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[四]キャットファイトの果てに、勝利や敗北があるとは限らない

 結局僕は姉からこってり絞られた。

 やれ「小学生に魔手を伸ばすとは言語道断」だの、やれ「ルミに手玉に取られて恍惚としている」だの、やれ「私が楽しみにしていたプリンを無断で食べた」だの。

 憶測と固定観念が入り混じり、最後のなんてネタ切れもいいところだ。

 高校に着いたので渋々三年の教室へ向かったけど、クラスメイトだったなら一日中小言をぶちまけてきたかもな。

 小動物然としているのに、執念深いらしい。姉の意外な一面を学んだよ。

「よぉ〈B〉、辛気くさい面してんな」

 僕が二年二組の最後列隅っこの席に座っていると、前方の男子が体を反転させた。

「僕は〈B〉じゃない。天城という立派な名字がある」

「そうかい。んで〈B〉くんよ、〈GHQ〉さまはどうしてる?」

 またもや彼は僕を不名誉な異名で呼んだ。改める気はないらしい。

 むべなるかな。

 萌黄高校生徒の大半にとって『天城』姓は、あやめ姉さんを指す。

 僕は粗悪な付属品扱いだ。誰の眼中にもありゃしない。

 偉大な姉あっての愚かな弟。それが萌高における、僕の定位置だ。

 通称〈B〉についてはノータッチとする。業腹になるから。

「『どうしてる』って、なんで僕に聞くんだ。近況を知りたきゃ、本人に尋ねるといい」

「んなこと、畏れ多くてできっかよ。おまえだったら気安く聞けるしな。なんたって寵愛を受ける〝弟くん〟だ。活用しない手はない」

 僕はオーバーアクション気味に肩をすくめる。

「利用されるのが分かりきってて無償奉仕するの、非生産的だと思わないか」

「ちんけな損得勘定なんざ、どうだっていい。もったいつけず、さっさと教えてくれよ。今度宿題写させてやっから」

 現金というかなんというか。目的のためには手段を選ばないんだろう。

「交渉成立だな」

 僕は彼に握手を求めた。

 さりとて握り返してこない。僕にはケシ粒ほども関心がない証だ。

「契約を果たすよ。いとしの〈GHQ〉さまに、普段と変わった様子はございませんとも。五体満足、元気ハツラツさ」

 余談だけど〈GHQ〉とは、まかり間違っても『連合国軍最高司令官総司令部』のことではない。

『Glasses Hcup Queen』の頭文字を抽出した造語だ。

 意訳で『メガネをかけたHカップの女王』となる。

 すなわち我が姉、天城あやめを示す男子間の暗号名ってこと。

 補足として『H』はカップ数だけど、姉のブラサイズは非公式だ。

 男どもの下劣な願望の成れの果て、と言い換えるべきか。

 僕に正確な数値の調査要請もあったけど即、却下した。

 だって狂気の沙汰だもの。

「あや姉のバストサイズって、Hカップなの? エヘエヘ」

 そんなふうに尋ねてみろ。

 僕は『エロ魔人』の汚名を、ほしいままにしてしまう。

「つまり〈天城越え〉はいまだ達成されず、ってこと?」

 前席の男子が念を押してきた。

「ご明察。峠は前人未到だよ。おまえにもチャンスは残ってる」

 僕がお墨付きをあげると、彼はまんざらでもなさそうな面差しになった。

 こいつも〈ASEAN〉末端構成員なのだ。

 かの組織は大概僕をハードルとして忌み嫌い、敵視する。

〈天城越え〉ってのは名曲演歌をインスパイアした、ずばりあや姉攻略を示す隠語だ。

 だがしかし成し遂げた者は皆無。よって姉に特定の彼氏はいない。

 人気抜群にもかかわらずフリーなので、『我こそは』と意気ごむ男子がひっきりなしに告白する。月平均すると、十名前後だったか。

 されどもあや姉は交際を迫られるたび、一刀のもとに斬り伏せる。

 一見ほわわんとしているけど、貞操観念は高いのだ。

 言い寄られるごとにOKしてたら、身が持たないだろうし。

 そこはいい。心安らかに見守ってられる。

 問題は姉が一刀両断するときの理由づけだ。判で押したように言うらしい。

「ごめんなさい。私、世話が焼ける弟の面倒を見なくちゃいけませんので」

 僕の子守をだしにして、ラブコールを断ってるのだそうな。

 従ってあらぬ疑惑が蔓延し、姉に失恋した相手を中心に、僕は逆恨みされている。

 これこそ僕が疎外され、闇討ちに遭う、最大にして陳腐な由来だ。

 かような不条理があるだろうか。

 身から出たサビならまだしも、身に覚えがないんだから。僕はあや姉に身の回りの世話などされちゃいない。

 あるときなんか襲撃時、途方もない難癖をつけられた。


「同居してるからって、あやめさんの高貴な胸を独り占めするなど、恥を知れ。鬼畜め」

 僕は度重なる理不尽な闇討ちに辟易だったうえ、いらだちもピークに達してたので、

「僕だって、やれるものならしたいよ!!」

 と血迷って咆哮した。

 おかげで襲撃者にドン引きされるという斬新な顛末をたどり、僕はつかの間『鬼畜弟』という悪印象が定着したのだ。


 追想するだに冷や汗が出る汚点だな。後生大事に墓まで持っていかなくては。

「おい〈B〉、頭抱えてどうしたんだ」

 悪夢から覚めると、〈ASEAN〉の男子が不可解そうな表情していた。

「いいや、なんでもない。つーか、僕は〈B〉じゃないって何回訂正すれば──」

「団長から預かり物があるんだ。おまえに渡せってさ」

 彼は紙切れを手渡してきた。

 無骨な字でケータイの電話番号が書いてある。

「今朝、うちの新米が粗相したんだってな。これで水に流して欲しいんだと」

 ラクロス女子が、妹ごと殴打未遂した件だと思い至る。

「どういう風の吹き回しだ。僕はにっくき宿敵じゃないのか。使い道が不明瞭なんだけど。おたくの団長さまと、メル友にでもなればいいのかな」

「アホ。おまえなんか願い下げだっつーの。一度だけ頼みを聞き届けてやる、ってこった。その際の連絡用に控えてろ」

「ほー。アラジンの魔法のランプみたいなもんか。ありがたくちょうだいしとくよ」

 そこはかとなくお蔵入り臭がするものの、厚意を無下にするのも失礼だ。

 僕はスラックスの尻ポケットに〈ASEAN〉最高責任者の連絡先をしまった。

「確かに渡したぞ」

 前席の彼は体の向きを戻した。

 間もなく、朝のホームルームが始まる時刻。

 休息の終わりを告げるチャイムが鳴った。


♯ ♯ ♯ ♯ ♯


 昼休み。母特製弁当を完食し、ぼけーっとしてると教室前方ドアから声がかかった。

「おーい〈B〉、〈GHQ〉閣下のお出ましだぞぉ」

 次から次へとなんだ。今日の僕、引っ張りだこだな。

 もうあだ名の撤回を求めるのも億劫だ。

「いらっしゃい、副会長。弟ならあっちっすよ」

 戸口の男子があやめ姉さんを招き入れ、僕を指さした。

 ちなみに姉は自らが〈GHQ〉と称されていることなど、あずかり知らない。

 おずおずと足を踏み入れた姉は僕を視認するなり、控えめに手を振った。

 借りてきた猫状態だ。上級生なんだし、もっと威風堂々とすりゃいいのに。

 けどそこが彼女の魅力だったりする。

 姉が慕われる要因は仕事の如才なさでも、圧倒的な憧れでも、心をわしづかみにされるカリスマ性でもない。

 不完全ゆえの危なっかしさだ。

 ほうっておくと息絶えるんじゃないか、というハラハラした保護欲が、いつしか愛情へすり替わっていました、って黄金パターン。

『さみしいと死んでしまうウサギ』の迷信に近いだろうか。

 仕方ない。ラビット飼育員にして側近の僕が腰を上げるか。

「めーくんに用じゃないんです。の、能登ひまわりさんは、どちらでしょうか」

 僕、お呼びじゃないの?

「へ? クドーたんに……じゃなくって、能登さんに用事っすか。なら、部屋の真ん中で本読んでいる女子なんすけど」

 促されて姉は室内を見渡している。

 おのずと僕も中央の座席へ目がいった。

 能登ひまわり。

 クラスの注目の的になっているなどどこ吹く風で、読書にふけっていた。

 彼女の周囲だけ空気の流れが異質だ。さしずめエアポケット。

 姉は、物静かに文庫本のページをめくる女の子を視界にとらえたのだろう。検分するかのごとく、頭のてっぺんから上履きのつま先まで見下ろした。

 そして息をのんだかと思いきや、教室の床に両手両ひざをつけて四つんばいになる。

「くっ。超絶美人さん……。めーくんの目に狂いがないとは、とんだ誤算です」

 なぜだろう。とてつもなく愚弄された気がするのは。

「具合が悪いのですか、副会長」

 ショックを受けた模様の姉を、同級生の女子が抱き上げて立たせた。

「いえ、心配には及びません。殊のほか莫大な誤差に、めまいがしただけですので」

 あや姉は口の端の血を拭うような動作をして(一滴たりと吐血してない)、教室中央の空白地帯へと足を運んだ。

「あなたが能登ひまわりさんですね」

 話しかけられて、能登さんは本の世界からカムバックしたのだろう。文庫を閉じ、耳にかかったツーサイドアップの髪をかき上げる。

 おしまいに美貌を上向けた。

「…………」

 読書を妨害され不機嫌になったのか、あやめ姉さんガン見する。

 姉はにらみ合いできるほど豪胆な女子ではない。

 能登さんの鋭利な視線に臆したのか、涙目になって僕に助けを乞うてくる。

 つーか、何しに来たんですか、あなた。

 クラスメイトの目線が、あや姉と能登さんへ一斉に向いている。美少女同士の泥仕合を期待しているのかもしれない。

 僕も含めて皆が固唾をのむ中、

「あなた、誰?」

 能登さんが機先を制した。

 一同あっけにとられて言葉を失う。誰一人予見しなかったのだ。

 学校で一二を争うほどの知名度を誇る我らが副会長さまをご存知ない、などと。

「あ、わ、私は天城あやめ、です」

 先制パンチをもらいつつも、あや姉が律儀に名乗った。

「天城?」

 能登さんが僕へと視線を移した。

 つられて同級生の目線も僕へ向く。

 う。つるし上げされてる気分だ。

「はい。めーくん──こほん、失敬。巡の姉でして」

「ふぅん」

 生返事する能登さん。再びあや姉と視線を交える。

「で、あたしになんの用?」

 ぶっきらぼうに定評のある能登さんだけど、いつにも増してにべもない気がする。

「あ、あなたが巡の〝お友達〟に、ふ、ふさわしいか、見極めに参りました」

 なるほど。あや姉、妹の嘆願を愚直にもかなえに参上したのか。

「ふさわしい、か。傲慢な人。あなたになんの権利があるの」

 取りつく島もなく能登さんが斬って捨てた。

 冷や水を浴びせられたみたいに、あやめ姉さんが唖然とする。やがて気を取り直し、

「私は、めーくんの姉、ですから」

「過保護ね。お姉さんがしゃしゃり出る筋合い、ないと思うけど。天城くんが誰と友情を結ぼうと、あなたの許可など不要でしょう」

「そ、れはそう、なんですけど……」

 あや姉はたじたじで、劣勢が明白だった。

「もういいですか。あたし、本読みたいので」

 用は済んだ、とばかりに能登さんが文庫を広げようとする。

「ま、待ってください。話はまだ──」

「やれやれ、はっきり言わないと分からないのか」

 能登さんは吐息を漏らした。


「お姉さんだかなんだか知りませんけど、あたしはあなたと関係を築きたいわけじゃない。興味があるのは、弟の天城くん。なのでお引き取りください」


 簡潔、かつ辛辣な拒絶だった。

 いきおい、あやめ姉さんの表情が『くしゃっ』と沈痛にゆがむ。

 僕にとってもインパクト大で、頭の中が真っ白になった。

「帰れってのは言いすぎだろ!」

 姉を慕う一兵卒に違いない。同級生の男子が語気鋭く、能登さんに息巻いた。

 彼の一言を皮切りに、クラス内が一致団結していく。

 ただ一人の女の子に対し、リンチや魔女狩りでもしかねない剣幕だ。じりじりと包囲網を狭める。

 ほうけ中の僕は、見かねて立ち上がった。遅ればせながら、頭に血が上った連中の輪に割って入る。

 能登さんと姉のそばまで寄り、ぐるりと見回した。

「はいはーい。目くじら立てるなよ、みんな。能登さんは伝え方ミスっただけなんだって。姉を挑発したわけでも、ましてや宣戦布告したわけでもない。心の底では親密になりたいのに、思いもしない言葉が口から出ちゃうことって、誰しもあるだろ」

 クラス中のうさんくさそうなまなざしが、僕に一極集中する。

 ええい、『毒を食らわば皿まで』だ。

 エンディングまで、ピエロ演じきってやんよ。

 僕の一世一代の自虐ネタ、とくと味わえ。

「ユーたちの中で僕のことは嫌いでも、姉のことを嫌うやつなんているか?」

 詭弁は効果てきめんだったらしい。

 腑に落ちたのか、

「まぁ、言われてみれば」

「副会長、萌えーな万人の女神だし」

「〈B〉に言いくるめられるの、しゃくだけど」

 などと口々にのたまう。

 やがて剣呑な気配を放っていた一団の頭も冷えたようで、各々残りの休憩時間を過ごすべく散らばった。

 ふぅ、一件落着か。

「あ、あの、めーくん。ありが」

「ありがとう、天城くん」

 姉の謝意にかぶせて、能登さんが礼を述べた。

 ぬくもりがこもっていると言いがたいけど、今の僕には心地よいメロディだ。

「どういたしまして。というか、こちらこそサンキューだよ、能登さん」

 僕は振り向きがてら、笑いかけてみた。

 能登さんが首をひねる。

 たぶん僕の内心を吐露しても、理解しちゃもらえないだろう。

 でもいいんだ。

 啖呵を切った能登さんが、僕には無性に心強かったのだから。

 僕の意図などくみ取れないだろうに、彼女は首を縦に振る。ついでに口角の辺りをひくつかせた。

 笑おうとしたのかもしれない。

 悪い娘ではないのだろう。単に、他人との間合いの測り方が不器用なだけで。

「めーくん、私を差し置いて、女の子と熱いアイコンタクトを……」

 蚊の鳴くような声がした。

 能登さんの口は真一文字だ。僕の発言でもない。

 となると消去法で──あやめ姉さん。

 メガネレンズの向こうにある二つの瞳が、潤んでいる。涙腺が決壊寸前に見えた。

「あや姉、いったん落ち着こうか。なんだか曲解していると思うんだけど」

「へ、平気ですよ。私だって、姉としてけじめくらい、つけられますから」

 姉は能登さんに向き直り、気丈に声を振り絞る。

「ふ、ふつつかな弟ですけど、こ、れからよろしくおね──おねが……ふえ」

 尾根が笛?

 山びこを示唆した──わけないよな。

 とめどない胸騒ぎがした。

「ふ、ふえぇぇ~~~~ん」

 今年の冬十八歳になる姉は、幼児もかくや、とばかりに泣いた。

 いっそすがすがしいまでの大号泣。

 ほうぼうへ散ったはずの同級生たちが、いきなりの嗚咽で再集結してくる。

 泣きじゃくる姉を介抱し、三年の教室へと付き添う女子生徒。

「見下げ果てたぞ、〈B〉!」

「バカだとは思ってたけど、ここまで外道だったか」

「美乳で優しい姉だけでは飽き足らず、クドーたんまでたぶらかすとは。地獄に堕ちろ」

 居残ったクラスメイトから僕は非難ごうごうだった。どさくさ紛れに罵詈雑言まで飛び交う有り様。

 能登さんは擁護してくれない。彼女自身、何が何やらちんぷんかんぷんなのだろう。

 紛糾する修羅場の教室。さながら、針のむしろだ。

「濡れ衣だって。僕は無実だあぁぁーー」

 僕の弁解は、血気盛んな誰の耳朶にも届かなかった。

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