[七]怒髪天をつくのが、トラブルの当事者オンリーとは限らない
天災と棚からぼたもちは、忘れたころにやってくる。
お昼休憩で僕が悶々と姉との関係修繕策を練っていると、
「誰かー、遊園地好きなやついねぇか。ペア一組、二名様だぞ」
二年二組の教室前方にある教卓で、同級生の男子がチケットをはためかせた。
「なんだよ、行く相手いないのか。わびしいやつ」
提案者に向かって野次が飛ぶ。
「ちっげーよ。今週の日曜限定チケットで、陸上部の合宿とバッティングしてんだって。予定がなけりゃ、彼女の一人や二人連れていくなんて、どうってことねぇ」
陸上部の男子は教卓をたたいて強弁した。
ふぅむ。今週の日曜日、ね。降って湧いたにしちゃ、利用価値ありそう。
ただ、エア彼女は一人にしておくべきだった。
身の丈にそぐわぬ二股にしたおかげで、「こけおどし乙」ってしっぺ返しをもらう羽目になるのだから。
「コケにしやがって。とんだ厄日だ。善意で申し出たのによ」
陸上部の彼が尻尾を巻いて引っこもうとした。
「はい」
僕は折り目正しく挙手した。
「〈B〉おまえ、立候補するのか」
「オフコース。ぜひ僕に譲ってくれたまえ」
「やってもいいが、おまえにも同行相手なんかいねぇだろ」
「ちっちっち。『誰と行くか』なんて些細なことさ。ペアチケットだからって、カップルでなければならぬ、などという条例はない。金券ショップって奥の手もあるしね」
僕は指をメトロノームのごとく振った。
「おまえもお一人様じゃん」
「うわぁ、金目当てかよ。あざとい」
「ずる賢いというか、ゲスの極みって感じ」
クラスの連中が僕のポジティブシンキングをへし折った。
おまえらだって腹黒いくせに。どうせスローガンは『リア充爆発しろ』だろ。
そのとき視界の端に能登さんを捕捉した。文庫本を置き、僕を凝視する。
ふと思う。能登さんとペアで行けたら、どんなに誇らしいだろう、と。
人もうらやむ美女を伴う平凡な僕。バカップルの男は能登さんを二度見して、恋人から耳をつねられるに違いない。
ざまあみろ。日ごろ誰得の熱愛(有害)を、ところ構わず見せつける罰だ。
おっと、架空の優越感に浸るのは別の機会にしないと。
僕が遊園地へ連れていきたい女の子は、能登さんじゃないのだ。
「言葉のあやだよ。売りはしないって。せっかくのチケット、ドブに捨てるよりかは幾分マシだろ。おまえの意志を継いで、僕が乗り物満喫してくるから」
陸上部の男子が数秒思案したのち、手招きした。
落ちたな。僕の策略が功を奏したらしい。
彼のもとまで歩むと、肩を組まれて教室の隅まで連行される。
「譲ってやる代わり、交換条件な」
「えー、タダじゃねえの。僕で融通きかせられる範囲にしてくれよ」
陸上部男子はのどの調子を整えるべく、せきをした。そして声を潜める。
「〈GHQ〉さんのセクシーグラビア写真だ。なるたけ際どいやつ、希望な。弟のおまえなら調達なんて楽勝だろ」
彼もあやめ姉さんの虜なのか。
で、注文は過激ショットときた。僕が欲しいくらいだ。
おっ。悪知恵、閃いたぞ。
「リクエストを承るよ。胸とお尻、どっちがいい」
「え、エンジェルバストで」
鼻息荒くなってやがる。スケベなやつめ。
僕もとやかく言えないけどね。『人のふり見て我がふり直せ』だ。
「OK牧場。胸の谷間、どアップの秘蔵写メがあるんだ。メールで送付するけど、ネットに流出させんなよ」
僕の〝曲げたひじの内側〟を激写した、とっておきだけどな。
「そんなヘマしねえって。持つべきものは友だな。恩に着るぜ」
陸上部の男子はほくほく顔で、入場券を僕のカッターシャツのポッケに差しこんだ。
「それはこっちのセリフだよ、兄弟。毎度あり」
僕は笑いを噛み殺しつつ、まんまと関係修復ツールを入手した。席へと戻る。
歩行するや、能登さんと視線が交差した。
つーか、ものっそい威圧してくる。僕何か、地雷踏んだかな。
部活の最中にでも、それとなく探りを入れてみるか。
心機一転。
僕は席に着いて、『あや姉ゴマすり作戦』の立案に専念した。
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
僕は戸板の前に立ち、深呼吸した。
木製ドアプレートには『あやめ&ルミ』の切り文字。
腹をくくってノックする。
「あやめ姉さん、ちょっと話せるかな」
返事がない。ただの屍のようだ──じゃなくって、本当に合いの手さえなかった。
聞く耳すら持ってもらえないのか。僕、とことん忌避されてるな。
『ほら、お姉ちゃん。来たよ。めぐ兄に土下座させる、またとないチャンスじゃん』
扉越しでルミちゃんが不穏な発言をしている。
僕、家族に平身低頭しないといけないのか。
足音が迫ってきたと思いきや、勢いよくドアが開いた。
野生の勘が働き、とっさに僕はバックステップする。
間一髪、離脱成功。危うく戸板ビンタの餌食になるところだった。
「ちっ。憎たらしいくらい鋭敏な反射神経」
ルミちゃんは舌を鳴らして登場し、後ろ手で扉を閉める。
僕をKOさせる気満々だったらしい。えげつないマイシスターだ。
ピンクの半袖パーカーにショートパンツ、裸足で仁王立ちするルミちゃん。
「どの面下げて来たのかなぁ、お兄ちゃん」
表情はきっと笑顔にカテゴライズされるのだろう。されどつぶらな瞳が毛ほども笑っていらっしゃらない。
つーか何、この迫力。超おっかないんですけど。
「いや、あや姉と積もる話がしたくて」
「お姉ちゃん、取りこみ中だし。ってかしょぼくれてて、『めーくんに合わせる顔がない』だってさ。なんでこんなことになってるか、賢明なお兄さまなら先刻承知だよね」
毒針のごとく胸に突き刺さる。
「の、能登さんから、一喝されたのが心理的負荷だったのだと、す、推察します」
ルミちゃんに気圧されてどもる僕。惨めだ。
全国津々浦々、強腰な妹を持つ兄であれば僕の逆境に同調してくれるに違いない。
「う~わっ。言うに事欠いて女の子に罪なすりつけるとか、サイッテー」
ルミちゃんが目をすがめた。
「も、申し訳ないです。考えなし、というか当てずっぽうでした」
僕は妹に敬語で平謝りした。
もはや無礼講どころか、どう見ても僕はヒエラルキーの下位に属している。
……今に始まったことじゃないか。
「じゃあめぐ兄は誰が悪いと思う?」
「僕です、よね」
ルミちゃんがため息をつく。
「ギリギリ及第点。でも理由は想像つかないんでしょ」
「面目次第もございません」
「最初から知ったかぶりしなければ、ルミだってキレないのに。そ~だな、手っ取り早く表現すると」
ルミちゃんが言葉を吟味する。
「お姉ちゃん、傷心してふさぎこんでるの」
「そんなの分かってるよ。僕が何をして姉さんを悲しませたか、知りたいんだ」
「もぉ~、バカなの死ぬの。救いがたい鈍感。めぐ兄が『能登・女狐・ひまわり』と心の奥底で通じ合っていると早合点したお姉ちゃんは、恋が実らな──」
姉妹の共同部屋のドアから轟音が鳴った。バズーカの発射音みたいな。
ルミちゃんが扉を開け、室内の様子を視認する。足元に低反発枕が落ちていた。
「お姉、びっくりするじゃん。ってゆーか、どんだけのスイングで投げつけたわけ」
「ルミの口が軽いものですから、つい火事場のバカ力が」
顔は表さないけどあやめ姉さま、お冠のご様子だ。
「はいはい。オブラートに包めばいいんでしょ。まどろっこしいけど、ルミもドアが大破した生活なんてまっぴらだし。めぐ兄、うちらの私生活のぞき放題じゃん」
ルミちゃんはそっとドアを閉じて、僕を白い目で見た。
妹は僕を引き合いに出さないと気が済まないようだ。
のぞきなんてしないよ……たぶん。
「ルミとしてはお姉ちゃんも極端ってか、短絡的だと思うけどね。でもさ、めぐ兄。まだルミたちに隠しごとしてるでしょう」
「僕が内緒にしてることなんて、皆目見当つかないな」
「へー、空とぼけるんだ。ルミを無知蒙昧な女子中学生と侮ったら痛い目見るよ、〈B〉お兄ちゃん」
僕は茫然自失になった。
「ポンコツめぐ兄にはおあつらえ向きのニックネームだけどね。うちのお姉は〈GHQ〉だっけ? 巨乳娘に悩殺とか、男子ってどうして思考ロジックが幼稚なの。バカだねぇ~。ちなみにHカップってのは、当たらずといえども遠からず、と言っておくよ」
あや姉への配慮か、ひそひそ声のルミちゃん。惜しげもなくほくそ笑む。
「そしてめぐ兄がお姉ちゃんを口説いた場合、『天城巡が〈天城越え〉』になるんでしょ。共食いみたいで、ぞっとしない冗談」
「ルミちゃん、いったいどこまで」
戦慄する僕が口にできたのはその程度だ。質問にすらなっていない。
「何にもましてカチンとくるのが」
妹がこともなげに爆弾を投下する。
「部活で、能登ひまわりとのマンツーマンのレッスン。ホント油断も隙もない」
刹那、僕の脳内活動が全停止した。冷たい汗がこめかみを伝う。
「お姉ちゃんの眼前で無意識に悪女と乳繰り合うだけでは飽き足らず、自分のテリトリーに囲いこむとはね。寛大で温厚なルミでも、我慢の限度があるよ」
『温厚』が聞いてあきれる。
どす黒い瘴気みたいなオーラ、漂わせているもの。
「あれかな。ちょん切らないことにはやんちゃしちゃうの、お兄ちゃん。お望みとあらば、ルミがじきじきに去勢手術してあげるよ。ただし麻酔なしなんで、あしからず」
『ちょん切る』とか、脅し文句がグロいよ。うちの妹ってヤンデレなのかな。
滅多にデレないから、単なる重篤な病人かもしれないけど。
「だ、断固として遠慮しとくよ。ところでルミちゃん、どうして能登ひまわりさんの動向を察知しているのかな」
「ルミの情報網をなめないで。めぐ兄の学校生活くらい筒抜けなんだから」
僕の制服かカバンに盗聴器が仕込まれているかもしれない。
自室へ戻ったら念入りに調べよう。
「いったいめぐ兄は何がしたいの」
こっちのセリフだよ。
僕のプライバシーを白日のもとにさらす意図は、なんだろう。
「能登さんはタフネスガールになりたいそうなんだ。僕はそのお手伝いをしているにすぎない。あやめ姉さんやルミちゃんに報告するまでもない、と思ったんだよ」
妹がくびれた腰に手を当てる。
「二言目には釈明。言い訳で何もかも丸く収まるなら、警察いらないから。お兄ちゃんさ、人生やり直せば。このままじゃ、女々しくて意気地なしのヘタレ街道まっしぐらだよ」
三連コンボが全弾命中。僕はダウン間際だ。
「も、もう取ってつけたようなことは申しません。どうかこれをお納めください」
虎の子のチケットを献上した。
ルミちゃんが指でつまむ。
「何これ。遊園地の入場チケットじゃん。しかもペア。ルミとめぐ兄で、ってこと?」
「そっちはあや姉とルミちゃんの分。僕のはこっち」
僕は自腹で購入した入場券を掲げた。
「へぇー。なけなしの誠意はあるみたいね。でもあそこって、さえないめぐ兄と一緒で、取り立てて目玉の乗り物ないじゃん。そこでルミたちを満足させられるの?」
妹の指摘通り僕らの街の郊外に位置する遊園地は、良くも悪くも月並みな施設だ。
乗り物の数も多岐にわたっておらず、『○○で一番』と冠するものはない。
強いて話題性のある事柄を挙げるとすれば、園内にボート乗り可能な広い池があって、季節の変わり目に渡り鳥が飛来してくることくらいか。
「アトラクションで見劣りする分は、僕のおもてなしの心で補うよ」
言質とったどー、とばかりに妹は口を三日月形にする。
「めぐ兄、男に二言ないよね。お姉ちゃん、聞いてるでしょう。どうする」
ドア越しに語りかけた。
『めーくんがどうしてもって言うなら、姉として断るわけにいきませんけど……』
僕は開かずの間に誠心誠意、乞い願う。
「この通りです。神様仏様、あやめ姉さま。愚弟の行楽に付き合ってくださいませ」
『やむを得ませんね。こうまで請われて袖にしては、女がすたります』
高飛車な物言いの反面、声がはずんでるように聞こえるのは気のせいだろうか。
「お姉、難易度低すぎなんだけど。ギャルゲーで真っ先に攻略可能なキャラみたい」
妹的には開いた口がふさがらないらしい。
「めぐ兄、ちょろインのお姉ちゃんと違って、ルミは情にほだされたわけじゃないからね。反省は〝行動で示して〟」
ルミちゃんがチケットをピラピラさせる。
「もちろんだとも。ルミちゃんは、大船に乗った気でいるといいよ」
我が妹はうっとうしそうな渋面で、姉とのシェアルームに引き返した。