一話
「えー、それでは、明日から夏休みになりますが羽目を外しすぎないように。この学校の一員だと言う自覚を持って、楽しい夏休みを送ってください」
十六夜は教師のその言葉を聞き、夏休みと言う無駄に長い時間をどう過ごすのかを考える。
あの異世界召喚から既に三年の時が過ぎた。
中学三年生だった彼は高校三年生になっており、この夏休みも彼が、彼らが送る高校生最後の夏休みになる。
とは言え、友人もいない十六夜にとって夏休みなどといった長期休暇は苦痛でしかない。異世界にいた頃はひたすら敵を、こちらに戻ってきてからは、なにをするわけでもなく虚空を眺めている。傍から見れば完全に頭のおかしな人である。
――帰るか。
回りの生徒が今日何をするか、明日からどこにいくかなど、明るい話題で盛り上がってる中、十六夜はそんな光景を傍目で眺めながら、椅子から立ち上がる。
机の横に掛けてあるカバンを持ち、そそくさと面倒な奴らに絡まれる前に帰ろうと教室の扉に手を掛けようとするが…。
「いーざよーいくーん!俺らを置いて先に帰ろうとするなんて酷いんじゃないのー?」
後ろから声を掛けられると同時に、十六夜の右肩に手が置かれる。後ろを振り返らずとも、その耳障りな声でその人物を判断出来る。舌打ちをしたい衝動に駆られながらも十六夜は平常心を装いながら、後ろに振り返る。
「…ごめんね、桑原君。僕はこの後用事があるんだ」
十六夜は当たり障りのない言葉を口にしながら、桑原が置いた手を振り返りながら払いのける。振り返った彼の瞳は何時もの不愉快な奴らの姿を捉えた。
桑原 洋祐
高校生ながらに中々見ない赤茶色の頭髪。耳と口端に通している輪っかのピアス。顔のパーツの一部である眉毛は綺麗さっぱり消えてなくなっている。誰がどう見ても不良、という言葉が似合う桑原は、何時ものように十六夜へと絡む。
桑原の後ろには4人の取り巻きがいるが、彼らも十六夜と絡む―虐めるのが目的で、これから起こる出来事を想像し、にやにやと下卑た笑みを浮かべている。
「おいおい、俺にそんな態度取っちゃっていいのかなぁー?俺の気分次第でこの後どうなるか決まるんだけどなぁー」
――ゲスが。
桑原のふざけた態度に十六夜は怒りを覚えるが、感情のままに、手を出そうとはしなかった。
彼が異世界に居た時の力を持っていれば、桑原のような存在を一瞬で消すことは出来るだろう。しかし、今の彼は異世界で得た力を全て失っており、鍛え抜かれた筋肉も失っている。
筋肉に関しては時間をかければ取り戻す事も可能かもしれないが、その必要性を感じなくなった十六夜は筋トレなどもしておらず、貧弱な体のままである。
それに対し桑原は持ち前の体格の良さ含め、喧嘩で自然と身につけた自然な筋肉を持っている。その使い方は素人同然だが、筋肉がまともについていない十六夜からしたら、比べものにならない。悲しいかな所詮は弱肉強食の世界だ。
「…ごめんね桑原君。気分を害したなら謝るよ。ごめん」
にこにこと偽りの表情を浮かべながら、十六夜はそう口にする。
そこに最強の勇者と謳われた姿はない。
異世界での出来事を教訓に、彼は人々の端で生きる事を決めた。波風立たない生活を、他の人に恐れられない生活を、もう裏切られない生活を。
そう思い、十六夜は今までを生きてきたが、その結果がこれなのだから、十六夜自身、自分の考えは常に甘いと呆れている。
「…それだよそれ。てめぇのその表情が気に食わねぇんだ。なんでも分かったような顔しやがってよぉ」
十六夜の表面だけ取り繕った態度が透けて見えるのか、桑原はにやにやとした表情を一変させると、十六夜の胸倉を掴んだ。
「なんだお前。俺らを見下してんのか?馬鹿にしてんのか?あぁ?頭が良いからって調子乗ってんじゃねぇぞこら!」
顔を十六夜の目の前まで持ってきてそう小さく口にする桑原は怒りで小さく震えている。決して十六夜は調子に乗っているわけではない。桑原が勝手にそう決め付けているだけなのだが、彼なりのプライドがあるのだろう。
――こいつは何をそこまで怒ってるんだ?
十六夜からすると、勝手に絡んできて、一人で勝手に怒っているだけなのだが、ここで対応を間違えると面倒臭い。なにせ教室内にはまだ教師もいる。あまり騒動にはしたくない。
そう考えた十六夜は自身の胸倉を掴む手を軽くつかみながら、桑原と同じように小声で話し掛ける。
「何時もの公園でいいんだよね?」
「あ?」
十六夜のその言葉に桑原は一瞬きょとんとするが、意味を理解出来たのか、先程の怒りに染まった顔とは真逆の笑顔を浮かべると胸倉を掴んでいた手を放した。
「あ?あぁ、そうだよ。そうだったな。分かってるじゃねぇか十六夜。俺らはちょっとコンビニに寄った後行くからよ。先に行って待っとけよ?」
――感情がころころ変わり過ぎだろ。情緒不安定かよ。
内心でそう毒付きながら胸倉を掴まれた事によって乱れた制服を正す。
その間に十六夜の横を桑原とその取り巻き達が通り過ぎていく。
もう高校三年生の夏だ。あと半年程度我慢すれば、あいつらともおさらばなんだ。我慢すればいい。
そう思いながら十六夜も桑原達の後を追うように教室を出ようとするが、先に教室を出た筈の桑原達が扉の前で何やら騒いでいる。
――何してるんだ?
そう思いながら十六夜も彼らの近くにより、何をしているのか後ろから眺めるが、どうやら教室の扉があかないようで、桑原が乱暴に扉を開こうとしている。
「ぁあ!?んで開かねぇんだよ!!」
再び怒り心頭の桑原だが、そんな事は知らんと十六夜は我関せず反対側の扉に向かおうとするが、反対側の扉の前にも人だかりが出来ている。
そちらではクラスの担任が扉を開けようとしているが、桑原達と同じように開かずに苦戦しているようだ。
――何か可笑しくないか?
両方の扉があかない事態に違和感を覚えるが、十六夜自身、何ができる訳でもなく、仕方なく自分の席に腰を下ろす。
彼の席は教室の後ろ窓側なので教室の景色をすべて見渡せる事が出来るが、クラスの中にいる生徒は十六夜を除き、皆が扉の前で四苦八苦色々と試している。
桑原達の方に関して言えば、助走を付けてからのドロップキックを扉にかましている程だ。
しかし、それでも扉はびくともせず、蹴りの衝撃で壊れもしない。どころか一切震えもせず、まるで蹴りの衝撃などなかったかのようにびくともしなかった。
流石にその現象に異常だと他の生徒も気づき始めてきたのか、教室は困惑の声が溢れ始める。
――まさか…固定化魔法?
そんな中、先程の異常な結果にどこか見覚えのある十六夜はピクリと反応する。
固定化魔法とは、文字通り物質を固定化する魔法だ。時間経過による劣化を防ぐ効果もある為、建築の際にはかなり重宝されている魔法になる。
そんな魔法が掛けられた物質と同じ反応を見せる扉を見て十六夜は嫌な予感を覚えるが、魔力を失った彼に出来る事は何もない。
時間が進むにつれ生徒からは悲鳴の声も出始めるが、そんな中十六夜は自身の椅子に異常を感じる。
――椅子が動かない?
先程まで動いていた筈の椅子がピタリと固定されたかのように動かなくなってしまった。その結果を元に、隣の空いている机に手を伸ばし、動かそうとするが、その机もピクリとも動かす事が出来ない。
――この空間が固定されて…まさか!!
十六夜は一つの答えを導き出し、立ち上がるが、時すでに遅し。教室の足場に巨大な魔法陣が浮かび上がると同時に教室は光に包まれる。
「何!?何なの!?」
「誰か助けてよ!!」
「んだよこの光は!?何も見えねぇ!!」
教室内に生徒の悲鳴が木霊するが、そんな中十六夜は一人冷静に答えを導き出していた。
――召喚陣。それもこれはルーファス大国の魔法陣だ。また行けるのかあの世界に。
見覚えのある魔法陣を強烈な光の中どうにか認識出来た十六夜は歓喜に震えた。
魔法陣から放たれる光が強くなるにつれ、十六夜の意識は段々と薄まって行くが、彼はそれに抵抗する事なく、身を任せていた。何せ十六夜はこの現象が初めてではく、二回目なのだから。この後どうなるかも薄々理解出来ている。
――ああ…楽しみだ。あいつらにまた会えるかは分からないが、楽しみだ。
十六夜は薄れてゆく意識の中、かつての仲間の顔を思い出す。
幾多もの試練を共に超え、家族と言っても過言ではない程の絆で結ばれた仲間達。そして、勇者であった十六夜を裏切り、殺した仲間達。
そんな過去の事を思い出している十六夜の心境は汲み取れないものではあったが、教室から全てが消える瞬間、彼の口には意図せず笑みが浮かんでいた。