やってきたのは?
俺は車を運転していて、気がつけば見知らぬ道に1人でいる。どういう状態なのか自分でもさっぱりわからない。それに先ほどまでは暗い山道を走っていたはずなのに、青空が眩しいぐらいに陽の光が車内へと入ってきている。
俺は前に向けていた視線を横側、窓が近い右側へとむける。ガラスの向こう側に見える景色はダムの湖や山ではなくゴツゴツとした岩がまだらに見える手入れが特にされていない草原のような場所だった。ただし、平坦ではなくここからでもある程度起伏があるのがわかる程度にはボコボコと歪んで見える。
俺は慌てて反対側の窓も確認してみるが、こちら側と大して違いはないようだ。見慣れた人工物が全く見えない道に驚いた俺は急いで車外へとでる。シートベルトが思うように外れなくて苛立ちでさらに手元が狂う。早く外へ出て回りをもっと確認して安全を確かめなくては。
「ここは・・・どこだ?」
やっとのことで外へとでた俺が目にしたのは、車内から見たものと変わらない風景。外へ出た瞬間にいつもの景色が夢から覚めるようにこの悪夢が白昼夢のように終わるのではないかという期待が少しだけだがあったのだが、そんなものは関係ないとばかりに現実が俺を襲う。
日本の山奥にいたはずの俺が気がつけばどこともわからない、見たこともない草原にポツリと1人でいる。コレが悪い夢じゃないとしたらなんだというのか。
いや、思い当たるようなことはある。フィクションの中にはこういう風に突如として不可思議の世界の扉が開くような話がなかったわけではない。仕事上そういう話の本も何冊も読んだ。子どもたちに薦めたこともある。だが、あれはフィクションだ。決して現実に起こらないからこそ楽しいお話で済むことであって、現実に起きていいようなことじゃない。もし起きていたら、未だに日本では神隠しの話がニュースや新聞で連日出ていることだろう。
・・・どれくらい時間がたったのだろうか。携帯の時計を確認してみるが、19時過ぎと今見えている時間とはズレてしまっている。こんなに日が高いのに夜の7時だとは思えないからだ。
時計は当てにならない、車のガソリンはまだまだ十分残っている。車に積んでいた荷物を軽く確認する。いつもの肩掛けバッグとサイフにお金がそれなり。バッグの中身は仕事道具の紙やペンにアートナイフと糊。後部座席には着替えと実家で洗うつもりだった洗濯物がカゴと一緒に詰まれている。トランクのほうにはもう少し大きな道具が積まれていて、助手席側の収納スペースには車検証やら運転中に聞く音楽CDが10枚ほど。ボトルホルダーにスタンドで買った炭酸飲料がまだほとんど残っているが
「・・・困った。食料がほぼないじゃないか」
こんな事態になるなんて想像できるわけもなく、ただ実家へ戻る途中だったのだからこんなときに役立つような特別な荷物など何もない。救いは衣服がいつもより多いことぐらいだ。
「これは・・・早いところ人のいる場所まで移動したほうがいいのかもしれない」
俺は車の前方と、ついでに後方を確認する。どちら側もどこまでも続く黄色の道が見えるだけで、建造物のようなモノは見えない。遠くの物をよくみようと集中したせいか少し頭痛がし始めた。最近は目を使いすぎたのかメガネの度が合わなくなってきていて、頭痛がよく起きるので大変なのだ。
わかったことは前進も後進も大して変わらないということ。そして一度草の中へ入らないと方向転換できない現状は前に進んだほうが車の損傷も少なくてすむだろう。草むらの中に大きな岩があったりしたら大変だから入りたくはない。
俺はさっそく先ほど広げた荷物を仕舞い始める。全ての物を5分とかからずに元あった場所へと戻し終える。そして車のエンジンをかけようとしたところでふとルームミラーに何かが写ったのが見えた。それは黒い点のような物であるが、少しずつ大きくなっていく。俺は窓から顔を出して後ろを確認する。黒い点は丘をこえたのかこちら側にそのシルエットをはっきりと見せた。
「・・・・・・はぁ?」
後ろから来ていたもの、それは1頭の馬が引く『馬車』だった。
俺はとりあえず車から外へと出て、馬車がこちらにやってくるのを待つことにする。後から考えれば車から外へ出らずにいつでも逃げられるように用心していたほうがよかったのだろうとは思う。
だけど正直俺はこのとき混乱していたのだ。だから見ず知らずの場所で後ろからやってきた人が乗っているであろう物を見たとき、それが自分の生活になじみのない物でも、人が乗っている物だと記憶していた物がやってきたことで今の状況が改善されると思ったのだ。事実状況は改善された。その馬車に乗っていた1人の人物によって。
俺はこのとき『彼女』がやってきたことを、今まで信じてはいなかった神様とやらに感謝したぐらいだ。
「これは・・・」
車まであと5mといったところだろうか?馬がこれ以上進めないとでも抗議するかのように嘶き、その場で馬車が停止する。馬車がこちらに来るまで外で待機していた俺は、馬車を動かしていた御者がつぶやいた言葉で道を車で塞いだままだったことに気がついた。
「あぁ!すみません。すぐどけます」
「まて!それは・・・なんなのだ?」
車に乗り込もうとした俺に女性の声がかかる。馬車のほうを向くと御者台の人物とは別に、馬車の荷台部分のほうから女性が顔を出していた。
「なに?といわれても・・・車ですけど」
正直なんと説明すればいいのか思いつかない。俺からすれば車自体は物心ついたころから身近にあった物なので、説明しろといわれてもぱっと出てくるのは『車』か『乗り物』としか説明できそうにない。
「くるま?・・・今そこをドアのように開けたな、すぐにどかせるということはソレは乗り物なのか?」
「えぇ、ここに乗ってエンジンをかければすぐにでも・・・」
そこまでいって、彼女たちが『車』ではなく『馬車』に乗っていたことに思い至る。つまりここでは『車』は珍しい物なのかもしれない。そう考えるとエンジンといっても理解されないのではないだろうか。
「えんじん?馬もいないようだが、どうやって動かすつもりだ?まさか自分で引っ張るなんて言わないだろうな」
「どうやって動かすといわれても・・・。エンジン、車を動かすための動力が中に積まれていますから自分がその命令を出せば、すぐにでも邪魔にならないところまで動かせます」
「ほう?その『えんじん』とやらがあればこちらの馬車も動くのか?」
「そういうわけじゃ・・・あ~っと、なんと言えばいいのか・・・。そう、エンジン以外にもいろいろ燃料やエンジンを動かすためにまた別の燃料というべき物が必要だったりで」
「よくわからんな。まあいい、早速動かしてみてくれ」
そう言いながら女性は馬車から降りてこちらに近づいてくる。それを御者の男が止めようとしていたが、女性はどこ吹く風と聞き流している。俺としてもあまり近づかれると危ないので御者の男が止めてくれることに期待しながらもさっさと運転席へと乗り込む。
シートベルトをつける必要も感じないのでつけずにエンジンをかけ、ギアをドライブへと変えてハンドルを右へきりながらアクセルを踏む。あまりアクセルを踏み込まないよう気をつけながら道の外側へタイヤが出てしまったら反対へきり返して、道と平行になったところで車を止める。どうやら大きな石は無かったようで安心した。
「すばらしいな、確かに馬に引かれることもなくその車とやらは自分で動いてどいた。乗り込んだ後に聞こえた音には少しびっくりしてしまったが、馬を必要としない移動手段というのはすばらしい。どうだ、私にその乗り物を譲らないか?なあに金のことなら心配するな。これでもそこそこの地位にいるのでな、女とはいえ金はかなり持っているぞ」
まるで餌を前にした肉食獣にように目を輝かせながら女性が捲し立てる。突然のことに頭が追いつかない。
「エンジンと言うのはわからないが、魔導器具の一種なのだろうか?それとも全く新しい技術なのか?それも分解してみればわかることだな。なにをぐずぐずしている、ほらはやく『はい』か『イエス』で答えないか。ん?」
ブツブツと自分の考えをまとめながらもこちらに要求をのむように促してくる女性。あまりにこちらに近づき過ぎていて、気づけば鼻同士がつきそうなまで近い。先ほどまでの意思の強そうな目を、今はまるでプレゼントのおもちゃを前にした子どものように目を輝かせている。
「いい加減にしてください、先生」
そう言って御者をしていた男が女性を俺から引き剥がしてくれた。離されるときに女性の少しウェーブのかかった長い髪がこちらまで流れてきて花のような香りがした。正直あのままだと緊張してしまいうまく話せる自信がなかったのでありがたい。
「なにをする、ケイン?!そこに見たこともない物があるのだぞ!お前はそれが何なのか気にならんと言うのか!!」
「そりゃ自分も気になりますよ?でもね、ほら時間的に少し急がないと閉門の時間になっちゃいますよ」
ケインと呼ばれた男の言葉に先生と呼ばれた女性が悔しそうにこちらを見ながら唸っている。それでも、時間が本当に無いようで一度深呼吸すると
「交渉している暇もなさそうだな・・・。誠に、まことに遺憾ながら忙しい身でな。もしもこの先のイシュリスにある学院に来ることがあれば、ぜひ私のところまで会いにきて欲しい。そいつの売買以外でも構わんから何か珍しい話でも聞かせておくれ。もし来たときはイレイア=ノートングを訪ねて来た車の男とでもいってくれれば、他の予定をキャンセルしてお相手することを約束しよう」
「ま、待ってください!」
さっさと馬車に荷台に入っていこうとする女性を急いで呼び止める。こちらは明日のことどころか、今日の宿すらどうなるかわからない身なのだ。折角人に会えたのだから少しでも情報収集しなくてはならない。俺は急いでいるらしい2人にこちらからのお願いを口にする。
「もし差し支えがないようなら、イシュリスまでご一緒してもいいですか?」
このとき魅せたイレイアさんの笑顔がとても眩しくて、俺はお礼を言うとすぐに車の中へと逃げるように入り込んだ。