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[九]薄幸の美少年の性癖が、慎み深いとは限らない

「いてまうぞコラ!」

 雄たけびをあげつつ、まだら髪男が襲いかかってきた。

 僕は大ぶりな右ストレートをかいくぐって、投げ飛ばす。

「せやっ」

 もんどり打つ、まだら髪野郎。でも河原の雑草がクッション代わりとなり、決定打には至らない。

 ヒットアンドアウェイ戦法で、僕は一定の間合いを保った。

「まだまだぁ」

 やつが再び闘志を燃やし、殴りかかってくる。

 僕は危なげない体さばきで、カウンターの投げ技一閃。

 彼は水たまりに背面飛びこみしつつも、歯を食いしばって起き上がった。


【僕】ジャグリングのごとく、最小の動作で敵を投擲。

【まだら髪男】幾たび宙を舞おうと、往生際悪く立ち向かう。


 延々このローテーションだ。

 アクションスタントの撮影とでも思ったのか、途中からカッパ着用児童が数名集まって観戦した。

「腕からレーザービーム打って~」

 先鋭的なオーダーだ。僕にウルトラ戦士的能力があったなら、毎日汗水たらして鍛錬にいそしむこともなかろうに。

 やがて体中泥だらけになったまだら髪男子が、「ちきしょー。覚えてやがれ、〈B〉」というありきたりな三下捨てゼリフとともに、立ち去った。

「あーあ、もうおしまいか。いまいちなヒーローショーだったな」

 見ものがなくなったからか、小さな見物客たちがめいめい帰っていく。

 河川敷には僕と被害者の男子だけが居残った。

「ぬれネズミになりたくないし、橋の下へ行きませんか」

「そうだね」

 案を提示すると、彼は従った。言い出しっぺなので僕が先導する。

 橋脚の横を抜けると、地面が乾いていた。霧雨も届かない。

 雨風をしのぐ橋のたもと、か。この景色──デジャヴだ。

 せいぜい半年ちょっとしか経過してないもんな。

 小太郎(仮)は達者に暮らしているだろうか。

 野良としてたくましく生活してるか、親切な引き取り手が現れたら万々歳なんだが。

 いいや。生きててくれさえすれば、御の字かもな。


♯ ♯ ♯ ♯ ♯


 僕が高一の初秋、ダンボールで置き去りにされた子猫を一匹発見した。

 僕んちは一軒家でペット禁止じゃないが、飼えない。母が猫アレルギーなので。

 最終手段で僕は河川敷の橋の下へ、ダンボール箱ごと運んだ。

 呼び名がないと何かと不便に違いないと思い立ち、暫定で名づけることに。

 毛並みのよさに加え、脇腹にクナイみたいな模様があったので、忍者『風魔小太郎』にちなんで『小太郎(仮)』と命名した。

 少々安易だったかもしれない。

 けれどもなついてくれた、と思う。

 クラブ活動終了後などに足しげく通って、餌をあげる。

 河原で遊んだりもした。猫だけに猫じゃらしに目がなく、ヒートアップするうち手の甲を爪で引っかかれたこともままある。

 あと肉球をぷにぷにするのも不評だった。ほっこり癒やされるのに。

 おかげで生傷が絶えなかったよ。けど原っぱを縦横無尽に駆け回る小太郎(仮)を見ていると、エネルギーを分けてもらえる気がした。

 さりとて世知辛い世のことわりか、心温まる時間は長続きしない。

 急遽別離が訪れる。

 猫を拾って一ヵ月が経とうとしていたころ、小太郎(仮)は忽然と姿を消した。

 忍び然と雲隠れでもしたのかと思い、河川敷一帯を隈なく捜索したものの、足取りさえつかめやしない。

 飼い猫じゃないし、張り紙で情報提供を呼びかけるわけにもいかず、地道に探し回ったところで、砂漠の中から一本の針を見つけだすにも等しい難題。

 断念するしかなかった。

 その後、小太郎(仮)がどうなったのか僕は知らない。


♯ ♯ ♯ ♯ ♯


「とりなしてくれて、どうもありがとう。おれは三年の堂嶋(どうじま)潤一(じゅんいち)

 僕が感傷に浸ってると、被害者男子から自己紹介された。

 言われてみりゃ、ネクタイの色が濃紺(二年生は赤ストライプ)だ。

 さらさらの無造作ヘア、目鼻立ちも整っており、あごのラインがシャープ。眉目秀麗だ。そして背が高い。百八十センチは優に越えているだろう。

 外見は非の打ち所がない。けどパッと見、幸薄そうな印象だ。

「先輩でしたか。僕は二年の天城巡です」

「天城、くん……なるほど、君が」

 堂嶋先輩が石段に腰かけた。

「僕をご存知なんですか」

 僕も一人分スペースを空けて、隣に座る。

「ああ、何かと有名人だしね」

 言葉を濁したけど、悪名高いってことだろう。

 あるいは『天城あやめの弟』というお決まりのパターンか。

「参考までに聞かせてください。一悶着は何が発端だったんですか」

 堂嶋先輩が苦笑いしつつ、頭をかく。

「取るに足らないことさ」

「民族間の紛争だって、案外瑣末なすれ違いで勃発しますしね」

「言い得て妙だね。お恥ずかしい限りだけど、おれたちのは価値観の相違に基づく不和、ってやつかな」

「仮面夫婦の離婚原因みたいだ」

「違いない」堂嶋先輩は相好を崩す。「彼とはクラスメイトでね。偶然帰り道で出くわしたんだ。お察しの通り、気心の知れた仲ってわけじゃあない。彼がどうも、なんとかってグループに属しているらしく、勧誘されたんだよ」

 涙ぐましい徒労だな。

 そんなことをいくらしたって、姉がなびくはずないのに。

「〈ASEAN〉ですね」

「えっ。彼、東南アジア諸国連合の関係者なのかい」

 すかさず僕は手を振る。

「まさか。知らなくてもいい情報なんで、聞き流してください」

 どうやら先輩、〈ASEAN〉に我関せずらしい。

 んーと。でも姉経由でないとすれば、僕をいつどこで知ったのだろう。

「そうかい。話を戻すと、彼が熱心に語るんだ。胸の大きな女性が、いかに魅力的か」

 頭痛がするな。

 男子トイレとかならまだしも、公衆の面前で熱いパイオツ談義など。『正気の沙汰か』と思われたっておかしくない。

「おれも適当に相づちを打ってたんだけど、あまりのしつこさにうんざりしちゃってね。思わず『現時点でどれほどさえ渡るプロポーションでも、十年二十年すれば見る影もなく朽ち果てるだろう』と言ってしまったんだ。おまけに『胸だって同じこと。年老いれば、ふくよかな乳房ほど醜悪に垂れ下がる』とも」

 僕はかすかなわだかまりを覚えた。

 先輩はあくまで一般論として述べたのであって、あやめ姉さん個人をやり玉に上げてはいないのかもしれない。

 だとしてもナイスバディの姉を嘲弄されたみたいで、胸くそ悪かった。

 僕は早まったのだろうか。

〈ASEAN〉のまだら髪男も同じ心境で食ってかかったのだとしたら、僕は思い違いで彼を排除したことになる。

『人は見かけによらない』ってことか。

 かといって暴力による相手の意向の封殺が、正当化されるわけではないけど。

『ケンカ両成敗』が妥当だったかも。

「どうしたんだい。なんだか難しい顔だけど」

「気にしないでください。腹の調子が悪いだけなんで」

 本当は虫の居所が悪いのだが、本心を告げたところで無意味だし。

「うん。おれだって彼のフェティシズムをこき下ろすつもりなど毛頭なかったんだけど、こと〝美〟については一家言あるものだから、売り言葉に買い言葉になってしまったんだ。これでもおれは、しがない美術部員でね。専門は彫刻さ」

 文化部所属だったか。道理で上背の割に、細身だと思った。

「おれの掲げるアートテーマは『不朽の美しさ』なんだよ」

「不朽の美しさ?」

 耳なじみのない言葉だったので、僕はオウム返しした。

「ああ。天城くん、〝ミロのヴィーナス〟を知ってるかい」

「えーと。両腕が欠損した半裸婦の彫像、ですよね」

「正解。君はどう思う?」

「どうって漠然と言われても、『すごい』としか答えようがないっていうか」

 僕の回答が琴線に触れたのか、堂嶋先輩が座ったままにじり寄ってきた。

「だろう。あれこそ永久不滅の美だよ。どれだけの年月が流れても、決して衰えることがない。むしろ歳月とともに洗練されていく。まさしく究極だ!」

 彼は爛々と瞳を輝かせた。

 ざっくばらんな感想として、気味が悪い。何かに取り憑かれているみたいだ。

「芸術に携わる者として、一生涯を捧げるに値するプロジェクトさ」

「一生って、サグラダ・ファミリアでもあるまいし」

「てっきりアートに造詣はないものと思っていたけど、存外教養があるんだね」

 先輩がひざを打った。

『見下されている』と感じるのは、僕がへそ曲がりゆえだろうか。

「彫刻と建築。ジャンルこそ違えど、根源は同一だとおれは考える。より良きもの、より美しいものを創造しようとする気概は、垣根さえも超越するんだ。そうやって昇華された至高の造形物は、芸術的素養のない大衆の心を啓蒙し、作者は死してなお永遠に名を刻みつける。レオナルド・ダ・ヴィンチしかり、アントニオ・ガウディしかり」

 大風呂敷を広げすぎだろう。この人、麻薬か覚醒剤でもキめているのか。

『アーティスト』って大なり小なり、常人離れしているのかもしれない。

 少なくとも僕は『永遠』なんて、耳当たりのいいお題目だと思っている。

 形あるもの、いつかは壊れる。うつろいゆき失われてしまうからこそ、一瞬一瞬をかけがえのないものと認識できるんじゃないかな。

 ただし先輩に面と向かって異論を唱えた日には、何が起きるか予測不能だ。

 事なかれ主義にのっとり、合いの手でも入れておくか。

「大元が一緒って突き詰めてしまえば、万物に当てはまりますよね。人種や国家で細分化されている僕たち人類だって、起源はお猿さんでしょうし」

「稚拙な感は否めないが、君も真理の探求者だったんだな。それだけに心苦しい。たもとを分かつ運命になろうとは、ね。神も酷な試練をお与えになる。君とは別の形で相まみえたかったよ」

 力作ポエムですか?

 単に「刻限だからそろそろ帰らねば」とでも言えばいいだろうに。

 堂嶋先輩は立って、スラックスの尻部分を手で払う。

「今日は対話ができて有意義だった。先においとまするよ。さよなら、天城巡くん」

「さようなら、堂嶋先輩」

 先輩は肩越しに手を挙げたまま、雨でけぶるもやの中へ消えていった。

 独特で得体が知れない人だったな。芸術が絡むと、スイッチオンになったみたいに人が変わるんだもの。

 一点だけ、確信を持って言えることがある。

 彼とは知人以上の間柄になれないだろう、ってことだ。

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