教会にて
翌朝。目を覚ますと、そこは見覚えのある我が家だった……なんてことは全然なくて。
王宮の客室とおぼしき場所に、僕はいた。
結局、元の世界に帰る方法もわからないままだ。目処すら立っていない。ここには、スマホもないし、インターメットもない。テレビもなければ、漫画もゲームもない。あって当然だったはずのものが、ない。たった一日触れていないだけで、それらが恋しくなる。それらのありがたみをひしひしと感じる。
とはいえ、憂いていて変わるものでもない。幸い、気持ちの切り替えはスムーズにできる性格だった。もちろん、帰れる方法があるならそれにすがりつきたいが、今は悪魔討伐の方に気持ちがシフトしていた。覚悟、とでもいえばいいのだろうか。一晩寝て、たどり着いた結論だった。
気合いを入れて、ベッドから体を出そうとしたそのとき。ふと、右手に何かが触れた。触れた先を見やると、そこには……ウェアドールの頭があった。
「ふにゃ?」
ウェアドールはベッドに突っ伏して寝ていた。それを見た僕は——
「うわあああああっっっっっ!」
無意識に後ずさりした。そして、勢いよくベッドの上から転げ落ちる。大きな音を立てたせいか、ウェアドールも覚醒したみたいだった。
「ななな、なんでウェアドールがここにいるのさ?」
ウェアドールが目をこすりながら立ち上がる。
「あ、エルヴィスしゃま……おはよーごじゃいましゅ……」
寝ぼけているのか、ろれつが回っていない。
「あ、おはよう…………じゃなくて!」
「そうですそうです、あたしエルヴィスさまをよびにきたんでした!」
ウェアドールがぽん、と手を叩く。
「呼びに来た?」
「はい! エルヴィスさま、なかなかおきないのであたしもねちゃったんですけど」
「……誰に頼まれたの?」
「おーさまです!」
一番やっちゃいけないパターンじゃないか!
僕は、ウェアドールの手を取ると全速力でその場を後にした。
「すいません! お待たせしました!」
王の間に入り、開口一番謝罪する。普段は目覚まし時計を使ってるので寝坊することなどないのだが、どうもこちらに来てから、時間の感覚がうまくつかめない。
「……」
国王様は黙ったままだった。やっぱ怒ってるんだろうな。とにかく機嫌を直してもらわないと——
「…………ぐがー」
「寝てるんかい!」
焦って来て損した……その前に、国王様が公務中に寝るのはまずいだろう? どこぞの国会議員でもあるまいし。
「……ああ、来ておったのか。昨夜はお楽しみだったかね?」
「してません!」
「間違えた。昨夜はよく眠れたかね?」
どこをどうやったら間違えるのだろうか? わざとだろ、絶対。
「ところで、今日の用件は何でしょうか?」
「おーそうだ、忘れてた」
忘れてたって……ホントにこの人、国王様なの? なんだか、不安になってきた。
「これだ」
国王様が横に置いてあった布袋を持ち上げ、差し出してきた。僕は、それを受け取った。
「って、重っ!」
「旅の支度金だ。この国の通貨で、一万クルック用意させてもらった」
「あ……ありがとうございます」
とはいうものの、いまいち実感が湧かない。円に換算するといくらぐらいなんだろうか? ってそんなこと知る由もないよな。
しかし、隣にいたウェアドールの様子から察するに、大金なのは間違いない。金額を聞いた途端、目を輝かせ始めたし、それ以来、ずっと布袋から目線を反らさない。おまけに、なんかアンテナみたいなの立ってるし。これが俗に言う、アホ毛というやつか。
「しかし、こんなの持って歩いてたら危なくないですか? そもそも、こんな重かったらこれだけで相当な荷物になりますよ?」
おそらくは、治安だって日本のそれよりも悪いはずである。ひょろひょろの自分と、か弱そうな女の子。日本だって場所によっては危ない組み合わせだ。この世界の事情はまだ飲み込めてはないが、少なくとも今までの感覚が通用しないだろうということは確かである。
「もちろん、勇者にたいしてそんな無礼を働くわけにはいかん。そこでだ、お供を一人紹介したい」
直後に、一人の騎士が目の前に現れた。重々しそうなプレートメイルで全身を包んでいる。長身痩躯で眉目秀麗。現代日本であれば、アイドルグループに所属していてもおかしくなさそうなスタイルだ。
「名をアーノルドという。おぬしらのサポート役を言いつけた。是非、頼ってやってくれ」
「ご紹介にあずかりましたアーノルドと申します。精一杯、ご奉公させていただきたく存じます」
見る限り、態度も完璧だ。いろいろとわからないことが多い自分にとっても、とても心強そうだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしくね!」
僕とウェアドールがそれぞれ、彼に挨拶した。
「それと、もう一つ。馬車を用意させてもらった。移動にはそれを使うと良いだろう。御者はアーノルドが兼任する。そなたは戦いのみに集中してくれ」
きっとこれは最大級の援助なのだろう。それだけ、国王様は僕たちに期待しているということなのだ。ならば、できるかどうかじゃない。やらなければならない。命を賭してでも魔王ギトラを打ち倒さなければならない。
「ありがとうございます。必ずや、期待に応えて見せます!」
「ああ、頼むぞ! 今や、おぬしらだけが希望なのだ」
「はぁー、かったりぃ。帰って酒でも飲んで寝てたいわ」
十分後、僕は全力で気後れしていた。王の間を離れた途端、アーノルドが豹変した。先ほどまでの真面目そうな振る舞いとは打って変わって、顔からは今すぐにでもだらけたいオーラがにじみ出していた。アイドル? 違う、こいつはチャラ男だ。いや、チャラ男にも失礼だ。
「つかさ、なんで俺がこんなひょっこいのとちっこいのに付き添わなきゃなんないわけ?」
「ひょっこいの言うな!」
「ちっこいのゆーな!」
僕とウェアドールが全力で反論する。当人はそれを軽く受け流す。
先が思いやられる。本当にこんなんで、ギトラを倒せるんだろうか。それ以前に、ギトラの元までたどり着けるかも怪しくなってきた……
「とりあえず、これからまずどうしたらいいのか考えよう」
気を取り直して、僕が提案する。このパーティの中じゃ、必然的に僕が一番まともな部類に入る。なんとかうまく取り入って、まとめなければならない。
「はいはいはーい!」
ウェアドールが勢いよく挙手する。僕はウェアドールに意見を促した。
「まずはね、きょうかいにいくといいとおもうの」
「教会? 何のために?」
「だって、ぼうけんにはきけんがつきものだよね? ならさ、かみさまにおいのりしてさ、ぼうけんのじょうじゅをねがうのもだいじだとおもうの」
なるほど、確かにそれは一理ある。自分は、無宗教なのでいまいちぴんとこないのだけれども。
「それに、やりなおしたくなったときのためにセーブしないとね! セーブ!」
セーブってどこの世界の話だよ! ゲームか!
「却下」
「えーっ!」
ウェアドールが不満そうに頬を膨らます。そんな得体の知れないことに時間を割いてる余裕なんぞ、ない。
「いんやぁ、教会行くの悪くねえんじゃねーの? 俺も行きてーし」
アーノルドが横やりを入れる。
なんか、意外だ。性格からして、最も神とは無縁そうな人かと思っていたのだけれど。
「あそこは、俺らみたいな騎士やってる連中に酒恵んでくれんのよ。三人いるし、三本手にはいんな! おめーら最初の出番だぞ!」
完全に私利私欲じゃねーか! そんなのに僕達を利用しないでほしいんですが!
「そんじゃ、たすうけつだね!」
「うんにゃ、多数決だな」
ウェアドールとアーノルドが意気投合してしまった。なんでこんな時だけ息が合うんだろうか。頭を抱えつつも、しぶしぶその意見に従うことにした。
城下町は、丘の下に形成されていた。高い塀で囲まれ、その中に建物群がところ構わずひしめきあっている。王宮の入り口は庭園になっており、歴代の勇者の銅像が勇ましく並べられていた。チャールズ、ジャスティン、マイケル……一番端にエルヴィスの像もあった。鏡で見たときのエルヴィスよりも、どことなく美化されている気もする。より力強く、より勇ましく。オブジェとは本来、そういうものなのだろう。もしくは、今のエルヴィスが退化したとも受け取れるが。
多くの英雄達に見送られながら、僕達は王宮を後にする。
王宮を抜けると、大きな広場があった。自分の学校よりもはるかに広い。ビッグサイトの全ホールを合わせたくらいの広さはありそうだった。そこに多くの人が賑わっている。どうやら、市場が開かれているらしかった。食料品の売買だけでなく、床屋やクリーニング屋などもあるらしい。
「なんか、すごいな……」
休みの日の渋谷や秋葉原を思い出す。まさに、そんな感じだ。出店があちらこちらにあるので、道幅はそれよりもはるかに狭いのだが、人の賑わいは引けを取らない。
「町自体、狭いところに密集してできたもんだかんな。市場が開催されればこんくらい人が多くなって当たり前じゃね?」
アーノルドが解説する。ここの住人にとっては、これが日常なのだろう。それぞれの土地にはそれぞれの文化というものがある。それは、僕も何となくではあるが理解しているつもりだ。
教会の礼拝堂は、王宮を背にして広場の左奥に位置していた。広場の人混みを避けるため、脇の道から遠回りして礼拝堂に向かう。
「んじゃ、俺ぁちょっと裏口に行ってくるわー。酒もらってくんぜ」
「僕達は行かなくてもいいの?」
「ああ、名前だけ貸してくれれば問題ねぇ」
意外といい加減だった。アーノルドは、次の瞬間にはさっさと行ってしまった。
礼拝堂は厳かな雰囲気に包まれていた。所々に白い柱が立っていて、窮屈な印象も受ける。席には子供達の姿が多く見受けられた。どうやら、授業中のようだ。僕とウェアドールは、子供達を邪魔しないよう司祭のいる祭壇へと静かに進んだ。
「本日はどのようなご用件でしょうか? ご結婚ですか?」
「違います」
この世界の住人は、早とちりというか決めつけが多い気がする。
「これからたびにでるから、セーブしにきたんだよ?」
まだそのネタ引っ張るんですか……?
「あ、でしたらこちらの書物にお名前をご記載ください」
本当にセーブできるんですか!
ウェアドールが三人分の名前を渡された書物に記帳する。その間、僕は司祭の様子を伺ってみた。
神父、という言葉があるように司祭といえば、だいたい独身の男性を連想することが多い。しかし、目の前にいたのは年端もいかない少女だった。青い聖職者の帽子をかぶり、黒の僧衣を足元まで纏っている。肌の露出の少ない服装だったが、その妖艶さも相まって、全体的に幻想的なオーラを醸し出していた。
「あの……私の顔、なんかおかしいですか?」
「あ、いえ! 女性の司祭様って珍しいなって思いまして」
「……そうですね。よく言われます」
司祭が居心地悪そうに少し俯いた。触れてはいけない部分だったのだろうか。
「旅に出る、とおっしゃいましたね? では、あなた様が勇者様なのですか?」
「まあ、一応そうなってるみたいです」
「あ、あの……サインとかいただいてもよろしいですか?」
「へ?」
思わず変な声が出た。サインを頼まれるなんて、生まれて初めてだ。実績も何も身に覚えがないのに、微妙な気分になる。というか、元の人と筆跡違うけど大丈夫なの?
と考えつつも、差し出された羊皮紙に筆を走らせる。この国の文字は読み書きできないみたいなので、カタカナで「エルヴィス」と書いた。まぁ、本人が満足そうなのでこれでよしとしておこう。
「ところで、さっきからものすごい視線を感じるんですが……」
司祭が羊皮紙を大事そうにしまいながら言った。司祭の視線の先を見てみると、ウェアドールがじーっと司祭のことを睨みつけていた。
「ウェアドール、どうしたんだ?」
「……このひとからおおきなまりょくをかんじるの」
「魔力?」
すると、ウェアドールは突然、司祭に飛びかかった。
「な、何をするのです?」
「うでを、うでをみせるのです!」
ウェアドールが無理矢理、司祭の左腕を捲った。そこには、ウェアドールと同じく、紋章の刻まれていない、真っ白な素肌があった。
「いったい、どういうことなのです?」
司祭が驚いた表情をしながら、尋ねてきた。
「どういうことって僕にもさっぱり……」
しかし、ここで明らかになった事実が重大なことだというのは、自分にもわかっていた。大魔導士はウェアドールであるという前提。それは、左腕の紋章がないこと。しかし、今目の前にいる人物は、その前提を覆している。これは、いったいどういうことだ?
「ひとまず、王宮に戻ろう。話はそれからだ」