[八]男女の相合い傘が、親睦のバロメーターとは限らない
「ぶっ殺してやんぞ、くそ弟が」
知性と品位のかけらもない恫喝を僕は一身に浴びた。
三つ巴みたいになっている、僕を含めた三名の萌校男子生徒。雨空の下、河川敷で傘もささずに互いの出方を牽制し合う。
置かれた状況を手短にまとめると、益体もない。
『興味本位があだとなった』とでも表現すればいいのか。
口惜しがっても詮ないけど。
いかにして僕が無益ないざこざへ首を突っこんだか、回想したほうがずっと建設的だ。
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
遡ること十数分前──
本日の部活は筋トレのみの早上がりだったので、僕は帰路についている。
道場は柔道部と共同で使用しており、あちらさんがメインの日なのだ。
早く帰宅できるのは喜ばしい限りなのだが、あいにくの小雨模様。お世辞にも外出日和とは言いがたい。
たとえ好天に恵まれても、僕には余暇をエンジョイする友達がいないのだけど。
うむ……我ながら不憫だな、僕。
まぁいい。僕は現在、全国の男子高校生垂涎もののシチュエーションなのだから。
すなわち美少女との〝相合い傘〟。
僕の横っちょには能登ひまわりがいる。
霧雨っぽいので傘がなくともやり過ごせるけれど(実際、能登さんは傘不所持)、折り畳みがあるという天の配剤にかこつけて──ゴホゴホッ。
いちジェントルマンとして女の子をびしょぬれにするなど忍びないので、こうして一つの傘を分かち合っている。
能登さんも嫌悪しなかったし(乗り気だったわけでもないが)、間接的同意とみなして問題なかろう。
ただし肩と肩が寄り添う密着感満点の状況でも、僕たちの間に会話らしい会話はない。でも以前に感じていたバツの悪さは薄らいだ。
人には各々のスタンスがある。和気あいあいと歓談するだけが能じゃない。
雨の中、一本の傘でお互いの息遣いを感じつつ、静かに歩く。それもまた風流だ。
──とまあ、建前はこのくらいにしておこう。
本音としては、もっと能登さんのことを知りたい。
依然彼女のATフィールドは健在だ。気後れして容易に深部へ踏みこめない。
部活動の時間をともに過ごすようになって新たに得た情報といえば、相互の関係がこれといって進展しないものばかり。
まず能登さん、飲みこみはいいほうらしい。
僕の教えを忠実に実践するうえ、いったん体で覚えたことはおいそれと忘れないようだ。技量は着実に上達している。
次に妥協をよしとしない性格、ってことが判明した。
疲労困憊であろうとも、師匠である僕へ積極果敢に技をかける。ことあるごとに手抜きしようとする後輩ども(とりわけボウズ)に、爪のあかを煎じて飲ませたい。
翻って「もうちょい柔軟でいいんじゃないか」とも思う。
だって能登さん、やたらめったら僕を新技の実験台に据えたがる傾向があるのだ。そればかりか、快楽を感じている節もある。
Sっ気たっぷりだな。近いうち僕、彼女に骨の一本や二本、折られるかも。
な~んて──
「巡」
「ひゃい」
穏やかでない憂慮をしていたものだから、唐突にしゃべりかけられて、僕は間の抜けた返事をした。
しかも能登さん目力、半端ないし。メデューサのごとく人を石化させられそうだ。
「な、なんでしょうか──じゃなくて、何かな能登さん」
「遊園地、誰と行くの?」
前置きがなさすぎて、彼女とのコミュニケートは脳みそをフル回転させねばならない。
そういや能登さん、同級生からチケット譲ってもらった折も、すごみをきかせてたっけ。好奇心旺盛、とも別次元の気がするけど。
「えと、姉と妹の三人で」
「妹がいるなんて初耳」
「だって僕の家族構成、聞かなかったじゃん。自分からべらべらしゃべるのも変でしょ。僕は自己顕示欲の権化じゃないって」
能登さんは眉根を寄せた。今にも『のど笛、噛みちぎってやんぞ』というお顔だ。
口は災いのもと、と肝に銘じなくては。
「で、妹〝も〟かわいいの?」
『も』ってことは、あやめ姉さんも『かわいい』って印象なのだろうか。
「う、うん。単純なかわいさでいえば、姉以上かもね」
「ふぅん。そして妹にも粉をかけている、と」
僕は度肝を抜かれた。発想が飛躍しすぎている。
「人聞き悪いこと言わないでくれるかな。まるで僕が姉や妹にまで触手を伸ばす女たらしみたいじゃん」
「違うの?」
「違うよ!!」
僕はあらん限りの声で否定した。
これぐらいしないと、凝り固まった誤解を拭えないと思ったのだ。
能登さんが両耳を手で押さえる。
「がなりたてなくても聞こえる」
「あっ、ごめん」
雲行きが怪しくなると、反射的に謝罪。
あや姉、ルミちゃんと過ごすうえで僕の身に染みついた処世術だ。
どうしたのだろう。視界がぼやけるぞ。
うん、雨水だ。突風で横殴りになった雨粒が、両目を湿らせたに違いない。
「分かった。『家族サービス』ってことにしておく」
能登さんは不承不承という感じで、ハンドメイドのヘッドホンを外した。
「チケットの使用期限、週末よね」
「うん。今週の日曜、です」
「あさってか。性急」
能登さんは気迫をみなぎらせて見上げてきた。
「ねぇ能登さん、なんかいらついてる、よね。僕何か君の神経、逆なでしちゃったかな」
「いらだってはいない。ただ、高校生にもなって姉妹と遊園地デート、ってのが気色悪いと思っただけ」
ぐはっ。ピンポイントの精度で急所を撃ち抜かれた気分だ。
能登さん、『ゴルゴ13』ばりの敏腕スナイパーらしい。
「でで、デートではないよ。能登さんだって『家族サービス』って言ってたじゃん。舌の根も乾かぬうちに『キショい』は、著しい手のひら返しじゃないかな」
「愚問ね。巡に合わせただけだし」
他人と足並みそろえるの、大の苦手なくせしてよく言うよ。
「あたし帰る。見送り、ここでいいから」
言い置くなり、能登さんは十字路を左折しかけた。
「能登さん」
「まだ何か」
ばっさりだ。『一刻も早く解放しろ』という不快さが、ひしひし伝わってくる。
でも、あえて空気は読まないぞ。
「忘れ物。傘ささないと、ぬれちゃうだろ」
僕は強引に折り畳み傘を持たせた。
「巡の分は?」
「この程度の降水量なら、手ぶらでも支障ない。もし降りが強くなってきたら、コンビニでビニール傘買うし」
能登さんが傘の柄をじっと見ている。
あちゃー。今のは自爆ったか。
『はなっから相合い傘なんてする必要なくね』という、からくりに気づかれかねない。
「巡は日常的にこういうこと、お姉さんにもするの」
どうやら能登さん、切り口を一変させたらしい。変幻自在なファンタジスタや。
愚昧なる僕は、ほぼ置いてけぼりだけど。
「傘を貸すか、ってこと? 梅雨の時季くらいは、やるかもしれないけど」
能登さんが『何ほざいてんの、クソ虫』という面持ちになる。
いやいや、君もおおむねイミフだからね。
「おおよそ理解した。不意打ちの思いやりとは恐れ入る。しかも無自覚にやっている分、始末におえない。今ならお姉さんの気苦労、共感できるかも」
何やら呪文を唱えたかと思いきや、能登さんは転進して家路についた。
今日も今日とて不思議ちゃんだったな、彼女。
というか妹しかり能登さんしかり、近ごろ僕は一本取られてばかりの気がする。
女難の相があるとしたら、どこでお祓いすればいいのだろうか。
僕はリュックサックを即席の雨傘代わりにして、小走りになった。
一路、自宅を目指す。
その途上、河川敷に差しかかったところで喧騒を耳にした。
「なめてんのか、てめえ。もういっぺん言ってみやがれ」
雨天決行で言い争いとは、威勢のいいやつらだ。どうせなら延期すりゃいいのに。
僕はなにげなく川べりに目線を落とす。
なおさら憂鬱になった。二人の男子がもめており、両方萌黄高校の生徒だったのだ。
先刻射抜かれた能登さんの皮肉じゃないけれど、高校生にもなって河原でギャンギャンいさかいすんなよ。
ただ学校が一緒ってのも何かの縁だし、対岸の火事とはいかないか。
僕は坂道を軽快に駆け下りる。
「青春の無駄遣い、お疲れ様です」
風刺をきかせてやった。機知に富んでなかったかもしれないが。
「あん、なんだ貴様」
定期的に髪染めしてないのか、茶色と黒がまだらになった髪型の男子が吠える。こいつが、もう一人のブレザーの襟を締めあげていた。
当の被害者は身がすくんでいるのか、されるがままで一言も述べない。
「名乗るほどの者じゃない。何が原因か知らんが、加害者おたくって図式でオーケーか。なんなら僕がその人の代理で、正当防衛してやってもいいけど」
女傑どもにやりこめられる一方で、鬱憤たまっているしな。
憂さ晴らしのガス抜き──ではなく、僕の中に息づく義侠心が訴えかける。
悪・即・斬。愛と勇気だけが友達、と。
「おめえその面、忘れもしねぇ。〈B〉だな」
おんや、初対面じゃなかったか。
と思ったらこのまだら髪男、〈ASEAN〉の構成員じゃございませんか。
「ここで会ったが百年目。ぶっ殺してやんぞ、くそ弟が」
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
追憶のかなたから帰還すると、まだら髪男が害意をみなぎらせていた。
僕へと矛先を定め、一対一がご所望らしい。
こっちとしても好都合だ。誰かをかばいながらでなく、純粋な決闘ならば、常日ごろの闇討ちと似たり寄ったりだし。
「いいぜ。心ゆくまでやろう」
僕のたきつけで、誰一人得しない消耗戦の火ぶたが切られた。




