[二〇]思慮深い箱入り娘のエールが、奥ゆかしいとは限らない(後編)
「要はルミが能登さんにケンカ売って、玉砕。めーくんが『俺様のベイビー泣かせた償いしてもらうぞ、あぁん』と因縁つけて険悪になった、と」
姉が僕の話を総括(?)した。
「姉さん、僕はどこのチンピラなのでせう」
「天城組の鉄砲玉です。さておき、どうするつもりですか、めーくん」
「『どうするつもり』って、何が?」
「だから能登さんと、どうなりたいのですか」
僕はしばし姉の問いかけを吟味した。
「このままでいいとは、思わないけど」
「もっと具体的に」
「いや、だから……。亀裂や確執をなくしたいと思う、けど」
「仲直りのためには何をなすべきなの」
姉の語調は保育士みたいだった。
ひいては赤ちゃんプレイとかへシフトするのだろうか。
「どちらかが我を通すのをやめれば、着地点も見えてくるかと」
「大変良くできましたね。ならめーくんが譲歩しなさい」
「はぁ? なんで僕が。悪いのは能登さんなのに僕が頭下げたら、面目丸潰れじゃん」
あや姉がにじり寄ってきた。タレ目に炎を宿している。
「プライドに執着する人間の末路は悲惨ですよ。めーくんは男の子でしょ。メンツがどうとか狭量なこと、言わないの」
「だってね」
「『だって』じゃありません」
姉は僕を威嚇させたいのだろう。いかんせん覇気は、妹や能登さんに及ばないけど。
そしてあまりに接近するものだから、僕の左腕に胸が当たっている。というか『谷間に挟まっている』が正しいかも。
その弾力たるや、パない。うっかりすると昇天させられそうだ。
「わ、かりましたって。僕が歩み寄りますので、少し離れて」
「? 分かってくれればいいんです」
あや姉は不可解そうながらも、後退した。
魔性の渓谷から脱出して、安堵より心残りが勝る。
僕……いろいろもう手遅れかもな。人として。
「じゃあ明日実行する、ということで。結果は追って連絡──」
「先送りはいけませんよ。今日できることは今日するんです」
「え。だって夜も遅いし」
「めーくん」
姉に名を呼ばれただけで、「はい」とケータイを構える僕。
己がカーストの底辺にいるのだと、切実に感じる。
僕が能登さんの電話番号へコールすると、
「私が目を離した隙に、ちゃっかり携帯番号ゲットしているとは……。めーくんにプレイボーイの素質など、あるはずないと思っていたのに」
姉がぶつくさやっている。
「姉さんまで、会話内容聞くことないでしょう。向こう行ってよ」
あや姉はマイ携帯電話の裏側で、耳を澄ましているのだ。
「これは監視──もとい、姉の義務です。めーくんがまた粗相をしないとも限りません」
僕の信用度、ゼロどころかマイナスらしい。借金不能のブラックリストレベルだ。
にしても、つながらないな。幾度も鳴らしているのに。
コールが途切れないってことは、着信拒否されちゃいないのだろう。
まだ眠るには早いと思うけど、布団に潜ってるという可能性もなきにしもあらず──
なんてぐだぐだ考えているうちに、つながった。
「あの、もしもし、能登さん。天城です」
番号とともに僕の名も表示されているだろうけど、エチケットとして名乗った。
『…………』
応答なし。
能登さんのお家芸、沈黙だろうか。
と思ったら、
『巡、絶対に来ないで!』
能登さんの切羽詰まった甲高い声が聞こえた。
しかし電話口から遠くにいるらしい。叫んだにもかかわらず、消え入りそうだった。
「能登さん、今のはどうゆう」
『ちっ』
舌打ちがして、電話が途絶える。切られたようだ。
「めーくん、どういうこと、かしら。能登さんにかけたのよ、ね」
姉が当惑してる。さもありなん、だ。
切断の直前に聞こえた音声が、明らかに〝男によるもの〟だったのだから。
ほうける僕の手から、姉が携帯電話を抜き、かけ直したらしい。
「つながらない。電源を落としているみたいで」
あや姉の言葉が、僕には開戦ののろしに思えた。
座り姿勢からのスタートを切る。加速しかけたところで、腕をつかまれた。
「どこへ行くんです!」
あや姉が両足で踏ん張りをきかせ、僕の行動を阻害した。
「『どこ』って、能登さんの所。邪魔しないでっ、姉さん」
「何を道しるべに向かおうとしているの。能登さんの居場所、見当つくのですか」
「知らないよ、そんなの。体を動かしながら考え──っ!!」
僕は口をつぐまざるを得なかった。
あやめ姉さんが僕の頬にキスしたのだ。
ほっぺとはいえ、唇寄りだった。三センチほど横にずれたら、口と口だったろう。
「頭が冷えましたか。せいてはことを仕損じます。冷静になりなさい」
姉が唇を離しがてら、忠言した。
「はやる気持ちは痛いほど分かります。恐らく能登さんは、なんらかの危機的状況にあると見るべきでしょう。でもめーくんまで右往左往して、どうしますか。助けられるものも助けられなくなります。めーくんが頼みの綱かもしれないのに」
「ご、ごめん、なさい」
「もう向こう見ずになったりしませんか」
「うん。肝に銘じる」
「それでこそ、私の自慢の弟です」
あや姉は背伸びして、僕の頭をなでた。
ガキ扱いするなよ、と言いかけて思いとどまる。
姉の手が震えていた。
冷静沈着を装っているものの、心中穏やかじゃないのだろう。僕の無謀をいさめるため、腰砕けになりそうなのを耐え忍んでいるんだ。
姉の包容力が、無鉄砲に走りかける僕の心を最も鎮めた。
「打開策の見通しは立ってないけど、僕行くよ。姉さんはダメ元で警察に通報して」
「私がついていっても足手まとい、ですものね」
「お荷物なもんか。あや姉は僕にとって、勝利の女神だ。ただ、物事には適材適所がある。姉さんは頭脳労働担当。足使って闇雲に動き回るのは、体力バカの僕の領分ってね」
「勝利の女神……」
姉は頬に手を当てて、腰をくねくねさせた。
「あと念のため、応急処置の用意だけしといて」
あや姉が弛緩した表情を締める。
「負傷するかもしれない、と?」
「可能性の問題だよ。使わないに越したことないけどね」
「ねぇめーくん、『必ず帰ってくる』と約束して」
「舌先三寸ならいくらだってできるけど、それでいいのかな」
姉が左右に首を振る。
「私が欲しいのは上辺の言葉ではありません。確約です」
「無茶言わないでよ、あや姉。世の中に『絶対』なんて、どれほどあるってのさ」
「じゃあ、何かメリット──見返りがあればいいですか」
「メリットって、急に言われてもな」僕は腕組みした。「見返り……ご褒美、ねぇ。おっ。こんなのはどうかな。さっきほっぺにしたこと、今度ここにしてくれるってのは」
自らの唇を人差し指で指し示す。
「さっき、ですか。私がめーくんのほっぺたに──はっ」
姉が手のひらで口を覆った。僕のたくらみを、くんだのだろう。
そう、僕はキスをせがんでいるのだ。
「私はあなたのお姉さんですよ」
「知ってますとも。才色兼備で僕なんかにゃ手の届かない雲の上の存在。しかも一つ屋根の下に暮らす家族だ。ただ『やっちゃいけない』と禁じられたほうが、燃えるじゃん」
「不真面目な弟を持つ姉の身にもなってください」
僕だって半分以上悪ノリだ。発破をかけるためにふざけている。
「いいでしょう。弟のなりふり構わぬわがままに付き合うのも姉の役目。ただし一考するだけ、ですからね」
「サンキュー。これで僕は何がなんでも帰る理由ができた。姉さんとチューするまでは、死んでも死にきれないからね」
「まったくもう。やらしいんだから、めーくんは」
姉だって弟と口づけする気なんて更々ないに違いない。
それでも僕の気勢をそがないため、賭けに乗ったふりをしてくれる。
その心意気がうれしい。
是が非でも帰ってこなければ。
「だからさっきのは『前払い』って解釈しとくよ。そんじゃま、行ってきます。姉さん」
僕は投げキッスを返礼に代えて、自室を辞去した。




