[二四]ヒロインを巡る決戦が、善悪で二極化可能とは限らない(後編)
盲点だ。
確かにやつの言う通り、頭っから武器は一つと決めつけていた。
ナイフを没収すれば無力化できる、などという保証はどこにもないのに。
幸い、傷口は骨に達してないらしい。腱も切れてないので、指を曲げることはできる。 ただし出血が止まらない。無闇に動かすと、次から次へと湧いてくる。
まずいな。
手当しないことには、貧血になってしまう。そうなると戦いは続行不可だ。
僕は片手でネクタイを外した。腕のつけ根を圧迫し、血を止めるために。
「これに懲りたら、二度とおれのひまわりに手を出すな」
堂嶋は言い置いて、転進した。
彼の向かう先に──能登さんが尻もちをついている。
受け身は成功したらしい。ただし、その場にとどまっている。
しくじったな。「僕に構わず逃亡しろ」と指示すべきだったのに。
いや、今からでも遅くないか。
「僕のことはいいから、逃げろ!」
「で、でも巡、ケガを……」
「でももヘチマもない。こんなのかすり傷だから、早くして」
軽傷にしては左腕の下に、血だまりができつつある。
ネクタイを解いたはいいものの、片腕なしの状態ではうまく結べない。
あー、くそっ。
焦れば焦るほど手元が狂う。負のスパイラルだった。
能登さんが起き上がる。
『やっと逃げる気になってくれたか』と肩の荷が下りたのもつかの間、とんずらどころか僕へと向かってくるではないか。僕の傷の具合を察したのかもしれない。
そんなことをすれば、おのずと鉢合う。ストーカーと。
能登さんは堂嶋潤一に捕まった。
「こっちへ来い、ひまわり」
堂嶋が能登さんをどこかへ連れていこうとする。
「いやっ、離して」
暴れる能登さん。
でも男子と女子の腕力の差は歴然だった。力に対し力で抗っても、勝ち目はない。
状況判断力も欠如しているのだろう。堂嶋の思うつぼだ。
「僕とやってきたことを思い出せ、ひまわり。『柔よく剛を制す』だ!!」
今の僕にできるのは声を発することだけ。それを最大限活用した。
はたして、能登さんはぱたりと抵抗をやめる。
「ようやく観念したか。行くぞ、ひまわり」
堂嶋が拘留を緩め、彼女の肩に手を置く。
「あたしは、守られるだけのひ弱な女じゃない」
能登さんは敵の失策を見逃さなかった。堂嶋の手首を握って、素早く彼の背後へ回る。ねじって関節をきめ、更にひねりを強めた。
「何を、するんだ、ひまわり。イタタタタ」
関節技にのたうつ堂嶋。たまらず、ノミを取り落とす。
能登さんが柄の部分をトーキックして、ノミをあさっての方向へ飛ばした。ついでに、堂嶋のひざ裏をローファーの靴底で足蹴にする。
痛打をもらった堂嶋は片ひざをついた。能登さんから背中を突っ張りされ、前のめりに倒れる。うつ伏せになる際、顔面を床にぶつけたらしい。
「────っ」
堂嶋は声にならないうめきをあげている。
徹頭徹尾、よどみなく流れるような動作だった。道場で僕を仮想敵に見立て、連日稽古に励んだ護身術だ。
堂嶋の転倒を確認し、能登さんが僕のもとへやってくる。
「ちゃんと、できてたかな」
「ああ。花丸の百点満点。あとは僕に任せて」
僕は止血を諦め、ネクタイを手放した。
左腕を使わなければ、血も噴き出ないはず。
「でも、ひどいケガ」
僕は身を案じてくる能登さんを背にして、直立不動になる。
「ハンデだよ。両腕使えたら、イージーモードの格闘戦だしね」
「なめるな。手負いの貴様くらい、ひとひねりしてやる」
堂嶋はよろよろと立った。
転んだはずみで負傷したのか、おびただしい量の鼻血を出している。姉のスク水爆弾で僕が噴いたのに匹敵していた。
僕ならお似合いだろうが、イケメンなので残念さがうなぎ登りだったけど。
「鼻血ブーじゃ迫力が物足りないぜ、先輩」
「殺してやる」
悪役の死亡フラグを立て、堂嶋が襲いかかってきた。
「いざ尋常に勝負」
僕も迎撃するため前進した。
【片腕が使えない合気道部エース VS 美術部所属で徒手空拳のもやしっ子】
一人の美少女を賭けた天王山にしては、どうにも締まらない絵面だ。
堂嶋が体重を乗せた正拳突きを繰り出す。
腕の裂傷は回避行動まで制限しない。しかも殴り慣れていないうえ、筋肉も脂肪も必要最低限の体躯から繰り出されるへなへなパンチ。
カウンターパンチャーにとっては格好の獲物だ。
僕は襲来する拳を紙一重でかわすとともに、右手一本で堂嶋の手首を取る。そして力の流れを斜め下へ誘導。
足払いはしなかった。やらずとも堂嶋は充分勢いづいているから。
僕はただ、自滅を誘ってやればいい。
「せやっ」
渾身の返し技。今度という今度は手加減なしだ。
というより僕は隻腕なので、手抜きするだけの余力がない。
堂嶋が宙返りする。腰を痛烈にコンクリート床へ打ちつけた。
「ごはっ」
堂嶋が肺の酸素を残らず排出しきった。あおむけで、大の字になる。
「一本、これまで」
僕は自ら審判役を務め、対戦の終幕を告げた。白目をむき、口から泡を吹く堂嶋の真横でへたりこむ。
血が不足気味だ。長引くと本格的にやばかったかもな。
「め、巡」
気づくと、能登さんが傍らに来ていた。
「手こずっちゃったけど、やっとおしまいだよ」
「うん。腕縛るから、少し我慢して」
能登さんは僕のネクタイを拾っていたらしい。僕の脇の下へタイを通し、結ぼうとしたとき、いきなり涙をこぼした。
ポロポロ、ポロポロととめどなく流れる。
僕の思考回路は極端に鈍った。目前の光景が信じられない。
能登ひまわりは、感情を押し殺した〈クールドール〉のはずだ。にもかかわらず、忌憚なく泣き続けている。
「うおっ、ご、ごめんよ、ひまわり──じゃなくて、能登さん。偽の恋人を演じるうえでやむなしとはいえ、呼び捨てにしちゃったの、不快だったよね」
「ひまわり、で構わない」
能登さんは涙を流したまま、ネクタイを腕のつけ根にきつく巻きつけた。
むせび泣きの原因は、別にあるらしい。
「そ、そっか。んじゃお言葉に甘えて。呼び方じゃないとすると、ひまわりをセフレ扱いしたのは過剰演出っつーか、デリカシーなさすぎだった。以後気をつけるよ」
「セフレって何?」
うーむ。泣き顔の少女に、立て板に水で語れる内容ではない。
だがこいつも外れか。
「いや、忘れて。だったら、問答無用でストーカー先輩をのしちゃったことかな。確かに僕とひまわりがいかにドロドロした関係か、とうとうと吹きこんでやれば、再発防止にはなったかもしれない。僕だって分かっちゃいたんだよ。けど実のところ、敵を気絶させるよりも、生かさず殺さずにするほうが高難度でさ」
僕の釈明は苦し紛れにもほどがあった。
それでも能登さん──改め、ひまわりは首を左右に振る。顔面を手で覆った。
「あたし、こんなつもりじゃなかった。巡を巻きこむばかりか、手傷まで負わせちゃって。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
ひまわりが壊れたオーディオのように、かすれた声音で謝罪の言葉をリピートした。
罪悪感からの涙、か。
なんだよ。取り越し苦労して損したな。
でも血の通わないお人形なんて、とんでもない。
人間臭くてかわいいところ、あるじゃんか。
「ケガのことは負い目に感じる必要ないよ。これは僕の過失で、自業自得だから」
僕はひまわりの頭頂部に手を置き、優しくなでた。
「それよか僕は怒ってる。事件に引きずりこまれたことなんかじゃない。師匠の僕に相談せず、独断専行したことだ。スタンドプレイする弟子は、煙たがられるって。あとほら、水臭いじゃないか。僕ってそんなにも頼りにならないかな」
「だけどあたし……巡に愛想尽かされて」
「うーん、耳が痛いな。確かに突き放す態度もとったけどさ。一度弟子入りを認めた手前、やすやすと見放したりはしないよ。ただ、あれに関しちゃ大人げなかった僕にも落ち度があるし、お詫びする。すまなかった。この通りだ、ひまわり」
僕は深々と頭を下げた。当のひまわりには見えてないかもしれないけど。
顔の高さを元通りにする。
「例の一件は、これでチャラにして。でも今回の分は、まだ精算できてないよ」
「あたし、どんな罪滅ぼしをすれば」
ひまわりが手の覆いを取っ払った。泣きはらした、二つの赤目がある。
「僕の願いを一つだけ、聞いてもらいたい」
「……何?」
僕はひまわりの頬に手を添え、親指で涙の跡を拭う。
「笑って欲しいんだ。勝者には女子のほほ笑みが付き物って、相場は決まっているから」
「うん。分かった」
彼女はほっぺにある僕の手に、自らの手のひらを重ねた。
名が示す大輪の花には届かなかったかもしれない。
でもひまわりは、精いっぱいはにかんだ。




