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「――ハァ――ハァ――ハァ――」


 金属がこすれあう音を立てて、蹴り足をレンガ色のトラックに刻んで走る。乳房を固定するスポブラの圧迫で大きく呼吸ができない。苦しい。

 ストレートの終わりに掲げられた電光掲示板にスピードガンの表示……400m時点で39秒。ウソでしょ。遅い。

 動きに合わせて、駆動部が耳にくすぐったいモーター音を立てる。腕に添え木、足に竹馬。競技用義足と同じ弓状の靴底(ソール)が、私の足を乗せて地面を蹴る。蹴る。蹴る――。

 私が着る強化パワード外骨格エグゾスケルトンは、私の身体能力を何倍も高く引き上げる。

 酸素が足りない。目の前が暗い。ゴールまであとどれくらい?

 体を傾けてカーブを曲がる。倒れそうなほど思い切るくらいでちょうどいい。石が水面を跳ねるような大股走り(ストライド)

 カーブを抜けると直線の先にテープが引かれた。


「――ハァッ――ハァッ――ハァ――!」


 ラストスパート!

 空になった肺を絞る。キックの力は機械に任せ、ただ的確に足を動かすことに注力する。

 蹴って蹴って走り続けて――。

 手足を広げて胸を突き出す。


「――ハァっ」


 ……今日って、こんなに晴れてたんだ。

 肺が痛い。空気が足りない。全身が肺になったかのように呼吸が激しい。暑い。

 ゴールテープを引いていた手伝いの女子生徒が私に酸素ボンベを押しつけた。シューと気の抜ける音と同時に、びっくりするくらい荒ぶる肺が落ち着いていく。

 それでようやく、自分が空を見上げて大の字になってることに気が付いた。

 ゴールと同時にトラックに倒れたみたい。


「んっ、こほ。ありがとう」

「お疲れ。怪我はない?」

「大丈夫」


 ガッツポーズを作ろうとして、右腕に添えられたフレームが駆動音を立てて私の腕を持ち上げる。ちょっとオーバーランしてあがりすぎた腕を下ろした。

 フレームが衝撃を受け止めてくれたから、私に痛みはほぼない。ほぼ鉄パイプみたいな簡素を極めた作りなのに、意外と防具としてもよくできている。1000m全力疾走のアドレナリンも影響してるかもしれないけど。

 背中に押しつけられるクッション部は、汗を吸わない素材で密着感が気持ち悪い。日を受けるチタン骨格がじんわりと熱くなっていく。

 私は腰に力を入れて立ち上がった。駆動音が尾のようについてきて、私の手と足を押し上げて羽毛のように軽くする。軽すぎる足にちょっとたたらを踏んで、2m近い高さから改めて競技場を見渡した。


 トラック中央のフィールドで、銀色の骨格を背中に装着した女子が足の腱を伸ばしている。

 なんだか骨の巨人と二人羽織してるみたいだ。

 ポニーテールに垂らした濡羽色の髪と、ショートパンツからすらりと伸びる足がまぶしい。高校生とは思えない落ち着いた眼差しが凛々しかった。

 アクロフレーム……という名は企業の製品名で、分類としての正式名称は競技用アスレチック強化パワード外骨格エグゾスケルトン

 軍事用、医療用、現場作業用と徐々に普及したこの器具は、今やスポーツの道具としても広まりつつある。

 鍛えぬいた圧倒的な身体能力をさらに拡充するアクロフレーム競技は、見栄えと安全性を同時に引き上げるお手軽さでプロスポーツの世界にもじわじわと浸透し始めていた。

 それは学生の世界でも同じことだ。


 決して安いとは言えないアクロフレームは、高校競技人口がまだ少ない。広まり始めている最中のマイナースポーツだ。

 だからニ年間の記録会で、いつも彼女を目にしていた。


 次の走者としてトラックに移動するアクロフレームの少女。

 ――林さん。


 胸に暗い気持ちが湧き上がる。くやしい。

 また、勝てなかった。自分でわかる。私の記録は彼女に遠く及ばない。

 だって、私は走ってる途中で……今回は無理だと思ったから。

 結果を見る必要さえない。自分の限界を試す競技の最中に、克己心こっきしんを失ったのだ。記録が出ているわけがない。私はうなだれてグラウンドの外に出る。


 客席でジャージを羽織ったちっちゃい女子生徒が手を振っていた。頭の左右に結んだお団子みたいなツインテールがふわふわ揺れる。


「ザッキ、ナイスラン!」


 右手を高く掲げる彼女にハイタッチを返して、アクロフレームの追従をオフ。関節がロックされたことを確認して腕の固定バンドをほどく。


「ありがとーミッチ。ひゃー疲れた」

「相変わらずカーブの速さすごいね。惜しかったよ。もうちょっとで自己ベストだったのに」


 あははと笑う。

 身体能力の影響が相対的に小さいアクロフレーム競技で、記録は自分の技術に直結している。トレーニングと身体の成長で思いがけず好記録、ということはまず起こらない。

 足のブリッジ部に巻いたバンドを外して降りると、機体を立たせたまま脚部を見る。


「どしたのザッキ?」

「走ってるときに金属音っぽいのがしたから、ネジ緩んでないかなって」

「えーウソ! 走る前にも確認してたじゃん」

「ネジ受けが摩耗してたら、すぐ緩んじゃうからねぇ」


 でもソールを固定するボルトは異常がない。

 私の着地がまずくて変な具合に負荷がかかったのだろう。競技用義足と同じ構造をしたソールは弾性がすごいだけに繊細だ。

 私が点検を終えて顔をあげると、ちっちゃくて優しい同級生は不安げな顔で私を見ていた。


「それが気になって全力出せなかったのかもね」

「あはは。どうかな」


 慰めだ。

 私はこのところずっと、記録がじりじりと後退している。

 グラウンドで歓声が上がった。見れば、林さんがゴールして膝に手を突いている。どうやらまた自己ベストを更新したらしい。別の高校のジャージを着た生徒たちが喜んでいる姿が見える。

 空を見上げる。

 突き抜けたような青空は、否応なく初夏の気配を感じさせた。


「もう高校総体インターハイかぁ」


 高校生活、最後の夏。

 最後の大会が、音を立てて迫ってきている。

 男子400m世界記録が43秒だそうです。

 10mを一秒ちょいで駆け抜けていく。やべぇ。

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