[二六]多彩な茶番劇が、おしなべて駄作とは限らない(前編)
「愛人との電話、終わった?」
声がしたほうを向くと、ひまわりがいた。
僕が携帯電話の液晶画面を凝視していたので、通話終了を察知したのだろう。
「やめてくれ、人聞きが悪い。顔も名前も知らない相手と、どうやって愛をはぐくめって言うんだよ」
僕は石段の空いたスペースに、ハンカチを広げて置いた。『どうぞお座りください』という意味をこめて、手のひらで指し示す。
ひまわりがジェスチャーをくみ取り、プリーツスカートを押さえつつ腰かける。
「どうだか。意気投合したように話してた」
言葉の端々に険を感じるな。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、状態だ。
ひまわりが〈ASEAN〉を敵視する理由がピンとこないけど。
「どう思ってくれても構わないよ。この国には思想信条の自由があるからね」
僕は投げやりに川へ目線をやった。
意気投合なのかはさておき、名もなきボス少女には打ち解けやすさがある。ひまわりと比べ物にならないくらいは。
あーあ。人生ってのは、ままならないもんだ。
体育館裏で邂逅してからというもの、僕とひまわりの距離は縮まったのかな。
言葉にしなくちゃ、永劫答えの出ない問いかけなんだろうけど。もっとも本人に問うたところで、返答あるかも不透明な情勢だ。
なんたって僕は、彼女にステイされてばっかだし。
なんとなく、打っても響かないSNSをやっている気分だ。僕からの発信率が桁違いに高く、リターンはナシのつぶて。
僕の空回り感、半端ないな。切なくなってくる。
などとセンチメンタルになっても、しゃーないか。本日のノルマをこなさないと。
僕とひまわりは下校後、河川敷を訪れたのだ。テスト期間中のため、クラブ活動は一斉に休止している。
「冗談はここまで。真っ当な話をしようか」
僕が隣へ顔を向けると、ひまわりが首肯した。
「堂嶋の処遇はひまわりに一任する。警察に突き出すなり、生徒会や教職員に訴えるなり、好きにやってくれ。丸投げの体裁だけど、僕は一蓮托生。君がどんな解決策を用いても、最後まで付き合うから」
ひまわりが再びうなずく。
「ひまわりが策を講じるまでの間、護衛は継続するよ。ストーカーは粘着質が売りだしさ。どんな仕返しをしてくるとも限らない。僕が目を光らせるためにも、一緒に下校しよう。だから事件は一段落ついたけど、部活があるときは道場に顔を出してくれないか。稽古はしないで、読書しててもいいから」
「そのことで相談なんだけど」ひまわりがやおら口を開く。「あたし考えたの。合気道部に入ろうかと。マネージャーでなく、選手として」
僕は数秒あんぐり口を開けた。
「入部して合気道部の一員になる、ってこと?」
「ダメ、かな」
「まさかまさか。むさ苦しい男所帯に女の子が来てくれるの、大歓迎だよ。部員たち皆、滂沱の涙を流して喜ぶと思う」
「巡は?」
うっ、と僕はのどを詰まらせた。ほっぺたを指でぽりぽりかく。
「そりゃあ僕も……うれしいよ」
「そう、なんだ」
ひまわりはもじもじと、僕のハンカチを指先でこねくり回している。
「と、ともかく、これでストーカー対策は死角がなくなった。より盤石にするため、技に磨きをかけていこう。ひまわり一人でも堂嶋程度なら、たやすく撃退できるように」
「うん、がんばる」
ひまわりの愛想が事件を境にして、格別に向上したわけじゃない。
でもなぜか僕には彼女の心情が、読み解けるような気がした。
的中率は微妙な線だけど、少なくとも今現在は嫌悪感を抱かれちゃいないだろう。
だったらこの質問、いけるかな。
「あのさ、教えて欲しいんだ。僕を手紙で呼び出したのって、堂嶋をなんとかするための布石、だよね。ただ一つだけ分からないことがある。どうして僕だったんだろう。純粋な強さで言ったら、僕より上なんてごろごろいると思うんだ」
「それは……」
ひまわりが河川敷の石段から、橋の方向を見下ろした。
『こりゃ、うやむやのパターンかな』という気運が高まる。
「去年の秋、あたし見ていたの。巡が、かいがいしく小太郎のお世話するところ」
二重の意味でおったまげた。
僕と猫の戯れを目撃されたのももちろんだが、ひまわりが小太郎(仮)の名を把握していることも。
「見られてたのか。あー、なんか恥ずい。僕、何か奇抜な行動してなかったかな」
「うーん。強いて例示すると、小太郎の肉球を触っているときの充実感あふれた表情は、近寄りがたいものがあった」
あ、頭ごなしに否定できない。
でも猫の肉球にエクスタシーって、どんだけ特殊性癖の持ち主だよ。
いいや、まだ望みを捨てるな。緩衝材のプチプチ潰しと同列に違いない、と思う。
「というのはジョークで」
はい、ジョークでしたぁ。
ひまわり、僕と会話中に時折ギャグを挟んでくるようになった。
いい傾向だけど難を挙げれば、シリアスとの境界線が判然としないってこと。
「誰もが容易にマネできない、立派なことを巡はした」
「つまりこういうことかな。僕が捨て猫をほっとけない性質の人間だから、自分にも手を貸してくれるはずだ、って当たりをつけたと」
「外れてはいない。でも真相はもっとシンプル。小太郎が言ったの。『巡に任せておけば大丈夫』って」
自分の頭のネジが緩んだのか、と思った。
だってひまわりの言っていることが、一個も理解できなかったのだから。何もかも破綻しているように感じる。
「それって変だよ。あいつは人の言葉をしゃべる化け猫じゃなかった。そして小太郎(仮)は半年以上前に失踪してるんだ。ひまわりが堂嶋の目にとまったのって、一カ月前くらいの話じゃん。つじつまが合わない」
「小太郎の所在なら、苦もなく判明する。あたしの家」
「へ」としか僕は口にできなかった。
「だから、小太郎はうちの飼い猫」
ひまわりが言い直した。
「待って待って。じゃあ何か。あいつが行方知れずになったのって、君んちに引っ越したからなのかい?」
「ええ。冬になると凍死するかもしれない、と思って」
さらりと述べるひまわり。
「だったら言ってよ。僕、手当たり次第探し回ったんだぜ」
「だって聞かなかったじゃない。それに一年生のとき、あたしたちに接点がなかった」
彼女の主張は正論だ。僕たちが会話するようになったのは、ごく最近のこと。
でも正しいけど、釈然としない。
「あぁ、もぅなんだっていいや。小太郎は元気にしてる?」
「とっても。巡にも会いたがっている」
「どうして『僕に会いたい』って気持ち、分かるのかな」
「だって、そう言ってるから」
電波系不思議ちゃん設定、キターッ。
いくらなんでも猫語を解するってのは、盛りすぎだと思うけど。
ただ、ここを闇雲に突っつくのは得策じゃない。僕まで大事故になりかねないし。
「ほかにも小太郎、僕に対して物申したいことはあるのかな」
「ええ。巡に拾われて、幸せだったみたい。でも不満が一つある、とも」
「肉球を繰り返しぷにぷにしたこと、だったりして」
「ううん。名前についてのクレーム」
たとえ猫だったにせよ、今どき『小太郎』はなかったかもしれない。
「ネーミングが安直、と言っているのかい」
「いいえ。小太郎はオス猫じゃない。メスなの」
なんですと!?
僕限定の叙述トリックだった。言われてみりゃ、つぶさに性別を確認しなかったな。
『男前』と思っていたのが、まさか『キュート』が正解だったとは。
かわいそうなことしちゃった。センス以前の問題だ。
メス猫に『小太郎』はないわー。
「ってことは今、別の呼び方なんだよね」
ひまわりがかぶりを振る。
「『巡からもらったかけがえない名だから、変えないで欲しい』って懇願するの。小太郎、愛着あるみたい。あたしも男装の麗人っぽくて、悪くないと思うし」
この場合は彼女を寛容と風変わり、どちらとみなすべきだろうか。
僕としちゃ当意即妙に改名して、『エリザベス』とかでもいいと思うけど。
「ひまわりが飼い主なんだし、僕は口出ししないよ。んで、物は相談ね。たとえば今度、会わせてもらうことってできるかな」
「そうね。小太郎に話通しておく。たぶん『どれほど待ったか』と愚痴を聞かされることになるでしょうけど」
ひまわりがどんなふうに猫を育てているのか不安は尽きないけど、また会えるってのは心底素晴らしいと思う。
神様もたまには粋なはからい、するじゃないか。




