[一〇]姉弟水入らずの休日デートが、役得だらけとは限らない(前編)
「ふんぎゃあぁぁ~~~~」
赤ん坊の泣き声ではない。
発したのは満十六歳、万年彼女募集中の高校二年生ピュアボーイだ。
すなわち僕。
晴れ渡る青空のもと、僕は年季の入ったジェットコースターの安全装置にしがみつき、絶叫につぐ絶叫をしていた。
レーンの頂点に到達したかと思うと、急勾配の坂を下る。心象的には地面すれすれまで達し、あり得ない角度のカーブを曲がる暴走列車。
いずれも『異常な速度及び重力』というおまけつきだ。
僕の隣には三人グループであぶれたらしい女性が座っており、女の子顔負けに叫ぶ僕を眺めて『この臆病者のせいで、しらけるんですけど』って顔している。
すみませんね。
何べんも乗車していれば慣れそうなものだけど、怖いものは怖い。
僕は絶叫マシンが不得手……というか、憎悪すら覚える。
こんなのが得意でも人生豊かになるわけじゃない。スリルを味わうためだけの乗り物は、『百害あって一利なし』というのを天城家の家訓にしたいくらいだもの。
けどその案が瞬く間に否決されるだろうことは、想像にかたくない。
だって我が家のアイドル・ルミ嬢は、ジェットコースターなど物ともしないのだから。この遊園地くらいの規模ならば物おじどころか、「なんなのこれ、子供だましじゃん」と吐き捨てたほどだ。
で、その勇ましい僕の妹は現在、ジェットコースターに乗りこんでおらず、地上にいる。敷地を囲う柵から、僕の醜態をうっとりとカメラに収めているのだ。
僕はなんとか失禁を免れ、スタート地点に舞い戻った。家族のもとへと、おぼつかない足取りで歩く。
「おかえりぃ~。めぐ兄は一流のリアクション芸人だね。素敵な表情だったよ。ぞくぞくしちゃった」
妹の掌中にあるスマートフォンには、僕のおびえきった画像が映っている。
上着はタンクトップ、下はミニスカートと全体的に露出度が高く、ボーダーのニーハイも相まって絶対領域が神々しい。
ティーン誌の読者モデルもかくやの身なりなのに、なんと小ざかしいんだろう。
「『七転び八起き』って言うし、八回目いっとく?」
ルミちゃんは愛くるしい横ピースを決めて、残酷な仕打ちを宣告した。
僕はジェットコースターにかれこれ『七度』搭乗している。
「絶叫マシンお断り」と力説しつつも、僕がバカの一つ覚えみたいに乗り続ける理由。
それは〝罰ゲーム〟という名の拷問だ。
ルミちゃんは、兄が絶叫系を毛嫌いしていることなど知り尽くしている。
彼女としては姉妹へ働いた一連の不祥事(能登さんとのあれやこれや)のとがで、僕に責め苦を受けさせねば溜飲が下がらない。
『鳴かぬなら
エンドレスで乗せよう
ジェットコースター』(字余り)
そんな悪ノリのおかげで、僕は際限なく忌々しい乗り物に搭乗を余儀なくされている。
これこそが妹言うところの『行動で示す誠意』ってことらしい。
あや姉とルミちゃんは初めの一度のみ同乗し、あとはひたすら僕のワンマンショー。
繰り返し乗るものだから、僕はとうとう係員さんに顔を覚えられた。
「あ、どうも」「こちらこそどうも」
こんなよそよそしいやり取りを、幾度となく繰り広げたよ。
「ルミ、そろそろ解放してあげたらどうかしら。めーくん瀕死ですし」
温情あふれる仲裁が入った。
腰にまで届く長い三つ編みとセルフレームのメガネが、醸し出す雰囲気にとてもマッチしている。ゆったりしたワンピースドレスにもかかわらず、隠し仰せない豊満な胸。
萌高生徒の天使、あやめ姉さまだ。
「お姉ちゃんは甘いの。そんなんじゃめぐ兄、必ずつけあがるよ」
「めーくんはちょっとやそっとじゃ、増長しません。ひとたび女の子が絡むと、その限りではありませんけど。あと人並みに悔いる気持ちがあるはず、と私は信じたいです」
うーーん。
あや姉、僕を援護してるんだか、ディスっているんだか微妙だ。
「お姉が『いい』って言うなら、許してあげなくもないけどさ。やっぱむしゃくしゃするから飲み物買ってきてよ、めぐ兄。ルミ、のど乾いちゃった」
「見目麗しい妹ぎみのお願いとあらば、この兄めがかなえましょうぞ」
僕は執事のごとく、うやうやしくこうべを垂れた。
「ったく、風見鶏なんだから。ならお兄ちゃん、ルミの飲みたい物言ってみて」
「ダイエット中ゆえ、炭酸と甘ったるいのは論外。果汁飲料も控えているし、缶コーヒーは性に合わない。お茶がベストと考えます、お嬢さま」
いついかなるときも妹の好みを暗唱できる僕。兄として申し分ない。
ただし、口外できる特技でないことは自明の理だ。
「分かってるじゃん。お姉ちゃんは何にする? めぐ兄のおごりだから、ピンクドンペリでもオッケーだよ」
『はい、ピンドン一本入りましたぁ。ふぅー』って、なんでやねんな。
よしんば僕がホストだったとしても、身銭を切るんじゃ成果にならないっての。
「ピンクドンペリ? 私はルミとおそろいでいいですけど」
さすが清純派マイエンジェル。
どこぞの小悪魔ちゃんと違って、世俗に毒されてない。
ルミちゃんが遠くの自動販売機を指さす。
「そんじゃマッハで買ってきて。二分以内ね」
マイシスターは小悪魔じゃない。まごうことなきデビルガールだ。
だがしかし僕は、
「喜んで~」
とスタートダッシュを切った。
己の従順ぶりに泣けてくる。僕は生涯、ルミちゃんに頭が上がらないのだろうか。
フルスピードで駆け抜け、自動販売機前に到着。
ジーンズのポケットから財布を引っこ抜く。小銭を自販機に投入し、冷たいウーロン茶のボタンを連打した。
自分の分はどうしようと悩み、無難にレッドブルを選択。幾ばくかでもエナジーを補給せねば、今後続くであろうルミちゃんの無茶ぶりに対処できないし。
自動販売機の取り出し口に右手を突っこむ。ドリンクを三本胸に抱えたところで遅まきながら、注がれる熱視線に気づいた。
レイピアで刺突するかのように、僕の体躯へ突き刺さる感触。
素早く辺りに目線を走らせた。
──いた。こちらへまなざしを固定する人影が。
でも〝あれ〟が僕になんの用だろう。
「ねーねー、風船ちょうらい」
わんぱくそうな男児が、例の物体に話しかけた。
そいつが子供を見下ろす。通常であれば、
「わー。キミ、元気いっぱいだね。ボクとおともだちになってよ」
とでも気さくにしゃべりかけるのだろう。
「…………」
なのにそいつときたら、身じろぎ一つせず、じいっと男児を見続けた。
効果音をつけるとしたら『ゴゴゴゴ』という感じ。今にも「てめーはおれを怒らせた」とスタープラチナで応戦しそうだ。
彼も不気味になったのか「ふ、風船なんていらねぇし」と言い残し、立ち去る。『脱兎のごとく』とは、ああいう様をたとえるときに使うのだろう。
だがしかしこのかけ合い、どうも既視感がある。
逃走を図った児童が、僕とダブって仕方ない。
物思いにふけっているうち、やつが再び僕へ照準を合わせたらしい。
『そいつ』とか『やつ』とか紛らわしいな。
答え合わせをしよう。
この遊園地のマスコットであるリスの着ぐるみ(二足歩行モデル)が、僕を注視してるのだ。ゆるキャラっぽい名前もあったはずだが、とんと思い出せない。
愛嬌のある見た目に似つかわしくないほど眼光鋭く感じるのは、なぜだろうか。風船を配って回るのが仕事のはずなのに、『働いたら負けかなと思ってるんで』とばかりに職務放棄している。
子供たちも物々しい空気を肌で感じるのか、近寄る者さえ稀有だった。
──サボるなよ、おっさん。職務怠慢を告げ口されたらクビだぞ。
胸中で僕は〝中の人〟にクレームをつけた。
子供の夢を壊すなど、マスコットにあるまじき失態だと思うし。
とはいえタイムリミットが間近。エモーションがピーキーな(というか兄へ四六時中、言葉責めする)妹の気分を害したくない。
神罰を免れるための供物に近い飲み物を抱えつつ、僕はUターンした。
 




