[一二]在りし日の一幕が、爽快なものばかりとは限らない(前編)
「もぉ~。どうして『姉弟です』って弁明しないんですか。あれじゃ私たち、『観覧車の中でいかがわしいことしてました』と暗に認めているも同然でしょう」
姉が僕の胸板をポカスカはたいてきた。
さりとて、ちっとも痛くない。『これってマッサージかな』と思うほどの打撃だ。
いかにも小動物な姉らしい貧弱さ。
暴漢に襲われたら、ひとたまりもないな。まぁそうならぬよう、僕が未然に防ぐけど。
「必死こいて言い訳したほうが、変に信憑性増すって」
何はともあれ、未遂でよかったよ。
チュッチュしてたら今ごろ、姉との関係性がこじれたかもしれないし。
「だからって私まで、『ふしだらな娘』と勘ぐられるのは心外です。年がら年中発情期のめーくんと一緒くたにされるなんて、屈辱極まりない」
「僕はお姉さまに『オールウェイズ盛りのついた、みだらな野獣』と思われることこそ、すげー心外なんですけどね」
「口答えしないの。めーくんは私の言う通りにしていればいいんです!」
姉はへの字口になって、『きっ』とにらみ上げてくる。
ウサギみたいななりしてるくせに(胸を除く)、内面は意外と頑固だからな。
「はいはい、降参ですよ。僕はあや姉の下僕だからね」
「『はい』は一回」
うへぇ、超めんどい。
〈ASEAN〉の連中にお披露目したいよ。一発で幻想も冷めるに違いない。
「イエッサー。僕は姉上様の忠実なるしもべです」
よろしい、と姉はおうようにうなずいた。そして右手を差し伸べてくる。
「まさか『忠誠のキスしろ』とか言わないよね」
「言いません。手を握りなさい、という合図です」
「はぁ。おててつないで、僕にどうしろと?」
「め、めーくんが迷子になるかもと、案じたまでです」
僕を何歳児だと認識してらっしゃるのだろう。
つーか、道に迷うとしたらあやめ姉さんだと思うけど。軽度の方向音痴だし。
「それは命令ですか」
「はい。というか私に、いつまでも恥かかせないで」
「プリンセスの勅命ならば是非もなし、だね」
僕はあや姉の手のひらを握り、歩を進めた。
園内を散策する。
手をつないで姉に歩調を合わせる僕。
同級生が目撃したら、どう思うだろう。
「重度のシスコン、キモいんだけど」
「分別もわきまえず一線越えるとか、マジひくわ~」
「実の姉と恋人ごっことは、落ちるとこまで落ちたな」
寄ってたかって僕を迫害するに違いない。
いついかなるときも、悪者は弟なのだ。
「ねぇめーくん、あれ」
姉がおっかなびっくりという具合で遊歩道の前方を指さした。
目を凝らすまでもなく見て取れる。
例の風船配りの着ぐるみマスコット、不良リスさんだ。
「…………」
僕らを──より正確には僕と姉の結んだ手を注視している。
相も変わらぬ面妖さ。いっそ、未確認生物UMAじゃないかと思えてくる。
「気にすることないって。暑くて意識朦朧としてるんじゃない。ぬいぐるみの中、サウナ状態だろうしね」
「めーくん、子供の前で今の話、しちゃいけませんよ。淡い憧憬を壊すなんて野暮なマネ、お天道さまが許しても、姉の私が許しません」
それは僕じゃなく、あのサボタージュマスコットに言ってくれ。
幾人の子供のドリームを、粉微塵に打ち砕いたか知れない。
「僕はガキンチョとコンタクトを取る機会ないから、ご心配なく」
「『ガキンチョ』とか、なんてぶしつけな口の利き方でしょう。親の顔が見たいです」
あなた、毎日見てるでしょうに。
「ぶーたれてないで、行くよ。姉さん」
僕はぶつぶつ言う姉の手を引っ張り、リスの脇を通り抜けようとする。
すれ違いざま、リスが急に通せんぼした。
新手の脅威かと身構え、僕は姉を背にする。
すると本分に立ち返ったのか、リスは風船を差し出してきた。
「脅かすなよ。僕らは間に合ってるから、もっとちっちゃなお子様にあげてくれ」
僕は丁重に辞退し、マスコットの横をすり抜けかける。
しかしまたしても進路をふさがれた。
こいつ、僕に積年の恨みつらみでもあるのか。
今度はリスさん、通行妨害だけでは満ち足りず、風船を押しつけてくる。
僕のほっぺに。しかもひねりまで加えて。
受領しない限り、ねじこみをやめるつもりはないらしい。
「も、もらいますって。だからコークスクリューブローは勘弁してくれよ」
僕は黄色の風船を受け取った。合わせて螺旋状のめりこみ攻撃も終息する。
右手に風船、左手にあや姉の腕。
僕、童心にかえりすぎじゃないかな。
やっと道を空けてくれたリスの傍らを通りすぎる瞬間、くぐもった声音が聞こえた。
「不潔」
着ぐるみの中の衛生環境が芳しくないのだろうか。
労働条件改善のストライキは、雇い主にすべきだと思う。
「いったいなんだったんでしょう」
姉は首をひねっている。
僕も全くもって同感です。答えは神のみぞ知る、なんだろうけど。
歩き続けるうち、広大な池にまたがるアーチ橋へたどり着いた。
渡り鳥が羽を休める、名物スポット。ただし現在はカルガモの親子しかいない。
姉が欄干から池の表面をのぞく。
「ここってボートに乗れるんですよね。なんなら私たち」
「あや姉、水関係のアトラクションは相性悪いでしょ。筋金入りのカナヅチなんだし」
姉が手をほどき、顔を背けた。
「めーくんの意地悪。『たとえ泳げなくたって、何があろうと僕が姉さんを守るから』と言ってくれてもいいのに。だからモテ期がこないんですよ」
言いたい放題だな。
僕が実際そういうクッサイセリフ吐いた暁には、爆笑するくせして。
あやめ姉さんが欄干で頬づえをつく。
「でも水辺にいると、懐かしい記憶がよみがえります。家族で初めて海水浴に行ったときのこと。覚えてますか、めーくん」
「あぁー、ぼんやりと」
生返事した。僕にとっては苦い記憶なので。
「めーくん、驚くほど鼻血出しましたよね。私、出血多量になるんじゃないかと、気が気でありませんでした」
やめたげてよぉ。聞きたくな~い。
数ある僕の黒歴史の一節だ。
父が岬さんと再婚後、「みんなで家族旅行に行くぞ」と思いついて、海水浴場へ赴いたときのこと。僕はまだ高遠一家にとけこめず、他人行儀だった。
父は家族間のぎくしゃくムードを解消するため、旅行を企画したのだろう。
水着で『いざ海だ』となった段で、僕の身体に異変が起こる。
あやめ姉さんの水着姿がセンセーショナルだったのだ。
当時僕も姉も中学生で、姉は生真面目にも学校指定のスクール水着をまとっていた。
断っておくが、別に僕はスク水至上主義者じゃない。
それにしたって姉の艶姿は常軌を逸していた。
出会ったころからパイオツカイデーだった彼女の胸回り、『三年C組 高遠あやめ』のプリントが判別不能なほどゆがみまくっていたのだ。
僕も中学二年で、あらゆることを下ネタに結びつけちゃうくらい敏感に反応してしまうお年ごろ。そこにきてメガトン級の爆発力を有する二個の凶器に遭遇したら──
僕に備わるスカウターの計測範囲を超過し、爆散。
当然の帰結として、あたかも噴水のごとく鼻血まみれになった。
『血の海』と評したって差し障りない。
かように扇情的なスクール水着を目にしたのは、あとにも先にもあのとききり。
あまりに鮮烈だったのでその後、睡眠時の夢にまで出てきたくらいだもの。
スク水姿の姉と何をしたかって?
トップシークレットだ。
「若気の至り」とだけ言っておく。




