生きている幽霊 3
3
頭の奥の方で音楽が鳴り響いている。素敵な音色だ。
「――さん――律――香――さん」
でも、歌詞が一向に聞こえてこない。ボーカル不在のバンドなのだろうか。
「律香さん! 起きて下さい!」
そう言われてわたしは飛び起きる。
「もう朝?」
「もうお昼ですよ! 大丈夫ですか?」
明美が心配そうにわたしの顔色をうかがってくる。ここでわたしはようやく事態を把握する。パスワードを調べる為、書斎に並べられていた難しそうな本を一つ一つ読んでいるうちに睡魔が襲ってきて、わたしは寝てしまったようだ。
「大丈夫。少し疲れただけだから」
わたしはそう言って立ち上がる。
「私達これからお昼ご飯なんですけど……一緒に食べます?」
「食べる」
お腹が減っていたのは事実だ。朝ごはんも食べてないし。仕事中に寝てしまったのも多分空腹が一番の原因だと思う。
「じゃあ皆でお弁当にしましょう!」
わたしは明美と一緒に食事室へと向かった。部屋に着くと、すでに男子二人は昼飯を食べ始めていた。
「お疲れ様です」
「書斎に籠って何してたんだ? まぁ練習の邪魔にならなくていいけどよ」
さすがに「寝てました」とは言えない。わたしは平然とした態度で席に座る。
「律香さんは一生懸命幽霊の事について調べてくれてたんだよ!」
空気が読める女の子って素晴らしいと思う。
「いただきます」
わたしは明美に心底感謝して弁当を食べ始めた。
「今日は作り過ぎちゃったんで丁度良かったです!」
「いつも二人はこんなに美味しいお弁当を食べてるの?」
と、私は男子二人に訊いた。
「明美は料理が得意なんです。毎回美味しいお弁当を作ってくれますよ」
「毎日美味い弁当が食える明美の彼氏が羨ましいぜ」
岩中がハンバーグを頬張りながら言った。
「明美ちゃん彼氏いるんだ」
「いや、その……」
「恥ずかしがらなくていいよ。高校生だもん。彼氏の一人や二人いるよ」
わたしがそう言うと、明美は頬を赤らめた。
「まだ付き合って三ヶ月なんです。もっと頑張らないと彼氏に飽きられちゃうかなと思って……。だから料理を始めたんです!」
「その味見を僕達がしてるんです」
「最初の方はほとんど毒見に近かったけどな」
「岩中くん! 毒見なんて言わないでよ!」
明美が赤い頬を膨らませて言った。和やかな光景だ。
「三人は仲が良いんだね」
わたしはスパゲッティを食べながら言った。あ、これも美味しい。
「曲も三人で作ってるんですよ!」
「隣の部屋で聞いてたよ。とってもいい曲だと思う」
お世辞ではない。彼女たちの曲は素晴らしかった。高校生とは思えないようなセンスを素人ながらに感じた。
「本当ですか!」
「CDが出たら買ってあげる」
わたしは微笑みながら言った。
「約束ですよ!」
あれ? わたしは冗談のつもりで言ったんだけどな。明美の目はビー玉のように輝いていた。
わたしはその後も昼食を食べながら三人と楽しく会話した。やっぱり懐かしい。わたしは学生時代軽音楽部に所属していたのだろうか。わたしは自殺したショックで記憶の一部が曖昧なのだ。そんなことをぼんやり考えていると、明美が唐突に閉じていた口を開く。
「そういえば……律香さんって左手首に大きな傷がありますよね。それって……」
見られてたか。いや、別に見られたからどうというわけでもないけど。傷の事を話すのはあまり気が進まない。
「この傷は――」
誰か来る。わたしの勘がそう告げていた。
「みんな隠れて!」
「え?」
「いきなりどうしたんですか?」
「理由は後で説明するから!」
説明している暇などない。とても危険な人物達がこの洋館に入って来る。わたしの耳は鋭い。その人物は拳銃を所持している。わたしの耳は拳銃が洋服と擦れる時の音を聞き逃さなかった。
わたしと明美達は寝室に隠れた。わたしはその中で今から来る人物が危険だということを伝えた。数秒後、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「本当に来た……!」
「しっ! 喋っちゃ駄目」
わたしは耳を凝らして大広間の音を聞いてみた。一部屋分の距離なんてどうってことない。
「なんでこんな山奥に別荘なんか建てたんだよ」
「しょうがないだろ――を隠す為なんだから」
招かれざる来訪者は男二人組だった。何者だろうか。
「お、見ろよ。――があるぜ」
「誰かが捨てたんだろ。最近――投棄が多いからな」
「弾いてみようぜ。これでも昔はバンド組んでたんだよ、俺」
わたしの耳が冴えてきた。もう聞き逃さない。
「お前が? コミックバンドの間違いだろ」
「いいから聞けって」
ギターをめちゃくちゃに弾く音が聞こえた。
「全然弾けてねぇじゃん」
「つまんね、飽きた。このギターなんかムカつくわ」
と、男がギターを投げ捨てる。
「勝手に捨ててんじゃねぇよ!」
男が突然ギターを踏みつけた。そのまま何度もギターを踏みつける。このままではギターが壊れてしまう。しかし、今のわたしになすすべはなかった。岩中が必死で声を堪える
「もう一つあったぞ」
「貸せ。ぶっ壊す」
岩中のギターを一通り踏みつぶした後、今度は岸のべースを振り回し始めた。
「それ、ホームラン」
男はベースを壁に思いっきり叩きつけた。ひと際鈍い音が大広間に響いた。岸の顔が青冷める。わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。武器があればあんな奴ら一発で――
「止めて!」
我慢できなくなった明美が思わず叫ぶ。その気持ちはよく分かるけど命の方が大切だと思う。明美の声に気付いた男たちが寝室に入って来る。状況はあまりよろしくない。
「ガキが四人。どうする?」
今、四人って言ったよね。わたしは子供じゃない。わたしは立派な大人なんですけど。確かに童顔だけどさ。わたしは今すぐこの怒りを男達にぶつけたかったが、我慢した。ここで感情的になったら全員殺されてしまう。
「こんな場所でなにしてやがる」
と、男がわたしに拳銃を突き付けながら言った。
「そのセリフ、そっくりそのまま返すよ」
わたしは男に向かって言った。
「度胸のあるガキだな。本物の銃を見ても驚かないなんて」
さて、どうするか。この場にいるのがわたし一人なら何とかなるが……この状況だと誰かが貧乏くじを引いてしまう。高校生三人を守りながら戦うのは至難の業だ。
「秘密を知られたからには生かしちゃおけねぇ。誰から死ぬ?」
男の一人が明美の方を見た。
「お前から死ぬか。一番うるさそうだしな」
明美は恐怖で声が出なかった。そのかわり、必死で首を横に振る。
「この館には秘密があるの?」
「口数の減らねぇガキだな。気が変わった。お前から殺す」
「どうぞご自由に」
わたしは強がって見せた。だが、秘策があるわけでもない。絶体絶命の大ピンチだった。けれど、一回自殺すると死というものが怖くなくなって来る。不思議と冷静でいられた。
次の瞬間、わたしの眼に映ったのは真っ白な白衣だった。
「パソコン代は高くつくぞ」
クールな女性の声。男が声に気付いて振り返った時にはもう遅い。白衣を着た女性は手にしているパソコンで思いっきり男の後頭部をぶん殴った。
「ぐはっ!」
男の一人が倒れる。
「誰だお前!」
「リスカ!」
と、姉さんが叫ぶ。わたしの足はすでに目の前の男の首筋を捉えていた。身体の回転を最大限に利用して繰り出されるローキックは凄まじい威力だった。
「くそっ……なんだってんだよ――」
姉さんのパソコン攻撃から復帰したもう一人の男の後頭部に……わたしの裏拳がクリーンヒットした。ドサッという音を立てて二人の男は崩れ落ちた。
「……助かった」
明美がへなへなと地面に座りこむ。どうやら、腰が抜けてしまったようだ。男子二人は……気絶してる。ああいうのを草食系男子って言うのかな。
「リスカ、どういうことだ? 分かるように説明しろ」
姉さんの氷のように冷たい声がわたしの心を一層安心させた。