[一五]百戦錬磨の毒舌家が、向かう所敵なしとは限らない(前編)
「台本通り言わなくちゃいけなくて」
座敷わらし君が四つ折りの紙片を差し出してきた。開いて目視する。
『ヤリマン
黒乳首
ガバガバ
さげまん
うんころもち』
などと書いてあった。
いかにもオツムの足りない男子中房が言いそう。
あえて低レベルに設定する芸の細やかさ(ただし陰険)。
うむ。まず間違いなくルミちゃんが黒幕だな。
つーか『うんころもち』って悪口なのだろうか。あるいは『エキセントリック』につぐ妹のはやりなのかもしれない。
僕はカンニングペーパーを返却する。
「心中お察しするよ。いくら恋い慕う相手の頼みでも、これは言いたくないよな」
「こ、恋い慕うだなんて、とんでもない。ぼくはルミ様のおそばにいたいだけですし」
ひたむきで献身的な男子だ。ゆえに思う。
なんと罪作りな妹だろう、と。
「あとぼくとしては、お兄さんが隣のお姉さんと仲良くなってくれれば、強力なライバルが減るかもと思って」
ふーん。けなげかと思いきや、したたかな一面も兼ね備えているのか。
僕をライバル視する時点で、見当外れもはなはだしいけど。
「ところで、妹は近辺にいるかな」
「え、あ、はい。どこかでぼくの働きぶりをうかがっているかと」
そんなこったろうと思ったよ。ルミちゃん、用心深いし。
「了解。あとは僕のほうでうまく処理しとくから、帰っていいよ」
「あ、ありがとうございます。お先に失礼します」
お礼されるほどのことはしてないけどね。
彼、妹に相当調教されているらしい。いや、『洗脳』と言うべきか。
「うん、バイバイ。これからも妹をサポートしてくれよ」
座敷わらし君は照れ笑いしつつ、おじぎして雑踏に消えていった。
さーて、主犯格を召喚するか。
僕は鼻をくんくんさせ、
「あれ、なんだか僕好みのおみ足を備えた女子のにおいがするぞ。美脚もさることながら、大人の色っぽさも漂ってくる。どこかなぁ。隠れてないで出てきてよ、子猫ちゃ~ん」
空々しいくらいの三文芝居を打った。
能登さんが『ついに錯乱したか』という目つきで見上げてくる。
臭い芝居くらいでちょうどいいんだよ。だって彼女、おだてに滅法弱いんだから。
予定調和で釣れた。
店と店の間の路地から、サイドポニーのセーラー服JCが現れる。
「やあ、めぐ兄。奇遇だね」
僕に比肩するほど白々しいよ、ルミちゃん。
「登校のときぶりだね。今日はよく中学の子と、ばったり会うなぁ。中学生デーだ」
「へぇー、ルミの前には誰と会ったの。性懲りもなく女の子とか?」
さすがに妹は女優だ。
手を変え品を変え、計略の結果を僕から引き出そうとしている。
「だったらよかったんだけどね。あいにく男子だったよ。ほら、ルミちゃんの荷物持ちをしている彼」
「にゃるほど~」妹が無邪気に手を打った。「彼、何か言ってた?」
やっと核心に迫ってきたな。
でも彼と約束もしたし、男のメンツ保ってやろう。
「それがさ、聞いてよ。ひどいんだ。会うなり、彼女に暴言浴びせまくりで。ショックで彼女、一言も口を利かないだろう」
能登さんのアイデンティティである朴訥さを、逆手に取らせてもらった。
「あ、ちなみに彼女は能登ひまわりさん。僕のクラスメイトだよ」
ルミちゃんが値踏みするように、能登さんを注視した。
『受けて立つ』ばかりに、能登さんも妹を見返す。
「巡、教えて」
「『巡』ですって?」
ルミちゃんの声音には、どこかしらトゲを含んでいる気がした。
「成り行きで、そうなってるの。能登さん、何かな」
「このちんちくり──美幼女はどちら様?」
能登さん、「ちんちくりん」と言いかけたよな。
しかも頭に『美』をつけたところで、『幼女』は敬称にならないって。
地獄耳なルミちゃんも聞き漏らしてないし。歯を食いしばってる。今にも対外的な淑女のメッキがはがれ落ちそうだ。
「この可憐なレディは天城ルミ。僕の妹だよ」
「妹。言われてみれば、あやめさんの面影がある」
ルミちゃんが会釈する。
「はじめまして、能登ひまわりさん。その節はうちの姉が〝大変お世話になった〟みたいで。お姉ちゃんは芯が強そうに見えて、ナーバスなんです。めぐ兄関連は特にね。おかげさまで毎朝三つ編みにするだけじゃなく、励まさないといけなかったんですよ。うふふ」
笑顔にもかかわらず、一言一言に毒が注入されていた。足がすくむよ。
「あやめさん、弟離れできてないのね。典型的なブラコン」
能登さんは新機軸の回答を打ち出した。妹の遠回しな嫌味が通じないらしい。
ルミちゃんも口角をひくひくさせている。
「ま、まぁ、ご挨拶も済んだし、一緒に帰ろうよ。お兄ちゃん」
常識外れっぽい能登さんとの全面対決を避けたのだろう。妹は猫なで声を出し、僕と腕を組んだ。
対抗心に火がついたのか、能登さんも空いている僕の手首を両手でつかむ。
「帰りたいなら一人でどうぞ。巡はあたしの見送りしている最中」
「あんたこそ一人で帰れ、泥棒猫……あら、やだ。ごめんあそばせ。ルミったら、なんて慌てん坊なのでしょう。つい口汚い言葉を使ってしまいました」
エセ令嬢口調で、なかったことにしようと画策している。
けれど『泥棒猫』ってのが、妹の偽らざる本音なのだろう。
「安心して。あなたからは、お姉さんみたいに清浄な香りがしない。汚れているくらいで身の丈に合ってる」
能登さんが僕の手首を引き寄せる。
「おほほっ、どうしましょう。これが風のうわさに聞く『殺意』かしら。命が惜しければ手を離してくださいな。めぐ兄はルミと帰るんです」
負けじと妹が僕の腕を引き返した。つぶらな瞳は完全に据わっている。
「物分りの悪い幼女は面倒この上ない。それとも一人でおうちに行けないくらい、幼いのかしら。ランドセルが見当たらないけど」
「黙って聞いてれば、いけしゃあしゃあと。誰が『幼女』だって!?」
「ご愁傷様。ぺちゃぱいが如実に物語っている」
「ぺちゃ……。あんただって微乳だろうがっ」
僕を挟んで水かけ論を繰り広げる二人。あまつさえ僕の両腕をロープに見立て、綱引きまでしている。
一計を案じないと、さけるチーズのごとく脳天から真っ二つになるまで時間の問題だ。
「二人とも、クールダウン。僕を八つ裂きにする気か!」
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
どうしてこうなった!!
大事なことなので二回言おう。
どうしてこうなった。
どこでボタンをかけ違ったのだろうか。
「めぐ兄ほら、あ~ん」
ルミちゃんがテリヤキバーガーを差し伸べてきた。
僕が口を開けないなどお構いなしに押しこんできて、とうとう頬にくっつける。
「あっつ」
熱々の肉汁でヤケドしそうになった。
涼しい顔してデンジャラスなことをする妹だ。
「あっ。めぐ兄ったら、ほっぺたにソースついてるよ」
そりゃ、あなたにハンバーグで焼き印を押されましたからね。
しょうがないな、とルミちゃんは指先でテリヤキソースを拭い、唇に持っていった。舌を出して、なまめかしくはわせる。
「ね、きれいになった」
「ありがとう。ところでルミちゃんも口の横、ほくろの近くにケチャップついてるよ」
妹がスクールバッグから手鏡を取り出そうとする。
「えっ、どこどこ」
「いいよ。僕が拭いてあげる」
「だったらめぐ兄、いつものようにやって」
「『いつもの』ってのは何かな」
「もぉっ、めぐ兄は若年性アルツハイマーなんだから」
うっ。一点突破で胸をえぐってくるな。
「ご、ごめん。物忘れの激しい愚兄に、教えてくれないか」
「だから家ではご飯粒とか、〝なめて〟取ってくれるじゃん。どさくさで、ルミの唇にも舌入れてくるけど。食事どきくらい、ゆっくりさせてよね」
「そんなこと、一回もやったことないじゃん。名誉毀損どころの騒ぎじゃないよ!」
僕は全身全霊で否定した。
ルミちゃんが唇の前に人差し指を立てる。
「めぐ兄、しーっ。お店では静かにするのがマナー」
僕は店内を見渡した。
僕らと同じ下校後の学生や、スーツ姿の人が奇異なまなざしを向けてくる。
決まり悪くなって、縮こまった。穴があったら引きこもりたい。
「でもめぐ兄の舌テク、同級生の前で披露するのは抵抗あるよね」
「ルミちゃん、後生だから誤解をまき散らすのはやめてくれないか。能登さん、真っ赤なウソだから真に受けないで」
「特段気にしてないし」
言葉と裏腹に、能登さんはフライドポテトをかじりつつ、僕のみ蔑視してくる。
はぁーあ。気が滅入るよ。こんなに心もとない間食は、生まれて初めてかも。
僕と妹、そして能登さんはアーケード街の一角にあるファストフード店にいた。
路上でもめたあと、どういうわけか場所を移すことになったのだ。
ハンバーガー屋の二階フロアの窓際四人席。そこに三人で座っている。
僕の隣にルミちゃんで、能登さんは僕の正面席。
僕がテリヤキバーガーセット、妹がチーズバーガーを頼み、能登さんだけ単品でポテトとバニラシェイクを頼んだ。ここに来といて、ハンバーガー嫌いらしい。
トレイを運んで席に着くなり、ルミちゃんが僕にベタベタしてきた。イス同士をぴたりと接着し、これでもかとすり寄ってくる。
実家でもこうまで甘えることはないのに。
何か裏があるのだろう。
「能登さん、お好きなタイミングで帰宅してくださいね。後片づけはしときますから」
「自分の分くらい片づけられる」
能登さんは妹と視線を交わそうとすらしない。ずっと僕をねめつけてくる。
「余計なお世話だったみたいですね。じゃあそろそろ腹の探り合いはやめましょうか」
ルミちゃんが眼を細め、口元を半笑いにする。妹ならではの臨戦態勢だ。
能登さんがやっと、視界に妹をとらえる。表情はないものの、対になった瞳の奥に青い火炎が宿っている、と僕は幻視した。
『一触即発』
一言で表すと、そんな雰囲気だ。
僕はつばを飲みこむ。




