[二二]ヒロインを巡る決戦が、善悪で二極化可能とは限らない(前編)
「君も強情だな。聞き分けがないから、体に尋ねないといけなくなる。はてさて〝彼〟とどこまで親睦を深めているのやら」
長身の美少年は能登さんのブラウスを引っ張り、バタフライナイフを突き立てかけた。
ボタンに沿って、シャツを切り裂くつもりらしい。
「ちょっと待ったああぁぁーーーー」
僕はありったけの声で叫んだ。
天井がないとはいえ、壁に反響して廃ビルにこだまする。
全速力で走ってきたので、息が乱れっぱなしだ。深呼吸でもして鎮めないと。
「誰だ」
男はナイフを握ったまま振り向いた。光量が乏しいせいか、目を凝らしている。
景観はまさしく廃墟だった。
床の継ぎ目からは雑草が伸び放題で、廃材が散乱している。ガラスのはまっていない窓は闇へと続くほら穴のよう。順次各階を建設するつもりだったのか、天井まで吹き抜けの構造になっている。おかげで一階からでも満天の星空が拝めた。
光源は月明かりのほかに、やつが持参してきたらしい懐中電灯のみ。
その貧相な照明機器が、能登さんを照らすスポットライトの役割を担っていた。
「ご無沙汰してます、堂嶋潤一先輩」
僕は先手を打ち、敵の名を告げた。
能登さんと廃墟を訪ねた同行者。彼の氏名を〈ASEAN〉の女指導者から聞いた際、僕は混乱した。
能登さんとの絆が、ちっともイメージつかない。
でも『なぜあの人が』と思う一方で、『彼ならあり得るかも』という気持ちもないまぜになっていた。
「ああ、真打ち登場か。久しぶりだね、天城巡くん」
堂嶋はナイフをもてあそびながら、喜色を浮かべた。ほの暗さも相まって、薄気味悪さが引き立つ。
芸術トークをするときの、ラリったトランス状態だ。
「その口ぶり、僕に用があったんですか」
「うん。君とは一度ひざを突き合わせて話をしなくちゃならない、と思っていてね」
「議題はなんでしょう」
堂嶋が首を後ろに回す。
「ひまわりについて、だよ」
僕の探し求めた女の子が、そこにいる。
見慣れたツーサイドアップ、整った顔立ち、美白の肌。
僕が知る中でもトップスリーにランクインする美少女──能登ひまわりだ。
ただ、平素の彼女らしからぬ部分も散見された。
まずは体勢。
能登さんは古びた麻縄で両手首をぐるぐる巻きにされたうえ、階段の手すりに縛りつけられている。座らされて、身動きが取れないらしい。
お次は口元。
彼女は元来無口だが、輪をかけてしゃべらない。いいや、しゃべれないのだ。口に濃紺のネクタイで猿ぐつわされているのだから。
そして極めつけが服装。
スクールベストの中心線(首元からへその部分にかけて)が、両断されていた。野郎が得物でやったのだろう。
能登さんのベストが裂かれているのを見るなり、僕の中に破壊衝動が芽生えた。
目の前のいけ好かない優男を、蹂躙してやりたくなる。
だが抑えろ、天城巡。〝明鏡止水〟の心境だぞ。
あやめ姉さんにも「先走るな」ってたしなめられたろう。
やつの話を聞いてからでも、ぶちのめすのは遅くない。
僕は跡が残るほど、己の太ももに爪を立てた。
「呼び捨てとは、ずいぶん親しげですね」
「ああ。ひまわりは、おれの恋人だよ」
堂嶋が能登さんの彼氏?
寝耳に水だ。よく考えると能登さんがフリーかどうか、確かめたことはなかった。
にしたって妙ちくりんな話だ。
能登さん、誰かと交際しているなんて素振り、かいま見せてもいなかったし。
「彼女に恋人がいるなんて、初めて聞きましたよ。いつから付き合ってるんですか」
堂嶋は正面へ顔の向きを戻し、勝ち誇る。
「付き合い始めたのは、さして昔じゃないよ。まだ一ヵ月経たないくらいかな。ちょうどアツアツな時期かもしれないね」
一ヵ月……能登さんが僕を体育館裏に呼びつけた辺りと符合するな。
ここを突っつけば、彼女の数ある奇行が一本につながりそうな予感がする。
「美男美女のカップルですね。良ければなれそめ、聞かせてくださいよ」
「いいだろう」
『美男美女』で、いたく気を良くしたらしい。堂嶋はナイフを下ろした。
「おれのアートテーマ、覚えているかな」
「ええ。『永久不変の美』でしたっけ」
「一字一句的中じゃないが、おおむね合っている」
指摘が細かい。ディテールにこだわるやつだ。
潔癖症か完璧主義者のきらいがあるのかも。
「ある日、同輩の美術部員に教えられてね。『二年に目が覚めるような美少女がいる』と。おれは半信半疑で見物に行ったよ。醸し出される純潔オーラは衝撃だったな。体中電流が走った、とでも表現すればいいのか。おれのアートには穢れのなさがキーポイントであり、不可欠だ。さしずめジャンヌ・ダルクのような高潔さがね」
要は能登さんが美形かつヴァージンぽかった、ってだけの話じゃないのか。
僕からすりゃこいつ、単なる処女厨だけど。
「一目見て、疑念が確信に変わった。『能登ひまわりこそ、〝不朽の美しさ〟を体現するにふさわしい最高のサンプルだ』とね」
サンプル、ときたよ。
堂嶋にとって能登さんは、彫刻の素体以上でも以下でもないのか。
思った通り、こいつは常人の感覚とずれている。
普通なら『一目ぼれ』なんかに結びつきそうなものなのに。
「ゆえにおれは即刻行動に移した。善は急げ、というしね。放課後にひまわりを呼び出し、胸のうちを打ち明けたんだ。『おれと付き合って欲しい』と」
「あのぅ先輩、『彫刻モデルになってくれ』じゃないんですか。なぜゆえ愛の告白にすり替わっているのか意味不明なんですが」
堂嶋が首を左右に振る。
「以前見直したこともあったけど、やはり君は浅学非才だな。何一つ分かっちゃいない。女性がきれいになる要素は、なんだと思う?」
「そりゃメイク、とか」
「化粧など所詮は上っ面の話だろう。おれは内面も含めた美について論じている」
知らんがな。サイコ野郎と異性の魅力について語らう暇なんかないね。
「恋、だよ。恋愛が女性を格段に美しくする」
およ。思いのほか、まともなアンサーだった。
「かいつまむと先輩と恋人関係になることで、彼女の美しさにより磨きがかかる、ということでしょうかね」
「猿知恵しか持ち合わせてない割に、察しがいいね」
どうしよう。もしも願いがかなうなら、直ちに駆逐してやりたい。
だが辛抱だぞ。まだ僕には大義名分がないのだから。
「で、告白に対する彼女の答えは?」
「『あなたのこと、何も知らない。だから〝良い〟とも〝嫌〟とも明言しかねる』だよ。こうしておれたちは恋人同士になった」
うわぁ、能登さんならいかにも言いそう。
されど──
「待ってください。彼女、OKしてませんよね。なのにどうしてまた、彼氏彼女なんつー急転直下を迎えたんですか」
「君もつくづく愚劣だな。ひまわりは拒否もしてないだろう。未知への恐怖心がネックとなるならば、相互理解を促進することで障壁はきれいサッパリ除去される。すなわち言葉の裏には、『おれのことを深く知りたい』というサインが隠されているのだ。その程度も紐解けんとは、嘆かわしい」
あんたは裏を読みすぎだ、なんて言っても馬耳東風なんだろうな。
こいつははた迷惑な自己中だ。自らの主義主張に、一ミリの疑義も抱いちゃいない。
『おれを中心に世界が回っている』とでも思いこんでるんだろう。
「なのに当のひまわりときたら、つれなくてね。いや、照れてるのかな。恋人であるおれと、一緒にときを過ごそうとしないんだ」
口を封じられている能登さんは、しきりにかぶりを振った。
「事実無根」とでも言いたいのかな。
だいたい読めてきたぞ。
能登さん、悪質な誇大妄想狂男に見初められて、なすすべがなかったのだろう。
溺れる者はワラをもつかむ。
その『ワラ』が天城巡だった、ってオチか。
能登さんが合気道を会得し、倒したかった相手も堂嶋に違いない。二人で下校している際、前触れなく電話をかけてきたのも。
たぶん能登さんは堂嶋潤一とのしがらみを白紙に戻したくて、東奔西走したのだ。
「照れているわけじゃないでしょう。先輩は嫌われてる──ってか、そもそも二人の関係は始まってさえいない証拠じゃないっすか」
「あまつさえ」堂嶋は僕の切り返しをスルーした。「ほかの男に目移りする始末だ。よりにもよって、しつけのなっていないごく潰しに引っかかるとはね。他人の彼女に手を出すなんて、不届き千万だと思わないかい、天城巡くん」
そういうことか。僕と堂嶋の認識は正反対なのだろう。
やつこそ能登さんにつきまとう変質者、というのが僕の当て推量。
しかし堂嶋にとっては天城巡が、能登さんをたぶらかす浮気相手なのだ。それどころか『ストーカー』とさえ思っているかもしれない。
「おれは陰でこそこそされるのが好かない。だから再三再四にわたって、話し合いの場をセッティングするよう、ひまわりに頼んでいた。しかし彼女は頑として君を矢面に立たせようとしない。今日は珍しくひまわりのほうから『話がある』と誘われたんだ。とうとうおれの思いが伝わったのかと、喜び勇んでここへ来た。三人で別れ話など、喧伝されたくはないからね。極力人の目を避けたのさ」
妹と口ゲンカをした日、能登さんは「自分で対処する」と言った。
その決意は、堂嶋との直接対決を示唆していたのか。
「ところが、ひまわりは一向に君を招こうとしない。そればかりか『あたしにつきまとわないで欲しい』などとたわごとを口にしてね。君のほうからかかってきた電話にだって、『来るな』とアラートを発する有り様だ。おれもついカッとなってしまって、気づいたら拘束していたよ」
我を忘れて刃物で刺されなかっただけ僥倖、と見るべきだろうか。
いや。女の子の自由を奪うこと自体、許されざる蛮行だ。
断じて看過してはいけない。
僕は一歩踏みこんだ。
「おっと、それ以上近づくな。ひまわりを傷物にしたいなら、止めないが」
堂嶋が能登さんの首筋にナイフの腹を当てた。
「……正気かよ。かりそめにも、あんたの恋人なんだろう」
「これだから知恵遅れと会話するのは疲れる。おれは彫刻にひまわりの美を写し取るため交際している、と言ったろう。親愛の情なんて二の次だ。ほれたはれたなどという下賤な尺度で測ってくれるな」
何もかもがアートのため、か。
一周回って『脱帽』と思えるレベルだ。決して模倣したくないが。
「だとしたも彼女が傷つけば、あんたにとっても望ましくない状態になるんじゃないのか。究極の美しさとやらに、醜い傷跡は大敵だと思うが」
「ミロのヴィーナスは両腕がない。不完全さが、かえって熱狂的に支持されることもある。最悪、死体になっても彫像のモチーフにはできるしな」
堂嶋がニタリとした。




