1.
なんていい日だろう。青空が眩しくて、制服のスカーフを揺らす、ほのかな初夏の風も気持ちいい。
歩きながら、ついついコマーシャルに使われている有名な歌を口ずさんでしまう。
それに、今日みたいな半日しか授業がない日は、学生なら誰だって浮れてしまって当然だと思う。
わたし、クラスでは委員長なんてそのままのお堅いあだ名(考えてみたら、役職なんだからあだ名でもなんでもない)で呼ばれている。
その委員長ってあだ名のせいで、どうしてもしっかり者だって思われてしまうことが多いけど、実際はかなりぼーっとしているんじゃないかと思う。
日がな一日、雲でも眺めて暮らせたらいいのに……なんて考えている。
縁側で空を見上げていられたら、それだけで幸せ。
住宅街の狭い十字路に差し掛かる。
わたしは空を見上げて、眼鏡越しにキラキラ光る陽の光や、変化していく雲の形をぼんやりと見ていた。
横から、突然自転車が現れた。
「きゃっ!!」
思わず悲鳴を上げる。同時に、甲高い急ブレーキの音。
わたしは自転車にぶつかって、転んでしまった。
でも、ほんの少し、腕に当たったという程度。
相手が急ブレーキをかけてくれたおかげで、どうやら跳ね飛ばされずに済んだらしい。
「すみません。ちゃんと前を見ていなくて……」
わたしは座り込んだまま、そう言った。
「……いや、こっちこそごめん。全然、見えなかった。怪我してない?」
「大丈夫です。あ……あの……すみません。かけてた眼鏡が、どこかに行ってしまったみたいです」
「眼鏡?」
彼は自転車から降りて、わたしに手を差し出す。
「朝陽!! ちょっと何やってるの!?」
気付くと、いつの間にか赤い車が真横に止まっていて、開いた窓から女性らしき人が叫んでいた。
「母さん……」
自転車の彼が言った。
「やだ……あんた、自転車で女の子にぶつかったの? 大変。すぐ病院に……。大丈夫? どこか痛いところない?」
彼のお母さんは、車から降りて心配そうにわたしに近づいた。
「いえ、あの……大丈夫です。それより、眼鏡が……」
わたしは言いながら、周りを見回す。
早く探さないと……。
わたしは視力が低く、眼鏡がないと僅か三十センチの距離で、人の顔を判別することすらできない。
さっきから何も見えなくて、すごく不安だった。
「あ……」
彼が言った。
「え? ああ!! やだもう……。どうして……。本当に、何やってるのかしら。ごめんなさい……」
彼のお母さんが、申し訳なさそうにわたしに謝る。
「どうしたんですか?」
「眼鏡、タイヤの下。で、粉々」
彼が呆れた声で言った。
「もう、ほんとに親子揃って迷惑かけて。えっと、まずは病院に!! それで、眼鏡屋さんね!!」
お母さんが勢いよく言った。
「いえ……病院なんて本当に大丈夫です。少し足を擦りむいたくらいなので」
わたしは慌てて、そう返す。
「母さん、仕事は?」
彼が聞く。
「休むわ!!」
「……仕事行けよ。俺がちゃんと責任もって彼女の面倒見る。今日はスタッフが少なくて店、忙しいんだろ?」
わたしも大丈夫ですという思いを込めて、思いっきり首を縦に振った。
「そんな……」
「本当に大丈夫です」
わたしは言った。
「そう……じゃあ……ごめんなさいね。また、きちんと改めてお詫びします。朝陽、あとしっかりお願いね。引出しのお金、全部使っていいから」
彼のお母さんはそう言って、わたしに頭を下げながら去って行った。
「……あの、すみません。申し訳ないんですけど、見えなくて不安なので、家まで送って貰えませんか?」
わたしは図々しいと思いつつ、隣にいる彼に思い切ってそう言った。
「すぐそこ、俺の家だから入れよ。怪我したところ消毒する。それとさっきから気になってたんだけど、何でそんな話し方?」
「え?」
「あんた、隣のクラス委員長だろ?」
「あ、同じ学校の方だったんですね?」
「……今頃」
「す、すみません。ぶつかったときは咄嗟だったので全然見てなくて。今は眼鏡がないので、見えないですし……」
わたしは目を細めながら、必死に彼を見る。それでも全然見えない。
「どんだけ目、悪いの? 近いし……。俺、2ーAの織部朝陽」
「織部……くん?」
首を傾け考える。
オリベ?
アサヒ?
あ!!
織部朝陽……いつも女子の話題にのぼっている、
「冷血王子!!」
わたしは思わず叫んでしまった。
途端に彼は、分かりやすいくらい大きくため息をついた。
隣のクラスの織部くんは、学校で知らない人が居ないくらいの超有名人。
話したのは今日が初めてだし、間近で見たこともないからぼやんとした印象しかないんだけど、噂だけはたくさん聞いている。
どうして彼が冷血王子と呼ばれているのかと言えば、女子への態度があまりにも冷たいから。
特に、彼に好意を持っている女子への態度が酷過ぎる……らしい。
見目麗しい容姿に騙されて(?)告白なんてしようものなら、理由もなく「無理」の一言。誰が告白しても百パーセント振られるってことで、思いっきり女子の怨念が込もった厭味ったらしいあだ名が付けられている。
けど、勿論そのあだ名は陰で呼んでいるだけ。面と向かって呼んでいる人なんて、きっと……居ない。
「ご、ごめんなさい」
わたしはそう言って、頭を下げた。
「別にいい。そう呼ばれてるのは知ってる。とにかく、家に入れよ」
冷血王子だと認識してしまったら、なんだか断るのも怖い。
返事ができず突っ立っていると、彼はわたしの手を引いて、十メートルも離れていない家の前まで連れてきた。
鍵を開け、そのままリビングらしき部屋に入る。
「そこのソファーに座れ」
織部くんが言った。
見えないので、距離感が分からない。わたしは手のひらで確認しつつ、怖々とソファーに座る。
「自転車、取ってくる」
彼が言った。
わたしの手を引いてきたから、自転車はあの場所にそのまま放置してきたのだと思う。
緊張しながら部屋でしばらく待っていると、織部くんが戻ってきた。何か四角い箱みたいなものを持っている。
「擦りむいたとこ、どこ?」
彼は言った。
持っているのは、救急箱らしい。
わたしは、ゆるゆるとスカートを捲る。
「そんなに上まで捲るな」
織部くんは慌てて横を向いた。
そんなこと言われても、内側の太ももを擦りむいたんだからどうしようもない。
「先に水で洗った方がいい。風呂場に行くぞ」
彼は再びわたしの手を引いて、お風呂場に向かった。