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プロローグ

 北にそびえ立つ山々。その麓に一つの王国都市が栄えていた。

 名はプリセルシア王国という。小高い丘に城を構え、城下町は城壁で囲まれた小さな街だった。

 領主同士の小競り合いは多少あるものの、辺境に位置すること、そして資源が豊かにとれることもあって、人々は比較的平穏に暮らしていた。

 それも、昨日までのことだったが。


 プリセルシア王国の国王——ジョージ=プリセルシア七世は王の間を行ったり来たりしながら、待ち人をただひたすら待っていた。

 顔にはいらだちの相好が浮かんでいる。時折、左腕の紋章を眺めてみたり、頭を抱えたり、とにかくじっとしていられない様子だ。

「国王、もう少し落ち着きになられた方が」

 大臣が平静を装って国王を諭す。

「落ち着いていられるか! 時間がないんだ! まだ、あの方は着かぬのか?」

「ええ、まだ連絡がございません。何分、御年百三十歳を超えるお方ですから。ご無理をされても困りますし」

「それはそうだが……」

 そこまで言うと、国王は口ごもる。

 わかってはいるのだ。しかし、焦燥と不安から冷静な思考ができないのもまた事実だった。


 事は昨日に遡る。毎月定例の領主会議を終え、教会への巡礼に向かう準備をする矢先のことだった。

 王室に戻り、支度を整える途中、国王は違和感を覚えた。誰もいないはずの寝室に漂う不気味な気配。人のものではない。しかし、形容しがたい、そして忘れもしない感覚がそこにはあった。

 二十年前と同じ。あの、悪魔が復活したときと同じ、おぞましい気配。

 突然、廊下へと続く扉が大きな音をたてて閉まった。後に静寂。昼間の暖かい時間だというのに、背筋に寒気が走る。

「お久しぶりです、閣下」

 どこからともなく声がした。聞き覚えのある声。自分が生きている間には、もう二度と聞くことがないと思っていた声だ。

 国王は言葉を失った。そんなはずはない。まだ、たった二十年しか経っていないというのに。何故、その悪魔がここにいる?

「おや、聞こえなかったのでしょうか? では、もう一度——」

「……聞こえておるわい、ギトラ」

「ふふふっ、覚えていてくれたんですね! 嬉しいなぁ」

 ギトラと呼ばれた悪魔が子供のように喜ぶ。それが、国王にはたまらなく不快だった。

「何故、お前がここにいる?」

「何故でしょうね? わかりません」

 悪魔が素っ気なく答えた。相変わらず、姿は見えない。虚空に向けて、国王が話し始める。

「二十年前に、お前は勇者達によって封印された。そして、百年は出てこられないはず。なのに何故、お前がここにいる?」

「何故でしょうね? わかりません」

 ギトラは同じ言葉を繰り返しただけだった。答える気がないのか、それとも本当にわからないのか……この際、どちらでもいいことではあるが。

 ギトラ——体格は決して人間のそれと大して変わらない。……いや、実のところ、彼の真の姿ははっきりしていない。あるときには、牛のような頭に隆々とした肉体を持った姿で現れたという。またあるときには、そこらの農奴と見分けがつかない格好をしていたこともあるらしい。二十年前、国王の前に姿を見せたときは猫の姿だった。

 しかし、それにも増して彼の恐ろしい点はその魔力の大きさと狡猾さにある。国一つ滅ぼすなど、造作もないことだろう。そして、悪魔は頭がいいのだ。だまし討ち、軍隊の撹乱はお手の物で、戦術をろくに持っていない急造の軍では到底太刀打ちできる相手ではなかった。

 ギトラを打ち破る唯一の存在。それが勇者だった。天性の才能を持ち、こと戦闘術に関しては、国王の知る限り右に出る者はいない。しかし、それ以上に勇者には大事な役割がある。ギトラを封印できる魔法は、勇者にしか解放できない。

 ただ……その存在はもう、いない。二十年前のギトラとの戦いで、勇者は命を落とした。

 勇者の損失は大きな痛手だったが、次の戦いまで百年の猶予がある。そのため、国王はそれほど切迫した問題だとは考えていなかった。また、新たな勇者が現れるだろう。もしかしたら、勇者の秘密が明かされるかもしれない。そんなことを期待していた。まさか、たった二十年で復活するとは……完全に不意を突かれた形になってしまった。

「それで……何しに来た?」

「ふふふっ、わかってるくせに! もちろん、遊びに来たんですよ?」

「遊び……だと?」

「ええ、ちょっとしたゲームをしに、ね」

 悪魔が饒舌な口調で、その内容を語り出す。

「あなたは、こう考えているでしょう——『今、私に対抗できるすべを持ってない。窮地だ』と。ええ、にっくき勇者は私が討ち滅ぼしたのでね。それで、今すぐ私がこの国を殲滅するのも可能なんですが、それでは面白くない。なので、猶予というものを作りたいなって思います」

「猶予?」

「今日から十五日後の日の入り。それまでに私を倒せれば、あなたの勝ち。でなければ、私の勝ちです。私が勝利した暁には、この町の住人には死んでもらいます」

 その瞬間、部屋の中に突風が巻き起こった。目も開けてられない。室内にあったあらゆるものを舞い上がらせる風だった。

 その突風は、城下町にも吹き荒れた。その風は建物を揺らし、市場の商品を滅茶苦茶にした。地面の下から突き上げるような、かつて経験したことのない風に、プリセルシアの人々は戸惑うばかりだった。

「何をした?」

「何って? 呪いをかけました。十五日後に死ぬ呪いです。実感がなければ面白くないでしょう? 左腕を見てみてください」

 反射的に、国王は左腕を確認した。そこには黒い繊細な模様が二の腕から手首にかけて、入れ墨のように刻印されていた。

「さて、これでわかったでしょう? あなたにこのゲームの拒否権はない。いやまぁ、別に無視してもらっても構わないですけどね。ただ、そのときどうなるかの保証はいたしません」

 国王は言葉を返せなかった。事態を完全に飲み込めていない。突然悪魔が現れ、突然死の呪いをかけられた。深刻な事態だというのはわかってはいるものの、あまりに唐突な事の成り行きに、頭が混乱していた。

「それでは、この辺でお暇させていただきますね。では、ごきげんよう」

 悪魔はそう言うと、それっきり何も言葉を出してこなかった。荒らされた部屋と静寂だけが、その場には残されていた。

 数分と経たないうちに、異変に気づいた大臣達が国王の寝室へと様子を見にやって来た。国王は、その場にじっと佇んで、拳を握りしめていた。

「国王……大丈夫ですか?」

 大臣が声をかけると、国王が振り向いた。

「大臣、大変なことになった……事態は急を要する。すぐに対策本部を立ててくれ……あいつが……ギトラが、蘇った」


 その後、なんとか気を取り戻した国王は早急に事を運んだ。

 まずは、公示人に緊急集会の日取りを広めてもらうよう依頼した。当然ながら、左腕に浮かんだ呪いの紋章は国民にも広がっているだろう。その不安を国王は払拭しなければならない。

 今日の夕方、九時課と晩課の合間に鐘が五つ鳴ったとき、広場に国民を集めるのだ。そこで、悪魔の復活、そして紋章の意味を話す。ただし、十五日後に死ぬということは伏せる必要がある。パニックを起こさせないためだ。正直、国王本人にも予測がつかないため、不安を煽ったところでなんの意味もない。国民には、できる限り普段通りの生活を送ってもらいたいのだ。そうしなければ、呪い以前に国家が破綻することだってあり得る。

 そして、対策本部の設置だ。悪魔の仕掛けた罠に手をこまねいているわけにはいかない。なんとしてでも、十五日以内にギトラを倒す必要がある。

 幾ばくも無くして、会議室に対策本部は設置された。普段、領主達と会合する会食室に大臣や軍の将校らを集める。そして、国王は事の成り行きを説明した。

 集まった人たちは皆、動揺を隠せないでいた。互いに目を合わせたり、頭を抱えて俯く者もいた。しかし、この状況からは逃げられないのだ。腹をくくって相手に立ち向かわなければ、その時点でジ・エンドである。

 議論は白熱した。まず最初に焦点が当てられたのは、「ギトラをどうやって倒すか」だ。

 毎回、ギトラを討伐していたのは勇者および大魔導士と呼ばれる二つの存在だった。大魔導士によって放たれる究極魔法により、ギトラは封じられる。そして、その究極魔法は勇者の力によってのみ解放できると聞く。

 国王達も戦いの専門家ではないので、詳しいことはよくわかっていない。だから、誰が勇者で誰が大魔導士かを判別することもできない。

 今までは、勇者の家系がわかっていて、その血が第一子に受け継がれるということも解明していたので、勇者の選別にはそれほど苦労していなかった。そして、大魔導士の選別は勇者によって行われていたので、勇者が誰かさえ認識していれば、大魔導士も自動的に判別することができたのだ。

 しかし、勇者は先の戦いで失った。これは、ギトラとの長い戦いの歴史の中で初めてのことだった。加えて、その代替案はこの二十年で生まれていない。

「勇者に頼れないのであれば、我々国王軍が戦地に赴くほかあるまい」

 将校が意見を述べる。確かに、今のところそれが最も可能性のある手段だといえる。

 過去の戦いでも、軍隊がギトラに立ち向かったことは多々あった。しかし、ギトラにたどり着くどころか、途中で全滅するのが関の山だった。過去に比べて、今の方がはるかに軍事力は向上した。それでも、ギトラには魔法の力がある。たかだか人間ごときが敵うような相手ではない。

 早々にして議論は煮詰まり、沈黙とため息が交錯した。数分間、意見を述べる者はいなかったが、唐突に一人の臣下が手を上げた。

「あの……ひとつ、よろしいですか?」

「なんだ?」

「以前、勇者の遺体を埋葬した際、遺体が腐らないように防腐剤で保存していると聞いたことがあります」

 確かにそうだ。勇者はこの国の英雄である。遺体の保存は、貴族の中でも最上位にあたる者にしか認められていない特権だが、特例で勇者に対してそれを行ったのだ。

 臣下が続ける。

「噂で聞いたことがあるのですが、とある大魔導士に魂を呼び戻す魔法を使える者がいるらしいのです。肉体さえあれば、人を生き返らせることも可能だとか……」

「それは、本当か?」

 国王が身を乗り出す。臣下の言いたいことはつまり、勇者を蘇らせることができるかもしれない、ということだ。

「して、その大魔導士とはいったい誰なのだ?」

「いえ、そこまではちょっと……」

 膨れつつあった期待が、一気に萎んだ。肝心な部分がわからなければ、どうしようもない。とにかく、時間がないのだ。魔導士を探すことに時間を費やすのは、本末転倒でしかない。

「であれば——」

 大臣が挙手する。

「国民に問うてみるのはどうでしょう? ちょうどこの後、緊急集会もありますし」

 その直後、五つの鐘が鳴った。時の流れは残酷なものだ。結局、議論は収束の方向も見いだせずにお開きとなった。


 国王が広場までやって来たときには、すでに人がびっしりと集まっていた。当然、突如として現れた左腕の紋章が最大の関心事だろう。それぞれが皆、不安や恐怖の入り交じった表情をしていた。

 国王が木造の演説台に上ると、聴衆はぱっと静かになった。視線が一点に集中する。その場にいる誰もが、国王の第一声に耳を傾ける。

「あー皆の衆、突然呼び出してしまってすまない。今日、こうして集まってもらった理由はおそらく察しがついてることだろうと思う。実は、二十年前に封印した悪魔ギトラが先ほど復活したのだ」

 そこまで言うと、聴衆がざわつき始めた。怒りの声を発する者、未来を危惧する者、もうだめだと悲観的になる者、多くの聴衆の不安の声が束となり、さらに不安を助長させていく。

「静粛に!」

 国王が怒鳴るように聴衆を制した。再び、広場は静寂に包まれる。

「不安なのは当然わかる。しかしだ、我々にはギトラに対抗する策がある。必ずや、ギトラを打ち倒し、再びこの地に安住をもたらすことを約束しよう。皆の衆には、これまで通りに暮らしてもらいたい」

 今度は、大歓声がわき起こった。もちろん、対抗する策がある、というのははったりだ。しかし、今はこう言う他になかった。恐慌状態に陥るよりは遙かにましだ。

 さて、用件はこれだけではない。もう一つ、聞いておかなければならないことがある。

「ところで——」

 三度、聴衆の声が止む。

「対抗策をより確実なものとするために、協力してほしいことがあるのだ」

 そこまで言って、国王はしばし考え込んだ。勇者の葬儀は密やかに行われた。だから、今この場にいる人達の中で、勇者が死んでしまっているということを知る者はおそらくいないはずだ。しかし、感づかれるのもまずい。そのことを隠した上で、勇者を生き返らせる方法を探る必要がある。

「この中に、生死を司る魔導士について知っている者はおらぬか? 是非とも、意見を聴きたいのだ」

 しばし、沈黙が続いた。しかし、それはそれほど長くは続かなかった。

「はいはいはーい!」

 その場の雰囲気とは場違いな声が広場に響き渡った。国王のいる台からだと、声の主の姿を捉えることはできなかった。目をよくこらしてみて、漸く後ろの方でぴょこぴょこ挙手して飛び跳ねている人がいることに気づいた。

「そなたは誰だ? 良ければ、ここまで来てもらえぬか?」

 国王が促す。その人物は、群衆の外に沿って歩き、台の下までやって来た。

 その姿を見て、国王は驚いた。まだ、歳は十五かそこらといった少女だったからだ。あちこちで、驚愕の声が漏れる。どうやら、聴衆も同じ感想のようだ。

「まずは、そなたの名前を伺いたい」

 国王が平静を装って、少女に尋ねた。

「えーっと、あたしはね。ウェアドールっていうの」

 少女が応える。国王の面前だというのに、全く取り乱した様相を見せない。強心臓の持ち主なのか、それとも単に理解してないだけなのか……しかし、この状況ではその方が都合が良いかもしれない。

「それで先の件についてだが、詳しく話してもらえぬか?」

「えーっとね、たぶんそれはあたしのおばあちゃんのことだとおもうの」

「おばあちゃん?」

「うん。あたしのおばあちゃん、むかしすごいまほうつかいだったんだって! ゆうしゃさまといっしょにたびをして、ギトラをやっつけたこともあるっていってた!」

 まさか、それは——先々代の大魔導士?

 国王は胸が高鳴った。もしそれが本当であれば、思わぬ収穫だ。彼女の知恵があれば、これほど心強いものはないだろう。

「その、おばあちゃん……に会うことはできるのか?」

「たぶんだいじょうぶだとおもうよ。あしたでいい?」

「ああ、頼む! 明日、王宮まで足を運ぶよう是非伝えてくれ!」


 そして、今に至る。

 その後、国王はその大魔導士について過去の記録を遡って詳しく調べた。

 名はエリーゼというらしい。記録を見るに、確かに蘇生魔法に長けていたようだ。勇者の窮地を、幾度となく彼女が救っている。

 しかし、相当のご高齢だ。現在、その魔法が使用できるとは限らない。何より、無理強いをさせてしまうのは気が引ける。

 そもそも、ここまで足を運ばせてしまうことを国王は後悔した。ウェアドールという少女からエリーゼの存在を知ったときは、興奮のあまり彼女が百三十を超えるご老人だということをすっかり失念していた。それに、国民の命がかかっているとはいえ、こちらの一方的な都合である事に変わりはない。己の失態が、余計に国王をいらだたせた。

 それとは別に、もう一つ気になることがあった。ウェアドールの存在だ。彼女を一目見たときは、それはたいしたことではないように感じた。何より、意識は別の方向に向けていたので、その違和感に気づかなかった。いや、違和感がないことが逆に違和感だったのだ。

 彼女の左腕には、呪いの紋章が刻印されていなかった。

 それが何を意味するのかはまだわからない。吉兆なのか否かも定かではない。だからこそ、そのことも考慮に含める必要がある。

 果たして、勇者は復活するのか? ウェアドールの左腕が意味することは何か? そして、悪魔ギトラを打ち破るすべは出てくるのか?

 国王はしばらくの間黙考していたが、それは臣下の叫び声によって突如終わった。

「国王! エリーゼ様が到着されました!」


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