3.
「インチョー!! どういうこと?」
織部くんが居なくなった途端、わたしは琴美ちゃんをはじめ、複数の女子に取り囲まれる。
「その、昨日ちょっと間違いがありまして」
「間違い!?」
普段おとなしい大里さんが大声を出す。
「間違いと言うか、事故だったんです」
「じーーこーー?」
沙菜ちゃんが地を這うような低い声でそう聞いた。彼女は合唱部で、普段ソプラノを担当している。これまでそんな低い声を聞いたことがない。
「ですから、彼はわたしを心配してくれているだけで、ああいうことを言ったのは、義務感からなんです」
「……インチョー、もっと分かりやすく!! 最初から説明して!!」
琴美ちゃんがそう言って机を叩いた瞬間、朝のホームルームが始まるチャイムが鳴った。
それから、休憩時間ごとにみんなから取り囲まれて、昨日の出来事を説明することになってしまった。
教室の外からも視線を感じる。
なんでこんなことに……。
とにかく必死に説明したけど、羨ましがられるばかりで、全然騒ぎは収まらない。中には泣き出してしまう子までいて、わたしの方が泣きたくなった。
放課後になり、再び織部くんが教室にやってきた。
クラスの大半の女の子は残っていて、朝と同じように悲鳴が上がる。
わたしは耳を塞ぎ、そのまま俯く。
どうしよう……。
織部くんは、いつまでも動かないわたしにイライラしたんだと思うけど、教室の中まで入ってきて、
「帰るぞ」
とわたしの手を引いた。
同時に、また悲鳴。
「……目立ちます」
わたしは小さい声で言った。
「いいから」
そう言って、彼はわたしを強引に教室から連れ出す。
「……昨日のことなら、本当にもう気にしないでください」
彼の隣を歩きながら、わたしは小声のまま言った。
「怒ってんの?」
「違います。あの……手を離してもらえませんか?」
「何で?」
「恥ずかしいからです。そんなにまで格好いいと……思いませんでした」
織部くんは立ち止まり、驚いた顔でわたしを見る。
「……俺?」
「はい。勿論……」
わたしが困った声で返事をすると、織部くんの綺麗な顔が途端に赤くなった。
びっくりして、わたしは目を逸らす。
こっちまで赤面しそうなくらい、織部くんは動揺していた。
どうしたんだろう?
格好いいなんて、言われ慣れてるはずなのに……。
「明後日の土曜……家に来いよ。母さん、休み取ったから手料理作るって」
織部くんが動揺したまま、そう言った。
あの事故の翌日、織部くんのお母さんはわざわざ家までお詫びに来てくれたらしい。でも、わたしは留守にしていて会えなかった。
わたしのほうこそ、きちんと会って眼鏡代のお礼を言いたいと思っていた。
「わかりました。じゃあ、土曜日おじゃまします」
「ああ」
織部くんが言った。
学校からだいぶ離れたけれど、やっぱりすれ違う人や少し離れた場所からときどき視線を感じた。
「織部くんはどこに居ても、注目されて大変ですね」
わたしはそう言った。
「それが……よく分からない」
「分からないって……?」
「俺のこと、知りもしないで騒いで、意味が分からない。だから、突然好きだとか言われても困る」
織部くんは淡々と返す。
「それで冷たく振るんですか?」
「知らないヤツとは付き合えない」
「その人のこと、知ろうとは思わないんですか?」
「興味ないから」
「……でも、断るにしたって言い方があると思います。わざと傷つけるような言い方しなくても」
「嫌われたって構わない。さっさと諦めて次に行くだろ」
少し……吃驚した。
嫌われること前提で、わざと冷たくしてたってこと?
冷たいようだけど、もしかしたらそれも優しさなのかもしれない。
好きな人に優しくされたら、いつまでも好きだという気持ちは消えないから……。
「そんなことより現実問題、あんたの方が大変だろ。そんなに目が悪いんじゃ、普段から何があるか分かんないし、予備の眼鏡持ち歩いたほうかいいんじゃないの?」
彼が言った。
「……確かに、そうですね」
「不便だな」
「でも、いいこともあるんですよ。わたし、夏だけじゃなくて、いつでも花火が見れるんです」
「花火?」
わたしは眼鏡を少し下にずらした。
「眼鏡がないと、信号機や車のライト、ネオンとか光るものがみんな花火に見えます。だから夜は、とっても綺麗です」
「ふーん。それはまあ……いいな」
織部くんは言った。
「明日の朝、迎えに行くから」
織部くんはそう言った後、ようやく繋いでいた手を離した。
もう、わたしの家の前だった。
「え?」
横を見ると、彼はすでに歩き出していて、わたしたちの間に五メートル以上の距離がある。
さよならもありがとうも言わないうちに行ってしまった。
わたしはなんとなく繋いでいた左手をじっと見つめる。
本当は、もう手を繋ぐ理由なんてない。
織部くんは、この眼鏡がよっぽど見えないものだと思い込んでいるのだろう。
次の日の朝、玄関を開けると道路に織部くんが立っていた。
一緒に家を出た三つ下の妹が目を輝かせて、
「カッコいい!! 王子さまがいる!!」
と大声で叫んだ。
その通りなんだけど、織部くんは妹に否定した。小学生相手だからか、カッコいいと叫ばれてもさすがに平然としている。
歩きながら、わたしは彼にこの眼鏡がちゃんと見えていることを説明した。
でも、全然聞いてくれない(まあ、最初かあんまり聞いてくれないんだけど)。
それで結局、今日も手を繋いでいる。
一部の女子の恨みがましい視線が突き刺さる。
もうわたしは弁解するのも面倒で、『わたしは織部くんの彼女ではありません』と大きく書いた、たすきでも肩に掛けて回りたいくらいだった(それはそれで間違いなく目立ってしまうと思うけど)。
放課後になり、また教室に織部くんがやって来た。
わたしはバックを肩に掛けず、両手で持つ。
実は授業中、ずっと考えていた。両手がふさがっていれば、どうしたって手を繋ぐことはできない。
織部くんは瞬時に理解したのか、
「……そんなに嫌なのか?」
と不満そうな顔で言った。けど、その不満そうな顔まで格好良い。
みんなが見ている。
わたしは「ちゃんと見えてるんで」と朝も力説した(?)ことを繰り返す。
「あ、そう。だけど送り迎えはするから」
彼は言った。
ホントに、なんて凄い責任感……。
「白城さん、昨日から見てたけど、迷惑だったら、彼にはっきり迷惑って言った方がいいと思うよ」
急に、倉田くんがそう言った。全然気付かなかったけど、ずっと側に立っていたようだ。
「あんた、誰?」
織部くんが聞いた。
なんだかいつにも増して冷たい声。
「僕は倉田慧」
「えっと、うちのクラスの副委員長です」
わたしは織部くんに言った。
「ふーん」
織部くんはそう言って、倉田くんをじっと見つめる。それから、
「あんたには関係ないだろ」
と言って教室を出て行った。
「倉田くん、大丈夫です。目立つから恥ずかしかっただけで、織部くんには親切にしてもらっているので」
わたしは倉田くんにお辞儀して、織部くんの後を追った。
「一緒に帰るの、そんなに迷惑か?」
学校を出て、織部くんが言った。
「そんなことないです。迷惑じゃなくて、申し訳ないって思ってます」
「申し訳ない……?」
彼は考え込んでしまった。
それからの織部くんは、ずっと黙っている。わたしが話しかけても、「ああ」とか「うん」とか適当な相槌を返すだけ。
「明日、何時ごろ行ったらいいですか?」
「ああ」
「ああじゃ分からないんですけど……」
「え?」
「明日は土曜で、織部くんのお家へおじゃまさせてもらう日です」
「ああ、昼前に来てくれれば」
「分かりました」
彼はわたしを家まで送ると、やっぱり考え込んだまま、何も言わずに行ってしまった。