[三]魅惑の姉妹をはべらせた少年が、幸福とは限らない(後編)
僕が中学に上がるころまで天城家は、父と二人きりだった。
なのに三年前、父がなんの脈絡もなく電撃再婚を表明したのだ。
懇意の女性がいるなど、おくびにも出さなかったので、まさしく青天の霹靂だった。
僕はあきれて物も言えなかったよ。
しかも暴露談義は結婚発表だけにとどまらない。
「おまえに姉と妹もできるから、そこんとこよろしく。二人とも母親似で、べっぴんさんだぞ。くれぐれも変な気起こすなよ。まぁ、おまえはチキンなんで杞憂だろうがな」
アホ親父がしれっとぶっちゃけた当日、旧姓・高遠一家がうちにやってきた。
母・岬、姉・あやめ、妹・ルミの女所帯だ。
持ち前の優れた適応力で高遠姉妹はたちまち父になじみ、逆に僕は肩身が狭くなった。
僕の順応性が低いせいだと思う。なんとなく居場所が定まらない感じで、僕だけ異分子みたいになっている。
高校に進学した今なお、だ。
引け目に類する残滓を引きずったままだからこそ、僕はいまだ母を「岬さん」と呼び、妹を「ちゃん」づけしている。
「私たちの間でほれたはれたなどバカげています。血縁がないので法律上婚姻は可能ですけど、倫理的には望ましくありません。だからルミも駄々こねないで、めーくんと適度な距離感を心がけてですね」
「あ~あ、堅苦しい。自分の本心にフタをし続けるお姉の、ご高説は聞き飽きた。じゃあいいよ、戦法変えるから」
ルミちゃんはスクールバッグを僕に託した。
断りもせず押しつけるってどうなんだ。脊髄反射のごとくキャッチする僕も僕だが。
「めぐ兄に彼女できたら、姉弟でお風呂入れなくなるよ」
「それは──う~ん」
あや姉が熟考しだした。
先刻から予兆はあったものの、僕らの周辺がにわかに殺伐としてくる。
僕たちを取り囲んで登校する顔ぶれ(男女比7:3)が、実のところ〈ASEAN〉の連中なのだ。
あやめ様信奉者にとって、ご神体にも等しい御身をのぞき、あまつさえ汚らわしい弟の指が触れる冒涜など、聞き捨てならないのだろう。
なんとか収拾しないと僕、十数名から袋だたきにあいそうだ。
「る、ルミちゃん。一緒に入浴してるのは君とあや姉だけであって、僕はこれっぽっちも関与してないでしょ。勢い余って頭数に加えないでくれるかな」
あっ、と言ってあや姉はかしわ手を打った。
いくらそそっかしくても、察しが悪すぎだろ、お姉たま。
「あれ、そうだっけ。めぐ兄、ルミたちがバスルームに行くたび、物欲しそうな顔してるから、勘違いしちゃったよ」
「してないから!!」
もっとも、「一回もない」とは明言できない。でも不可抗力だろう。
だって妖艶な姉妹が一糸まとわぬ姿で、キャッキャウフフする浴場だぞ。
思春期真っ盛りの男子ならば『一度でいいから見てみたい。湯気がモクモク桃源郷』と生つば飲みこんでしかるべきじゃないかな。
……姉と妹へ妄想膨らませた時点で、スリーアウトかもしれないけど。
「怒鳴らないでよ。うぶなめぐ兄に免じて、今回は折れてあげる」
トリックスターであるルミちゃんが譲歩したことで、あや姉信者の激怒メーターも下降したらしい。
ふー、命拾いしたよ。
「ならめぐ兄に女ができてリア充化したら、お姉ちゃん肩もみしてもらえなくなるよ」
「それはしてっ……ます」
僕の否定爆弾が不発に終わった。
あやめ姉さんは頻繁に肩がこるらしく、しばしば僕はもみほぐしている。
といっても対症療法でしかない。恐らく元凶は、鎖骨の下にある巨大な半球二つゆえ。
「ど、どうしてめーくん、私に愛想を尽かすのかしら。私が気に障ることしちゃうから? お姉ちゃんに教えて、ルミ」
あや姉がうろたえている。狼狽するほどのことじゃないと思うが。
「ふふ~ん。聞いて驚くといいよ。お姉ちゃん、刮目して」
ルミちゃんが発展途上の胸を張った。
〈ASEAN〉の面々も、耳をそばだてる様子が伝わってくる。
「恋愛ニートをこじらせためぐ兄は、恋人できただけで絶対図に乗るから。横柄な態度になって、ルミを奴隷のごとく使いっ走りにするの」
そうそう、「コンビニでジュース買ってこい」って、なんでやね~ん。
パシリは僕だっつーの。妹にあごで使われまくりで言いなりの不遇な兄。
惜しむらくは、みじめになるので声高にツッコめないことだ。
「そしてお姉が『めーくん、いつものように肩もんでください』って頼むでしょ。するとめぐ兄、『はん』って鼻で笑う。しかも超どや顔で、『おいおい、いつまで俺様を便利屋扱いしてんだよ。こちとら暇人じゃあないんだぜ。明日はマイハニーとデートだしな』」
ジェスチャーつきで熱弁をふるうルミちゃん。
っていうか僕、性格豹変しすぎだろ。一人称まで『俺様』になってるし。
もはや多重人格とかの領域じゃないか。
こんな与太話、信じる単細胞人間なんて──
「めーくん……ひどい。ぐすっ」
いた~~~~。
あや姉、ものすっごく涙ぐんでる。
「ね、姉さん。これは仮説、というか捏造だよ。うのみにしないで」
「見苦しい言い訳なんて、聞きたくありません!」
とうとうあやめ姉さんはまぶたを閉じ、両手で耳をふさいだ。
え~。なんだ、このカオス寸劇。どないせいっちゅうねん。
演説に熱中するルミちゃんは、半狂乱の姉に注意が及んでない。
「めぐ兄はひるんだお姉ちゃんに追い打ちをかける。『肩じゃなくて胸ならもんでやんよ、爆乳姉貴。はなからそうして欲しかったんじゃねえのか、淫乱メス犬め。ゲヘヘへ』」
シナリオに底知れぬ悪意を感じる。
『ゲヘヘ』って今日び、セクハラおやじでも口にしないだろ。
つーか僕、原形とどめぬくらいキャラ崩壊起こしてるんだけど。
いい加減潮時かと思い、妹を黙らせようとした矢先、本能が警鐘を鳴らした。
まがまがしい殺気!
直感はビンゴだった。
「くたばれ、ゲスなチャラ男」
あや姉ファンらしき女子が、ラクロスのスティックを振りかぶったのだ。
妹の迫真(?)の演技がかんにさわり、我慢の限界に達したのだろう。
しかしこの進入角度はまずい。僕は回避可能でも、ルミちゃんに直撃コースだ。
「ルミちゃん、少しの間辛抱して!!」
僕は妹を懐に抱き寄せた。
ルミちゃんが「ふぐ。ちょっと、お兄──」と抗議したけど黙殺する。
浪費するだけの時間が惜しい。
「せいっ」
ルミちゃんのスクールバッグを盾代わりにし、ラクロスの棒を迎え撃つ。
虚空で激突するバッグとスティック。
カバン本来の用途でないためダメージを緩和しきれず、腕に衝撃が伝播する。
「いっつ」
顔をしためたものの、防御が破られるほどじゃない。
僕の苦悶がきっかけで、攻撃してきた女子高生が正気になった模様だ。罪悪感にさいなまれたのか、青ざめた顔で金魚よろしく、しきりに口をパクパクする。
「おたく、一年生か」
出し抜けに話しかけられて面食らったのだろう。女子はこくこくうなずく。
「団員になって日が浅く、暗黙のルールを心得てないんだろうから、今回は大目に見るよ」
彼女は胸をなでおろしたようだ。
「ただし次回からは〝僕だけを狙う〟こと。僕がぼっちの最中なら、なおよしだ。万が一でも最愛の妹を傷つければ、あんたは親愛なるあやめ様から、一生絶交されるぞ」
ラクロス女子が顔面蒼白になる。
「ったく、指導を徹底しろよな。新人教育は組織運営の初歩だろうに」
僕があてどなく愚痴ると、どこからともなく現れた先輩女子生徒が、武力行使に及んだ彼女を引っ張っていく。
それを契機に、〈ASEAN〉で固まった人垣がクモの子散らすように散開した。姉の心証悪化を懸念しての、統率されたマスゲームに違いない。
もっとも、当のメガネっ娘様は依然として『見ざる聞かざる』を貫いているけれど。
「もう抱きつかなくていいよ、ルミちゃん。息苦しかったろう」
妹は僕のスクールベストに顔をうずめたまま、かぶりを振る。
「あー、あともう一個謝らなくちゃ。とっさのことで君のカバン、ガードに使っちゃってさ。中身ぐっちゃぐちゃかも」
「大丈夫。机に置き勉してるから、最低限のノートと筆記用具しか入ってないし」
道理で薄っぺらいわけだ。おかげで守備力が限りなくゼロに近かったよ。
「そろそろ離れようか。なんか僕ら、朝っぱらから抱き合うバカップルみたいだし」
おどけてみせたものの、ルミちゃんにハグを解く気配がない。
こりゃ、無理やり引っぺがすしかないかな。
「お兄ちゃんは基本パッとしないへっぽこ男のくせして、ごくまれにカッコよくなるからムカつく」
「お言葉ですけど、敬意を払うべき兄者に向かって『へっぽこ男』は禁句だと思うよ」
「だってそうじゃん」
ルミちゃんが見上げてきた。ほのかにほっぺたが紅潮している。
むき出しの敵意にあてられて、おぞけをふるったせいかもしれない。
少しでも安心感につながればと思い、僕はサイドポニーの結び目付近を愛撫した。
ルミちゃんが子猫のように目を細める。
というか、このアングルやばいな。
セーラー服の隙間から、インナーのキャミソールがのぞけそうだ。
「たぶんめぐ兄、〝ジャイアン〟みたいな人なんだろうね」
「はぁ、ジャイアン? 僕、歌うまかないけど、身のほどはわきまえてるって。空き地でリサイタル開催しないし。賞賛したいなら『出木杉くん』とかにしてくれないかな」
ルミちゃんがため息をつく。
「本当めぐ兄って残念無双。女心が一ミリも分かってない。ルミが言いたいのは、映画版のほう。歌唱力うんぬんじゃなくて、ギャップ──」
「私、決めました。めーくんを真人間に矯正するまで、お節介焼くと!」
あや姉が突拍子もなく何やら宣誓した。
「手始めにめーくんの交際相手候補、じっくり査定しなくては。別段ルミの悪巧みに加担するわけじゃありませんよ。あくまで弟の将来をおもんぱかっての、姉の責務ですから」
しかも天上に向かって申し開きしてる。
道行く通行人が、うろんな表情になった。
「ではめーくん、能登ひまわりさんの人物像を詳しく──」
ついに姉は絶句した。メガネの奥にある目を、白黒させている。
「なぜ往来で抱擁しているのですか、二人とも」
「いや、話すと複雑なわけが」
「めぐ兄、ほとばしる性欲でムラムラしたんだって。最近は年上より、年下がいいみたい。『小五までは余裕でストライクゾーンだぜ、キリッ』と豪語してたし」
僕の弁解を妨害し、あろうことかガチロリ宣言したルミちゃん。
僕へ注ぐあやめ姉さんの瞳が、汚物を見るそれになった。
「ルミちゃーん、シャレにならないからお口にチャックしようか。あはは。ジョークだよ、あや姉。妹ぎみの自作自演。その証拠として僕は即座にハグを解除するから。ふんすっ」
あっれー、おかしいぞ。細腕が外れないんだけど。
ふが。ルミちゃん、めっさ力こめとる。
「私には、かえって密着度が増したように見えますが」
あや姉が棒読み口調で言った。まなざしはブリザード級にまで凍えている。
「ルミちゃん、ドリンクでもアイスでもおごるから、堪忍して」
「なんのことかなぁ。ルミ分かんな~い」
かわいさ余って憎さ百倍。一瞬、我が妹が小悪魔に見えた。
背に腹は代えられない。気は進まないが、腕ずくなりで解決するほかないか。
「おはようございます、ルミ様」
いつの間にやら僕の背後に中学生男子がいた。
影が薄いというか、生気を全く感じなかったぞ。座敷わらしとかじゃなかろうな。
「あ、グッドモ~ニング」
しがみついていたのがウソみたいに、ルミちゃんがぱっと離れた。
「あのぅルミ様、お荷物を」
「持ってくれるの? 毎度毎度悪いね。ルミ、力持ちな男の子、素敵だと思うなぁ」
ルミちゃんが僕からスクールバッグを奪取し、頬を上気させる座敷わらし君に預けた。
ルミ〝様〟と呼称する辺りからおおよそ察しがつくかもしれないけれど、彼は妹に魅了された家来みたいなものだ。
そして眷属は彼一人じゃない。僕が把握するだけでも、両手両足の指じゃ数えきれないくらいか。
対象を男に限定すれば、ルミちゃんは姉をもしのぐ魔性を秘めている。
「いってきまーす。お姉ちゃん、めぐ兄」
こぼれんばかりの営業スマイルで、ルミちゃんは手を振った。別方向の中学へ向かう。
座敷わらし君は、妹の一挙手一投足に釘づけだ。
姉といい妹といい、サキュバスみたいな魔力を宿してるな。
僕だって天城の家系なのに、どうして片鱗さえないんだろう。
はっ。もしくは高遠一族の固有スキル、って線も──
「めーくん、今のでうやむやになったと思ってないでしょうね」
夢魔一号……じゃなくて、あやめ姉さんが頭に角、口に牙を生やしそうな勢いでまくし立ててくる。
能登さんに名指しで招集されて以来、僕の災難は絶賛継続中らしい。