2
昨夜偶然聞いてしまった話で、やはり私は一部の使用人によく思われていないことは理解できた。そして、リリーさんが荒れているのはサラ様という方が関係しているということ。
(本当の姉妹になるはずだったって…養子?ということ?)
ぐるぐると考えながら、庭にナディシアの種を植えて行く。
今日の分の勉強を終えて、昼すぎあたりから庭作業を開始している。
サイ家にいた時は朝早くに庭の世話を行なっていたが、ステル家の庭師は昼から通って来るそうなので、庭師の時間に合わせることにしたのだ。
考えすぎて、知らず難しい顔になっていたらしい。
どうしましたか?と庭師に声をかけられて、
ハッとして大丈夫、なんでもないわ、と返した。
いけない、ちゃんと集中して作業しなきゃ。
今度こそアルヴィン様に私の育てたナディシアを見ていただきたい。綺麗だねって言ってもらって、そして…
私が恋に落ちた時のような、あんな笑顔をまた見せてもらいたい。
決意も新たに、しっかりと庭作業に集中する。
どれ位時間がたったのか、あらかたの作業を終え、ふぅとひと息ついた時だった。
どこかからか、複数の女性の声が聞こえてきた。
最初はそら耳かと疑うほど小さかった声はどんどんと大きくなって近づいてきている。
女性の焦ったような声でおやめ下さい!など、何やら揉めている雰囲気だ。
近くにいた庭師と、顔を見合わせるが庭師も困惑しきった表情。
やっぱりこっちに近づいてきてるみたい?
すると、私たちの前に現れたのは顔を真っ赤にしたリリーさん。リリーさんの後ろに、彼女付きの侍女も付いてきているから、制止の声はこの侍女だったらしい。
「あの…」
真っ赤な顔のリリーさんに声をかけると
「貴女なんて!貴女なんてお兄様に相応しくない!!帰ってよ!!お兄様と結婚するのは貴女なんかじゃないわ!!」
「え、」
「私知ってるんだから!夜会に出てはいろんな男性と遊んでるって。そんなふしだらな人、絶対認めないわ!
それに、公爵家の力をかさにして無理矢理お兄様と婚約を結んだくせに!
お兄様はサラと結婚するはずだったのよ!
それを貴女のワガママで無理矢理引き裂いてっ!!」
「なっ…」
「お兄様が好きだからナディシアを植えてるんですって?ナディシアを好きなのはお兄様じゃなくてサラよ!
ナディシアは、サラとお兄様の思い出の花なの!二人を引き裂いた貴女が、二人の思い出に勝手に入ってこないで!!」
怒鳴り声と言うより、泣き声のような絶叫だった。
真っ赤な顔に、目には涙を浮かべ唇を噛み締めながらも必死でこっちをにらめつけている。
頭は真っ白で言葉が出てこない。
なのに逆に冷静に状況を見ている自分がいる。
リリーさん、唇を噛み締めすぎて血がでてしまいそうだわ。止めるように言わないと…。
ああ、後ろの侍女は顔色が真っ白。そうよね、公爵令嬢にこんなこと言って、何をされるか分かったものじゃないものね。
ぼんやり突っ立ってそんなことを思っていると
「お嬢様っ!!」
「リリー様!!」
と、ミナとコンスタンスが必死な形相で駆けつけて来た。リリーさんはずいぶん大声を出していたから騒ぎを聞きつけて来てくれたんだろう。
コンスタンスが、リリーさんの背中を支え促しながら屋敷に戻って行く。その際、コンスタンスは痛ましそうな顔で私に頭を下げた。
「私たちはこちらから部屋に戻りましょう」
ミナも優しくにっこりと笑い、私の背中を支えて部屋まで連れて行ってくれる。私はただノロノロとそれについていくだけだった。
部屋につくと、暖かいお茶を準備するから、とミナが席を外した。
ソファに座ってそれを待ちながら、リリーさんの言葉を反芻する。
私が夜会で男性と遊んでいる…?そんなのあり得ない。家族以外で一番多くお話したことがあるのがアルヴィン様だもの。他の男性とは挨拶ぐらいしかしたことがない。
公爵家の力で無理矢理婚約した…?…わからない。お父様は家格と年齢が釣り合うからと言って結婚するように言ったけれど…私はただそれを無邪気に喜んでいるばかりで。経緯はわからない。知らない。
アルヴィン様はサラ様と結婚するはずだった…?サラ様という方は、アルヴィン様の婚約者だったということ?でも、以前にアルヴィン様が婚約したという話は聞いたことがないわ。
ナディシアが…
「お嬢様、お待たせしました。どうぞ、温まりますから召し上がってください」
いつの間に戻ったのか、ミナがミルクティーを入れて優しく声をかけてくれた。
促されるまま、ミルクティーを口に含む。
その優しい味わいと、温かな甘みに、こわばった体の力がぬけていくのが分かった。
「…ミナはリリーさんの話は聞こえていた?」
「私は、騒ぎに気づくのが遅れてしまい、話の内容はお茶を準備する際庭師に全て聞きました」
「そう…」
「あんなの全て謂れのない言いがかりです。全てデタラメです。お嬢様が気になさることではありません」
ミナが力強い目できっぱりと言う。
「…そう、なのかしら。夜会で、男性と遊んでいる、というのははっきりと否定できるわ。…でも、その他のことについては、私、分からないのよ」
そう。分からない。本当にアルヴィン様はサラ様という方と婚約していたの?
恋人…同士だったの…?
お父様は、私と結婚させる為にステル家へ圧力をかけたの?
「ナディシアをね、」
ぽつりと呟く。
「わ、私、ナディシアをアルヴィン様に見ていただきたくて、プレゼントしたくて、一生懸命お世話の仕方を覚えたの。知らなかったの。大切な思い出の花だって。ただ、アルヴィン様が喜んでくださるかと思ったの。」
ミナは頷いて私の目を覗きこんだ。
「リリー様が急に怒鳴りこんで来たのは、窓からお嬢様が作業なさっているのを見たからだそうです。もしかしたら、コンスタンスさんや他の使用人はサラ様を知っているのかもしれません。私も聞きこみをしてみます。…ですがお嬢様、この婚約にしても旦那様が辺境伯と決められたことでお嬢様は決して悪くありません」
確かにミナの言う通り、一部の使用人が冷たいのはそのせいかもしれない。コンスタンスが痛ましげな顔をしていたのも。
部屋の中に沈黙が落ちた時、扉をノックする音がした。返事をすると、サイ家から付いてきてくれた侍女が手紙を持ってきてくれた。
「お嬢様、辺境伯とアルヴィン様からそれぞれにお手紙が来ています。なんだか急ぎだとか」
急ぎと聞いて、二枚の手紙をすぐさまひろげる。
そこに書かれていたのは、式の延期と、私に王都に来てほしいという旨だった。