
「これは、ステル家の紋章と雪の結晶ですか」
言われて、もう完成する刺繍に目を向ける。
うん、上手にできて良かった。アルヴィン様への贈り物として、ハンカチーフに刺繍をしていたのだ。
私はまだステル領の雪を知らないけれど、北方にあるステル領を象徴する雪の結晶を刺繍してみた。アルヴィン様、喜んでくれるかしら。
アルヴィン様に好きになってもらうにはどうしたら良いか、ミナからも助言を貰いたくさん考えた。
まず、何よりアルヴィン様ともっとお話しをして私を知ってもらうこと。そして私もアルヴィン様の好きなものなど、もっと知ること。
次に、私の強みをアルヴィン様にアピールすることだと言われた。…強み、ないわ…、と落ち込む私にミナは、鼻息荒く色々言っていたけれど正直美貌とか意味がわからないことを言っていたから、そこのあたりは無視することにした。ただし、私の趣味でもある、刺繍の腕を披露するとも言われたたので、さっそくそれを実行してみることにしたのだ。
今日は午後からアルヴィン様とお会いできることになっている。私があちらのお屋敷に伺わせてもらう形で。
もう一度、ハンカチーフを見直して私は期待と緊張に胸を膨らませた。
ミナと散々悩んだ末決めた、落ち着いた色合いの桃色のドレス。髪は頭部の上の方だけ纏めて残りはおろしている形にした。
今回は重大な告白をする予定の私の意を汲んで、主に私の希望の、可愛さを出したい、というのが出ている格好だ。
ステル家のお屋敷に着いて、アルヴィン様に真っ先にそれを褒められた。
今日は、あまり見たことのない髪型をされていますね。とても可愛らしいですよ、と。嬉しくて嬉しくて飛び上がりそう。それに、こういった変化にもちゃんと気づいてくれるアルヴィン様の優しさにもっと好きになってしまう。
先日と同じく応接間に通されたけれど、今回は二人とも窓辺近くのソファーに向かい合って座っていた。
秋の柔らかい陽射しが、同じく柔らかく微笑んでいるアルヴィン様を照らす。
彼の薄茶色の髪が日の光に透けて、とっても綺麗だった。
「お忙しいのに時間をとって頂いてありがとうございます。あの、褒めて頂いて恐縮です」
「いいえ。先日はいっきに沢山の話をされて混乱されたでしょう。…それに、母から手紙がありました。オリアーナ様が母に手紙を送ってくれていると。とても喜んでいて、僕からもお礼を言わせて下さい」
「そんな、お礼なんて必要ないです。わ、私はアルヴィン様の婚約者ですもの。お義母様は私にとっても大事な方です」
にっこり微笑んで、お礼を言ってくださるアルヴィン様。
実は王都についてから、ステル領のお義母様に手紙を送っては、お義母様の具合の様子を伺ったり、王都の様子をしたためていたのだ。
手紙と共に送った膝掛けも使ってくださると嬉しいなぁ。
それにしても、アルヴィン様はいつも通りの穏やかな顔。その表情に疲れの色は見えなかったけれど、やはり心配になって聞いてしまう。
「あの、本当にご無理をなされていらっしゃいませんか?…何か私にお手伝いできることはありませんか?」
まだ結婚していないのに図々しいかもしれないけれど。すると、アルヴィン様はちょっと苦笑して
「本当に僕は大丈夫ですよ。モカ山脈の件については陛下や他の大臣も含めた国家事業となるので色々手助け頂いていますし。…手伝い、というか、オリアーナ様にも伝えておかなければならない事はできました」
「え?なんでしょう?」
「殿下の誕生日パーティーなのですが、ガルリアド王国の第二王子と第三王子も出席することになりました」
まさかの言葉にポカンとしてしまう。
第二王子?え?でも、確か、ベティ嬢のことがあって王宮で騒動をおこしたから、あちらで抑えられているという話では?それが、またこの国に来させるなんてどういうこと??
「疑問は尤もだと思います。北は何を考えているのやら…。ただ、我が国としては公式のパーティーに出席するという王族を拒否はできませんからね。第二王子と違って優秀だという第三王子が見張っていてくださると一番助かるのですが…。僕も立場上お二人に挨拶しなければなりません。その際、婚約者であるオリアーナ様も紹介することとなると思うので、事前にお伝えしておこうと」
アルヴィン様はため息をつきながら言った。
いつも紳士的なアルヴィン様にしては珍しく、ひどくめんどくさそうな雰囲気だ。
私も、いろいろと問題ありの第二王子にお会いするのは気が重いが、変な態度をとらないよう気をつけようと心に決めて神妙に頷く。
誕生日パーティーについて考えを馳せていて、はっと大事なことを思い出す。
そして、いそいそと、包みに入れたハンカチーフをアルヴィン様に手渡した。
「あ、あの、これをお渡ししたくて。拙いですが、私が刺繍をしました。良ければ使って頂ければと」
私が贈り物をしてくるなんて、思いもしていなかったのだろう。アルヴィン様は目をまん丸くして、それでも包みを受け取ってくれた。
小さな声で、開けても?と呟かれたので、是非にと返す。
「紋章と…雪」
「はい。ステル領を象徴するものだと思って」
ドキドキしながら答えた私に、アルヴィン様は
嬉しそうに目を細めて
「ありがとうございます。オリアーナ様が心をこめてくださったこと、ステル領を想ってくれたこと、とても嬉しいです」
アルヴィン様に喜んでもらえた!嬉しいと言って頂けた!私のほうこそ嬉しくて、そして、この勢いのまま告げてしまおうと、ごくりと唾を飲み込んだ。
「あの!」
顔が熱い。握りしめた指先は緊張で少し震える。本当は目を瞑ってしまいたい。でも、駄目。ちゃんと、ちゃんと真正面から言わなくちゃ。ああ、急に大きな声をあげた私に、アルヴィン様が不思議そうに見返している。
「私、私アルヴィン様が、好き、です。初めて会った時からずっとお慕いしておりました。
アルヴィン様と婚約できて夢のようで。
アルヴィン様と、ステル家の皆さんと、素敵な家族になりたいです。素敵な夫婦になりたいです。だから、あのっ、アルヴィン様にも私を好きになって頂けるよう、頑張るので、好きになってもらいたいっ、です」
生まれて初めての告白。
しどろもどろになってしまって、全くうまく言えなかった。
ちゃんと伝えたいことはアルヴィン様の顔を見て言えたはずだけれど、言い終わった後は我慢できなくて俯いてしまった。
アルヴィン様が、今どんな表情をしているか怖くて見れない。もっと、上手に気持ちを伝えたかったのに。私の初めての告白をもっと素敵なものにしたかったのに。
みっともなく終わってしまった人生初の告白に後悔していると、目の前に人の気配を感じた。
恐る恐る顔を上げると、そこには少しだけ辛そうな表情のアルヴィン様。
そして、アルヴィン様は握りしめていた私の手を両手で包みこんだ。
驚きのあまり、目を見開いてしまう。
アルヴィン様の手は暖かく、すっぽりと私の手を覆ってしまう。大きな、男の人の手。
「…ありがとうございます。オリアーナ様の気持ちは嬉しいです。…僕も、オリアーナ様に対して誠実でいることを約束します」
真っ直ぐに私を見る真剣な顔。
私は少し呆けたように呟いた。
「アルヴィン様のこと、もっと教えて頂けますか?…私のことも、知って、頂けますか…?」
「はい。もっと時間をとって、お互いのことを知っていきましょう」
「お仕事が大丈夫な時でいいので…私と、すごして頂けますか…?」
「はい。今度は僕がサイ家に伺います。それ以外にもいっしょに出かけましょう」
「…嬉しい…です」
嬉しい、嬉しい、と繰り返す私の手を、アルヴィン様は力強く握り返した。
アルヴィン様、いっぱいお話ししましょうね。貴方のことをもっと知りたい。そして、どうか、私のことを好きになって。どうか、私と恋、をしてくれませんか?