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「犯罪組織を裏切って命を狙われる身の上のくせに、オープンテラスで優雅にお茶か。豪気なものだな」
テラスに座っているタイロンに声をかけてきたものがいる。
タイロンは三十代。中肉中背の目立たない男だが、肌が白く滑らかで、目が鋭い。真っ黒い艶やかな髪をオールバックにしている。
コーヒーを片手に、椅子に深く腰掛け、携帯端末の画面をチェックしていた。
タイロンがいる喫茶店は決して洒落たものではない。コーヒーを飲めればいい連中向けの簡単なもので、テラスというより、正確には狭い屋内に並びきれない椅子とテーブルを外にも並べただけ、といった風情だ。
店内も椅子もテーブルも、そしてテラス席から見える景色、同じようなごみごみとした店が連なっている光景も、全てが薄汚れている。
バンリューと中流層が住むファイブというエリアの中間点に位置する、道路脇にある喫茶店だ。ポイントを持っていないファイブの住民や、背伸びをしたいバンリューの住民がコーヒーを飲みつつ時間を潰すためにある店。店名は1175。営業登録番号がそのまま店名になっている。こういう店名の付け方は、パクサルムでは多い。特に、バンリューでは。
声をかけられ、タイロンはゆっくりと視線を上げる。
顔見知りの男だった。
サイズが合っておらずだぶついた無地の黒い上下という格好だが、タイロンはそれが男の鍛え上げられた肉体を隠すためのものだと知っている。
男は浅黒い肌をして髪はきっちりと七三に分けられており、銀縁の眼鏡をしている。
恰幅のいい、休日のサラリーマン、それも中間管理職といった風貌だ。
「ハイシェアか」
もう長い付き合いになるその男の名を呼ぶ。
ハイシェアはにこにこと笑いながら、許可も得ずに向かいに座る。
「そろそろ、俺に殺されてくれてもいいんじゃないか?」
「ここでは、ミッション以外で殺し殺されは厳禁だ。互いに敵対するようなミッションに当たればいいな」
「しらじらしいことを。お前はそういうミッションには全然参加しないじゃないか」
「ああ。お前と殺し合いたくない。俺だって命は惜しい」
タイロンは携帯端末を収めると、店の隅でタバコをふかしている店員に向かって手を挙げる。
「お前も何か頼め」
「俺かい? そうだねえ、それじゃあ、コーヒーで」
近寄ってきた店員はそう告げられると、面倒そうに頷いて咥えタバコのまま店の奥にいく。
「それで、ハイシェア。何の用だ? 世間話をするためにわざわざここまで来たのか?」
「そんなに暇じゃないよ。というか、用件の予想くらいついてるでしょ? 例のミッションの話だよ」
「ふん」
目を細めたタイロンの顔は爬虫類めいている。
「参加するな、とでも言いたいのか? お前でも古巣は気になるか?」
「古巣じゃなくて、今も所属してるつもりなんだけどなあ、俺は」
「見上げた忠犬だ」
コーヒーが歪なカップに入れて運ばれてくる。カップにはチープな手のひらのマークが描かれている。ストロークのシンボルマークだ。
受け取ったハイシェアはそれを口に含んで顔をしかめて、
「俺は参加するな、なんて言うつもりはないよ。言ったところで何の意味もないしね。ただ、お前が参加するのかどうか、それを聞いておきたかったんだ」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃ」
困ったように笑うと、ハイシェアはますますただの中年男のように見える。
「お前がこのミッションを受けると、向こうはやっきになってお前を殺そうとしてくるぞ。正直、俺以外にお前を殺されるのは困るんだよな。俺の失敗になるから」
「悪いな」
既にカップを空にしていたタイロンは立ち上がり、店員へと向かいながら振り向かず続ける。
「俺は受ける」
店員はやってきたタイロンにレシーバーをかざし、料金清算を済ませる。コーヒー代の5ポイント程度がタイロンの所持ポイントから引かれることになる。
そうして去っていくタイロンの姿を、ハイシェアはじっと見送る。
コーヒーをもう一口飲んで、いかにもまずそうに顔をしかめる。
「忠犬はどっちなんだろうねえ」
嫌々でしょうがない顔をしながら、それでもハイシェアはコーヒーを全て飲み干す。
「それにしても」
空のカップをテーブルに置いて、ハイシェアはふるふると頭を振る。
「パクサルムに来てから、うまいコーヒーが一度も飲めないな」




