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パクサルム【未完】  作者: 片里鴎(カタザト)
オールド・カフェ
14/20

 ガラス張りの対面だった。

 おそらくは強化ガラス、分厚いその内部にワイヤーが張り巡らされており、さらにフィルムまで張られている。

 銃弾は通さない。フォークス粒子、レーザー兵器ならば通すかもしれないが、フォークス粒子兵器やレーザー兵器は未だに隠して持ち運びできるまでに小型化はされていないはずだ。いくつかの大きな技術的な壁を越えなければこれ以上の小型化は不可能だとルリは何かで読んだ気がする。

 つまり、このガラスの向こうにいる限り、大抵は完全な安全が保証されているわけだ。


 そして、ルリはガラスを通して、向こうに立つ女を観察する。

 エリート然とした若い女、少なくとも見た目は若い女だ。黒いスーツと黒髪、黒い目。そして真っ白いシャツ。

 何となく、潔癖症なのではないかと思わせる冷たく鋭い美しい女役人。


「そちらがあなたのアシスタントですか? 119103337232」

 いきなり数字の羅列を言い出した女に驚くが、すぐにルリにもID番号を言ったのだと分かる。


「そちらで調べれば、事前に分かったことじゃあないのか? 俺はあんたと携帯端末で話す直前にも、こいつと狭い部屋で話してたんだ。記録を見れば一目瞭然だろう」


 面倒そうに言い捨てて、アランは壁に体重を預ける。


「わざわざ新入りの俺を呼び出したくらいだ。俺の最初のミッションについても把握しているんだろう?」


「ええ。あのミッションの記録を使い、あなたを分析させてもらいました。結論としては、無改造の腕自慢といったところです。本物の兵士、あるいは改造を受けた中堅以上のポーンには通用しない」


「なるほど」


 怒りも動揺もしない。アランはただ頷く。


「そして、今回のミッションで我々が求めている戦力は、少なくとも中堅ポーン以上。つまり、その時点であなたは不合格です。しかし、そもそも先のミッションでは判断材料が少なすぎる。分析結果は正確ではありません」


「だから、口頭試問か。いいさ、それで、何を答えればいい?」


「それではまず、あなたの実績を教えてください」


 それはつまり、パクサルムに来るまでのアランの経歴ということだ。ルリとしても興味がある。喉が鳴りそうになるのを抑える。


「把握していないのか?」


 だが、質問に答えず、アランは冷淡に質問を返す。


「どういう意味ですか?」


 オリガも怒りはせず、同じくらいに冷淡に返す。表情一つ変えない。


「いや、リパブリックとしては、当然パクサルムに入ろうとする人間の身元くらい押さえているものだと思っていた」


「不可能ですよ。あなたは我々を過大評価しています。パクサルムの外において、リパブリックはようやく支配体制を確立したばかり。未だにリパブリックの支配の及ばないエリアは多く、また体制確立前の情報など無いに等しい。もちろん、ポーンの経歴はパクサルムへの移住希望の時点で調査しますが、正確で詳細な情報など望むべくもないのが現状です」


「そうか」


 少し考えるようにアランは左上を睨みつけてから、


「戦歴はない。悪いが、実戦と言えるものは前回のミッションが始めてだ」


 そんな、明らかな嘘を言う。


 攻撃への躊躇の無さ。

 敵の殺害が必要不可欠ではないミッションで三人を殺害した異常性。


 実際に戦場を彷徨ったかどうかは別にして、明らかに死線を何度もくぐった人間としかルリにも思えない。


「そうですか」


 だが、オリガは冷たくアランを見て、


「それでは、実績ではなく、経歴を教えてください。出身はどこか、どのようにしてパクサルムに至ったか」


「出身は日本だ」


 やはり、とルリは納得する。

 同じか。見た目からしてアジア系だとは思っていたが、それ以上にちょっとした振るまいや表情などにどこかひっかかるものを感じていた。

 同じ日本人か。

 納得はしたが、ルリは特に親近感などは感じない。そんなものを感じる部分は、そんな心の柔らかい部分は壊死してしまっている。


「そのまま日本で育ち、理由があってパクサルムに来た。それだけだ」


「日本は島国がゆえに、第三次世界大戦で被害が最小限だった国の一つ、そして数少ない、現在でも戦前と同じ意味で国として動いている先進国です。そこで育った割には、共通言語がお上手ですね」


 それはルリも思っていた。日本で生まれ育ち、それゆえ世界を彷徨う必要がなかったルリは共通言語をほとんど習得せずにパクサルムに来た。いかに簡単な言語とはいえ、来て半年の間は言葉で不自由したものだ。

 だが、新入りかつ日本で生まれ育ったにしては、アランは共通言語がうまい。いや、ただ共通言語のスキルが高い日本人ならばそこまで珍しくないかもしれない。だが。


「それに、訛りもほとんどない」


 そう、日本人にありがちな、そしてルリも自覚している日本語訛りがアランの共通言語にはない。


「何が言いたい?」


「日本出身なのは本当でしょう。ただ、ずっとそこで育ったとは思えません。どこか、共通言語が日常的に使われる場所でそれなりの時間を過ごしたはずです」


「ほう」


 いつの間にか、アランの死人じみた目は見開かれ、空洞のような目がガラスの向こうのオリガを飲み込もうとしているかのようだった。

 一方のオリガも、突き刺すような視線で見返している。


「事実を語る気はない、ということですか?」


「あんたなら、力づくで俺を喋らせることもできるはずだ。所詮、ポーンは飼い犬だ。買主に生殺与奪は握られている。そうするか?」


 無言。

 にらみ合いの末。


「いえ、やめておきましょう。ポーンにも思想の自由は保障されています」


「建前上は、そうだったな」


「建前が全てです」


 背筋を伸ばして言い切ると、


「それでは、次の質問に移らせていただきます。これより、あなたが参加希望しているミッションについて、詳しく説明させていただきます。その上で、あなたはミッションにおいてどのように動き、ミッション達成に貢献するつもりなのかを答えてください」


 まるきり、口頭でのテストだ。


「とは言うものの、どこから話せばいいのか。三合会については説明はいりませんね? 現時点で、リパブリックに属していない支配組織の中でも最大レベルの一つです。かつて中華人民共和国と呼ばれていたエリアの三分の一を支配しています。元々が組織なだけあって、現在も犯罪的な行為、特に麻薬の生産と販売によって資金を得ています。世界が新たなる秩序の元に再生していこうとしている中、明らかに三合会は世界の敵としての色を強めています」


 大衆の前で演説するかのように、オリガはすらすらと言葉を並べていく。

 その目は、もはやアランではなく、幻想の大衆を見ている。


 それを言うなら、最初の一瞥以降、オリガはルリを完全に無視している。意識してそうしているのではなくて、本当に意識の外にあるのだろう。空気のような存在なのだ。

 別に、それに腹を立てるような精神をルリは持っていない。

 持っていないが。


「今回立案された作戦は、その三合会が持っている麻薬工場のうちの一つの壊滅です。三合会が『北』へ進出する足がかりとしている工場で、それなりの兵力での警備が予想されます」


 エリート然とした、何が起こっても汗一つかきそうにもないこの女。

 ガラスの向こうの安全地帯から、こちらを意識もしない女。

 ルリの脳裏に血の色の光景が蘇る。自分に降りかかったあの痛みを、外から同情し、批評してきた者達。親身になろうとしながらも、引かれていたはっきりとした線。あの時も怒りはしなかった。立場が違えば、姉も自分も何の疑問もなくそちら側にいただろうから。

 ただ、思ったのだ。


「そこで、ポーンを使用して警備体制を混乱、弱体化させます。その後に、リパブリックの正規軍による一斉攻撃で工場を破壊。ポーンに期待するのは、警戒されずに工場に接近してからの破壊活動、それによる敵兵の混乱です」


 もしも、こちら側に来たなら、彼らはどんな顔をするのだろうと。

 今、それと同じ気分をルリは味わっている。

 ガラス。通常の兵器では何ともならないだろう。だが、例えば至近距離で肘に埋め込んだ爆薬を爆発させたらどうなる?


「つまりポーンを大人数使うわけには行きません。少数精鋭が基本です。そして現場を混乱させつつ、敵兵力を削ることのできる技量も必要です。先ほど申しましたように、三合会にとって重要な場所です。おそらく、警備兵力は相当のものとなっています」


 肘を叩きつけるようにして、ガラスに向かって爆発させる。

 ルリは当然として、アランも死ぬだろう。ガラスの向こうのオリガにはかすり傷ひとつつかないかもしれない。

 けれど、驚き、表情を崩し、怯えはするかもしれない。

 その様子は、少し見てみたい。自分達を空気か何かだと思っているこの鉄面皮の女に、何か。


「そこで、それなり以上の力の持ち主だけを参加させるつもりです。その状況下で、果たしてあなたはどのような役割を、と、失礼」


 言葉を止めて、オリガは初めてルリを真っ直ぐ睨むように見つめる。


「これはこれは。愛玩動物を飼ってらっしゃるのかと思っていましたが。恐ろしいアシスタントですね」


 不穏な考えを読まれたのか。

 そう分かっても、ルリに動揺は特にない。ただ、少し意外だっただけだ。こちらを気にしていないように見えて、この女は隅々にまで気を配っているらしい。そういう抜け目のなさもエリートとして必要なのだろう。


「自爆テロに失敗した少年のポーンと会ったことがあります。ちょうど、同じような目をしていました。自分の命も含め全てがどうでもいいという精神状態だから、思いついたことを試したくて仕方が無くなる。あなたもそうでしょう?」


「そうかも」


 素直にルリは答える。


「なるほど。分かりました。ミッションではお願いします」


 突然、くるりとオリガは背を向ける。その背筋は相変わらず鉄線でも入っているかのように真っ直ぐ伸びている。


「そうか」


「えっ、どうして?」


 簡単に納得するアランと、自分のことでないのに驚いて前のめりになるルリ。


「そんな目をする人間をアシスタントとして使えるのならば、腕はどうあれ、器量はそれなりにあるのでしょう。甘い見通しや冗談半分、自殺志願でこのミッションに参加希望したのではないと分かりました。それで充分です」


 そのまま、オリガは硬い靴音を響かせてガラスの向こう、退出していく。

 振り返ることもなく、それ以上の問答を背中で拒否したまま。


 やはり、あの女が崩れるところを少し見てみたい気がする。

 そう、ルリはぼんやりと思った。

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