生きている幽霊 2
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「慣れない格好は肩がこる」
あたしは事務所に帰って来るなり愚痴をこぼした。事務所の椅子には西上が座っていた。あたしは西上が嫌いだ。よって、西上が事務所にいると不快な気分になる。
「新聞記者に変装して仙田紀行の記者会見に潜入してみたが……適当に誤魔化された後、新発売の本を手土産に渡されて追い返されたよ」
あたしは一応調査報告をしておいた。西上は一応ここの所長だからな。
「そりゃあ災難だったな。参加賞の単行本は俺が貰っておくよ」
「こんなゴミくれてやる」
あたしは手に持っていた仙田紀行の最新作『深淵からの叫び』を西上に向かって放り投げた。西上が器用に本をキャッチする。そして、あたしの服装を見て一言。
「その格好はコスプレじゃなかったんだな。安心したぜ」
またコイツはおかしなことを言う。
「ふざけるな。あたしにコスプレの趣味など無い」
「いつも白衣を着てるのも女医のコスプレみたいなもんだろ」
と、西上が笑う。ああイライラする。
「殴るぞ」
「そう怒るなって。面白い情報を手に入れたんだろ?」
そうやってまたあたしの心を見透かしたようなことを言う。あたしは西上にプライバシーという言葉の意味を教えてやりたい。
「何故分かる」
「その可愛い顔に書いてあるぜ」
「腐っても探偵か。隠し事は出来ないな」
あたしは近くの椅子に座った。
「記者会見で大きな収穫は無かった。けど、帰り際に喫煙所でタバコを吸っていたら興味深い話が聞こえてきてね」
「仙田紀行はロリコンだったと」
「いや、違う。若い新聞記者の男が丁寧に教えてくれた。仙田は盗作をしてるんじゃない、もしかしたらゴーストライターを雇っているんじゃないかってな」
「ゴーストライター……。書籍や記事、脚本などの代作を仕事とする著作家のことだな。主に芸能人とかスポーツ選手とかが雇う代筆屋みたいなもんだろ?」
「ああ。タレントがゴーストライターを雇うのはまだ納得できるが……作家がゴーストライターを雇うのは問題だろう。世間の皆様に嘘を付いてることになる」
あたしは鞄から書類を引っ張り出した。
「仙田紀行の著書は多数ある。だが、近年発売された『タンゴ』『廃れたカウンターバー』『賢者死す』『天使ナイト』は他の作品と文体が大きく異なるらしい。記者達はその原因を書いている人間が代わったからだと推測してる。つまり――」
「どこかの誰かが仙田紀行の代わりに仙田紀行の作品を書いている。そういうことだろ?」
勝手に結論を述べないでほしい。
「しかも、作家の代筆だから名前も残らない。こりゃ本当のゴーストライターだな」
と、西上は笑って言った。何度も言うが、あたしは西上が嫌いだ。
「特に『タンゴ』は今年の最優秀文学賞を獲ってる。仙田本人ではなく違う人間が書いた作品だという事が公になれば……世紀の大事件になるだろうな」
あたしはそこで一服した。タバコというのは質の悪い幽霊のようなものだ。一度と取り憑かれてしまうと抜け出せない。
「最後にその青年記者がなんて言ってきたか当ててあげよう。『連絡先を交換しませんか?』だろ」
と、西上が得意げに推理してきた。
「大正解。タバコの煙を顔に思いっきり吹きかけて断ったけどな」
「それでこそ俺の女だ」
「お前の伴侶になったつもりはない」
あたしは全力で否定した。西上の妻なんてやったらストレスで肺が蜂の巣になってしまう。いや、本当に。
「手に入れた情報はここまでだ。ふりだしに戻った気がするよ」
正直ゴーストライターがどこにいるのか見当もつかない。はたまた盗作なのだろうか。最悪の場合どちらでもないという事もあり得る。あたしはこれからどう行動すればいいのかわからなくなってきた。
「くそっ」
あたしは自分の髪を掻き毟った。他の誰かに先を越されるのではないかという不安があたしの心臓に重くのしかかる。この依頼をしくじれば報酬金は水の泡。チッ、考えたくもない。
「どうした毒っち。せっかくの美人が台無しだぞ」
あたしの焦る表情が西上の大好物だ。こういう時は必ずと言っていいほどあたしをからかってくる。
「変なあだ名を付けるな。反吐が出る」
あたしは西上の冗談を一蹴して思考を巡らせる。しかし、上手く頭が働いてくれない。今のあたしに足りない栄養分はアルコールか? ニコチンか?
「良い情報を教えてやる」
と、西上はあたしの耳元で囁いた。西上の右手はあたしの左肩を掴んでいた。
「律香が調査してる幽霊屋敷。ちょいと調べて見たらおもしれぇことが分かったぜ」
これ以上邪魔をしないでほしい。そんなことどうでもいいだろう。
「あの屋敷の住所を調べたら……なんとビックリ仙田紀行の別荘の一つだったんだ」
屋敷なんだから誰かの別荘ってこともあるだろう。仙田――
「なんだと?」
あたしの思考はついに停止した。西上があたしの髪をいじりながら自論を話し始める。
「いくつもある仙田の別荘の中であの別荘だけが奥深い森の中に建ってるんだ。何十年も使ってなくてほぼ放置状態らしいが……隠れんぼには最適な環境だと思わねぇか?」
コイツの言い回しは世界中の誰よりもムカつく。あたしは改めてそう思った。
「急用が出来た。リスカの所へ行ってくる」
あたしは車のキーをポケットにぶち込み、仕事着の白衣を羽織って、事務所のドアに手を掛けた。すると、西上が笑う。
「情報量を貰ってねぇな」
そういうことか。確かにさっきの情報は特大の情報だった。
「……キスぐらいなら許してやる」
西上のニヤケ面が背中越しでもよく分かった。
「そういうつもりじゃなかったんだけどなぁ。毒っちって意外と俺のこと好き?」
あたしはすぐに事務所から出て行った。西上なんて大嫌いだ!
「素直じゃねぇなぁ」
と言って西上は自分の椅子に座り直した。