8
ミッションは、結局新入りが三人残って終了したようだ。死者は、アランによって殺された初心者狩りの三人だけ。
顔を合わせてどうするべきか自分でも分かっていないうちに、ルリは雑居ビルの出入り口の一つの前で、待っている。
この出入り口から出てくるとも限らないのに、それでも待ってしまっている。
ミッション終了直後だというのに、既に辺りには人が集まり始めている。この辺りは飲食店が集まっている。早めの夕食をとろうというものが多いのだろう。
「お前か」
偶然か、それとも何らかの意図があるのか、アランはルリの待っていた出入り口に現れる。
アランの両手は血塗れで、左手にはサッカーボールを半分に割ったような肉片を掴んでいる。
「ああ、これか。顎だ」
視線に気付いて、今更それを持っていることに気がついたのか、アランはそれを差し出してくる。
「最後に引き剥がしてやったんだ。いるか?」
「いらないわよ」
「だろうな」
振り向きざま、アランは雑居ビルの中へそれを投げ込む。
しばらく、無言。
ルリもどう声をかけていいのか、いやそもそも声をかけるべきか否か、自分がどうしたいのかすら分からず、ただアランを見る。
アランは、腕を振って指についた血を飛ばすと、ルリとすれ違ってそのまま去って行こうとする。
咄嗟に振り返る。
夕日。夕日で全てが赤く染まっている。アランの後姿も。
一瞬、ルリはあの白昼夢を幻視する。ふらつく体を立て直し、両足でしっかりと踏ん張ってから、
「ねえ」
アランの背中に声をかける。
ゆっくりと顔をルリに向けて、アランは死んだ目を返す。
「どうして?」
何に対しての「どうして」なのか、訊いたルリにもはっきりしない。
「時間を気にしていた」
だが、アランは即座に答える。
「死にたそうな顔をしていたし、時間を気にしていた。だから、死ぬことが出来るイベントが迫っているんだとは見当がついた。鎌をかけた時の反応で、このミッションだということも分かった」
一歩踏み込んできたアランは、至近距離でルリを覗き込んでくる。
「死にたかったんだろう? それも復讐をして。同類だからな、俺にも分かる。標的も分かるさ。あいつだ。あの太った男。一目で分かった。当人が下劣だからこそ、周囲に絶望を振りまく馬鹿だ。そうだろう?」
「あなたは」
気圧されながら、唾を飲み込んでルリは喉を鳴らす。
「あなたは、どうして?」
今度の「どうして」は自分でも何に対してなのか分かっている。
ルリがあのミッションでマウントを刺し違えて殺そうとしていると予測できたのは分かった。だが、だからといってどうしてアランが参加して殺すのか。
「お前が死ぬ気で復讐するのなら、俺が代わりに殺したかった」
思い出す。
雑居ビルでルリの耳にもはっきりと届くくらいの大声で叫んでいたあの言葉を。
一度、ルリは目を閉じる。
まだ、消えない。あの日の、血の色の夢。これから一生、消えることはない。
それでも、もうあの男がいないのは、目の前の青年に殺され顎を千切りとられたのは、救いの一つには違いない。
それでも、今日、死ぬはずだった自分がこれからどうするべきか、生きるべきか死ぬべきか、ルリは判断がつかない。
「礼は、言わないわよ」
目を開けてそう言うルリに、アランは目を丸くする。
「礼? 馬鹿な。礼を言われる筋合いがどこにある。俺は、お前の復讐の機会と死ぬ機会を奪った仇だ。いいぞ、殺しにかかっても。返り討ちだがな」
死人の目をした青年は、そこで笑う。陰鬱な笑みだ。
「嫉妬だ。俺が復讐も果たせず、死ねず生きているというのに、他の奴がそれを果たすのは堪らない」
まるで、子どもだ。
けれど、よく分かる。最初に会った時に、どうして自分がアランを助けたのか、ルリには今更分かった。
臭いで同じだと分かっていたのだ。同類相憐れむ。
「あなたは、誰に復讐を?」
アランの太い指が、コートの内側に差し込まれ、一枚の写真をつかみ出す。
仲のいい少年少女が写っている、あの写真だ。
「俺の幼馴染だ。この五人を殺すために、俺はここに来た。この五人を殺すために、俺は生きている」
写真を仕舞うと、アランは再び歩き出す。
もう、アランを止める言葉はない。ルリは黙って見送る。いや、見送ろうとした。
「自分一人で、その五人を捜すつもり? 新入りがそう簡単に人探しできるようなところじゃないわよ」
勝手に、ルリの口が動いていた。
「どう、協力しない? あたしはあなたの人探しに協力する。その代わり、あなたはあたしが生活できるだけのポイントを報酬として支払う」
本当は、そんなことはどうでもいい。
ただ、ルリには見てみたかった。自分が復讐の機会を永遠に失ったのならば、目の前の同類が、その復讐を果たす姿を。
「悪くないな」
アランは足を止める。
夕日の中、アランは振り返って、その恐ろしい手を差し伸べてくる。
「それなら、信用がまず第一だ。握手できるか、この俺と?」
「あなたこそ、大丈夫なの? あたしの肘には、爆弾が埋まってるのよ」
言いながらルリは近づき、アランの手をとる。
そうして握手をかわす。
アランの手は重く、硬く、まるで金属でできているかのようだった。
一つだけ、喜ばしいことがある。
ルリは気付く。
あの過去は消えず、白昼夢は一生見続けることになるだろう。夕日の、血の色の景色は永遠に忌まわしいものに変わりない。
けれどそれでも、自分にとって夕日は別の意味も持つことになった。
姉が嬲り殺された忌まわしい思い出の象徴であると同時に。
「どうした、俺の顔をじっと見て」
「別に」
この妙な、死人の目をした復讐鬼との契約の象徴にもなったのだ。