城下町にて
「まさか……だな」
国王様が、溜息交じりに言葉を発する。
「ウェアドールの他にも、紋章のない人物が存在したとは」
「つまり……どういうことでしょうか?」
王宮に呼び出された司祭は、訳もわからずただ狼狽えるばかりだった。
「そなたも大魔導士である可能性があるということだ」
「大魔導士?」
「うむ。悪魔ギトラを倒す魔法が使える魔法使いのことだ」
国王様の言葉を聞いても、司祭は事情が飲み込めない様子だった。
「そなた、魔法は使えるのか?」
「魔法ですか? それならば……」
司祭はテーブルに置かれた空のグラスを持つと、掌から青い光を発した。すると、その掌から水があふれ出し、グラスの中に収まった。
「ふむ。なるほど」
国王様がそのグラスを手に取り、口元に持っていく。
「あっ、それは!」
「しょっぱ!」
司祭が止めようとしたが遅かった。国王様の顔には、梅干しを食べたときのような苦々しいものが映っていた。
「す、すいません……私の魔法は水を操るものです。ただ、何もないところから生み出すことはできませんので……代わりに、私の汗を……」
美少女の汗を飲むというシチュエーション。ある程度の需要はありそうだ……って僕は何を考えてるんだ。
「うーむ。これは誤算だった」
国王様が体裁を取り繕う。まるで何事もなかったかのように、話を進める。
「完全に、ウェアドールこそ大魔導士だと思い込んでおった。しかし、ここにきて新たな可能性が浮上した。となれば……その他の可能性もないとは言い切れまい」
「……というと?」
「国中、紋章のない人物を探す。今日中にだ。我が軍の総力を挙げて、一人残らず見つけて見せよう」
時間が刻一刻と過ぎる。南中高度から察するに、もうそろそろ昼食の時間だ。六時課の鐘も鳴る頃合いだろう。
タイムリミットは残り十三日だ。まだ、こちらの世界に来てからたった一日しか経っていないが、その一日ずっとここで足踏み状態だと言うことを考えると、自然と焦りも生まれてくる。二週間なんてあっという間だ。それは、自分がよくわかっている。
「そんなあせったってしかたないよー。もっとのんびりいこうよ」
落ち着きなくせかせかしている僕とは対照的に、ウェアドールはのほほんと出された焼き菓子をつまんでいる。
「だってさ、おーさまのやってることってべつにおかしいことじゃないでしょ? もし、あたしがだいまどうしじゃなかったら、せっかくながいたびをしたってむだになっちゃうじゃん」
「それはそうなんだけど……」
ウェアドールの言うことは的を射ている。焦って間違った選択肢を選んでしまっては元も子もない。こういうときこそ、じっくり腰を据えて対策を組み立て直すべきなのだ。ただ僕の性格からして、何もしないでいる、ということが歯がゆかった。何かをしない、というのは時間を無駄にしているのと一緒だ。その気持ちが強くなりすぎて、先ほどからずっと貧乏揺すり状態だった。
「ならさ、そうびひんとかみにいくのはどう?」
僕の気持ちをくみ取ったのか、ウェアドールが提案する。装備品ーー響きがなんともゲームっぽい。しかし、実際これから戦闘をするとなれば、攻撃防御共に万全にしておく必要がある。体力的に、重いのはきついだろうけど、まぁそれは見てから決めればいいことだし。
「そうだね、行ってみよう……で、場所は?」
「いったことないから、わかんない」
「……」
まぁ、普段戦闘行為をしてない人がそもそも行くようなところでないから、彼女が知らないのは無理もないだろう。こういうときこそ、アーノルドがいてくれれば楽だったのだが、生憎彼も大魔導士候補者捜しに回ってしまっている。仕方がないので、町の人に尋ねながら探索することにした。……そういうの、苦手なんだけどな。
再び、偉人達の銅像の間を抜け、広場へとやって来た。先ほどと変わらず、広場は市場で盛況していたが、所々に兵士の姿も垣間見られた。必死に聞き込みや身体検査をしている様子がうかがえる。
そんな状況に若干のいたたまれなさを感じつつも、僕達は僕達で武器防具屋のありかを聞いて回った。もちろん、自分が勇者である事は伏せた。先ほどの司祭のように、ミーハーがいないとも限らないからだ。現代でも町中を有名人が歩いていようものなら、たちまち人だかりができてしまい、その場から離れることが難しくなってしまう。こちらの世界でも、その本質はあまり変わらないだろう。
武器防具屋は割とすんなりと見つかった。広場に面した建物のうち、王宮に近いところにその店は存在した。
「たのもー!」
ウェアドールが元気よく挨拶する。個人的に「たのもー!」というと道場破りのイメージがあるのだけれど、その辺は問題ないのだろうか。
「……」
返事はなかった。外の活気とは裏腹に店内は静まりかえっている。
「あれー? だれもいないのかなぁ?」
にしても、店番もなしというのはやや不用心ではないだろうか? 防犯カメラなんてあるわけないし、これでは盗み放題ではないか。
「ってことはさ、かってにもっていかれてもしかたないよねぇ」
ほら、ここに邪な考えをしている人が若干一名いるぞ? まぁ本当にそうしそうになったら全力で止めるけど。勇者一行に前科持ちとか嫌だし。
店内をぐるりと見渡してみる。内部はそれほど広くはない。盾や鎧もレプリカがあるだけで、既製品と呼べる商品は置かれていないようだった。注文されて初めて作製に取りかかる、オーダーメイド形式なのだろう。
ならば、なおさら人がいないのはおかしい。商売が成立しないからだ。となれば、考えられることは限られてくるーー休憩中か、もしくは、実際は既にいる、というパターンだ。
ふと、目をやったその先に不自然なものを見つけた。
鎧。鉄仮面。右手には槍。一見しただけでは、ただのレプリカにしか見えない。しかし、それは他のレプリカとは明らかに何かが違っていた。
それをじっと睨みつける。
「……」
さらに、じーっと睨みつける。
「…………」
さらにさらに、じぃーっと睨みつける。
「………………」
「火事だーっ!」
「なんじゃと!」
「あんたは何してんだーっ!」
鎧の正体は店主だった。滅多に人が来ないものだから、暇つぶしをしていたらしい。
「年寄りのささやかな遊びじゃて。そうムキになりなさんな」
この国の人間はみんなこんなんなのだろうか? 半月経ったら死ぬかもしれないというのに、まるで緊張感を感じない。
「ちょいちょい」
神妙な面持ちで老人が声をかけてきた。
「な、何ですか?」
「鎧が脱げなくなっちゃった。すまんが、手伝ってくれんかのう」
なら、着るな!
十分後、そこには悪戦苦闘の末、ようやく鎧から解放されて喘いでいる老人の姿があった。しばらくして、息が整ってくると改めてこちらに向き直る。
「ところで、冷やかしに来たわけじゃなかろう。用件は何かの?」
そうだった。目的をすっかり失念するところだった。
「これから旅をするにあたって、武器と防具が欲しいんです。勇者用の」
「ふむ……」
店主は立ち上がって、僕の体をなめ回すようにじろじろと見た。自分の体ではないとはいえ、こうしてじっくり観察されるのは、なんだか恥ずかしい気分になる。
「うむ! 無理じゃ!」
「な、何がですか?」
「ほれ、持ってみ」
店主がじゃらじゃらとした金属製の衣服をこちらに渡す。手を離した途端、ずしりとその重みが腕に伝わった。
「お前さんに、それを一日中着ていられるだけの筋肉はない」
「マ、マジですか……?」
「同様に、騎士団が使ってるような盾も兜も金属製じゃ。重くて身につけられまいて」
「そ、そんな……」
仮にも勇者のはずだ。当然、それなりの武器防具が装備できると期待していた。が、蓋を開けてみれば、重量オーバーときたもんだ。この先、どうやって戦っていけばいいのだろう?
「まぁ、勇者用という括りをなくせばお前さんにぴったりのものもあるじゃろう」
「それは?」
「待っておれ」
店主がいそいそと動き回って、レプリカを物色する。そして、僕の下に乱暴にそれらを落とした。
「これ……は?」
そこにあったものは、切っ先の短い剣に鍋の蓋のような丸い盾、見た目が防弾チョッキのような分厚い布地の鎧だった。
「それぞれ、グラディウスにバックラー、クロスアーマーじゃ」
名前はとても格好いい。のだけれども、装備したところで絶対に映えない。こういうのは気分も大事なのだ。
「む? なんじゃ、不満か? これでも、実用性は抜群なんじゃぞ?」
「なんか、勇者としての威厳が保てない気がする……」
「何が、威厳じゃ! 戦場では、プライドも威厳も邪魔なものでしかないぞ! いざというときに正しい選択ができること、大事なパーティを守れることが勇者としての仕事じゃ」
はっとさせられた……確かにそうだ。僕は間違っていた。この先、ウェアドールやアーノルドを引っ張っていくのは、僕の役目だ。僕が判断を間違えば、仲間を危険にさらしてしまうことになる。僕がしっかりしないといけないんだ……
「ところで、そちらのおなごさんも新しい防具とかいかがですかな? 今なら、特別大サービスじゃて」
「あ、あたしは……いいよ」
ウェアドールが後ずさりする。明らかに、この老人に対して危機感を抱いているようだった。目でわかるくらい、冷や汗をだらだらと流している。
「いやいや、遠慮なさるな……むふふ」
店主はというと、目がすっかりすけべな爺さんのそれに変わってしまっている。手つきが見るからに怪しい。さっきの熱弁で見せていた職人気質は見る影もない。
「いやーーーーっ!」
瞬間、ウェアドールの手が黄色く光った。すると、店内のありとあらゆるものががたがたと震えだした。そのうち、剣の類いがふわりと浮き、店主めがけて一直線に飛んでいった。
「あ……あがっ……」
剣は店主の寸前のところをかすめて壁に刺さった。店主は口をあんぐりと開け、やがて気を失ってその場に倒れた。
まるで、ポルターガイストを見ているようだ。そういえば、彼女も大魔導士候補だった。魔法を使うところは初めて見たけれども……どうやら、怒らせない方が良さそうだ。
その後、店主を起こし、正確な寸法を測ってもらった。店主はウェアドールの魔法を怖れているのか、途端に無口になってしまった。鎧の完成は三時間後、九時課の鐘が鳴る頃にはできているということだった。僕達は代金として一五〇クルック支払い、店を後にした。
ちょうどそのとき、お昼を告げる鐘の音が街中に響いた。
「おなかへったぁ。ねぇ、ごはんたべにいこうよー」
ウェアドールが袖を引っ張ってねだる。自分も、昨日から何も口に含んでない。流石に、別の体であってもお腹はすくようで、自然の摂理には抗えなさそうだ。
「それはいいとして……で、どこで食べるの?」
「へへへー、あたし、いいおみせしってるんだー」
ウェアドールが得意げな顔をしてみせた。まぁ、この町のことについては僕よりも彼女の方が詳しいだろう。ここは、任せてみてもいいかもしれない。
「それじゃ、そのお店でよろしく頼むよ」
「りょーかいっ! まっかせっなさーい!」
で、連れてこられたのが広場や大通りとは隔離された、どう考えても怪しげな雰囲気のお店だったわけで。
全体的に紫を基調とした店内。日差しもほんの少ししか届いていないので余計に薄気味悪い。装飾品も骸骨や脳みそのような物体が置かれていたりで、食欲が減退するほどに気持ち悪いものがずらりと並んでいる。
人影は僕達以外には全く見当たらない。これで、商売が成立しているのだろうか?
「で……ここは、どんなお店なの?」
できる限りおおらかにやんわりとウェアドールに聞く。
「ん? ふつーのごはんやさんだよ?」
どこに内蔵を見ながら食べる普通の飯屋があるんだよ! 食事がのどを通らないだろって!
しかし、ウェアドールは意にも介してない様子だった。彼女のセンスがほんと、よくわからない……
「へい、兄ちゃん! 彼女と二人でデートかい?」
声のした方向に首を向けると、この場所がまるで場違いだとわかるほどの絶世の美少女が、そこにはいた。赤みがかった絹のような髪の毛をリボンで一つに結わえている。小さく端正な顔とは対照的に、体型は引き締まった、メリハリのあるもので、彼女の魅力を際立たせている。
「ヴィッダ! こんにちはー!」
「おや、ウェディーじゃないか! 元気だったか?」
ヴィッダと呼ばれた少女が白い歯を見せて、ウェアドールの頭をくしゃくしゃにする。外見からすれば、同い年くらいのはずなのだが、ウェアドールの態度があまりにも幼稚っぽいので、どことなく姉妹を見ているかのようだった。
「知り合いなの?」
「うん。おさないころからのともだちだよ!」
「とか言う割には、最近ご無沙汰だったけどなあ?」
ヴィッダがウェアドールの肩をつかみ、見透かすように目をのぞき込む。それに対して、耐えきれなくなったのかウェアドールが視線をそらした。
「い……いろいろ、いそがしかったんだよ!」
「ほお? どんな風に?」
ウェアドールがヴィッダの問い詰めに気圧されている。
「おばあちゃんのせわをしたり、とかさ! それより、ごはんだしてよ! ごはん!」
「へいへい。お一人様一〇〇万クルックになりまーす」
「高ぇよ!」
思わず突っ込んでしまった。金銭感覚はまだつかめていないのだけれども。
「あはは、冗談だって。二〇クルックずつね」
僕は二人分の四〇クルックを支払った。今日使ったのは、これで二〇〇弱といったところか。なるほど、食費から考えても一万クルックというのはなかなかの大金だということがわかった。無駄遣いしなければ、飯屋通いでも余裕で一ヶ月は保つ。
まぁ……あんまり考えたくない話題ではある。家計のやりくりは、どこの世界でも面倒くさいものだ。
「へい、お待ち!」
「早ぇよ!」
牛丼屋も吃驚の早さだ。一分も経ってないんじゃないか? それはまぁいいとして、だ。
「……で、これ何ですか?」
見るからに体に悪そうな色のスープだった。緑色のゼリー状の液体がぐつぐつ煮立っている。
「ああ、グレムリンの煮込みシチューだ」
「……ところで、グレムリンって何ですか?」
「ん、兄ちゃんは知らないのか? こいつだ」
ヴィッダが後ろからグレムリンの絵が描かれた額を取り出した。そこには、見るからに爬虫類ですよって姿をした怪物が鮮明に描かれていた。
こんなん食べられるか! 吐くわ!
何でこの店に人がいないのか、わかった。趣味の悪い内装に、出された料理がモンスターなら、そりゃ人はよってこないだろう。僕の感覚は正しい。狂ってるのは、こいつらだ。
「あれ? たべないの? おいしいのに?」
身の毛がよだつ思いをしている僕とは裏腹に、ウェアドールの食はどんどんと進んでいく。
「食べたいなら、どうぞ」
見るだけで、のどの奥から変なものがこみ上げてくる。なるべく視線を別の方向に向けながら、お皿をウェアドールの方に差し出す。といっても、店内にまともなもの自体ないわけで……自然と、ヴィッダと目が合ってしまった。
「お、兄ちゃん! あたいに惚れたか?」
「なんでそうなるんですか!」
「ははは、言ってみたかっただけさ」
昨日から、こんな人ばっかりだ。ひどく疲れる。相手をしなくちゃならない僕の身にもなってほしい……
「……ところで」
話題を変える。雰囲気に飲まれて、なかなか切り出すことができなかったが、今がそのときだと思った。
「その腕……あなたも魔法、使えるんですか?」
そう、この少女にもまた、紋章は刻まれていなかった。
「ん? 魔法は使えるぞ? だけれども、この腕がどうかしたのか?」
ヴィッダは事情を知らないらしかった。ということは、兵士達が彼女をこのときまで見つけられなかったということだ。こんな外れの、こんな怪しい店にいるのでは、それも無理ないかもしれないけれども。
僕はヴィッダに経緯を説明した。ギトラのこと、自分が勇者である(らしい)こと、そして大魔導士を探していること……
「だから、僕達の旅の仲間になってほしいんです」
「なるほどな、それじゃ仕方ないか。この店も名残惜しいんだが……」
いや、彼女には悪いけれども、正直この店はなくなった方がいいと思う。
「ここは、あなたが一人で経営してたんですか?」
「まあな。五年前に育ての親が行方不明になっちまってな。それから、ずっとあたいだけでやりくりしてたんだ」
彼女はそこまで言うと、背を向けるようにしてテーブルにもたれかかった。天井を見上げるようにして、感慨にふけっている。思うところはあるのだろう。僕だって、元の世界が恋しい。そういう思いを抱くのは、人としては自然な現象だ。
「ヴィッダ、ごちそうさまー!」
横でウェアドールが二杯目を平らげていた。あれを残さず食べてしまうんだから、ウェアドールも相当な精神の持ち主だ。
「よっし! そんじゃいくか! これからよろしくな!」
ヴィッダが手をこちらに差し出す。僕は、それを固く握りしめた。