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8 現代教育史のおさらい、折り紙愛好会連合

「お、おはよー、高村先生」

「…何ですか、島村先生、これは…」


 ああ、と島村は混乱している職員室を見渡しながら眉と両手を上げた。


「俺が来た時から、この調子。ま、仕方ないだろうね」


 本当は、星形の眼鏡のフレームのことを聞いたのだが、高村はまあいいか、とその答えに納得する。

 きっとこのごたごたの中だから、このフレームでも他の教師の誰にも文句を言われていないのだろう。


「それにしても高村先生、君ってほんっとうに不運だね」

「不運?」

「だって今日、君の実習の最後の日なのにさ。たぶん今日は、校長さんも教頭さんも、何も君のためにはできないと思うよ」


 南雲の席には、彼女の気配は無い。当然だ。彼はその死体をこの目で見ているのだから。

 あれは夢ではなかった。現実だ。

 あの後、死体が何処でどうされようと、あそこであったことは、決して夢ではないのだ。

 しかしその事実は胸の中に納めた。

 あの時、別れを告げた垣内と村雨がどうしたのかも、彼らは知らない。彼は山東と共に、真っ直ぐその足で、駅へと向かったのだ。

 全身濡れネズミの彼らを、乗客はじろじろと見たが、彼らにはそんなことはどうでも良かった。

 とにかく頭の中の整理をつけることでお互い精一杯だった。車中の会話も、自分が先に出た時の「じゃあ」の一言しか無かった。

 「じゃあ」。

 「また会おう」とも、「もう会わない」とも取れる言葉。高村はその場では、どちらも選びたくはなかった。

 高村は、あえて島村に問いかけた。


「何か、あったんですか?」


 判っていて訊ねるというのも、なかなか勇気が要るものだ、と彼は思った。


「んー。何でも、今年度三つ目の『黒い箱』が来たらしい、けどね」

「『黒い箱』、ですか」

「そ」


 それ以上言うな、とばかりに島村は本の山の上に置かれた新聞を手にした。


「あ、それから、南雲先生、何か今日、いきなり辞めたってことだから、今日一日だけど、君、担任してくれ、って教頭さんからのメッセージ」


 そうか、と高村は気付く。あの二人は、「黒い箱」に南雲を詰めたのだ。だがこんな想像がすぐにできてしまう自分に、高村は一瞬、嫌気がさした。


「ほんっとうに君、不運だよなあ」


 しみじみと島村は高村の顔を見る。


「…何か、本当に、いきなりですねえ」

「本当にねえ。そうそう、彼女、君の査定もしてたんだよね。普通、こんなこと、無いよねえ」

「…」

「まあでも、化学の授業に関しては、森岡さんと半々だった訳だし。査定の方はちょっと遅れるかもしれないけど、御大がやってくれるんじゃないかなあ」

「…だと、いいですが」


 高村は力無くうなづいた。


「単位は大切だもんね。俺も昔苦しめられたよ…あ、そういえば」


 星形のフレームが、ぐい、と高村に近づけられる。


「な、何ですか」

「君さ、例の件、ちゃんと考えてみてくれた?」

「れ、例の件?」


 何かあったかな、と彼は思わず椅子を退きながら、慌てて考える。島村はそれを見て、露骨に苦笑いを浮かべた。


「やだなー、昨日言ったでしょ。折り紙愛好会連合」

「あ」


 忘れてた。高村は思わず声を上げた。慌ててズボンのポケットを探る。


「あ~」


 案の定、昨夜濡れに濡れたせいか、折り畳まれた紙はもとの形を留めていなかった。

 学校に履いて来られる様なまともなズボンは一着しかない。だから昨夜、慌てて脱水機に入れ、アイロンをかけまくり、なおかつ寝押しして、何とか履いて来られる状態に復元したのだ。

 …しかし、中の手紙のことはすっかり頭の中から消え果てていた。


「あーらら。ひどいもんだね。やっぱり、見てなかったんだ」


 そう言って、島村はひょい、と形の崩れた手紙をつまみ上げる。


「ま、判ってたけどさ」


 そして彼は、めり、とその紙を真ん中から引き裂いた。


「な」


 にを、と言いかけて、高村の声は止まった。中から、一枚の薄いプレートが出てきた。

 こそっと島村はつぶやく。


「濡れたおかげで、この発信器、壊れちゃったんだよね。まあ、弁償しろ、とは言わないけどさ」


 は、発信器? 高村の口は、声にならずにそう動いた。そんなものが。


「そ。結構これねー、精密範囲になればなるほどレベルが高くなるんだからねー」

「はあ」


 どう反応していいのか、高村は困った。そしてはっ、と気付く。


「も、もしかして、昨日の電話…」


 んー、と星形のフレームの向こうの目が細められる。


「感謝の意があるなら、本日十七時、化学準備室に来て欲しいなあ」

「…化学準備室には行きますよ、どっちにしても。森岡先生にご挨拶しなくてはいけないし…でも、どうして化学…」

「だから、折り紙愛好会連合の勧誘だって、言ったでしょ」


 …どうやらそれ以上のことは、答えてもらえそうにはないだろう。高村はあきらめた。


 午後五時。十七時。彼は重い足を引きずる様にして、化学準備室に向かっていた。

 長い長い一日だった。初日も長い、と感じたが、それよりもっと長く感じた。

 そして彼自身、今日限り、ということで、生徒達とのお別れに少しばかり気持ちが弱っていた。

 正直、泣きたい気分だった。

 HRが終わる時、最後の挨拶で適当に話した彼は、最後にこう付け加えた。


「まあでも、俺はまだ来年も大学があるから、君等を教えることはないと思うけど」

「留年したら会えるよ~」


とぼそ、と言ったのは、元部だった。

 校長や教頭からも、「こんな時期で申し訳ない」という言葉をもらってしまった。

 実際、校長と面と向かって顔を会わせるのは、何とこれが始めてだった。彼はずっと、「黒い箱」の件で、あちこちを飛び回っていたらしい。

 おそらくこの後、三つ目の件については更に追求されるのだろう、と高村は思う。何せ中身が生徒ではなく、教師なのだ。

 校長は恰幅の良い男だったが、顔色はひどく悪い様に見えた。彼はきっと、「黒い箱」の中身を、その都度その都度、確認させられていたのだろう。

 あんなものを二週間に三度も見せられたら、たまったものではない、と昨日の死体一つで落ち込んでいる高村は痛感する。

 そして、三度目に関しては、自分もその一端を担いでいるのだ。

 あの時、垣内が「すぐに帰れ」と言わなかったら。

 高村は正直、ぶるっ、と身震いがする思いだった。

 教頭は言った。


「色々ありましたが、この先もあきらめずに、がんばって下さいね」


 きっとそれは彼女の本心だろう。南雲の口から漏れた大義名分の様なものとは、重みが違って感じられた。

 この日もらう予定の書類も全部受け取った。残りは大学の方へ、直接送られるはずである。

 残りはたった一つ。森岡への挨拶だけだった。


 扉を開けると、既にそこには、三人の男がデスクを囲んでいた。


「こんにちは、高村さん」

「山東君、君まで…?」


 思いがけない姿に、高村は目を丸くした。


「今朝、森岡先生から急に電話がありまして。…どうして俺の携帯の番号知ってたのか、不思議だったんですが…」

「あ、教えたのは俺。ごめんね」


 足を組んだ島村は、ひょい、と手を上げた。


「だから何で、島村先生まで俺の…」

「ちょっと高村先生の携帯を通してねー、入り込ませてもらったんだ」


 うきうきとした口調で、星形フレームの男は答えた。はあ、と元生徒会長は呆れた顔をした。


「それって個人情報機密法とかに引っかからないんですか? 高村さん…」

「…いいさ、おかげで俺達、助かったんだ」

「って」


 山東ははっ、と顔を上げ、島村を見る。見られた相手はにやり、と笑ってピースサインをしていた。


「そ」


 それで判ってしまう会話をしてしまう自分達に、高村は少し悲しいものを感じた。

 向こう側の森岡の前では相変わらずTVがつけられ、ローカルのニュースの声が流れてきている。


「やあ、ちょうどいい時間に来てくれましたね、高村君」


 穏やかな声が、部屋に響いた。


「ポットには、たっぷりお湯が入っているから、君も自分の分は入れて下さいね。ちょっと今、手が離せなくて」


 よく見ると、また何やら、手元で折っている。好きなのだなあ、と高村は思った。

 しかしそれよりも、ぎょっとしたのは、南雲の机の上だった。

 荷物は何一つとして片づいていない。しかしその片づいていない机の、空いている場所一杯、所狭しと、小さな百合の花の折り紙が、敷き詰められていたのだ。


「…あ、あの、森岡先生、これは…」


 ん、と森岡は顔を上げる。高村の指さすものの意味を悟ると、彼は平然とこう言った。


「…ああ。死者への手向けの花と言えば、普通、白菊か白百合、が相場でしょう」

「森岡先生…」

「おお、始まる始まる。ちょっと皆、こっちをごらんなさい」


 そう言って、森岡は自分の前のTVモニターをくるりと回した。

 じゃーん、と音がする。全国ニュースの時間に切り替わったらしい。


『こんばんわ』

『こんばんわ。今日はまず、**県で起こった、中等学校生の少年少女による事件からお送りします』

『今日朝六時半頃、××市○○町の民家二軒に、オートバイに乗った男女二名が突っ込み、住民計四名を刃物でめった突きにし、逃走しました。そのまま犯人と見られる男女は県道へ入り、海沿いを南下しましたが、急カーブで海に転落。現在警察による捜索が続いています』


 男女のアナウンサーが、無表情な声で、交互にニュースを読み上げる。高村はそれがどうしたのだろう、と思いながら聞いていた。


『現場の○○町は、住宅地として…』


 ローカルのカメラに切り替わった時だった。


「あ!」


 山東がいきなり立ち上がり、TVの画面を指さした。


「ここ…」


 え、と高村が見ると、そこには被害者の名前がテロップで出されていた。


「…垣内…村雨…?」


 被害者の名前には、その姓がつけられていた。


「もういいでしょう」


 ぱちん、と森岡はTVを消す。


「どういうことですか」

「どういうことも、こういうことも。おそらく君の思っている通りでしょう」

「言ってみたら、すっきりするよ」


 島村までが追い立てる。


「ああ、でもちょっと待って下さいね」


 くいっ、と森岡はTVの上のアンテナを大きく開き、そのそばにあったスイッチを入れた。アンテナは、ゆっくりと回りだした。


「お、これでゆっくり、話ができますね、森岡先生。直ったんですか?」

「直したんですよ。やっぱりこれがあった方が安心できますからね」

「何ですかこれ、アンテナじゃ、…」


 高村は思わずその「アンテナ」を指さす。


「アンテナにも、してますよ。ただ、ジャミング装置にもできるというだけです」


 そう平然と言い放つと、森岡は折り紙の続きを始めていた。はあ、と高村は思わず答えていた。

 結構細かい作業が必要な様で、もうこれ以上顔を上げて話をする気はない、という気迫が森岡の指や背中からはあふれている。

 一体何を作っているのだろう。ふと高村は思った。


「…まあ、高村先生は言いにくそうだから、代わりに俺が言おうか」


 肘を立て、二人の大学生を交互に眺めながら、島村は言った。


「予想はついているとは思うけど…そう、垣内と村雨は、奴らのホスト・ファミリーを殺して、逃走したんだと思う」

「ホスト・ファミリー?」


 高村と山東の声が揃う。


「何ですか、それは」

「留学じゃあるまいし」

「まあ…留学みたいなもんさ」


 煙草いいですか、と島村は森岡に問いかける。駄目ですよ、と森岡は短く答えた。やれやれ、と言いながら島村は出しかけた箱をしまった。


「そ。本当の家族じゃあない。あいつらを監視するために、家族のふりをしていた連中さ」

「監視…」


 高村は思わず顔を歪めた。


「…それは、彼らが『R』や『B』だったからですか?」

「正解」


 高村は腰を浮かし、身を乗り出した。


「…教えて下さい。あなた方、ご存じなんでしょう? 『R』や『B』って、何ですか?」

「そうだなあ…高村君、君、何処から聞きたい?」

「全部です」

「全部ってのは、曖昧だよね。山東君は?」

「俺は」


 「伝説の生徒会長」は、腕を組み、切り口をしばし考えている様だった。その太い首や腕には、包帯が痛々しい。


「…それこそ、知りたいのは、俺も、全部です。だけど、その中でも、『R』と『B』そのものについて、とその成り立ちを知りたいです」

「うーん、さすが君、こっちの喋りやすい方向に持ってってくれるね」


 星形のフレームの向こうの目がにやり、と笑った。


「では、現代日本教育史のおさらいも兼ねて」



「2032年の教育大改革の目的が、何だったか、高村君、知ってる?」


 島村は既に「先生」という呼称をつけていない。すっかり学生扱いだった。

 高村は現代教育史にはあえて目をつぶってきた方なので、首を横に振った。


「子供一人一人に、適切な教育を与えることによって、やがて彼らによって構成される社会全体のレベルを上げる…まあ、もう少し色々あるけど、そんなところかな」


 つまり、と島村は続ける。


「学校という場所は、あくまで勉強を教える場所であって、それ以上でもそれ以下でもない。だけどそこはプロであるべきで、学問を教える、才能を伸ばす、ということに関しては、決して妥協してはいけない」


 ふむふむ、と大学生二人はうなづいた。


「ただ、そのプロも万能ではない。ある種の才能がもともと全く無い子に、その教育を施してもそれは時間の無駄、同じ時間でもっと秀でた点を伸ばした方が良い、ということになる訳だ。そこで、子供の能力の見極め、というものが、それまでよりずっとずっとずっと大切なものになった」


 で、と島村は続けた。


「それ自体は、いいんだよ、確かに」


 引っかかる、言い方だった。


「そこで行われる様になったのが、義務教育期間の変更、学制の変更…その他もろもろ。ま、それで、能力・適性の早期発見と振り分けが、小学校一・二年でこれでもかとばかりに行われる様になった訳だ。高村君はぎりぎり、それを受けていない組だったよね」

「…え? ええ」

「山東君は、その試行期。君はよくできるから、あまり回されなかったんじゃないかい?」

「…いや、俺も結構回されましたよ。クラス四回、学校二回」


 それは結構凄いのではないか、と高村は思う。しかしできすぎるからこそ、かもしれない。


「うん。そして、それも悪いもんじゃない。教員の数もそれにともなって、思いっ切りパートとかで増やした訳だ。あるクラスのある科目のみ、というくらいにね。賃金は低いけど、それでも免許はあるけどできない、と言う予備軍を思い切って雇い込んだ。おかげで少しだけ、雇用率もアップした。…まあこれも悪くはない」

「…じゃあ、一体、何が悪いんですか?」


 高村は怪訝そうな顔で、問いかけた。


「さて、そこからだ」


 星形フレームの下の目が、すっ、と細められ、森岡の方を見た。どうやら折り紙が完成したらしい。うわ、と高村は目を見張った。

 確か、最初の紙は、よく店で売っている「折り紙」のサイズだったのに、できあがったものは、手の中心にちょこん、と乗っている程度の大きさになっていた。


「…そ、それ何ですか?」


 思わず高村は完成作を指して問いかけた。


「ん、カブトムシですよ」


 言われてみれは、そうだ。六本の足、分厚い、固い体を思わせる厚み。よくこんな細かいものを、その指で折れるものだ、と高村は本気で感心する。


「息子が、こういうのが、好きだったんですよ」

「森岡先生が、教えたんですか?」

「いいえ。私が始めたのは、―――息子が、死んでからです」


 はっ、と高村は身体を固くした。


「私の息子は、小さい頃から、こう言った細かいことが好きでした。本当に、好きでした。私が見ても感心するくらいでした。その彼が得意だったのが、このカブトムシでした。彼がこれをはじめて本を見て作ったのが、確か、六つの頃です」


 げ、と山東の視線が自身の太い指と、カブトムシの間を往復する。


「…ただ、あいにくその趣味が、周囲の流行と必ずしもシンクロするとは限らないですよね。彼は周囲の子供達のする遊びになじめず、また、私達夫婦の間が次第にこじれていったことから、だんだん内向的になって行きました」


 淡々と、森岡は語る。


「そして彼が八つの時、私と妻は、離婚したのです。息子が希望したので、彼女が引き取りました。引っ越し先が遠かったので、忙しい私は、息子とは手紙を交わす程度しかできませんでした。ところが、彼が小学校を卒業したあたりから、その手紙が来なくなったのです」


 え、と高村は声を上げた。


「難しい時期なのか、何か事情があるのか、と寂しく思っていたのですが、…数年経ったある日、私の元に差出人の無い手紙が届いたのです」

「差出人の無い―――手紙?」


 山東はその言葉を繰り返す。ええ、と森岡はうなづいた。


「手紙は短いものでした。時候の挨拶とか…まあビジネスレターの様なものでしたね。ただそれが妻からのものだ、ということはすぐに判りました」

「筆跡ですね」


 島村がつぶやく。ああ、と高村もうなづいた。夫婦だったら、お互いの筆跡に見覚えはあるだろう。


「当初は、居場所を教えたくない事情でもできたのか、と思ったのです。ところが、そこにこれと同じ、カブトムシが同封されていたのです」


 これが、と大学生二人の目が集中する。


「手紙の中に包またそれを見た時、私は息子に何かあったのだ、と直感しました。しばらく考えたのち、私は、そのカブトムシを壊さないように、壊さないように、解いていきました。これよりもっと小さい紙です。それもおそらくは、こんな、市販の色紙ではなく、もっとあり合わせの…」

「それで、その中に何か」

「ええ」


 森岡はうなづく。


「彼の身に起きたことが、細かい字で、びっしりと」


 ぞく、と高村は思わず寒気を覚えた。


「…息子は『B』にされていたのです」


 「B」!

 高村の中に、垣内の姿が浮かぶ。

 彼は自分を「B」だと言っていた。しかしその一方、あの薬のことも「B」と呼んでいた気がする。それは一体。


「さてそこで、ようやく君等が知りたいことが出てきたのではないですか?」


 図星を突かれ、う、と山東の顔が赤らんだ。

 しかし高村はそれどころではなかった。真剣に、早く知りたかったのだ。


「先程、振り分けのことを彼が言いましたね」


 高村と山東はうなづいた。


「繰り返される振り分けは、度重なる転校を当然のものにします。つまり、隣に座っていた友達が、ある日いきなり消えても、それはおかしくない、という風潮を作りだします」

「確かに」


 山東はうなづいた。


「小学校の頃は、それが当たり前だと思ってた…でも、そこで振り分けきってしまうから、中等では滅多に…それこそ、一年に一人転校するくらい、しかない訳でしょう?」

「その通り」


 森岡はうなづいた。


「転校イコール適性変更、という理由づけが小学校で既にされているので、それが唐突であっても、そう疑問が持たれないはずです。…ではその中等へ行く振り分けは、何ですか?」

「…小学校卒業認定試験、と普段の成績…ですよね」

「ええ。そしてその中には、学力以外の検査も含まれている訳です」

「え」

「先程彼が言いましたね。コミュニケーション能力が致命的に欠けている者。それが、ここで、ふるい落とされるんです」

「落とされる、って」

「その言葉のままです」


 ず、と森岡は喋り過ぎて喉が乾いたのか、ようやく茶を口にした。


「…例えば、目に見えてこれは違う、という子供は、それなりのところへ振り分けられます。しかし、何処、という訳でもなく、だけど、集団の中に入れると、…そうですね、昔だったら『いじめ』に合う。そういう子供。コミュニケーション能力が欠けているイコール…ではないかもしれないけれど、可能性は、高かったです」


 高村も山東も首をひねる。彼等には、その言葉の意味が判らないのだ。


「…しかし今はそれが無い。小学校のうちは、振り分け振り分けで、『何となく違うから嫌』という理由で相手をいじめている暇が無い。…しかし、中等ではそうもいかない。既に振り分け終わった後ですからね」

「じゃあ、いいじゃないですか。その、悪い習慣がなくなって」

「いいえ、それは単に小学校では無い、というだけの話です」

「でも…今の中等では見受けられないですよ」

「ええ、そうでしょう。そうなりうる可能性のある子供は、そこへ入る前に、排除されているのですから」

「排除」


 高村はばん、と机に手をついて、立ち上がった。


「排除、って…」

「座りなさいね、高村君」


 あ、と彼は腰を下ろした。いかんいかん、また頭に血が上っている。


「排除された子供の中で、その部分以外は、水準以上の能力を持つ子は『B』、以下の子が『R』とされる様です。そして彼らは、家族から引き離され、薬品を投与されるのです」

「な」


 山東は口を大きく開けた。


「…それ…が、『R』と『B』ですか?」

「先走ってはいけない、と言ったでしょう、高村君。薬の名でもありますし、投与される子供の名称でもあります。ただ、その二つには大きな差があるのです」

「大きな…差?」

「『B』は、コミュニケーション能力さえ上手く人為的にアップさせれば、他の部分では、水準以上の能力を持つ子供達です。そういう子には、そのための薬品を、日常的に投与する。その薬品が『B』。青信号の『B』です」

「じゃあ、『R』は…」


 赤信号の『R』ということだろうか? 高村は全身がぶるぶる、と震え出すのを感じていた。


「彼らは…投薬で強制的に肉体を改造させられるのです」

「何ですかそれはっ!」


 山東はばん、とデスクを叩いた。その拍子に、横の南雲の机のたくさんの百合が、ばさばさ、と床に落ちた。


「子供達を…そんなことに使っていいんですか!」

「落ち着けよ、山東君」

「これが落ち着いていられますか! …そんな…薬で身体を改造なんて…」


 無論落ち着いていられないのは高村も同じだった。まだ、背筋の悪寒は止まらない。

 ただ、彼はとにかく、先を知りたかったのだ。


「…で、その改造する薬物が『R』なんですか?」

「いえ、それは『R』ではありません。全く正体の判らないものです。そして肉体を改造された彼らは、異常な程の力を持ちます。筋力、腕力、脚力、耐久力…」


 そう言えば。高村は思い出す。屋上から飛び降りたはずの村雨は、平気な顔をしていた。


「超強力なドーピングかよ…」


 体育系大学生はぼそ、とつぶやく。


「ただし、その薬品には、二つの副作用があるのです」

「二つの」

「一つは、人格の凶暴化。もう一つは…肉体の急速な消耗です。つまり、彼らは中等の六年間保てばいい『使い捨て』とされているのです」


 何だそれは! 高村は思わず歯ぎしりしていた。そう、その単語は、あの時にも聞いた。


「…そしてその凶暴化する人格を、元のものにする薬が、『R』。赤信号。暴走を食い止める薬なのです。ただ、この薬は、まず本人の発狂、自殺、もしくは抹殺相手との相打ちによる死亡により、まず手に入ることは無いのです」

「え? …じゃあ、『R』は入手できていないのですか?」


 それは現在、自分のカバンの中にある! 叫びたい程の気持ちを押さえて、高村は問いかけた。


「『B』に関しては、まあその作用からして、予測のつく内容だったし、実際入手できたものもありますので、組成式も合成法も判っています。しかし『R』は…」

「『B』が持っている、場合は…」


 あの二人の場合、垣内が両方持っている様に見えた。


「それはペアの性格によるでしょう。息子は、『B』だったのですが、『R』の少女と愛し合っていました。彼は彼女の身体をいたわり、自分で薬を管理していたようですね…そして、離れたく、なかったのでしょう」


 あの二人と同じだ。


「…彼は卒業直前に、屋上から飛び降りました」


 柵の無い屋上。落ちた息子。あれはやはり、本当だったのか、と高村は思い出す。


「その頃、『B』を育ててしまったことで、妻はホスト・ファミリーにさせられていました。それしか彼女には息子と自分自身を守る道が無かったのです。…彼女は息子の遺品として、ポケットに幾つかあった折り紙を受け取りました。そしてその中の、カブトムシを私に送ったのです」

「でも何故、カブトムシだけを?」


 山東は首を傾げる。


「…何故でしょうね。それは判りません。妻がこれを開いたとも思えません。彼女にはこれを復元できませんから。だから内容は知らないでしょう。ただ、母親として感じた危険信号として、私に送って来たのだと思います」

「…奥さんの、消息は…」


 森岡は、苦笑しながら首を振った。


「…息子が死んだ理由は、もう一つ考えられました。彼は『B』でしたから、『R』と違って、その先も生きていることは可能だった訳です。ただし、その場合、道は二つしかありません」

「ホスト・ファミリーか、…インスペクター、ですか?」


 森岡は高村の方へ、鋭い視線を投げかけた。


「そう言ってましたか? 南雲さんは」

「…ご存じだったんですね? 南雲先生が、彼らの指示をしていた、と…」

「ええ。ああいうのを、インスペクター、と言います。つまりは、校内で、無意味な悪影響を及ぼす生徒を抹殺する指示を与える立場」

「君ら、ファッション・リーダーって言ってなかったかい? その標的にされる子を」


 島村が口をはさむ。


「なかなかいい表現だと思ったな」


 そうですね、と森岡もうなづく。


「南雲は…彼女は、もともと『B』だった様です。現在も『B』を服用し続けていました。不思議なものですね。息子の様に、また、多くの『B』の子の様に、自分の『仕事』にどうしても耐えられなくて、死ぬ子も居れば、今度は殺す指示を与える側に回りたがる者も居る…」

「だけど、全体的としては、今のこの国の教育は安定している。教育改革は、十三年経った今では、成功だ成功だ、と言われている。…だけど、そうかあ?」


 島村は急に大声を上げ、首を横に振った。今まで、高村が一度も見たことの無い、真剣な表情だった。


「俺はそうは思わない。絶対に、そう思わない。何が『R』だ『B』だ。そんな個性があったっていいじゃないか。少なくとも俺は好きだった。なのに、奴らは―――」


 島村は黙って、再び大きく首を横に振った。


「俺の彼女は『R』だった。こっそりとつきあっていた。自分の正体を気付いた俺に事情を喋ったけど、絶対に言うな、言ったら殺される、と必死な顔で俺に言った。そしてある日彼女は『転校』した。『B』の相方と一緒にな。…もう今、彼女が生きてるとは思えない。だけど俺は、あの頃、彼女のことが本当に好きだった。そういう子が好きな奴だって居る。居たっておかしくない。それを真っ向から否定して、道具にして、使い捨て? それが教育か、って言うんだよ!」

「…落ち着いて下さい、島村君」

「…はい、すみません…久しぶりに、興奮してしまいました」


 そう言いながら、島村は眼鏡を外し、汗をぬぐう。あれ、と高村は思う。よく見ると、その眼鏡には度が入っていなかった。


「仕方無いです。皆、似た様な経験をしています」

「皆?」


 まさか、と高村は百合の一つをつまみ上げ、森岡の方を見た。


「そう、折り紙愛好会連合とは、そのための草の根レジスタンス集団です。息子がやった方法はかなり古典的でしたが、有効でしたからね。この時代、便利は便利ですが、デジタルにばかり頼るのは、危険ですよ」


 そう言えば。高村は自分の携帯が島村に入り込まれていたことを思い出した。少し知識がある者なら、人の携帯に入り込むことはたやすい。


「…その連合に、参加は自由ですか?」


 山東は真剣な目で問いかける。ええ、と森岡はうなづく。


「…百歩譲って、日名がもし、全体にとってまずい分子だったとしても…いや、その判断も俺には許せないけど…それでも…遠野まで、そして俺や、高村さんまで消してしまおう、というのは、俺には絶対に解せない。絶対に許せない。森岡先生、俺にも、何か、やらせて下さい」


 そうですか、と森岡はうなづく。


「それは無論、山東君、君の自由です。こちらは、仲間が増えれば非常に嬉しいですがね。全国的展開はしているのですが、地道に秘密に行う草の根運動ですから、仲間はいつでも募集中です。…高村君は、どうですか?」

「俺は…」


 彼は迷う。しかも、カバンの中には、彼らが入手困難な『R』すらもある。

 しかし。

 森岡はそんな彼の様子に気付いているのかいないのか、ただ、穏やかにな口調で付け加えた。


「迷うのは、当然です。我々のことを口外しなければ、別に仲間に入る入らないは問いません。君の気持ちに任せましょう」


 くっ、と高村は唇を噛んだ。


「高村さんは」


 帰り道、駅まで、と山東がついてきた。


「仲間になるかどうか、だったら、まだ保留にさせて欲しいんだ」

「ええ、判ってます。高村さんは直接誰かを…という訳じゃない。巻き込まれただけなのに、ここまで関わってくれて」

「違うんだ」


 彼は山東の言葉を遮った。


「…そうじゃなくて…」


 彼は思う。

 この件に関わったのは、巻き込まれたからじゃない。

 六年前に失った、自分自身への信頼を取り戻すためだった。そのはずだった。

 なのに、この様に、何かが形になって、見えてきた途端、怖じ気づいている。


「…山東君、俺は、怖いんだ」

「怖い? 怖いんですか? 高村さんは」


 意外、という口調で山東は問いかけた。


「だって君は、怖くない? だって、相手は、…下手すると」


 政府だよ、という言葉は、やはり口から出てこない。


「そりゃあ、そういう意味では、怖いですよ」


 山東は軽く目を閉じると、さらりと言った。


「だけど、…知らないままの方が、俺はもっともっと、怖いですよ。あの時、少しでも知っていれば、例えば日名に、もう少し目立たない様に、とか忠告できていれば…ボイコットなんてしようとした遠野を止めることができていたら…」

「…山東君」

「それが正しいか正しくないかは置いておいても、少なくとも二人を、失うことは無かったかもしれない。…もう俺は、あんな風に、知り合いを失いたくないんです。ねえ高村さん、俺は教師になりますよ」


 顔を上げ、山東は言い切った。


「もともとその選択肢も俺の中にはありましたし…何ができるか判らないけれど、…草の根レジスタンス、俺なりに、何かしてみようと思うんです」


 と言って、高村さんをいきなり勧誘する訳じゃあないですけどね、と彼は笑った。



 駅でじゃあ、と山東と別れた時、高村の胸の中には、ぽっかりと穴が空いた様な気がした。

 これで、終わりにしようと思えばできる。彼は思った。

 彼らともう会わない、連絡もしない、そう決めてしまえば、この件からは、もう、すっかり…

 だけど。



 眠れない。眠りたいのに、眠れない。

 高村は、ベッドの中で何度も寝返りを打った。身体は、疲れている。まぶたも重い。なのに。

 手を伸ばす。

 指先につるりとした小さな瓶が触れる。

 爪の半分にも足りない小さな錠剤を、手の中に一つ二つと転がす。台所に立つのすらもどかしい。二粒を震える手で口の中へ放り込む。微かな苦みが口の中をよぎる。飲み込む。喉仏のあたりで引っかかる感触。噛み潰せば良かった。そう思っても後の祭りだ。彼はのろのろと身体を起こす。這うようにして台所へ向かう。

 ああ面倒だ。

 ステンレスの流しの端に手を掛け、彼は重い身体を引き上げる。水切りかごの中から、ガラスのコップを取り出す。蛇口をひねる。勢い良く溢れた水が流しに飛び散る。はねる。顔を濡らす。冷たい。

 ふう、と息をつくと、彼はコップを置き、濡れた手のままベッドへと戻る。

 今はもうただ、眠りたかった。何も考えずに、眠りたかった。

 軽く目を閉じる。喉の詰まりが溶けて行くにつれて、身体から力が抜けて行く様な気がする。

 そう、それで何も問題ない。そのままやってくる波の中に、身体を任せてしまえばいいだけだ。それだけだ。


 ―――でも。


 自分の中で、別の自分が問いかける。


 ―――昨日は一つで済んだじゃないか。


 とろとろとした意識の中、明らかな事実が突きつけられる。


 ―――昨日は一つ。今日は二つ。明日は三つか?

 ―――一つ二つ三つ四つ五つ…


 数え始める自分の声に、彼は止めろ、とつぶやく。

 明日は呑まない。呑まないで眠るんだ!

 口には出さない、音にはしないその悲鳴は、彼の身体中に響きわたる。


 ―――できるならね。


 冷ややかな声が身体中に満ちる。


 ―――そして忘れてしまえばいいんだ。全て。全て。

 ―――あの時あったことも、この間のことも、これからのことも、全部無かったことにすればいいんだ。

 ―――そうすればオマエは楽になれるよ。

 ―――楽になって、もう何も心配することなく、毎日毎日楽しく夢をむさぼることができるのさ。


 あああ、と彼はうめきながら寝返りを打つ。


 ―――できないのかよ? 


 あはははは、と耳の中に笑い声が響く。


 ―――そうだよな、オマエはずっとそうだった。

 ―――知ってるくせに。知ってたくせに。

 ―――気付かないフリしてるだけだろ。認めたくないだけだろ。

 ―――答えなんてもうずっと前に出てるのにさ。


 やめろ!

 声にならない声で、彼は自分自身に叫ぶ。

 それができたら、どんなに楽なのか、一番良く知っているのは自分だというのに。

 本当に自分がするべきことは、もうずっと前から判っていたはずなのに。


 ―――判るだろ? 今なら、あいつ等の気持ちが。


 ああ判るよ。今なら。

 彼はつぶやく。


 ―――どちらがいい?


 問いかけは続く。


 ―――楽なまま、眠れない日々を送るのと、危険だけど確実な眠りを約束されるのと。


 ああ…

 彼は唇を動かす。

 眠りに落ちて行く寸前の、薄く開いた視界に、赤い瓶と青い瓶が入ってくる。

 冷たい雨が。冷たい滴が。

 オレは…

 唇が、動く。


 …やがて部屋の中には、穏やかな寝息だけが、満ちていった。

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